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数合わせで合コンに行っただけの俺、超絶美少女のお嬢様に「初恋です」と甘々に迫られる

掲載日:2026/11/01

俺が合コンに呼ばれた理由は、だいたい予想どおりだった。


「悪い、マジで一人足りない。座ってるだけでいいから来てくれ、湊」


大学の友人、航平にそう拝まれて、断り切れなかったのが運の尽きである。


金曜の夜。駅前の洒落た居酒屋の半個室。


陽キャっぽい男三人と、派手めな女子二人。それから――場違いなくらい、綺麗な女の子が一人。


最初に見たとき、思わず視線を逸らした。


その子だけ、空気が違った。


艶のある黒髪を肩のあたりで柔らかく揺らして、淡いクリーム色のワンピースを上品に着こなしている。目元は優しくて、睫毛が長くて、笑うと花がほころぶみたいにふわっと雰囲気が和らぐ。なのに、その笑顔の奥に、少しだけ困った色が混じっていた。


あとから知ることになるその名前を、このときの俺はまだ知らない。


「じゃあ、かんぱーい!」


騒がしい声に合わせてグラスがぶつかる。


俺はウーロン茶をひと口飲んで、さっそく気配を消した。


こういう場での俺の立ち位置は決まっている。


盛り上げ役にもなれない、笑って相槌を打つだけの背景。数合わせとしては優秀だ。マイナスにならない程度に存在感が薄い。


「えー、九条院さんって本当にお嬢様なの?」


「実家やばいんでしょ?」


「こういう店とか来るんだ。なんか意外」


ああ、なるほど。


話題の中心にいる彼女は、九条院さんというらしい。


九条院さんは困ったように微笑んで、「普通、だと思います」と控えめに返した。普通なわけがないのは見ればわかる。言葉遣いも所作も、育ちの良さが隠しきれていない。


派手めな男子の一人が、酒の勢いもあって距離を詰める。


「彼氏とかいたことある? 絶対モテるじゃん」


「そ、そういうお話は……」


「えー、照れてるの可愛い」


半個室の空気が、少しだけ嫌な方向に傾いた。


九条院さんは笑っている。笑っているけど、指先だけが小さくグラスを握りしめている。その白い指の力み方が、妙に目に残った。


たぶん、俺じゃなくても気づく。


でも、気づいても、誰も止めないんだろう。


場を壊したくないから。


せっかくの飲み会だし。


その程度で気にするほうが悪い、みたいな空気があるから。


俺はため息を飲み込んで、店員さんを呼んだ。


「すみません。ジンジャーエールひとつと、水もらえますか」


「あ、俺もハイボール追加」


「じゃあ俺、レモンサワー」


注文の流れに紛れさせて、九条院さんの前に置かれていたアルコールのグラスを見た。


「九条院さん、それ苦手なら無理しなくていいですよ。顔色、ちょっと悪いんで」


いきなり話しかけられて、彼女が目を丸くする。


綺麗な瞳だった。夜の水面みたいに静かで、けれどちゃんと揺れる。


「え……」


「ここのカシオレ、甘すぎるし。俺も苦手なんで。ジンジャーエールのほうがまだうまいです」


俺がそう言うと、周りも「たしかに」「わかる」と軽く流れてくれた。


彼女は少しだけほっとしたみたいに、「ありがとうございます」と小さく言った。


その声が、やたら耳に残った。


それからも、なるべく不自然にならない範囲で、俺はちょこちょこ空気をいじった。


露骨な恋愛トークに寄りそうになれば、別のやつに「そういえばゼミどうなん?」と話を振る。


お嬢様ネタで変な方向に盛り上がりそうになれば、「この前、航平が講義で寝て教授に怒られててさ」と笑い話に変える。


店員さんが持ってきた水を、九条院さんの前にそっと寄せる。


別に、格好つけたかったわけじゃない。


ただ、見ていて、きつかった。


あの場で一番注目されているのに、一番居心地が悪そうな人がいるのが。


合コンも終盤に差しかかって、二次会に行こうという話が出たとき、九条院さんの表情がほんの少し強張った。


「カラオケ行こうよ、カラオケ」


「まだ全然話し足りないし」


「九条院さん、帰るとかなしね?」


冗談めかした言い方だったけど、断りづらい圧がある。


彼女は唇をきゅっと結んで、それでも「わたくしは……」と言い淀んだ。


たぶん、これ以上はきつい。


俺は椅子を引いて立ち上がった。


「あ、悪い。俺、二次会無理だわ。明日朝一でバイトあるの忘れてた」


「えー、まじで? 今からが本番じゃん」


「湊ってそういうとこあるよな」


笑われながら、俺は肩をすくめる。


「人数も減るし、女の子側も帰りやすいだろ。九条院さんも、遅くなると家の人心配するんじゃないですか」


名前を出された彼女が、はっとこちらを見る。


ほんの一瞬だけ、目が合った。


助けてほしいなんて、彼女は一言も言っていない。


でも、その瞳は、そういう色をしていた。


「……はい。少し、門限が」


「ほら。お嬢様に夜遊びさせたら怒られるって」


冗談っぽく言うと、場も「たしかに」「門限はしゃーない」と軽い空気になる。


その隙に、俺は会計を済ませる流れを手伝って、彼女が自然に立てるようにした。


店の外に出ると、夜風が思ったより冷たかった。


「大丈夫ですか」


そう声をかけると、九条院さんは胸の前で小さく両手を重ねて、深く頭を下げた。


「……助けていただいて、ありがとうございました」


「いや、別に」


「別に、ではありません。わたくし、本当に……どうしてよいかわからなくて」


店の灯りの下で見る彼女は、さっきまでよりずっと儚げだった。


きっとああいう場に慣れていないんだろう。たぶん、こういうのが初めてだ。


「車、呼んでます?」


「えっ」


「家の人が迎えに来るとか。そういう感じの家ですよね、たぶん」


俺がそう言うと、彼女は少しだけ驚いて、それからくすっと笑った。


その笑顔が、びっくりするほど可愛かった。


「……はい。少し先で待っているはずです」


「じゃあ、そこまで送ります。絡まれても面倒だし」


「でも」


「俺も駅そっちなんで。たぶん」


本当は反対方向だ。


でもまあ、今日はそのくらいどうでもいい。


彼女は数秒迷ってから、こくりと頷いた。


夜道を並んで歩く。


さっきの店ではほとんど話せなかったのに、二人きりになると逆に何を言っていいかわからない。


「……あの」


「はい」


「無理して笑わなくてよかったのに、って、思いました」


自分でも驚くほど、勝手に口から出た。


彼女は歩みを少しだけ緩める。


「わたくし、そんなにわかりやすかったでしょうか」


「わかりやすいっていうか、ちょっとだけ、しんどそうだったんで」


「……そう、でしたか」


彼女は頬にかかった髪を耳にかけて、少し恥ずかしそうに目を伏せた。


「見ていてくださったのですね」


「たまたまです」


本当にたまたまだ。


空気だったからこそ、周りがよく見えただけで。


交差点の向こうに、黒塗りの車が止まっていた。


助手席から降りてきたスーツ姿の男性が、こちらを見るなりほっとした顔になる。


「お嬢様」


「すみません、遅くなってしまって」


やっぱり本物だ。


俺みたいなのが関わっていい相手じゃない、と一瞬で理解した。


彼女は車に乗り込む前に、もう一度振り返った。


「あの、あなたのお名前を」


「……相良です。相良湊」


「相良、湊さん」


大事なものみたいに、彼女は俺の名前を繰り返した。


「わたくし、九条院紗雪と申します」


「知ってます。さっき散々呼ばれてたんで」


「あ……」


しまった、と思ったのか、彼女は小さく頬を染める。


それがまた、どうしようもなく可愛くて、心臓に悪かった。


「今日は、本当にありがとうございました。どうかお気をつけて」


「九条院さんも」


車のドアが閉まる直前まで、彼女は俺を見ていた。


たぶん、もう会うことはない。


そう思っていた。


だから翌日の昼、知らない番号から届いたメッセージを見たとき、思わずスマホを落としかけた。


『昨日は助けていただいて、ありがとうございました。九条院紗雪です』


『突然で申し訳ありません』


『わたくし、あなたに一目惚れしてしまいました』


意味がわからなかった。


冗談だと思った。


あるいは、誰かの悪ふざけだと。


でも、続けて送られてきた文章は、妙に丁寧で、昨日の彼女の雰囲気そのままだった。


『ご迷惑でしたら、このまま返信は不要です』


『ですが、もし少しでもお時間をいただけるなら、お礼を兼ねてお茶をご一緒していただけませんか』


講義中にもかかわらず、心臓がうるさかった。


隣の席のやつに不審がられるくらいには、露骨に動揺していたと思う。


昼休み、学食の隅で十分くらい悩んでから、ようやく短く返信した。


『相良です。本当に九条院さん本人?』


最低な返しだと思う。


でも、仕方ないだろ。


数秒後、すぐに返事が来る。


『はい。疑われるのは当然ですので、証明できるものが必要でしたらお見せします』


『ですが、できれば会ってお話ししたいです』


文面なのに、妙にしょんぼりしているのが伝わってくる。


それがなんだか可笑しくて、少しだけ肩の力が抜けた。


結局、その週末、駅前のホテルラウンジに併設されたカフェで会うことになった。


指定された場所に行って、俺は三秒くらい立ち尽くした。


場違いすぎる。


床は磨き上げられた大理石、窓際には生花、静かなピアノ曲。俺の普段の生息域とは別世界だ。


「相良さん」


名前を呼ばれて振り向くと、紗雪さんが立っていた。


今日は白いブラウスに淡い水色のスカート。上品なのに柔らかくて、昨日よりずっと近寄りがたいくらい綺麗だ。


でも、俺を見るなりぱっと表情を明るくしたところは、少しだけ親しみやすくて――危うく見惚れた。


「お待たせしました」


「いえ、俺も今来たところです」


「本当ですか?」


「たぶん」


「たぶん、なのですね」


くすっと笑う。


その笑い方が、信じられないくらい優しい。


席について、紅茶が運ばれてきて、十分くらいはぎこちない会話が続いた。


天気の話。大学の話。昨日の合コンは、紗雪さんの従姉が半ば無理やりセッティングしたものだったこと。彼女自身は、同世代の人と気軽に話す練習になると言われて参加したけれど、思っていたよりずっと疲れてしまったこと。


そして、沈黙のあと、彼女はまっすぐに俺を見た。


「あのメッセージ、困らせてしまいましたよね」


「……まあ、かなり」


「申し訳ありません」


しゅん、と眉を下げる。


その表情がいちいち反則だ。


「でも、嘘ではありません」


「一目惚れって……いや、俺、昨日ほとんど何もしてないですけど」


「そんなことありません」


彼女はきっぱりと言い切った。


「わたくしが苦手なお酒だと気づいてくださいました。話題を何度も変えてくださいました。二次会も、わたくしが帰りやすいように流れを作ってくださった」


「それは……」


「しかも、恩着せがましくなく」


その言い方が可笑しくて、思わず笑ってしまう。


彼女もつられて笑った。


「わたくし、昨日、ずっと怖かったんです」


「……うん」


「みなさん悪い方ではないのだと思います。でも、わたくしを一人の人間としてではなく、九条院家の娘として見ているような気がして」


「……」


「そんな中で、相良さんだけが、わたくしが困っていることを見てくださいました」


優しい声だった。


なのに、一言一言が妙にまっすぐ胸に刺さる。


「だから、たぶん。いいえ、きっと」


彼女は両手でティーカップを包み込みながら、頬をほんのり染める。


「初恋なのだと思いました」


まともに息ができなくなった。


「いや、でも、初恋ってそんな軽く」


「軽くありません」


また、きっぱりだ。


「わたくし、恋愛経験はありません。今まで、誰かにこういう気持ちを抱いたこともありませんでした」


「……」


「ですから比較はできません。ですが、昨日の夜からずっと、相良さんのことばかり考えています。お名前を思い出しては嬉しくなって、メッセージを送るだけでもすごく緊張して」


「ちょっと待って」


「はい」


「落ち着いてるように見えて、全然落ち着いてない?」


「はい。まったく」


そこで真顔で頷かれて、心臓がさらにおかしなことになった。


「俺、そういうの慣れてないんで」


「わたくしもです」


「じゃあ、なんでそんな真っ直ぐ言えるんですか」


「大切なことは、きちんと伝えるようにと教わりました」


育ちが良すぎる。


変な意味じゃなく、真正面からくる好意に、俺の防御力がまるで足りない。


「迷惑、でしょうか」


「……迷惑では、ないです」


「本当ですか?」


彼女が身を乗り出す。


近い。いい匂いがする。無理だ。死ぬ。


「ただ、信じられないだけで」


「でしたら」


紗雪さんは、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。


「これから信じていただけるように、頑張ります」


「頑張るって」


「まずはお友達からでも構いません。お食事でも、お散歩でも、本屋さんでも。相良さんの行くところに、わたくしもご一緒したいです」


「なんでそこまで」


「好きだからです」


さらっと言うな。


そんなに綺麗な顔で、そんな当たり前みたいに。


俺はたぶん、そのとき完全に負けた。


「……じゃあ」


「はい」


「友達から、で」


「はい」


「その、よろしくお願いします」


「はいっ」


返事と一緒に、彼女の顔がふわっと花開く。


それがあまりにも嬉しそうで、こんなの断れるやつがいるなら顔を見てみたいと思った。


九条院紗雪は、恐ろしいほど真面目に「これから信じていただけるように頑張る」を実行した。


毎日のメッセージは欠かさない。


講義の邪魔にならない時間を選んでくる。


こちらが返信しやすい長さをちゃんと考えているのがわかる。


『お昼、食べ損ねていませんか』


『ちゃんと眠れていますか』


『今日は夕焼けが綺麗でした。相良さんにも見せたかったです』


なにそれ。


恋か?


恋だった。


しかも、質が良すぎる。


最初のデートは、俺の希望で大型書店になった。


高級ホテルラウンジは心臓に悪い、と素直に伝えたら、「では、相良さんが落ち着く場所に」と本気で柔軟に変えてくれた。


本屋の文庫コーナーで、彼女は感心したように棚を見回していた。


「こんなにたくさんあるのですね」


「本屋初めてじゃないですよね?」


「もちろん来たことはあります。でも、こういうふうに長く歩き回ることはあまりなくて」


「じゃあ今日は好きに見ていいですよ。俺、待つの得意なんで」


「一緒に見てください」


「え」


「相良さんが好きなものを知りたいんです」


それを言うときの彼女は、なんというか、ずるい。


上目遣いとか意識してやってないのに、結果として全部刺さる。


結局、俺が好きな作家の棚を一緒に見て、彼女は俺が前に読んでよかったと言った小説を二冊買った。


会計の帰り道、紙袋を大事そうに抱えて言う。


「同じものを読むと、少し近づけた気がします」


「そんな大げさな」


「大げさではありません。わたくしには、とても大切です」


そのあと、横断歩道を渡るときだった。


人が多くて、彼女が少し不安そうに周りを見る。次の瞬間、俺の袖の端を、ちょん、とつまんだ。


「……あの」


「はい」


「はぐれたくないので、少しだけ」


見下ろすと、耳まで赤い。


つまんでいるのはほんの少しなのに、俺の心臓はやかましいくらい鳴った。


「別に、いいですけど」


「ありがとうございます」


そのまま数歩歩いて、彼女が小さな声で付け足す。


「本当は、手をつなぎたかったです」


「っ」


「でも、まだ早いでしょうか」


「……九条院さん」


「はい」


「そういうの、いきなり言わないで」


「なぜですか」


「俺が困るから」


「困ってくださるのですね」


嬉しそうに言うな。


完全に遊ばれている――と思いたいのに、紗雪さんにはそんな器用さはない。たぶん、本気で一つ一つ確かめながら進んでいる。


「では、今度は事前にお願いしてもよろしいでしょうか」


「何を」


「手をつなぐことです」


真面目な顔で許可を取ろうとするな。


可愛すぎて無理だろ。


「……そのときになったら」


「はい。期待しておきますね」


絶対、期待してる顔じゃない。


期待でいっぱいの顔だ。


その次のデートで、俺たちは水族館に行った。


休日の午後、少し人は多かったけれど、薄暗い館内で青い光に包まれていると、不思議と落ち着く。


大きな水槽の前で立ち止まるたび、紗雪さんは子どもみたいに目を輝かせた。


「綺麗……」


「好きなんですか、水族館」


「はい。すごく。テレビでは見たことがありましたが、来るのは初めてです」


「初めて?」


「家族で出かける場所は、もっと静かなところが多かったので」


なるほど、箱入りだ。


けれど、だからこそだろうか。彼女は何を見ても素直に喜ぶ。


クラゲの展示の前で、「空に浮かんでいるみたい」と言って笑う。


ペンギンのよちよち歩きに本気で拍手する。


イルカショーで水しぶきを浴びかけて、「きゃっ」と俺の腕にしがみついてから、数秒後に自分でやったことに気づいて顔を真っ赤にする。


「す、すみません」


「いや、別に」


「でも、急に」


「驚いたなら仕方ないでしょ」


「……怒っていませんか」


「怒るわけないです」


そう言うと、彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。


その仕草すら、妙に愛おしく見えて困る。


巨大水槽の前で、人が少なくなったタイミングがあった。


青い光が揺れて、魚の群れが頭上をゆっくり泳いでいく。まるで時間が薄く伸びたみたいな、静かな場所だった。


隣で、紗雪さんがそっと息を吸う。


「相良さん」


「はい」


「今日は、手をつないでもよろしいでしょうか」


正面から来た。


覚悟していたのに、まるで耐性ができていない。


「……嫌じゃ、ないです」


「では」


「でも、そんな改まって言われると緊張するんで」


「わたくしも、とても緊張しています」


そう言って彼女が差し出した手は、少し震えていた。


白くて細くて、触れたら壊れそうなくらい綺麗な手。


俺は息を整えて、その手を取った。


ひやりとしていた。


でも、握っているうちに、少しずつ温度が移っていく。


「……あたたかいですね」


「九条院さんの手が冷たいんです」


「すみません。緊張すると、こうなることが多くて」


「俺も緊張してます」


「本当ですか?」


「顔見ればわかるでしょ」


「では、見てもよろしいですか」


上目遣いで覗き込まれて、俺は負けた。


「……見ないで」


「ふふ」


「笑わないでください」


「だって、嬉しいんです」


彼女はつないだ手を、まるで宝物みたいにぎゅっとした。


「相良さんと手をつなぐの、ずっと楽しみにしていました」


「その『ずっと』まだ数週間ですよ」


「好きな人のことを考える時間は、長く感じるのです」


さらっと爆弾を落とす。


しかも、本人は自覚がない。


俺のほうだけ、毎回致命傷を受けている。


その日の帰り、駅までの道で、彼女が不意に言った。


「相良さん」


「はい」


「そろそろ、下のお名前でお呼びしてもよろしいでしょうか」


「え」


「お友達になっていただけましたし……できれば、もっと近づきたくて」


無理だろ。


そんなお願いの仕方、断れるわけがない。


「じゃあ、俺も九条院さんじゃなくて」


「……紗雪?」


「っ……はい」


呼んだ瞬間、彼女は立ち止まった。


耳まで、首筋まで、綺麗に赤く染まっていく。


「すみません、少し待ってください」


「え」


「嬉しすぎて、心の準備が追いつきません」


「言い出したのそっちですよね?」


「はい。でも、想像以上でした」


両手で頬を押さえて、恥ずかしそうに俯く。


数秒後、恐る恐る顔を上げて、小さな声で言った。


「……湊さん」


「っ」


「……ではなく」


彼女は何度か呼吸を整えて、

「み、湊」

と、壊れそうな声で呼んだ。


もう駄目だった。


その一言で、たぶん俺はちゃんと好きになってしまった。


好きだと自覚してからの毎日は、だいぶ危険だった。


メッセージ一つで嬉しくなる。


電話越しに「おやすみなさい」を言われるだけで寝つきが悪くなる。


大学で嫌なことがあっても、彼女の写真――いや、さすがに写真は持ってないけど、送られてきたスタンプ一つで機嫌が直る。


俺のほうが重いんじゃないかと思い始めたころ、現実が冷や水を浴びせてきた。


「相良、おまえ最近九条院さんと仲良くね?」


「え、マジ? あの超お嬢様?」


「ワンチャン狙ってんの? 玉の輿じゃん」


学食でそんな声が聞こえた瞬間、背中が固まった。


別に直接言われたわけじゃない。ただ、聞こえてしまっただけだ。


「でも住む世界違いすぎね?」


「遊ばれてるだけだったりして」


「たしかに。相良っていいやつそうだし、練習台にはちょうどよさそう」


悪意しかない、とは言わない。


たぶん半分は冗談だ。けれど、冗談で済ませられないくらい、痛かった。


住む世界が違う。


遊ばれている。


釣り合わない。


自分が一番よくわかっていたことを、他人の言葉で突きつけられるのは、思ったよりきつい。


その日から、俺は少しずつ返信を遅らせた。


忙しいふりをした。


デートの誘いを、やんわり先延ばしにした。


最低だと思う。


でも、踏み込んでから壊れるくらいなら、今のうちに離れたほうがいいと本気で思っていた。


三日目の夕方、講義が終わって校舎を出たところで、俺は立ち止まった。


紗雪がいた。


大学の正門の前、薄いベージュのコートを着て、小さく息を吐きながら俺を待っていた。


周囲の視線を一身に集めているのに、彼女はそれを気にする様子もなく、俺を見つけた瞬間に表情を緩めた。


「湊」


「……なんでここに」


「会いに来ました」


即答だった。


「最近、お忙しそうでしたので」


「それは」


「嘘ですよね」


やわらかい声なのに、逃がしてくれない。


彼女は一歩、こちらに近づいた。


「メッセージの返し方が変わりました。お電話も、早く切ろうとなさる。わたくし、何かしてしまいましたか」


「紗雪は悪くない」


「では、なぜ」


夕方の風が冷たい。


彼女の髪が揺れるたび、甘い匂いがかすかにする。


「……ここじゃ、ちょっと」


「でしたら、どこでも」


「いや、でも」


「逃げないでください」


その一言で、動けなくなった。


彼女は泣いていなかった。


でも、泣きそうな顔よりずっと切実な目をしていた。


「わたくし、ちゃんと知りたいんです」


「……」


「湊が距離を置きたいなら、それでもお話を聞かせてください。何もわからないまま離れるのは、嫌です」


そこまで言われて、もう誤魔化せなかった。


結局、俺の一人暮らしのアパートに来てもらった。


さすがに玄関先で話すつもりだったけど、外は雨まで降り始めて、紗雪の肩が濡れたのを見て慌てて中に上げた。


狭い部屋だった。


六畳のワンルーム。最低限の家具。色気もなければ洒落っ気もない。


「……ごめん。汚くて」


「落ち着きます」


「それは嘘だろ」


「本当です。湊の匂いがして、安心します」


やめてくれ。心臓に悪い。


温かいお茶を入れて、向かい合って座る。


沈黙が先に耐えきれなくなったのは、俺のほうだった。


「……紗雪」


「はい」


「俺たち、やっぱり住む世界違うだろ」


言ってしまえば早かった。


ずっと喉に引っかかっていたものが、ようやく形になる。


「昨日今日で急に変わることじゃないけど、大学でさ、いろいろ聞こえて。玉の輿だとか、遊ばれてるだけだとか」


「そんなこと」


「わかってる。周りが勝手に言ってるだけだって。でも、間違ってない部分もある」


自嘲気味に笑った。


情けない。


こんなの、本当に情けない。


「俺、普通の家だし、将来もたぶん普通だし。紗雪みたいな人が、本気で好きになる相手じゃない」


「どうして、湊が決めるのですか」


言葉を失った。


紗雪はカップを置いて、まっすぐに俺を見た。


その瞳は揺れていない。


「好きになる相手を決めるのは、わたくしです」


「でも」


「湊は、わたくしの気持ちがそんなに軽いものだと思っていますか」


怒っているわけじゃない。


ただ、悲しそうだった。


「……思ってない」


「では、どうして信じてくださらないのですか」


「信じたいけど、怖いんだよ」


「何がですか」


「好きになって、どうしようもなくなって、それで結局駄目でしたってなるのが」


言い切った瞬間、自分で思っていたよりずっと深く好きになっていたことを自覚した。


紗雪は目を見開いて、それから、ふわりと表情をやわらげた。


「……もう、好きになってくださっているのですね」


「そこ拾う?」


「拾います。とても大事ですから」


こんな場面で少し嬉しそうにするの、ずるすぎる。


彼女はソファから立ち上がって、俺の前まで来た。


近い。逃げ場がない。


「湊」


「……はい」


「抱きしめてもらっても、よろしいでしょうか」


息が止まった。


「それ、俺が許可もらう側じゃなくて?」


「わたくしのほうが、していただきたいので」


声が少し震えていた。


きっと彼女も怖いんだ。恥ずかしいし、不安だし、それでも言葉にしてくれている。


だったら、逃げるほうがずるい。


俺は立ち上がって、そっと彼女を抱きしめた。


細い。


やわらかい。


信じられないくらい、あたたかい。


紗雪は一瞬びくっとして、それからゆっくり俺の背中に腕を回した。


「……よかった」


「何が」


「逃げられてしまったのかと思いました」


「ごめん」


「もうしませんか」


「しない」


即答だった。


胸元で、彼女が小さく笑う気配がする。


「湊」


「うん」


「わたくし、湊のことが大好きです」


「……」


「家柄も、お金も、周りの評価も関係ありません。あの日、困っているわたくしを見つけてくれた優しい人が好きなんです」


「紗雪」


「だから、お願いです。わたくしを、勝手に諦めないでください」


駄目だった。


こんなの、好きになるに決まってる。


腕の中の彼女を少しだけ離して、顔を見る。


長い睫毛。潤んだ瞳。熱のこもった頬。


「……俺も、好き」


「……はい」


「最初からたぶん気になってた。水族館のあたりでもうかなり好きだった。今はたぶん、かなりじゃ足りない」


「……はい」


「だから、その、ちゃんと付き合ってほしい」


言ってから、顔が熱くなる。


なんだこの告白。下手か。


でも、紗雪は両手で口元を押さえて、信じられないものを見るみたいに目を潤ませた。


「……本当に?」


「ここで嘘つくわけないだろ」


「では」


「うん」


「恋人、ですか」


「そうなる、かな」


「……っ」


次の瞬間、彼女は俺の胸に飛び込んできた。


さっきより強く抱きつかれて、思わずよろける。


「嬉しいです……っ」


「お、おう」


「どうしましょう、嬉しすぎて、ちゃんと笑えているかわかりません」


「十分伝わってる」


「湊、もう一度言ってください」


「何を」


「好き、と」


「……今?」


「はい」


「……好き」


「もう一度」


「好きです」


「あと一回」


可愛すぎて死ぬかと思った。


でも言う。


何度でも言えるくらい、好きだった。


「好きだよ、紗雪」


「……わたくしも、湊が大好きです」


抱き合ったまま、どちらからともなく見つめ合う。


この流れで何が起こるのかくらい、俺でもわかる。


「……キス、してもいい?」


「はい」


紗雪はぎゅっと目を閉じて、背伸びをした。


その仕草があまりにも健気で、愛しくて、胸がいっぱいになる。


触れるだけの、短いキスだった。


でも離れた瞬間、彼女は頬を赤くして、ぼんやりした顔で俺を見た。


「……湊」


「うん」


「もう一回、お願いしてもいいですか」


「そんな顔で言う?」


「どんな顔でしょう」


「可愛すぎる顔」


「……っ」


また真っ赤になる。


けれど今度は、彼女のほうからそっと服の裾を掴んだ。


「……したい、です」


その一言で理性がかなり危なかったけれど、だからこそ、二回目も三回目も、ゆっくり大事にした。


額に、頬に、唇に。


少しずつ確かめるみたいに口づけるたび、紗雪が小さく息をこぼす。


そのたびに、俺の心臓は大騒ぎだった。


結局その日は、抱きしめ合って、何度もキスをして、雨が止むまで一緒にいた。


それだけで十分幸せで、むしろ許容量を超えていた。


恋人になってからの紗雪は、もともと甘かったのがさらに悪化した。


『講義お疲れさまです。えらいです』


『今日の湊もきっとかっこいいのだろうなと思っています』


『会いたいです。会ってもよろしいですか。できれば今日』


良くない。


糖度が高すぎる。


デートの帰りに別れ際のハグをねだられる。


電話を切る前に「好きです」と言い合うのが半ば習慣になる。


俺が冗談で「そんな毎回言わなくても伝わってるよ」と言ったら、紗雪は真剣な顔でこう返した。


「伝わっていても、言いたいのです」


「なんで」


「好きな気持ちは、言葉にしたほうがあたたかいからです」


そんなことを真顔で言う恋人、いるか?


いや、俺の恋人がそうなんだけど。


付き合って二か月くらい経ったころ、一度だけ紗雪の家にも招かれた。


都内の一等地にある広い屋敷で、門を見た瞬間に帰りたくなった。


「今からでも逃げる?」


「逃がしません」


俺の袖をぎゅっと掴んで、紗雪が言う。


その時点でもう可愛かったのに、応接室で待っていた彼女の父親は思ったよりずっと穏やかな人だった。


「娘がお世話になっています」


「い、いえ」


「紗雪がこんなに嬉しそうに誰かの話をするのは初めてでして」


隣で紗雪が「お父様」と恥ずかしそうに止める。


でも父親は楽しそうだった。


「家のことは気にしなくていい。娘を泣かせないでくれれば、それで十分です」


「……はい」


「それと、もし泣かせた場合は、私より先に紗雪本人が許しませんよ」


「お父様」


「事実だろう?」


そこでまた顔を赤くする彼女を見て、俺はなんだか気が抜けた。


ああ、この人はちゃんと愛されて育ったんだな、と。


帰り際、庭の灯りがやわらかく揺れる中で、紗雪が俺の腕にぴたりと寄り添ってきた。


「緊張、しましたか」


「そりゃ」


「でも、お父様は湊のことを気に入っていました」


「なんでわかるの」


「紅茶のおかわりを勧めてくださいましたから」


「そこ?」


「はい。気に入らない方には、もっと形式的です」


そういうものなのか。


金持ちの世界はよくわからない。


「……でも、よかった」


「何が」


「紗雪の大事な場所を見せてもらえたの、嬉しかった」


「……っ」


彼女は足を止めて、俺を見上げた。


夜の庭で、その瞳だけがやたら綺麗に見える。


「湊」


「うん」


「今、キスしたら怒られますか」


「たぶん、ぎりぎり大丈夫じゃない?」


「では、ぎりぎりでお願いします」


そんな可愛い言い方をされて、我慢できるわけがない。


人気のない小道で、そっと唇を重ねる。


紗雪は目を閉じたまま、俺の袖を握って、触れるたびに小さく震えた。


「……好き」


離れたあと、紗雪が夢みたいな声で言う。


「湊が好きです。会うたび、もっと好きになります」


「それ、俺の台詞」


「でしたら、一緒ですね」


ふわっと笑う。


あまりに幸せそうで、こっちまで笑ってしまう。


十二月の終わり、紗雪が「どうしても」と言うので、俺は彼女が大学近くで使っているマンションの一室に招かれた。


「一人で過ごすには広すぎるので、今まであまり使っていなかったのですが」


「十分すぎるほど広いな」


「今日は、湊に来てほしかったんです」


玄関を開けた瞬間、ふわっとバターのいい匂いがした。


ダイニングテーブルには、彼女が作ったらしい料理が並んでいる。たぶん使用人さんの手も借りているんだろうけど、それでも彼女が一生懸命準備したのは伝わった。


「クリスマスですから」


「気合い入ってるな」


「恋人と過ごす初めてのクリスマスなので」


その一言の破壊力が高すぎる。


食事のあと、ソファで隣り合って映画を見た。


でも正直、内容なんてほとんど頭に入らなかった。


紗雪が肩にもたれてきたり、ポップコーンをつまむ指先がたまに触れたり、そのたびに意識が全部持っていかれるからだ。


映画が終わって、部屋の中に静かな音楽だけが流れる。


窓の向こうでは、街の灯りがきらきらしていた。


「プレゼントがあります」


そう言って、紗雪は小さな箱を差し出した。


中にはシンプルなキーケースが入っていた。上質そうな革で、内側に小さく俺のイニシャルが刻まれている。


「え、これ」


「選ぶの、とても楽しかったです」


「……ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい」


「本当ですか」


「うん。大事にする」


そう言うと、紗雪はほっとしたように笑って、それから少しだけ表情を改めた。


「もう一つ、プレゼントがあります」


「もう十分すごいけど」


「こちらのほうが、大切かもしれません」


彼女は膝の上で指を組み、意を決したように俺を見た。


頬が赤い。耳まで赤い。緊張しているのが見てわかる。


「湊」


「うん」


「……今日は、帰したくありません」


空気が、変わった。


俺はごくりと唾を飲む。


彼女は視線を逸らさないまま、震える声で続けた。


「その……わたくしたちは、もう大人ですし」


「……うん」


「もちろん、無理にではありません。湊が嫌なら、今のは忘れてください」


「嫌じゃない」


「……」


「全然、嫌じゃない」


言いながら、自分の声が少し掠れているのがわかった。


紗雪はほっとしたように息をついて、それでもまだ緊張した顔のまま、そっと俺の袖を掴む。


「わたくし、湊に大切にされているって、ずっと感じていました」


「それは、大切だから」


「はい。だから……その先も、湊となら、って思えたんです」


こんなの、嬉しくないわけがない。


でも同時に、軽い気持ちでは絶対に受け取れないと思った。


「紗雪」


「はい」


「ちゃんと確認するけど、本当にいいの」


「はい」


「後悔しない?」


「しません」


「怖くない?」


「……少しだけ」


「そっか」


「でも、それ以上に、嬉しいです」


彼女は言ってから、ものすごく恥ずかしくなったのか、ぱっと顔を伏せた。


そのまま小さな声で付け足す。


「湊と、もっと恋人になりたいです」


もう駄目だ。


愛しさで胸が苦しくなる。


俺は彼女の手を取って、指先に口づけた。


紗雪がびくっと肩を震わせる。


「大事にする」


「……はい」


「絶対、無理させない」


「……はい」


「だから、もし途中で嫌になったらちゃんと言って」


「湊も、です」


「うん」


「約束してください」


「約束する」


それから、ゆっくりキスをした。


ソファの上で、何度も、何度も。


唇が触れるたび、紗雪が俺の名前を呼ぶ。そのたびに、たまらなく愛おしくなる。


抱き寄せると、彼女もためらいながら腕を回してくる。


触れることを許されるたびに、信じられないほど胸が満たされていった。


細かなことは、二人だけの秘密でいいと思う。


ただ一つ言えるのは、その夜、俺たちは恋人として最後の一線を越えた。


急がず、確かめ合うように。


何度も名前を呼び合って、そのたびに「好き」を言い直して。


彼女が少しでも不安そうな顔をすれば止まって、俺が緊張しすぎれば彼女が手を握ってくれた。


とても甘くて、優しくて、息が苦しくなるくらい幸せな夜だった。


朝、目が覚めたとき、最初に見えたのは柔らかな黒髪だった。


紗雪が俺の腕の中で眠っている。


昨夜より少し幼く見える寝顔に、思わず息を止めた。


まつげ長いな、とか、肌綺麗だな、とか、そんな感想しか出てこないくらい、頭がぼんやりしていた。


やがて彼女がうっすら目を開けて、数秒まばたきをしたあと、俺を見上げる。


そして、状況を思い出したらしく、みるみる頬を染めた。


「……おはようございます」


「おはよう」


「その、昨夜は……」


「うん」


「……恥ずかしいので、あまり見ないでください」


「無理」


「なぜですか」


「可愛いから」


言ってから、自分でも甘すぎると思った。


でも紗雪は一瞬きょとんとして、それから布団に顔を埋めた。


「朝からそういうことを言うの、反則です」


「紗雪が普段やってることだけど」


「わたくしはいつも本音です」


「俺も本音」


「……っ」


しばらくもぞもぞしたあと、彼女はそっと顔を出した。


目元がまだ少し赤い。


「湊」


「うん」


「責任、取ってくださいね」


「もちろん」


「一生です」


「うん。一生」


そう答えると、紗雪は泣きそうなくらい嬉しそうに笑った。


「……よかった」


「何が?」


「好きな人に、ちゃんと大切にしてもらえたので」


その言葉で、胸の奥がじんと熱くなる。


たぶん俺は、この先どれだけ一緒にいても、彼女のそういうところに何度でもやられるんだろう。


紗雪は俺の胸元に額を寄せて、小さな声で言った。


「合コンに行って、本当によかったです」


「俺は最初、最悪だと思ってたけど」


「今は?」


「……人生で一番、行ってよかったかも」


「ふふ。では、誘ってくださったご友人に感謝しませんと」


「いや、それはちょっと悔しいな」


「でも、あの日、湊が来てくれなければ、わたくしたちは出会えませんでした」


彼女は顔を上げて、蕩けるみたいに微笑んだ。


「数合わせで来ただけのはずなのに、わたくしにとっては、運命の人でした」


恥ずかしすぎる台詞なのに、紗雪が言うと全部本気に聞こえる。


いや、実際本気なんだろう。


「……そういうこと言うの、ずるい」


「本当のことです」


「俺の理性がもたない」


「でしたら」


彼女はいたずらっぽく目を細めた。


「今朝はもう少しだけ、もたなくてもいいのではありませんか?」


そう言って、彼女のほうからキスをしてきた。


負けた。


勝てるわけがない。


結局、その日も俺は彼女にたっぷり甘やかされて、たっぷり好きだと言わされて、たっぷり幸せにされた。


数合わせで合コンに行っただけだった。


空気みたいに隅にいるつもりだった。


なのに、たった一人、俺を見つけてくれた子がいた。


超絶美少女で、金持ちで、箱入りで、天使みたいに優しいくせに、好きになったら驚くほどまっすぐで、甘くて、可愛くて、たまに少しだけ大胆な、俺の恋人。


九条院紗雪は今日もたぶん、何の前触れもなくこう言う。


――湊、大好きです。


そのたびに俺は、恋をしたあの日みたいに、どうしようもなく胸がきゅんとなるのだ。


[完]


---


あとがき:


この物語をお読みいただき、ありがとうございました。


他にも物語を連載していますので、もしこの話がお気に召しましたら、ぜひ下記の作品もご覧いただければ幸いです。


▼連載中の作品はこちら▼


https://kakuyomu.jp/works/822139842039386364


引き続き、読者の皆様の心に残る物語をお届けできるよう努めてまいります。これからも応援よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
こういうのでいい。イヤ。こういうのがいい! 作者さんの作品でここまで愚直にヒットする作品は初めてです! ありがとうございます!!
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