第二章 第七話 聖剣の初試しと、拒絶
翌朝、アリアは俺より先に起きていた。
宿の食堂に降りると、すでに朝食を終えたアリアが窓の外を見ていた。左手を膝の上に置いて、じっと何かを考えている様子だった。
「眠れましたか」
「……少し」
正直に言えば、俺も少しだった。昨日知ったことが多すぎた。アウラが封印を依頼した事実。聖剣召喚の条件に「改稿の紋を持つ者の介添え」が必要だったこと。アウラの動機は、記録に残されていなかった。
封印を自分で依頼した人間が、その理由を記録しなかった。
普通の人間なら、そういう重要な決断をするとき、何か書き残す。遺書でも、日記でも、誰かへの手紙でも。
百三年前の話だ。とっくに死んでいる。でも何かあるはずだ。書き残すのは本能だ。
ガルドスが階段を降りてきた。昨日より少し顔色が良かった。
「食えるか」
「いただきます」
三人で朝食を済ませた。アリアはほとんど食べなかった。
◆ ◆ ◆
「試したいんですが」
宿を出てしばらく歩いたところで、アリアが言った。
「剣を。昨日から、ずっと気になっていて」
「どこかいい場所がありますか」
「一般開放の訓練場があります。騎士団の施設じゃないので、誰でも使えます。王都の南のほうに」
ガルドスが地図を持っていた。南区の端に、広場と訓練場が並んでいた。
「行きましょう」
訓練場は石畳の広い空き地で、早朝から剣士や魔法使いが思い思いに稽古をしていた。俺たちは端の方の空いたスペースを使った。
アリアがマントを外した。
左手を、静かに前に出した。
手首の内側に、うっすらと白い痣が残っている。封印が外れた跡だ。昨日まであった鈍い重さが、今はもうない。
「……やってみます」
周囲の稽古人たちが、少し距離を取った。Sランクスキルの発動は見た目で分かる。空気が変わる。
アリアが目を閉じた。
しばらく、何も起きなかった。
それから、左手の周囲に、かすかな光が滲み出した。白い。朝の日差しより少し強い、冷たい光だった。
輪郭が現れはじめた。柄、護拳、刃の形——剣の形が、光の中に浮かびあがった。
出てる。出てきてる。
だが。
光は固まらなかった。
せっかく現れかけた剣の形が、霧が晴れるように、さらりと散っていった。
アリアの手に残ったのは、何もなかった。
「……」
アリアはしばらく、自分の手のひらを見つめていた。
「もう一度やります」
二度目は、より鮮明に形が現れた。白い輪郭が揺れて、実体を持ちかけて——また霧散した。
三度目も、同じだった。
アリアが深く息を吐いた。悔しがっている様子ではなかった。どこか、腑に落ちているような顔だった。
「レンさん。設定を読んでもらえますか」
「やってみます」
◆ ◆ ◆
左手の改稿の紋を、アリアの方へ向けた。
設定閲覧を起動する。
アリアの設定ページが開く。封印が外れた記録が新しく書き足されている。スキル欄に「聖剣召喚(Sランク):封印解除済み」と明記されていた。
【設定閲覧】
名前 :アリア・フォン・ソルヴェイ
加護 :光魔法(Aランク)
スキル :聖剣召喚(Sランク) 封印:解除済み
スキル状態:発動試行中 → 詳細を展開
詳細を展開する。
そこにあったのは、見慣れない色の文字だった。
【設定閲覧:条件不足】
聖剣召喚:条件未完
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未充足条件:誓約者の意志の確認
誓約者 :アウラ=ソルヴェイ(百三年前没)
(本スキルの封印を依頼した人物)
状態 :誓約者の意志は未確認のまま保留中
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この聖剣は誓約者の承認なしに完全顕現しません
封印を外すことと、剣を使えることは別の問題です
なるほど。
封印を外した。それはできた。でも「剣を使う」には、さらに別の条件がある。
アウラが封印を依頼したとき、同時にこの条件を設定した。自分の意志が確認されない限り、剣は完全には現れない——という設計を、わざわざ仕込んでいた。
俺は読んだ内容を、アリアに伝えた。
「誓約者の意志、というのが条件になっています。アウラさんの意志が確認されない限り、剣は完全には出てこない」
アリアが眉を寄せた。
「……意志を確認するって、どういう意味ですか。アウラは百年以上前に亡くなっているのに」
「分かりません、今のところは」
「誓約者の意志、か」
ガルドスが腕を組んで空を見た。
「死んでいる人間の意志を確認するって、普通じゃできねえだろ」
「普通はそうですね」
ただ俺の加護は普通じゃない。消された記録を掘り起こすことができる。アウラが何かを書き残していれば——どこかに日記でも手紙でも残っていれば——その「意志」を読み取れるかもしれない。
「一つ確認させてください」俺はアリアに向き直った。「アーカイブでアウラの家系記録は調べましたが、個人の記録——日記や書簡の類は、確認していませんでした。そういったものが残っている可能性はありますか」
「家系記録とは別の棚があります。個人文書の保管棚。ただ、一般には公開されていなくて、許可が必要で」
「許可はどこで取れますか」
「アーカイブの管理部門に申請すれば。ただ、許可が下りるまでに時間がかかることもある、と聞いたことがあります」
時間をかけていられない、ということはないが——早いほうがいい。
もっと言えば、担当司書が融通のきく人間であれば、正式な許可が下りる前に話を聞いてもらえる可能性がある。
「一度アーカイブに戻りましょう。昨日の司書に話を聞いてみます」
「昨日の司書さんは……どうだろ」アリアが少し考えた。「もう一人、いたんです。管理部門の奥にいる若い人。丸眼鏡をかけていた。受付ではなく、本のほうを見ていた感じの。ああいう人のほうが、記録の詳細には詳しいかもしれません」
本のほうを見ていた、か。それはいい。
本を見ているのは、仕事をしている人間だ。仕事をしている人間は、何かを知っている。
「行きましょう」
◆ ◆ ◆
グランド・アーカイブは昨日と同じように静かだった。
朝の光が高窓から差し込んで、棚の背表紙を照らしていた。司書の一人が奥の棚で作業をしていた。昨日と同じ人間だった。
「昨日の方ですね」
「ソルヴェイ家の個人文書を閲覧したいんですが、許可申請はどこでできますか」
「申請書を書いていただく必要があります。審査に二週間ほど」
二週間。
長い。ないとは言えないが、長い。
「別の方法はありますか」
司書が少し考えた。
「……一人、呼んでみましょうか。管理部門に、記録の詳細を把握している者がいますので」
数分後、奥のほうから足音がした。
本を三冊抱えた、小柄な人間が現れた。丸い眼鏡。髪が少し乱れている。アリアが言っていた、丸眼鏡の司書だった。
彼女は俺たちを見て、少し目を丸くした。
「あ。昨日の方ですね。地下二層でソルヴェイ家の記録を——あ、いや、正確には昨日は家系記録のほうを閲覧された方ですよね。今日は個人文書棚のほうを?」
一息で情報を全部整理した。よく見ている。
「そうです。急ぎではないですが、できれば早い方がありがたいです」
「急ぎではないとのことですが、その、表情が少し急いでいるように見えるんですが」
言い当てられた。
「…………正直に言うと、少し急いでいます」
「ですよね」
眼鏡の司書は腕の中の本を少し整えた。それから、俺の左手の改稿の紋を一瞬だけ見た。何かを考えた様子だったが、口には出さなかった。
「分かりました。個人文書棚についてお話できることがあります。ただ、立ち話より資料室でお話するほうがよいかもしれません。ついてきてください」
彼女は先に歩き出した。三冊の本を抱えたまま、迷いのない足取りで。
仕事のできる人間の歩き方だ。
これは、うまくいくかもしれない。
── 第七話 了 ──




