第五章 第三十話 ボツ原稿の作者と、結末
◆ Scene 1 最終改稿
語り神の庭の奥——白い木の前に、一冊の本があった。
他の草稿とは違う。分厚い。表紙もある。ただし最後のページだけが、白紙だった。
「これが」とレンは言った。「この世界の原稿か」
「そうです」
「最後のページだけ——書けませんでした」
レンは本を手に取った。重かった。当たり前だ、と思った。
何百年分かの物語が、ここに詰まっている。
(最終改稿。俺がすべき内容は——一つだ)
レンはページをめくった。最後の白紙の前のページ、そこには短い文章があった。
『アリア・ラインハルトは、設定書に記されていない何かを感じた。しかし——』
そこで止まっていた。
「続きを直す」とレンは言った。
「書くのではなく——直す」
「編集者として」
「そうだ」
レンは原稿用紙を一枚、庭の空気から引き寄せた。そこに、短く書いた。
それを語り神に渡した。
【最終改稿実行】
対象:この世界の原稿・最終章
変更前:「アリア・ラインハルトは、設定書に記されていない何かを感じた。しかし——」(未完)
変更後:「アリア・ラインハルトは、設定書に記されていない何かを感じた。それは彼女のものだった。」
担当:添削者 桐島蓮
副作用:消耗の清算が行われる
語り神は、その紙を受け取った。
ゆっくりと、最後のページに書き写した。
光が——満ちた。
白い庭が、一瞬だけ金色になった。
◆ Scene 2 アリアの涙
アリアが、泣いていた。
自分でも気づいていなかったようだった。目に触れて、初めて気づいた様子で——
「私は……なぜ、泣いているのでしょう」と言った。
【アリア・ラインハルト——自覚設定・最終更新】
「私は——設定書に書かれていない何かを、感じています」
「それが何かは、まだわかりません」
「でも——それは、私のものです」
「分からないまま感じるのが、最初の一行だ」とレンは言った。
「最初の一行?」
「物語の始まりは全部、そこからだ。説明できない何かが動いて——そこから書き始める」
アリアはしばらく、自分の手を見ていた。
それから、もう一度泣いた。今度は止めようとしなかった。
◆ Scene 3 ガルドスと影
最終改稿の光が落ち着いたとき——ガルドスが、足元を見ていた。
彼の足の影が、床に落ちていた。
久しぶりの、普通の影。
ガルドスは何も言わなかった。ただ、その影を——一度だけ、踏んだ。
それだけだった。
◆ Scene 4 別れと、余白
「消えないのか」とレンは自分の手を見ながら言った。
影は、あった。薄くなった気がしたが——まだある。
「消えません」
「副作用は、清算されました」
「あなたの影は——今後、増えません」
「ただ——残っているものは、残ります」
「それはあなたが、この世界に触れた証です」
「……なら、まあいい」
語り神が静かに言った。
「ありがとうございました」
「あなたに——会えてよかった」
「あの原稿を、没にしてくれてよかった」
「……それは、どういう意味だ」
「もしあなたが通していたら——あなたはここへ来なかった」
「没にしたから、気になり続けた」
「気になり続けたから——転生しても、この世界を感じた」
「あなたの『引っかかり』が——この物語の余白でした」
レンはしばらく黙って、それを聞いていた。
(没にした原稿が……俺をここへ連れてきた)
「上手くできてるな」とレンは言った。
「物語ですから」と語り神は答えた。
セラフィナの光が、少しだけ前に出た。「私は——もう少し、ここに残ります」
「……帰らないのか?」
「理由は、まだうまく言えません」とセラフィナは言った。「でも——残りたいと思っています。それは本当のことです」
丘の上に戻ったとき——夕暮れだった。
レンはポケットに手を突っ込んで、西の空を見た。
「もう少しだけ、添削させてほしい」
誰に言ったのかは、自分でもわからなかった。
アリアが隣に来た。ガルドスがその後ろに立った。
三人で、しばらく夕暮れを見ていた。
【後日——ラディウスの手紙、第二便】
添削者へ。
あなたが世界を直したと聞きました。
帝国の記録に、短く残されています。
「改稿者、任を全うす」と。
次は、俺が自分の物語を持ってきます。
そのとき——また添削してください。
ラディウス・ガルドライン
【第三十話 終】
⑲「レンの前世とボツ原稿の作者の関係」:完全回収
④「アリアの設定外の感情」:最終決着
①〜⑲ すべての伏線:回収完了
── 第三十話「ボツ原稿の作者と、結末」 了 ──
── 第五章「ボツ原稿の作者と、世界の結末」 完 ──
『世界改稿の祝福 〜元編集者、異世界を添削する〜』 了




