第二章 第十一話 聖剣召喚と、薄れる影
地下零層から戻った翌日、俺は朝から設定を読み返していた。
アリアの聖剣召喚スキル。未充足条件:誓約者の意志の確認。
アウラは日記に書いた。急がないでほしい。確かめてから。
アリアはどうだったか。俺に封印を外してほしいと頼んできたとき、急いでいたか。
……急いでいなかった。むしろあのとき、アリアは「待てます」と言った。ちゃんと向き合ってから使いたい、と。
アウラが恐れたのは、焦った者に剣が渡ることだった。百年前の改稿者が焦って行動した結果として消えた——という可能性を、アウラは見ていた。
でも今のアリアは、知った上で待つことを選んだ。
これは条件を満たしている。俺の判断ではそうだ。
「アリアさん」
朝食の後、俺はアリアに声をかけた。
「今日、もう一度試してみませんか。剣を」
アリアが少し目を見開いた。
「……今日、ですか」
「設定を読んだ上で、改稿を試みます。アウラが課した条件を、あなたが満たしているかどうかを確認した上で、書き込む」
「書き込む、というのは」
「アウラの意志の確認を、俺が代行するようなものです。本来なら死者には確認できないが——日記を読んだ。彼女が何を望んでいたかは分かった。あとは俺がその解釈を設定として記述する」
アリアはしばらく考えた。
「……レンさんが判断していいんですか。アウラの意志を、あなたが解釈して書くというのは」
正直な問いだ。
俺が改稿するということは、俺の解釈がそのまま世界の設定になる。アウラが実際に何を考えていたかとは、ずれる可能性がある。
「ずれる可能性はあります。でも、アウラの日記を読んだ上での判断です。彼女が書いたことに忠実に解釈する。それが今できる最善だと思っています」
「……分かりました。お願いします」
ガルドスが立ち上がった。
「訓練場か」
「そうです」
◆ ◆ ◆
エルンも一緒に来た。
「私も見ていていいですか。見ているだけなので、邪魔はしません」
「どうぞ」
昨日も使った訓練場の、端のスペース。四人が輪のように立った。中央にアリアがいた。
「始める前に確認します」俺は言った。「焦っていませんか」
アリアは少し笑った。
「昨日より、ずっと落ち着いています」
「それでいいと思います」
俺は左手を前に出した。設定閲覧を起動する。アリアのスキル欄を開いた。
【設定閲覧】
スキル:聖剣召喚(Sランク) 封印:解除済み
条件 :誓約者の意志の確認 → 保留中
誓約者:アウラ=ソルヴェイ(没)
俺は、条件の欄に集中した。
アウラが望んでいたこと。急がずに、確かめてから。信じられる者なら、渡してもいい——そう日記に書いた。
アリアは急いでいない。アリアは待てると言った。アリアはアウラの日記を自分で読んだ。これは確かめた、ということだ。
俺は設定に手を入れた。
【改稿:実行】
改稿対象:聖剣召喚スキル / 条件欄
変更内容:
誓約者アウラ=ソルヴェイの意志を以下のとおり確認。
「誓約者は焦らず確かめた者への剣の譲渡を望んでいた」
現使用者・アリア=ソルヴェイはこの条件を満たすと判断。
根拠:アウラの私的日記(直筆)の内容に基づく解釈。
条件ステータスを「保留中」から「確認済み」に変更する。
設定が書き換わる感覚があった。紋から何かが流れ出て、アリアのスキル欄の一点に吸い込まれていくような。
条件欄の色が変わった。保留中の橙が、落ち着いた青に変わった。
通った。
「アリアさん。今です」
◆ ◆ ◆
アリアが左手を前に出した。
今日は目を閉じなかった。
ただ、静かに手のひらを上に向けた。まるで雨を受けるように。
光が、現れた。
白かった。前の二回とは違う白さだった。霧のような曖昧さがなく、芯があった。剣の形が、今度は迷わずに固まっていった。
柄が現れた。護拳が現れた。刃が——長く、細く、揺れることなく——伸びた。
アリアの左手が、白銀の剣を握っていた。
完全な聖剣だった。
訓練場にいた他の人々が、動きを止めた。魔法灯の光より強い白い輝きが、広場の端まで届いていた。
エルンが息を止めていた。
ガルドスが腕を組んで、眩しそうに目を細めた。
アリアはしばらく、剣を見つめていた。
「……出た」
小さな声だった。
「出ました、レンさん」
出た。よかった。
アウラの解釈が正しかった。アリアは条件を——
「レン」
ガルドスの声が、低く、素早く届いた。
「お前の足元」
俺は下を見た。
影がなかった。
石畳の上、俺が立っているはずの場所に、影が落ちていなかった。
一秒か二秒か——次の瞬間には、影は戻っていた。
朝の日差しが作る、普通の影。
今、消えた。
一瞬だけ。でも確かに。俺の影が、石畳から消えた。
冷や汗が、背中を伝った。
アリアは聖剣の輝きに見入っていた。気づいていなかった。エルンも、剣の方を向いたままだった。
ガルドスだけが、俺を見ていた。
「……大丈夫か」
低い声で、二人だけに聞こえる音量で。
「問題ない」
問題しかない。でも今は言えない。アリアが剣を出した瞬間に、水を差すわけにはいかない。
ガルドスは一拍俺を見て、それから聖剣の方に視線を移した。
何も言わなかった。
それが、ガルドスなりの了承だった。
◆ ◆ ◆
アリアが剣を収めた。光が消えた。
「すごかったです」エルンが言った。「Sランクスキルを見たのは初めてで、あの、語彙が出てこなくて。すごかった、としか言えなくて、すみません」
「すごかった、で十分です」アリアが微かに笑った。「私も、まだ実感がなくて」
「使ってみてどうでしたか」俺は聞いた。
「……重かったです。剣自体は軽いのに、持っている感覚が重い。アウラが百年間持ち続けたものを、今私が引き継いだんだと——そういう重さが、手のひらに残っています」
重さが手のひらに残る。
それがアリアの言葉か。
「それでいいと思います」
「はい」
帰り道、ガルドスが俺の横に並んだ。
「影が消えたのは初めてか」
「……はい」
「前に言ったことがある。お前の影が薄い、と」
「覚えています」
「あれは気のせいじゃなかったんだな」
「そうかもしれません」
ガルドスはしばらく黙って歩いた。
「誰かに言うか」
「……今は、まだ言いません。理由が分からない段階で、余計な心配をかけたくない」
「俺は心配するぞ」
「それは知っています」
「……そうか」
それ以上、ガルドスは何も言わなかった。
ただ、帰り道ずっと、俺の隣を離れなかった。
改稿のコストが影の濃さだとすれば——俺はいつから薄れ始めていたのか。
転生直後から少しずつか。それとも大きな改稿のたびに一気に消えるのか。
どちらにしても、地下零層で読んだ記録が頭から離れない。
消滅直前の紋の状態:通常の八分の一。
あの改稿者が最後に何をしたか、俺にはまだ分からない。でも——消える前に、紋は薄れていた。
俺の紋は今、どのくらい残っているか。
空を見上げた。
青かった。
影は、ちゃんと地面に落ちていた。
── 第十一話 了 ──




