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第1話 星の死んだ水の檻

今回の物語はハッピーエンドになります!短めの物語になります。

 世界はこんなにも暗い。


 降り続く雨がアスファルトを叩き、逃げ場のない湿り気が肺の奥まで侵食してくる。

 街灯の放つオレンジ色は、救いようのないほどに濁り、重く垂れ込めた雲が空の息の根を止めていた。

 

 俺のいた世界には、もう光なんてどこにもなかった。

 幼い頃に夢見た未来も、誰かと分かち合ったはずの温もりも、積み上げた努力も。すべては効率と数字という名の激流に飲み込まれ、形を失い、泥水に変わった。

 あるのは、文明が吐き出した空虚な明かりと、それに塗りつぶされて死んでしまった「何か」の残骸だけだ。

 

 ――もう、いい。


 だから、終わらせることに躊躇はなかった。

 濁った川の縁に立ち、吸い込まれるような闇へと、ただ重力に従って体を預ける。

 冷たい衝撃が体を貫き、肺に残った最後の空気が、醜いあがきのように泡となって消えていく。

 苦しみは一瞬で、あとはただ、望んだ通りの無に沈んでいくのだと思っていた。

……けれど。


「…………っ、………………」


 青い光が俺の瞼を照らす。おそるおそる目を開けた瞬間、俺は息を止めることすら忘れた。


 視界を埋め尽くしたのは、圧倒的な「青」のグラデーションだった。

 頭上を巨大な影が横切る。それは俺の知るどの生き物よりも大きく、優雅に尾を振り、光の粒子を撒き散らしながら泳ぐ鯨の姿。

 そして、遥か高みの「境界」からは、無数の光の筋が揺らめきながら水底へと伸びていた。

 その光は、一度も汚れを知らないように純粋で、砂底に複雑な幾何学模様を描き出している。

 光のカーテンの隙間からは、ダイヤモンドの粒をばら撒いたような気泡が、煌めきながら上へと昇り、その美しい天井へと消えていく。


「……ここが天国、なのか」


 俺のいた世界には、こんな光はなかった。

 こんなにも透き通った青も、命の輝きも存在しなかった。

 頬を伝うのは、水に溶けて消える熱い涙。

 

——死んで良かった。こんなに綺麗な場所に来られるのなら、もっと早く——。




――ガキンッ。



 その静寂を、あまりにも無機質な、鉄を叩く音が引き裂いた。

 音のした方へ視線を向ける。光の柱が届かない岩陰の暗がりに、それはあった。

 山のように積まれた、錆びついた鉄クズ。ひしゃげた筒状の金属体。そしてその中央で、一人の青年が這いつくばっていた。

 煤とオイルで汚れ、ボロボロの作業着を着た青年。

 彼は俺に気づく様子もなく、手にした古びたハンマーで、無心に鉄板を叩き続けている。


「……ぁ、……そこ、動かないで……。……影、になる……計算、狂う……」


 消え入りそうな、ひどく低い声だった。

 俺がいたあの暗い世界で聞き飽きたような、疲れ果てた人間の声。


「……君は、誰だ……? ここは、天国じゃないのか……?」


 俺の問いかけに、青年は初めて手を止めた。

 ゆっくりと持ち上げられた顔。ボサボサの髪の間から覗いたその瞳は、驚くほど濁りがなく、それでいて、何かにとり憑かれたような異様な光を宿していた。


「……てんごく……? ……あぁ、……あんたも、……そう言うのか」


 彼は鼻で笑い、忌々しそうに頭上の光り輝く水面を仰ぎ見た。


「……あんなの、ただの……分厚い、水の壁だろ。……本物の『そら』は、……もっとずっと、高いところにあるんだよ……言ってもわかんないんだろうけどさ」


 その青年は、この美しい光を「水の壁」だと吐き捨てた。

 俺の中で、何かがカチリと音を立てた。現実の暗闇から逃れて、やっと辿り着いた美しい安らぎの場所。それを、この煤けた青年が汚したように感じたのだ。


「……何を、言ってるんだ。見ろよ、あんなに綺麗じゃないか。……俺がいた世界なんて、もっとずっと暗くて……。あんなに、……あんなに煌めく『それ』だって、どこにもなかったんだぞ。……空にある、……『星』でさえな!!」


 吐き捨てるように、俺は叫んでいた。

 この美しすぎる水底の光に当てられて、自分が捨ててきた世界の醜さを、無性にぶちまけたくなったのだ。

 だが、その音を吐き出した瞬間だった。


――ガタァッ!


 ハンマーが、派手な音を立てて砂底に落ちた。青年が、弾かれたように立ち上がる。


「……っ、…………今、……なんて言った」


 声のトーンが一変した。

 低く、湿っていた声が、今は地鳴りのように重く、確かな熱を帯びて震えている。

 この世界の住民なら、誰もが「水面の揺らぎ」や「光の雫」と呼ぶものを、別の名で呼んだ。この世界には存在しないはずの、異質な響き。


「……え、……星……?」


「……『ホシ』……? あんた、……今、……『ホシ』って言ったのか……!?」


 彼が一歩、俺に近づく。

 その瞳には、恐ろしいほどの飢えと、狂気にも似た光が宿っていた。


「……あ、ああ。……俺のいた世界では、……街灯とかで見えなくなってるんだけど。……空のずっと高いところに浮かぶ、決して消えない光の粒。……それを、『星』って、呼んでるんだ……」


「……あんた……!あんたもしかして異世界人なのか……?!それなら……」


 次の瞬間、視界が揺れた。肩を両手で強く掴まれた。骨が軋むほどの力だ。煤とオイルの匂いが鼻を突き、彼の荒い呼吸が顔にかかる。


「 それなら!!あんたのいた場所には、……それがあったのか!? 本当に、……『星』はあったのか!!?」


彼の顔が、すぐそこにある。息が荒い。瞳が、俺の奥底まで見透かそうとしている。


「……本物の『そら』には、……それがあるんだろ!? 水なんて邪魔なものがない、真っ黒な闇の向こうに、……何万、何億というその名で呼ばれる光が、瞬きもせずに並んでる……! ……じいちゃんが言った通り、……あそこには、本物の光があるんだろ……!!?」


 彼の叫びが、静かな水底に波紋となって広がっていく。

 彼は俺の肩を掴んだまま、逃がさないと言わんばかりにその瞳を俺の瞳に合わせた。

 

 煤汚れた顔の中で、その瞳だけが、この水底にあるどの光よりも鋭く、青白い火花を散らしている。

 一度も見たことのない本物の夜空を、その双眸そうぼうの中にだけ飼いならしているかのような、暴力的なまでの輝き。

 

 それは、絶望の淵にいた俺の視神経を焼き切るほどに鮮烈で、孤独な誇りに満ちていた。


「……おいらは、……」


 掴まれた肩に、爪が食い込む。


「……おいらは、本物の『そら』をみなくちゃいけないんだ!!」


 その声は、静寂を切り裂く鉄の音よりも高く、鋭く、響き渡った。


ここまで読んでいただきありがとうございました!

楽しんで頂けたでしょうか?

本作は、連日更新で二人の旅路をお届けしていく予定です!

面白い、続きが気になる、と思ってくださった方は、ページ下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると励みになります!

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