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節約のために社食を極めたら、社内革命家みたいになった

作者: 螺旋
掲載日:2026/03/15

 その週の月曜、僕は社食の券売機の前で小さくつぶやいた。


「今週の最適解は火曜A定食だな」


 つぶやいただけだった。

 本当に、それだけだった。


 なのに背後から、後輩の声がした。


「最適解、ですか?」


 振り向くと、営業部の新入社員、佐原がいた。

 真面目そうな顔をしているが、目の輝き方が少し危ないタイプだ。


「いや、ただの昼飯の話」

「火曜A定食が?」

「今週は鶏の黒酢あん。単価五百三十円で、主菜の重量感に対して副菜が二つ付く。しかも木曜は人気メニューが被るから列が長い。コスパと時間効率を考えると火曜Aが強い」

「……すごいですね」

「すごくないよ。節約だよ」


 僕は浜岡徹、三十四歳、総務部。

 趣味は節約。

 高尚な理念ではなく、単純に金を無駄にしたくないだけである。


 中堅メーカー勤めの会社員にとって、社食は戦場だ。

 安い。早い。日によって当たり外れがある。

 つまり、研究対象として非常に優秀である。


 ただ、僕は別に研究成果を発表したかったわけじゃない。

 静かに得したかっただけだ。


「浜岡さん」

 佐原が身を乗り出してくる。

「ちなみに今日の最適解は」

「今日? 今日はB定食」

「理由を伺っても?」

「A定食は揚げ物で見た目は強いけど、今日は小鉢が冷ややっこだから満足度が伸びない。Bは地味だけど煮魚で味噌汁との相性がいい。あと列が短い」

「そこまで見てるんですか」

「見るだろ」

「普通は見ません」

「まじか」


 そこから話が早かった。


 翌日の昼、社食に行くと、佐原がすでに席を確保していた。


「浜岡さん、こちらです」

「どうしたの」

「実践してみました。火曜A定食」

「そう」

「確かに強いです」

「だろ」


 向かいの席には、経理部の久保田課長がいた。

 細いフレームの眼鏡に、何でも経費の話へ変換する顔つきの人だ。


「浜岡くん」

「はい」

「君、最近、社食について何か言ってるらしいね」

「昼飯の話です」

「社員が集まっている」

「たまたまです」

「たまたまにしては、火曜A定食の前だけ列の形成が妙に早い」

「人気メニューだからでは」

「なるほど」


 久保田課長は納得していなかった。

 経理の人が「なるほど」と言うときは、大体納得していない。


 佐原が小声で言った。


「課長、警戒してますね」

「なんでだよ。僕は昼飯を安く食いたいだけだよ」

「思想を感じたんじゃないですか」

「社食に思想を感じるな」


     ◇


 僕の節約術は、別に秘密でもなんでもない。


 たとえば社食には、窓側の席と壁側の席がある。

 窓側は明るくて人気だが、昼どきは人の流れが詰まりやすい。

 壁側の奥は地味だが、トレー返却口までの距離が短く、食後の離脱がスムーズだ。


 たとえば小鉢は、見た目で選ぶと負ける。

 ひじき煮は地味だが安定感があり、マカロニサラダは日によって当たり外れが大きい。

 ポテサラは強いが、主菜が重い日に重ねると午後が眠い。


 たとえば入場時間。

 十二時ちょうどは混む。

 十二時七分は危険。

 十二時十一分が一つの山だ。

 この時間に入ると、第一波が着席し、券売機の列だけが少し崩れる。


 全部、金と時間の話である。

 革命ではない。

 むしろ生活防衛だ。


 なのに水曜には、総務部の隣の島でこんな会話が聞こえた。


「今日は浜岡さん式でいく?」

「いや、会議あるから短縮型」

「じゃあ小鉢は切るか」

「いや、味噌汁は残したい」


 僕の名字のあとに「式」を付けるな。


 思わず顔を上げると、後輩たちが真剣に社食の話をしていた。

 仕事の話より真剣だった。


「ちょっと」

 僕は言った。

「勝手に流派みたいにするのやめてくれない?」

 すると佐原がきょとんとした。

「でも再現性が高いので」

「昼飯に再現性とか言うな」

「社食は毎日のことですよ」

「だからって」

「しかも、昨日の“主菜と味噌汁の相性まで含めて評価する”って考え方、目から鱗でした」

「ただの満足度の話だよ」

「満足度を定量で見てるのがすごいんです」


 定量で見ていたわけではない。

 僕の中にあるのは、だいたいの悔しさメーターである。


     ◇


 木曜になると、事態はさらに変な方向へ進んだ。


 社食の入口の前で、数人がひそひそ話している。

 近づくと、僕に気づいて姿勢を正した。


「浜岡さん」

「何」

「今日、どっちですか」

「どっち?」

「AかBか」

「いや、今日は自分で決めなよ」

「でもAは人気で列が長いですし」

「そうだね」

「けどBは単価のわりに満足感が薄いとの見方もあって」

「誰の見方」

「みんなの」


 いつの間に「みんな」ができたんだ。


 僕はため息をついた。

「今日はCだよ」

「C!?」

 その場の三人が同時に言った。

 昼飯の選択でそんなに揃うことある?


「麺類はコスパ悪いんじゃ」

「今日は冷やしうどんにミニかき揚げ丼が付く」

「セット物!」

「しかも木曜は会議が散るから席回転が早い」

「なるほど……!」

「でもこれは毎回使える技じゃない。今週限定」

「限定運用……」


 やめろ。

 なんでメモを取る。


 そのとき、社食の奥から調理長が顔を出した。

 五十代くらいの大柄な人で、いつも客を観察している。

 噂では、誰が何を食べるかだいたい把握しているらしい。


「浜岡くん」

「はい」

「最近、うちの社食、妙に分析されてるらしいな」

「いや、個人的にです」

「個人的ににしては、火曜のA定食だけ売れ行きが急に予測通りになった」

「予測通り?」

「先週までは波があったのに、今週はきれいに出た」

「それは皆さんの自由意思では」

「自由意思って、社食で一番聞かない言葉だな」


 調理長は笑っていた。

 だが目は面白がっていた。

 この人は厄介だ。

 観察好きの人間は、面白い動きがあると育てたがる。


「じゃあ聞くが、明日のメニュー、どう見る?」

「金曜のですか」

「おう」

「金曜は給料日前だから、全体的に節約寄りになります」

「ほう」

「だから高いスペシャル定食は伸びない。その代わり、安いカレーに流れやすい。ただ、週末で少し気が緩むので、デザートだけは出る」

 調理長は腕を組んだ。

「面白いな」

「面白くないです」

「明日、見ものだ」


 見ものにするな。

 僕の節約を娯楽化するな。


     ◇


 金曜の昼、社食の入口には妙な空気があった。


 明らかに何人かが、僕を見てから券売機へ向かっている。

 嫌な視線の流れだ。


 しかも、入口横のホワイトボードに、誰かが小さくこう書いていた。


『本日のおすすめ カレー』


 調理長の字だった。


「やめてくれ」

 僕が言うと、調理長は奥から笑った。

「いやあ、浜岡くんの見立てが当たるか見たくてな」

「競馬じゃないんですよ」

「社食は毎日が勝負だろ?」

「そこだけ妙にわかり合うのやめてください」


 結果、カレーは売れた。

 そしてデザートも出た。


 佐原は完全に感動していた。

「浜岡さん、すごいです」

「給料日前の心理を読んだだけだよ」

「従業員の生活実態まで見ている」

「見てない。自分がそうなだけ」

「自分を起点に全体を見るの、思想家っぽいです」

「昼飯で思想家になるのやめろ」


 ところが、このやり取りを、たまたま久保田課長が聞いていた。


「なるほど」

 またその顔だ。

「給料日前の心理、か」

「ただの昼食需要です」

「社員の可処分感覚を社食から読むとは」

「大げさです」

「いや、興味深い視点だ」


 興味を持つな。

 経理が興味を持つと、ろくなことにならない。


     ◇


 翌週の月曜、社食の壁に紙が貼ってあった。


『社食利用に関する非公式共有メモ』


 嫌な題名だった。

 しかも内容がもっと嫌だった。


・混雑回避には入場タイミングが重要

・主菜と小鉢の組み合わせで満足度が変わる

・価格だけでなく滞在時間も含めて考える

・給料日前は低価格帯に需要集中


 最後に小さく書いてある。


※一部、総務部有志の知見を参考


 有志じゃない。

 僕だ。

 しかも勝手に参考にされている。


「佐原」

「はい」

「これ、君?」

「半分です」

「半分でもだいぶ悪い」

「でも皆さん助かってますよ」

「助かり方が怪しいんだよ」

「知見は共有したほうが」

「昼飯の知見を組織知にするな」


 すると背後から、久保田課長の声がした。


「組織知、いい言葉だね」

「課長」

「浜岡くん、ちょっと来て」


 終わった。

 節約のしすぎで怒られるのかと思った。

 だが連れていかれたのは会議室だった。


 そこには、総務部長と経理部長と、なぜか調理長までいた。

 嫌な顔ぶれすぎる。


「浜岡くん」

 経理部長が言う。

「君の社食分析、少し話題になっていてね」

「話題にしないでください」

「特に、利用実態と満足度の関係」

「昼飯です」

「昼飯は重要だ」

 調理長が言った。

「みんな毎日のことだからな」

「調理長はちょっと黙っててください。話が広がるので」


 総務部長が咳払いした。

「浜岡くん、君は最近の社食値上げ案についてどう思う?」

「え?」

「来月から、原材料高騰で一部メニューの価格調整が検討されている」

「そうなんですか」

「うん。まだ正式ではないが」


 僕は少しだけ真面目に考えた。

 節約趣味の人間にとって、社食値上げは他人事ではない。

 下手をすると、外で買うのと差が縮まる。

 それは困る。


「率直に申し上げると」

 三人の視線が集まる。

 嫌だな、この注目。

「値上げ幅によりますが、利用者は想像以上に細かく見ています」

「ほう」

「十円なら気にしない人も、三十円を超えると“なんか高くなった”と感じる。しかも主菜だけでなく、小鉢や味噌汁との総合で見られるので、単純な価格改定だと不満が出ます」

 調理長がうなずく。

 うなずくな。

「あと、安いメニューに人が寄りすぎると列が偏るので、回転効率も落ちるかもしれません」

 経理部長がメモを取り始めた。

 やめてくれ。

「私は別に、待遇改善とか制度改革とか大きな話をしているんじゃなくて」

「そこだよ」

 総務部長が急に言った。

「現場目線だ」

「はい?」

「大きな理念でなく、日々の実感から語っている」

「昼飯代の話です」

「社員の実感を代弁している」

「昼飯代です」

「生活防衛の声だ」

「昼飯代なんですよ!」


 会議室が一瞬、静まった。


 しまった。

 少し声が大きかった。


 だが調理長は、なぜか感心したように言った。


「いいな、その言葉」

「よくないです」

「生活防衛。まさにそうだ」

「調理長、拾わないでください」

「浜岡くん」

 経理部長が深くうなずいた。

「君の問題意識はよくわかった」

「問題意識ってほどじゃ」

「値上げ一辺倒ではなく、満足感の設計も含めて考えるべき、ということだね」

「いや、僕は単に」

「社員の納得感が大事だと」

「なんでそんな立派になるんですか」


 総務部長まで腕を組んでいた。

「社食は福利厚生の最前線だからな」

「怖いな、その言い方」

「浜岡くん、来週の経営会議で一言もらえるか?」

「嫌です」

「短くでいい」

「嫌です」

「利用者代表として」

「僕はそんな代表を引き受けた覚えはありません」


 だが、誰も引かなかった。

 給料と社食が絡むと、大人は妙に本気になる。


     ◇


 経営会議の日、僕は会議室の隅で心から帰りたかった。


 役員たちが並んでいる。

 社食の話をするには、顔がみんな偉すぎる。


「では次に、社食価格改定について」

 経理部長が資料をめくる。

「現場利用者の意見として、総務部の浜岡くんから簡単に」


 簡単に、の裏切り率は高い。


 僕は立ち上がった。

「総務部の浜岡です」

 役員たちが見る。

 やめてほしい。

「私は、特に思想や運動があるわけではなく」

 専務が少し眉を上げた。

 そこに触れるな。

「単に昼食代をなるべく抑えたい側の人間です」

 社長がうなずく。

 そこはうなずかなくていい。

「その立場から申し上げると、値上げ自体が悪いというより、値上げしたのに満足感が下がることが一番困ります」

 数人がメモを取る。

「たとえば、主菜の見栄えだけ強くても、小鉢や味噌汁との組み合わせで“今日は違うな”と思うことがある」

 調理担当役員が真剣な顔になった。

「また、価格帯の集中で列が偏ると、時間を失った感覚まで含めて“損した”になります」

 社長が手を組んだ。

「つまり、利用者は価格そのものだけでなく、納得感で見ていると」

「そうです」

「なるほど」

「だから、もし価格を調整するなら、安いメニューの満足度を落としすぎないことと、列の偏りを防ぐ工夫が必要です」

 言ってから思った。

 なんで僕、こんなちゃんと話してるんだ。


 会議室が少し静かになった。

 その静けさの中で、専務がぽつりと言った。


「現場の声だな」

「昼飯代の」

「生活の実感がある」

「昼飯代です」

「会社は、そういう細部を軽く見てはいけない」


 だめだ。

 また話が大きくなっている。


 社長がゆっくりうなずいた。

「値上げありきではなく、利用体験全体で見直そう」

「社長」

 経理部長が少し慌てる。

「ですが原価が」

「わかっている。だが、納得感が落ちれば利用率が下がる」

 社長は僕を見た。

「浜岡くん、ありがとう。非常に参考になった」

「どういたしまして……」

 ぜんぜんどういたしましてではなかった。


     ◇


 その三日後。


 社食の壁に、また紙が貼られていた。


『より良い社食利用のための案内』


 見た瞬間に嫌な予感がした。


 内容はこうだ。


・混雑緩和のため、入場タイミングにご配慮ください

・主菜と副菜の組み合わせをお楽しみください

・低価格帯メニューも満足感を重視して改善中です

・利用者目線を反映した運用を進めています


 ここまではまだいい。


 問題は、その下だった。


『参考:浜岡方式』


 やめろ。


 さらに小さく、


“価格・時間・満足度を総合で考える利用視点”


 と書いてある。

 言い方がもう完全に学派だった。


「調理長!」

 僕はカウンターへ行った。

「なんですかこれ!」

 調理長はいい笑顔だった。

「評判いいぞ」

「よくないです」

「若い連中が“今日は浜岡方式でいくか”って言ってる」

「最悪です」

「しかもな」

 調理長は少し誇らしげにホワイトボードを指した。

「今日から安い定食の小鉢、一品見直した」

「え」

「お前の言ってた満足感ってやつ、ちょっと考えてみた」

「……それは、まあ、いいことですけど」

「だろ?」

「でも浜岡方式はやめてください」

「無理だな。もう定着した」


 そのとき、佐原がトレーを持って駆け寄ってきた。


「浜岡さん!」

「何」

「社食の壁、見ましたか!」

「見たよ」

「やっぱり形になりましたね」

「形にするなって言ってたよね?」

「しかも来月、新人研修で“福利厚生の使い方”の話に少し入れるかもって」

「なんで?」

「浜岡方式が」

「だからその呼び方やめろ!」


 背後から、久保田課長の声がした。


「浜岡くん」

「はい……」

「今回の件、悪くなかったよ」

「それはどうも」

「ただし」

 来た。

「次は社食だけでなく、自販機価格と残業時軽食補助の関係も見てみないか」

「やりません」

「現場の実感として」

「やりません」

「生活防衛の観点から」

「その言葉、もう僕の前で使わないでください」


 久保田課長は珍しく少し笑った。

「残念だ」


 全然残念そうじゃなかった。


 僕は定食を持って、いつもの壁側の奥の席に座った。

 トレーの上には、今日のA定食と、見直された小鉢。

 たしかに前より少しだけ強い。


 少しだけ、悔しい。

 僕のせいで良くなっている。


 そこへ佐原が向かいに座る。

「浜岡さん」

「何」

「今週の最適解、もう出てますか」

「……火曜A定食」

「理由を伺っても?」

「伺うな」

「参考までに」

「今週は鶏の照り焼きで、改良された小鉢がつく。しかも水曜に会議が多いから火曜に客が分散しやすい」

「なるほど……」

「あと壁側の奥は回転が」

「早い、と」

「メモするな!」


 佐原は止まらなかった。

 目がきらきらしている。

 最初に聞かれたあの日と同じ目だ。

 嫌な予感しかしない。


 案の定、その日の夕方には、社内チャットにこんな投稿が流れていた。


『今週の浜岡方式・暫定版

 火曜A定食が有力です』


 僕はスマホを伏せた。


 昼飯を安く済ませたかっただけなのに、なぜ僕は社内で一番、社食に詳しい思想家みたいな扱いをされているのか。


 しかも総務部の掲示板には、すでに次の相談が貼られていた。


『自販機・軽食・社食の総合最適化について

 浜岡さん、少しお時間ください』


 僕は机に突っ伏した。


「もう弁当作ってこようかな……」

本作は制作過程でAIを活用しています。公開にあたり、内容は作者が確認のうえ調整しました。

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