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第3章 - 囁きと選択

 夜明けの空に、まだ二つの月が浮かんでいた。

 一つは故郷で見るような丸い月。もう一つは鋭い銀の三日月だ。

 その奇妙な光が差す中、兵舎はどこか落ち着かない。支給されたばかりの革鎧はギシギシと軋み、手にしたショートソードはやけに重い。冗談と恐怖が混ざった、張りつめた空気がそこにあった。


「さて、と」

 オリヴィアが、自分の剣を死んだ魚でも見るような目で眺めながら言う。

「私がこれで自分を刺しちゃう方、誰か賭けない? 個人的には十分もたないと思うけど」


「大げさだよ、リヴ」

 エマは言いながらも、ベルトをもう一度確認する。実際、全員どこかぎこちない。俺はそれを見て、少し安心した。緊張しているのは自分だけじゃないとわかるから。


 ルーカスは胸当てと格闘中だ。肩に合ってない鎧を不満そうに引っ張って、愚痴をこぼす。

「ソーセージになった気分だぜ」


「見た目もソーセージみたいよ」

 隅でスケッチブックに向かっていたベラが、顔も上げずに淡々と言う。ルーカスが大げさに睨むと、彼女は小さく笑っただけだった。


「……なんか焦りすぎじゃないか」

 壁にもたれていたアドヴィクがぽつりと言う。

「こっちに来た翌日に偵察任務なんて。普通じゃない」

 太ももの防具を指で叩く音が、不安げなリズムを刻む。


 そのとき、エララ司令官が入ってきた。彼女の鎧だけは、不思議と音がしない。

「目的は単純だ」

 その声は、俺たちのざわめきを切り裂くように響いた。

「ウィスパーウッドの外縁を巡回し、観察し、報告すること。交戦はするな。私と兵士二名が同行する。……失望させるなよ」


 言われた瞬間、俺たちは一瞬で『任務』に戻された。エララは、あの神官たち――俺たちを“失敗作”と呼んだ連中――とは違って、指揮官だった。冷たいが、合理的だ。彼女の前では、言い訳は通らない。


 ◆ ◆ ◆


 ウィスパーウッドの森は、その名のままに不気味だった。

木々が虹色に光り、葉の間を通る風が異様に静かだ。鳥も虫もいない。ただ、神経を擦るような静寂だけがある。


そして――囁きが始まった。

最初は葉擦れの音かと思った。だが、次第にそれは言葉の端っこをかすめるような、不気味な「声」になっていく。


「マジで、ここやべえな」ルーカスが小声で漏らす。俺もそう思っていた。


「ただの風よ」エマは言うが、彼女の目は落ち着かない。オリヴィアは皮肉を落としてみせる。みんな、どこかで怯えている。


先頭を歩いていたタクミが、ふと手を上げた。全員が止まる。

彼が指差したのは道の端。細くてほとんど見えないワイヤーが、木と木の間に張られている。先には鋭い杭が突き出た丸太が吊られていた。あと一歩で、串刺しになるところだった。


「よく見つけた、タクミ」

エララの声に、わずかながら認める調子が混じる。兵士たちも驚きを隠せない。俺は、教室でいつも孤立している彼の観察眼が、ここでは命綱だと改めて思った。


少し進むと、ベラが足を止めた。細い指で下草を指す。

「赤いものが――見える」


その陰には、小さな影が震えていた。灰色の毛に覆われた、犬に似た生き物。だが脚は獰猛な鉄の罠に挟まれて砕け、苔を赤く染めている。子ども――ビーストフォークの子供だ。


「なんてことだ……」オリヴィアが息を呑む。子は俺たちに気づくと、甲高い叫び声を上げて暴れだした。その目の恐怖は、ただの痛み以上のものだった。まるで人間そのものを、それこそ“怪物”とみなすほどに震えている。


「英雄よ、止まれ!」兵士が槍を構える。「あれは“モンスター”だ。近づくな!」


だがオリヴィアは動く。

「モンスターじゃない! 赤ん坊でしょ、このバカ!」両手を広げ、無害を示す。彼女の声は震えていなかった。ゆっくりと、優しく子に語りかける。子は怯え、しかし逃げる力も限られている。


兵士の一人が一歩前に出る。命令だ。下がれ、と。

その瞬間、ルーカスが割って入った。剣に手を掛け、兵士の前に立つ。俺たちの背後で、アドヴィクとタクミがすっと寄り添った。意思のある静かな盾だ。


「それ以上動いてみろ。今度はお前が問題になる」ルーカスの声は低かった。だがそこに確かな覚悟があった。


もう一人の兵士が叫ぶ。「命令だ! 発見次第、即刻排除する!」


現場は一触即発だった。エマが慌てて間に入ろうとする。ハナとチェン・ユーも身構える。誰も本気で斬りたくはない。しかし、命令は命令だ――それがここで通る現実。


「――そこまでだ」

エララの声が鋼のように響き、兵士がわななく。槍が下がる。彼女の視線は静かに、しかし逃れられない重さで俺たちを見渡した。オリヴィアが子に近づき、膝をつく。手のひらが淡く緑に光り始める。


魔法が、砕けた脚の肉と骨を丁寧に繋ぎ合わせていく。子は震えながらもじっとしている。やがて脚が元通りになり、オリヴィアは罠のバネを外した。


子は自分の脚を確認して、オリヴィアを見上げた。恐怖がゆっくり薄れ、戸惑いと――それからほんのわずかな感謝が生まれる。ふらつきながらも寄り、オリヴィアの手を一度だけ舐めると、森の奥へと走り去っていった。


オリヴィアは立ち上がり、兵士たちを睨みつける。顔には小さな勝ち誇った笑みが浮かんでいた。

「見て。単なる怖がってる子供よ」


――その瞬間、エララが口を開いた。静かすぎる声は、言葉以上の重さを持っていた。彼女はオリヴィアではなく、俺たち全員を見ている。


「お前たちの任務は偵察だったはずだ」一語一語を噛みしめるように言う。

「それなのに、位置を晒し、回復役の能力を曝し、たった一匹の魔獣の子を巡って仲間割れまで起こした」


言葉が落ちる。空気が一瞬で固くなる。誰も反論できない。


しばらくの沈黙のあと、彼女はほんの少しだけ声を変えた。

「……だが、もう一つ見せてもらった」

「仲間をためらわず守った。自ら選び、行動した。それもまた――選択だ」


エララは、城へと続く道を見つめる。視線は遠く、そこで何かを測るようだ。

「その選択が正しかったのか――これから、確かめさせてもらう」


言葉は冷たいが、どこか興味を含んでいる。俺は、胸の中に小さな不安と同時に奇妙な誇りを感じていた。仲間を庇った覚悟が、これからどこへ繋がるのか。俺たち自身もまだ、知らない。

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