第2章 - スキルとゴーレム
霧深い古森の奥。
焚き火を囲むのは、三人の獣人族。灰色の毛皮に覆われた、狼族の斥候たちだ。
「……感じたか、長老」
焚き火の火を反射する灰色の毛皮を持つ、ひと際体格の良い斥候が、ぴくりと耳を動かした。
「うむ。大地の揺らぎではない……世界の“膜”が震えておる」
羽根と骨で飾られた杖を握る、年老いた狼族――長老がゆっくりと頷く。閉じられた黄金色の瞳は、世界の深淵を視ているかのようだった。
やがて、その瞼がゆっくりと開かれる。犬に似た顔に、険しい影が落ちた。
「また人間どもが禁忌に触れたか……。だが、今回の響きは、これまでとは全くの別物じゃ」
「別物、ですと?」
若い戦士が、無骨な槍を握りしめる。
「人間どもめ、古の英雄とやらを呼び、我らを屠る気だ!」
長老は静かに首を振った。
「いや……。伝承にあるような、澄んだ“力”の歌ではない。……魂が引き裂かれるような、悲鳴じゃった」
その言葉に、若い戦士が息を呑む。
「あれは英雄ではない」長老は遠く、人間たちの王国がある方角をじっと見据えた。「……もっと新しく、脆く、そして……ひどく怯えている。何かが、始まってしまったのやもしれぬな」
◆ ◆ ◆
朝の冷たい空気の中、兵舎の鉄扉がけたたましい音を立てて開かれた。
昨夜は、誰も眠れなかった。
俺たちは小さなグループに分かれ、夜通し囁き声で話し続けた。どうして自分たちがここにいるのか。そして、目の前に浮かび続ける“半透明の画面”は一体何なのか、と。
「この画面、マジで使えないんだけど」
オリヴィアが自分のステータス画面をつつきながら毒づいた。
「[ヒーラー]って書いてあるだけ。説明もチュートリアルも無し。これでどうやって癒せっていうのよ」
「私のは[ディプロマット]だって」エマがため息をつく。「肩書きだけで、力なんて感じないわ」
ルーカスはベッドの上で唸るように言った。
「お前らはまだマシだろ。俺なんて[バスティオン]だぞ。……城壁かよ、俺は」
俺は黙って自分の画面を見つめていた。
三行の壊れたコードが、まるで消えない傷跡のようにそこにある。[ERROR:ANOMALY DETECTED]。
ふとルーカスの方を見ると、彼のステータス欄に、小さな文字が一瞬だけ浮かび上がった。
[アビリティ:運動エネルギー障壁]
――え?
瞬きをしたら、もう消えていた。エマの方を見ても同じだ。[スキル:誓約]という文字が一瞬だけ見えて、すぐに消える。
(……気のせいか? 寝不足で、幻覚でも見てるのか……?)
「全員、立て」
鋭く、しかし落ち着いた声が響く。
扉の前に立っていたのは、昨日の司令官――エラーラだった。実用的な鎧を身に着け、髪をきっちりと結い上げている。神官たちのような蔑みはなく、まるで新しい武器を査定するような目で俺たちを見渡した。
「私はエラーラ司令官。上層部はお前たちを“失敗作”と見るが、私にとっては“未完成の兵”だ。私の任務は、お前たちを兵として使えるようにすること」
彼女は一歩、兵舎の中に足を踏み入れた。
「今から、適性試験を行う」
◆ ◆ ◆
埃っぽい訓練場。俺たちの前には、巨人のような石のゴーレムが何体も並んでいた。
エラーラの説明は、驚くほど簡潔だった。
「目の前のゴーレムと対峙し、自らの力を引きずり出せ。話はそれからだ」
最初に前に出たのはエマだ。緊張しながらも、決意を秘めた顔でゴーレムの前に立つ。
……だが、何も起きない。
彼女が戸惑ったその瞬間、俺の視界の端で、あの小さな文字がまた揺らいだ。
[スキル:誓約 ―― 明確な口頭命令と対象の指定が必要]
(命令……対象……?)
「……指をさして、命令してみろ」俺は小声でつぶやいた。「具体的に、はっきりと」
エマは不思議そうに俺を一瞥したが、黙って頷いた。震える指で、まっすぐにゴーレムを指し示す。
「――止まれッ!」
金色の光が一瞬、ゴーレムを包み込み――その巨体が、ピタリと動きを止めた。
すぐに光は砕け散ったが、確かに効果はあった。エマは呆然と自分の手を見つめている。
それから一人、また一人と、俺は彼らのステータスに浮かぶ“隠された文字”を読み、助言を続けた。
オリヴィアには「生物学的な異常の特定が必要」。アドヴィクには「リズムを刻む動作が発動条件」。
半信半疑で俺の言う通りにすると、どのスキルも不完全ながら、確かに発動した。
「おい……なんでお前、そんなこと分かるんだ?」ルーカスが俺に耳打ちする。「勘が良すぎるだろ」
俺は肩をすくめるしかなかった。自分でも、本当に分からないのだから。
次に、ハナとチェン・ユーの番が来た。
二人は別々に挑戦したが、ゴーレムはびくともしない。だが、二人が並んで立った瞬間、俺の頭の奥がズキンと痛んだ。
二人のステータス画面の間に、淡い光の線が走るのが見えた。そして、俺にしか見えない新しい文字が浮かび上がる。
[連携スキル(シナジースキル)解放:アンバランス&シャッター]
「一緒に戦え!」思わず叫んでいた。「ハナが先だ。チェンは、彼女の後に続け!」
ハナは舞うようにゴーレムに駆け寄り、その石の脚を流れるような動きで三度叩く。すると、脚に光の紋章が浮かび上がった。
「今だッ!」
俺の合図で、チェンがその紋章に拳を叩きつける。
――ドガァンッ!!
轟音と共に、ゴーレムの石の脚が蜘蛛の巣のようにひび割れ、そのままガラガラと崩れ落ちた。
誰もが息を呑む中、エラーラだけが、無表情のままその光景を見ていた。
「次」彼女の視線が、俺を射抜く。「……“異常個体”」
血の気が引いた。俺のステータスは、相変わらず壊れたままだ。隠された文字などどこにもない。
長い沈黙の後、俺の口からかろうじて言葉が漏れた。
「……俺には、何も……できません」
エラーラは「無能」とは言わなかった。ただゆっくりと頷き、まるで難解なパズルを解くかのように俺を観察する。
「面白い」独り言のような声だった。「お前自身に力の反応はない。だが、他者のスキル発動を導いている。……“触媒”か」
そして、彼女ははっきりと俺に言った。
「お前の任務は、今まで通りだ。仲間の能力を正確に把握し、支援しろ。戦場で味方を理解して動ける兵は、どんな高位の魔術師よりも価値がある」
俺は安堵と屈辱が入り混じった、奇妙な気持ちのまま列に戻った。
……無力じゃない。でも、力はない。
エラーラが全員に向き直る。
「お前たちは、我が軍の最下位魔導士よりも弱い。だが――伸びしろはある」
彼女は訓練場の巨大な門を指差した。
「我々に時間はない。実戦で経験を積め」
背筋が凍るような、嫌な予感がした。
「明朝、お前たちの初任務だ。ウィスパーウッドの森の偵察。簡単な任務だ」
彼女の言葉の後、その口元に冷たい笑みが浮かんだ。
「……使い物になる前に、死ぬなよ」
エラーラは踵を返し、門へ向かう。“明朝”。本物の、最初の任務。
仲間たちの顔から血の気が引いていくのが分かった。もう、俺たちはただの高校生じゃない。
兵器としての最初の戦いが、数時間後に迫っていた。




