第1章 - 資産と異常
「……もう、戻る術はない」
老人の声が、がらんとした石造りの大広間に響く。
その一言は、どんな衝撃よりも重く、俺の胸にのしかかった。
足元の巨大な召喚石の亀裂はそれ以上広がらない。だが、そこからは底知れないほどの冷気が漂ってくるようだった。
俺たちは、この異世界で「失敗作」というレッテルを貼られたまま、取り残されたのだ。
老人――高位司祭ヴァレリウスは、動揺を押し殺すように背筋を伸ばした。
「召喚石は砕けた。奴らと我らの魂は、すでに結ばれてしまった」
その声は俺たちではなく、周囲のフードを被った神官たちへ向けられていた。
「貴様らの“統一性のなさ”が儀式に不純をもたらし、共鳴を狂わせたのだ。結果、召喚は……汚染された」
「はぁ? そっちのミスを、俺たちのせいにすんのかよ?」
最初に声を上げたのはルーカスだった。その怒りは、この寒い広間の中でも熱気となって伝わってくる。彼は自然に一歩前に出て、俺たち全員の盾になっていた。
ヴァレリウスの目は氷のように冷たい。
「我らは古の英雄を呼んだ。純血の血脈を。貴様らの存在こそが“欠陥”なのだ」
「高位司祭」
鋭い声が、張り詰めた空気を断ち切った。
実用的な鋼の鎧を身に着けた女性が、ヴァレリウスとルーカスの間に割って入る。後に俺たちが“エラーラ司令官”と呼ぶことになる人物だった。
「その欠陥こそが、この国に残された唯一の武器です。ならば、それを磨き上げるのが私の役目だ」
ヴァレリウスは彼女を無視し、ルーカスを指差す。
「力が覚醒し始めている。訓練もされず、不安定なままだ。まるで汚染された儀式そのもののようにな!」
カンッ、と杖が床を打つ硬い音が鳴り響く。
「もうよい。我らは退く」
神官たちは影のように彼の後ろに続き、巨大な石のアーチ門を抜けて去っていった。
残されたエラーラは、無表情でその背を見送ると、俺たちに向き直った。
「ついて来い」
有無を言わせない、軍人らしい口調だった。
◆ ◆ ◆
兵舎までの道は、冷たい石の回廊がどこまでも続いていた。ショックがじわじわと現実味を帯びてきて、みんな口数が少なくなっていく。
「……月が、二つ……」
ベラが通路の窓から空を見上げ、震える声でつぶやく。彼女の芸術家の目は、恐怖よりも先に、このあり得ない光景の美しさに見惚れているようだった。
「光が、違う……きれい……」
その隣で、ルーカスは黙って妹の肩をかばうように歩いている。
「お茶くらい、あるといいんだけど……」
オリヴィアが小声でぼやく。
「ちゃんとした紅茶を一杯飲めば、こんな状況でもマシになるのに」
震える声で軽口を叩くのが、いかにも彼女らしい。
アドヴィクは自分の腕を爪が食い込むほど強く握りしめている。ハナが段差につまずいた瞬間、チェン・ユーが無言でその腕を支えた。言葉はなかったが、彼らの間にはそれで十分だった。
俺は黙って、皆とエラーラの背中を見ていた。頭の中はぐちゃぐちゃで、ただ歩くことしかできない。
やがて、分厚い木の扉の前で足が止まる。付き添いの衛兵たちが無言のまま扉を押し開け、顎で「入れ」と示した。エラーラは腕を組み、俺たちが一人ずつ入っていくのを黙って見ている。
部屋はさっき上から見下ろした通りだった。長い広間に、簡素なベッドがずらりと並んでいる。だが、今になって気づいた。ベッドの上の壁には、名前ではなく、番号が乱雑に書かれている。俺たちは人じゃなく、ただの備品扱いということか。
ガチャン、と背後で扉が閉まり、重い閂が落ちる音が響く。
――囚われた。
「こんなの、受け入れられません!」エマが震える声で叫んだ。「私たちは囚人じゃない! 権利があるはずよ!」
「……権利、ね」
部屋の隅を確保したタクミが、壁に寄りかかりながら静かに言った。
「それは“俺たちの世界”での話だ。ここでは、まずルールを覚えるのが先だろ」
「だからって、黙って従えってのかよ?」ルーカスが食い下がる。
現実が、冷たい鉛のように胸に沈んでいく。
俺たちは“英雄”じゃない。歓迎された客でもない。
ただの資産。
この世界の誰かに向けて放たれる、使い捨ての兵器だ。
皆が押し黙る中、タクミが再び
「……違う。従うんじゃない。ルールを知るんだ。早く。」




