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第九話 命の兆し、森が選ぶもの

 森には、春の訪れの香りが満ちていた。雪解けの小川がさらさらと流れ、木々の枝には柔らかな若葉が芽吹き始めている。陽射しは暖かく、冬の名残を忘れさせるほどだったが、それでも風の中にはまだ微かな冷たさが残っていた。鳥のさえずりが響き、獣たちが活動を始めるこの季節。生命が目覚め、森のすべてが新たな息吹を宿し始めている。

 そんな森の中を、リナリアとフェレリエルが歩いていた。エリオーネに言われた「直感で生きたものを選ぶ」という課題を胸に、リナリアは好奇心のままに森を巡っている。彼女の髪は、淡いピンクに白が溶け込んだ不思議な色をしていた。陽の光が当たるたびに、まるで花びらが陽光を孕んでゆらめくように、その色合いを変えて見える。風が吹くたびに、軽やかに揺れ、森の緑に柔らかな彩りを添えていた。


「フェレリエル! これどう思う?」


 リナリアが目を輝かせて駆け寄る。手の中には、小さな金色の羽が乗っていた。森の鳥のものか、それとも精霊が落としたものか——それは、まるで光を集めるように煌めいていた。フェレリエルは腕を組んでその羽を眺める。


「どういう基準で選んだの?」


「うーん……なんとなく?」


 リナリアは笑う。


「でもね、なんかすごく気になったの! だって、ほら、普通の羽なら白とか茶色とかでしょ? なのにこれは金色! きっと特別な何かだよ!」


 フェレリエルはため息をつきつつも、その羽を指でつまみ、光に透かしてみた。確かに、何か特別な力が宿っているように思えた。


「……まあ、悪くはないわね」


「でしょ! これ、持って帰ろう!」


 リナリアは嬉しそうに羽を大切にしまった。フェレリエルは彼女の無邪気な様子を見ながら、どこか納得のいかない様子で肩をすくめた。


「本当に、直感だけで選んでるのね」


「だって、エリオーネがそうしろって言ったし!」


「そうだけど……」


 リナリアは再び森の奥へと目を向ける。彼女の心の中では、何かが確かに呼んでいる気がした。それは、理屈ではなく、感覚として。だからこそ、彼女は直感を信じた。


「ねえ、フェレリエル。もっと奥に行ってみよう」


「……また突拍子もないことを」


 フェレリエルは呆れながらも、リナリアの後を追う。森の奥へ進むと、草木のざわめきが次第に静まり、空気が変わった。まるで、この場所だけが時間から切り離されているかのように、空気がしんと澄んでいる。リナリアはふと、一本の若木に目を止めた。その幹には、半透明の樹液がきらりと光っていた。


「……これ、すごく綺麗」


 リナリアはそっと指で樹液を掬う。冷たく、とろりとしていて、まるで生き物の血液のよう。彼女はじっとそれを見つめる。フェレリエルは少し警戒したように眉を寄せた。


「リナリア、それ、触って大丈夫?」


「うん、大丈夫……たぶんね!」


 リナリアはクスリと笑い、「これ、持って帰る!」と決めたように頷いた。フェレリエルはますます怪訝な表情をした。


「何に使うのかもわからないのに?」


「でも、きっと何かに使える気がする。ほら、生きてるものって言われたし、これも木が作ったものだから、生きてるでしょ?」


 フェレリエルは半ば諦めたように頷いた。


「まあ、あなたがそう言うなら」


 リナリアは慎重にその樹液を小瓶に収めると、森の中を見回した。何か、まだ足りない気がする。彼女の心の奥底で、何かが呼んでいる気がした。理屈ではなく、もっと原始的な感覚——幼い頃、暗闇の奥に微かな灯りを見つけたときのような、不思議な引力。


「フェレリエル、もう少し進んでみたい」


 リナリアは無意識に歩を進めていた。森の奥へと続く獣道を抜けると、そこは奇妙なほど静かだった。風が止み、鳥のさえずりも遠ざかり、まるで別の世界へ足を踏み入れたかのような感覚に陥る。


 ——こっち。


 心の中で、誰かが囁いた気がした。リナリアは、ふと足を止めた。目の前に、ぽっかりと陽だまりが広がっていた。その中央に、小さな泉が静かに佇んでいる。泉の水面は鏡のように滑らかで、空の色をそのまま映し込んでいた。水の底には、黒く艶やかなものが沈んでいる。


 「……何、これ?」


 リナリアは慎重に泉へ近づき、膝をついた。ゆっくりと手を伸ばす。冷たい水が指先を包み込む。


 ——影が揺らぐ。


 水面に映るリナリアの姿が、ほんの一瞬、歪んで見えた。まるで、もう一人の自分が水の底に眠っているかのように。


 「リナリア、それ……」


 フェレリエルが、不安げな声を上げた。リナリアは、泉の底から黒い石を拾い上げる。漆黒のそれは、光を吸い込むように深く、どこか生きているような気配を放っていた。


 ——呼ばれた。


 リナリアは、確信した。フェレリエルは警戒するようにその石を見つめる。


「……本当に、それを持って帰るの?」


 リナリアはゆっくりと頷いた。


「うん」


 フェレリエルは少し悩んだ後、ため息をついた。


「まあ……あなたの直感を信じるわ」


 リナリアは笑った。


「ありがとう、フェレリエル!」


 そうして二人は、それぞれの選んだものを抱えて森を後にした。金色の羽、半透明の樹液、漆黒の石——。

 それらが、何を意味するのかはまだわからない。けれど、確かに彼女たちは生きたものを選んだ。それは、まだ見ぬ何かを生み出すための、最初の一歩。この先で、新たな出会いが待っていることを、二人はまだ知らない。

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