第六十三話 王の前に立つ者
謁見の間の重い扉が、乾いた音を立てて押し開かれた。礼節もなにもない。押し込まれるようにして、リナリアたちは中へと進まされた。薄暗い石造りの大広間。天井高く掲げられた王家の紋章。だが、玉座には、肝心の王の姿がなかった。
――予定されていない訪問者。それを物語るには十分だった。近衛兵たちは即座に剣に手をかけ、警戒を強めたが、バルト・エンデリク卿――あの高官が、青ざめた顔で前に出た。
「……彼女の言うとおりに」
かすれた声でそう告げる。白衣の信徒たちが背後に控え、彼を逃がすことも許さぬように立っている。近衛兵たちは互いに視線を交わし、無言で状況を察した。この男の命が、いまリナリアたちに握られていることを。
ざわめきが広がりかけたそのとき、堂々たる声が鳴った。
「何事だ?」
重々しい足音とともに現れたのは、ユルゲン・オステン。王国内政庁に籍を置く高官であり、リナリアたちにかつて遺跡調査の依頼を持ちかけた人物。鋭い目を細め、広間の異様な光景を静かに見渡す。
「リナリア様……クラウス殿……?一体これは……」
ユルゲンが問うと、リナリアはほっとしたように微笑み、前に進み出た。
「ちょうどよかった。ユルゲンさん。私たちは、王に会いに来たの。勅令書の件で」
バルト卿が、震える声で割り込む。
「信徒たちを取り締まるための……勅令書のことだ!この女が信徒の指導者なんだ!」
怒りに顔を紅潮させ、叫ぶ。
「貴様ら、王の怒りを思い知るがいい……!」
リナリアは静かに振り返り、冷ややかに言った。
「誤解しないで。あなたは、私たちをここへ連れてきてくれただけでしょう?」
一撃だった。バルト卿は言葉を失い、呻くように唇を噛みしめた。
そのとき――
「王がお入りになる!」
近衛兵たちの声が響き渡る。全員が慌ててひれ伏す。リナリアと信徒たちを除いて。
重い足音が、玉座へと向かって進む。やがて、王が堂々と腰を下ろした。鋭い眼光を放ちながら、玉座から一同を見下ろす。
「バルト・エンデリク。何事だ?」
王の声は、重く冷たい。バルト卿はひれ伏し、声を震わせた。
「ご、ご命令通り、信徒の指導者を連れてまいりました!」
王は片眉を上げ、皮肉げに口角を吊り上げた。
「……連れてきた、というより、連れられたのではないか?まあよい。形はどうあれ、目的は果たされた」
そして、ふと興味を示すようにリナリアたちを見た。
「調停と言ったか?よい、訴えを聞こう」
リナリアは静かに一歩進み出た。玉座へまっすぐに視線を向ける。凛とした声が、広間に響いた。
「私を捕らえるために、弱き者を虐げるやり方には納得できません。陛下が出向くべきだったところを、私自身がここに参りました」
広間にざわめきが走る。だが、王は笑った。
「命があるだけでも感謝するがよい。そなたらの行いで、ナツキという英雄の命が失われた。裁きは必要だ」
リナリアの胸に怒りが燃え上がる。
「英雄?彼らが英雄なら、なぜここにこれほどの難民が?民を救わず、冒険者たちに富を渡し、苦しむ者を見捨てる。そんな王が英雄を語るとは、滑稽です」
広間の空気が震えた。玉座の王もまた、目を細める。
「ナツキがいなければ、この地は既に滅びていたであろう。お前に彼の代わりが務まるか?」
リナリアは、揺るがなかった。
「信徒たちこそ、この地を支えてきた。民があってこその王。民を蔑ろにする王は、王ではない」
その言葉に、王の目が細められた。重たい沈黙が落ちる。そのとき、ユルゲンが一歩進み出た。
「陛下、失礼ながら――。遺跡への調査隊の行方を突き止めたのは、このリナリア様です。彼女がいなければ、ご遺族の怒りは収まらず、王国への不信が高まっていたことでしょう。しかも彼女は、帝国のエルガ・ヴァルトと対等に渡り合ったとか。ナツキ様とて、あの女には手が出せなかったでしょう」
その報告に、王はしばし黙考する。そして、静かに言葉を紡いだ。
「……なるほど。ならば、リナリアよ。貴様の望みは何だ?」
リナリアは、堂々と頭を下げた。
「はい、陛下。私は、難民の保護と、信徒たちの自由をお認めいただきたい。それを条件に、私たちは王都を去りましょう。我らは旅の途上の者。もとより、ここに長居するつもりはありません」
王は、しばし唇を噛むような仕草を見せた。そして――
「それはならぬ」
雷鳴のような声が、謁見の間を震わせた。
「貴様は、ナツキの穴を埋めよ。東へ赴き、アンデッドの進行を食い止めるのだ。噂が真実ならば、できるはずだ」
王は続ける。
「ユルゲン、貴様も同行し監視せよ。それをもって、難民の保護と信徒たちの自由を約束しよう」
静まり返る謁見の間。リナリアは、静かに目を閉じる。その沈黙を破ったのは、白衣の信徒たち。押し殺したような、それでも震える声が広がる。
「リナリア様、そのような命、聞き届ける必要はございません!」
「危険すぎます。お止めください!」
必死の声。必死の訴え。リナリアはそっと片手を上げて制した。目を伏せ、ひとつ息を整え、柔らかに、けれど揺るぎない声で答える。
「いいの」
そっと息を吸い込み、震える心を胸の奥に押し込んだ。
「――私たちは東を目指していたもの」
その声には、静かなる決意と、かすかな痛みが滲んでいた。振り返ったリナリアは、ユルゲンに目を向ける。困惑を隠せない彼に、ふっと優しく微笑みかけた。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい」
ユルゲンは一瞬目を見開き、それから小さく苦笑し、深く頭を下げた。
「いえ、リナリア様。これも、私の選んだ道です」
短く、しかし確かな言葉。リナリアは静かに頷くと、再び前を向く。王は玉座から動かず、ただ鋭くリナリアを見据えた。その視線を真正面から受け止め、リナリアはまっすぐに歩み出す。
新たな運命への道を、確かに踏み出していく。




