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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第三章 風の眠らぬ国で

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第五十六話 王都オルセリア

 空が黄金に染まり始めたころ、商隊の馬車が土の大路を抜け、ゆるやかな丘を越える。その先に広がるのは、石と塔と煙の都市。剣のようにそびえる尖塔、日干し煉瓦の屋根が連なる高低差のある街並み、太陽を反射する穹窿屋根、そして天を突くかのような要塞の城壁。それはまさに、風と砂の王が治める地――王都オルセリアの姿があった。

 夕日を受けた城壁が赤銅に輝き、街路の向こうから騎馬兵の影がすれ違う。空には香草(こうそう)と煙の匂いを運ぶ(かぜ)。通りの壁には、戦士たちの名を讃える旗が翻り、広場では角笛の音とともに衛兵の号令がこだまする。 

 商隊の荷馬車は王都オルセリアの外縁に位置する広大な荷降ろし場に到着した。そこでは、すでに先行していた商隊の馬車が整然と並び、商人たちが活発に荷の積み下ろしを(おこな)っている。馬の嘶きや荷車の軋む音、人々の掛け声が交錯し、活気に満ちた光景が広がっていた。


「ほらな、言ったろ。ここは帝都とは違う。血の気の多いやつらの溜まり場だ。……あとはよろしくやってくれや」


 荷を下ろしながら、商隊長が手を挙げる。砂埃で煤けた顔に、疲労と別れの名残を滲ませながら、男は笑った。


「それと――嬢ちゃん、あんた、どっかで名を売る気があるなら、気張れよ。オルセリアじゃ、腕より目立つことの方が名になる。戦士の街ってのは、そういうもんだ」


「ありがとう」


 リナリアが礼を告げると、商隊長は何も言わず頷いて手綱を振った。馬車の車輪が石畳を軋ませ、夕日の中へと消えていく。残された四人は、土埃の向こうにそびえる城門を見上げた。

 周囲では、商人たちが荷を運び、馬の世話をする姿が見られる。彼らの間を縫うようにして、リナリアたちは王都の城門へと歩を進めた。門をくぐると、途端に熱気と喧騒が彼らを包み込む。土と革と鉄の匂いが入り混じった空気が肌を打ち、遠征帰りの傭兵たちが赤銅の鎧を輝かせながら酒を酌み交わしている。露店には香辛料や干し肉が山積みされ、炎を纏ったような衣装の踊り子たちが華麗に舞い踊っていた。剣と魔術、そして信仰が交錯するこの都市は、帝国と王国の狭間で生き抜く者たちが牙を研ぐ、まさに戦士の都であった。


「すごい!」


 ルミナが目を輝かせる。耳をぴんと立て、行き交う人々を眺めながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしては、リナリアの袖を引いた。


「ねぇ、見て! あれ、ヤギの丸焼きよ。あんなの見たことない!」


「うわっ、本当だ。煙までおいしそう‼」


 リナリアの瞳も、子どものようにきらめいていた。帝都では決して見られなかった、熱と雑踏と歓声の奔流。胸の奥がざわめき、足取りが自然と軽くなる。この街には、何かがある――そう確信させるだけの熱気が、確かに満ちていた。

 突然、広場のざわめきが変わった。人の波がざわめき、ざわざわと期待を帯びた笑い声が重なり始める。


「おい、あれ……本物だろ?」


「また帰ってきたのか、討伐帰りか?」


 群衆の注目を集めながら、ひとりの青年が現れた。

 鉄ではなく、艶のある黒革の軽装に身を包み、腰には装飾のない太刀を一振り。肩にかけたマントは一見普通の布地に見えるが、ふちに古い文字のような刺繍が走っている。整った顔立ちはどこか地味で、黒髪黒目。派手さはないが、周囲の熱気がその男を中心に回り出していた。


 ──ナツキ・ハルヤ。


 異世界転生者。数年前、光の柱と共に現れた異邦人。最初は村人だったという。だが今では、黒剣の英雄、異界の戦術士として名を馳せている。

 元の世界ではどこにでもいる大学生だったという逸話から、同じように召喚された転生者たちの希望の星として語られていた。仲間は二人。銀髪の神官と、巨体の剣士。三人揃って歩く姿に、商人も、傭兵も、誰もが道をあける。だがその英雄は、足を止めると、ふとこちらを見た。

 そして、ジークに目をとめる。


「……おい、あれ、モンスターじゃないか?」


 その声は抑えたトーンだったが、広場の空気を変えるには十分だった。


「街の中にモンスター連れ込むなんて、どこのお偉いさんの使いか知らないけど……まずは事情を聞かせてもらおうか?」


 冷静に聞こえる声色。その裏にある場を支配することへの慣れと衆目を集める技術は、確かに英雄として生きてきた者のもの。

 そして、その目線の先にはジークがいた。ジークの前に立ちふさがるように、ナツキ・ハルヤは一歩踏み出した。黒革の靴が石畳に鳴り、広場のざわめきが一瞬だけ止まる。


「……なあ、君さ。まさかとは思うけど、討伐対象のモンスターを連れて、街の中を歩いてるわけじゃないよな?」


 その口調は穏やかだったが、明らかに挑発的だった。まるで『冗談だよ』と笑いながら、ナイフを差し出すような、いやらしい親切さ。


「お前ら、俺に喧嘩売ってんのか?」


 ジークが目を細め、低く唸るように言った。拳をゆっくりと握るその動きに、獣の影が揺れる。

 ナツキの仲間の神官がすっと身構えるが、青年は手で制した。


「いやいや、驚いただけさ。だって、鱗に(つの)に牙に尻尾までついてる。どこの絵本から出てきたんだって話だろ?」


 その言葉に、周囲の冒険者たちがくすくすと笑う。


「くだらない」


 クラウスが低く呟いた。前へ一歩、静かに進み出る。


「血統や姿形(すがたかたち)で価値を測るのは、知性の怠慢だ。君の世界では違うのかもしれないが、少なくともここでは、そうじゃない」


 ナツキの視線がぴたりとクラウスに向けられた。


「へぇ、哲学者か? ……いや、魔術師ってやつか?」


「いや、ただの神秘学者だよ。幻想より、構造に興味がある」


「逆にムカつくな」


 ナツキの手が動く。抜刀ではない。軽く指を振ったその動作に、魔力の前兆が宿っていた。風が一つ、横から吹き抜けた。リナリアが、気配もなく二人の間に割って入る。


「やめて」


 その声は静かだった。その目には底冷えするような光が宿っていた。


「ここは、あなたの世界じゃない。私たちの戦いの場でもないわ」


 ナツキはほんの一瞬だけ、その視線にたじろいだ。そして、口元を歪めるように笑った。


「……面白い連中だな」


 そう言い残して、彼は仲間たちと共に広場の喧騒の中へと消えていった。その背中を見送る群衆の目には、畏敬と不安が入り混じっていた。

 張り詰めた空気が解けると、すぐに別のざわめきが広場を満たした。


「冒険者募集!亡者の谷の調査に行ける者、三日後に北門集合!」


 役人(ふう)の男が巻物を掲げて叫ぶ。あちこちで同じような声が飛び交い、掲示板には《王国軍指定依頼》と記された紙が所狭しと貼られていた。


「なんだか、騒がしいな」


 ジークが鼻を鳴らすと、クラウスが眉を寄せる。


「聞いたことがある。転生者と呼ばれる異邦人だ。異世界から召喚された存在。召喚されるときに特殊な能力を授かるらしい。ある種の象徴として重宝されているそうだ」


「だから、こっちの世界に来て、好き勝手やってりゃ、英雄気取りもできるわけだ」


 人混みの中で、ふと風の音だけが大きくなった気がした。リナリアは広場を歩くひときわ派手な連中を見やる。その視線が、ある一群に釘づけになった。白いローブ。(ひたい)に草木の印を刻んだ者たち。民族衣装とも宗教服ともつかぬその装束は、見覚えがある。リナリアの育った星霧(せいむ)の森の里において、祭儀のときだけ纏う、あの衣装。

 広場に静寂が訪れる。

 その一団。白いローブに身を包んだエルフのドルイド信仰の信徒たちが、まるで風に乗る影のように進み出る。転生者たちの間を割るように、迷いなく歩むその列に、誰一人として道を阻む者はいなかった。

 ナツキ・ハルヤ――先ほどジークの前に立った黒剣の英雄が、半ば戸惑いながらも足を止めた。集団の先頭に立つ、葉冠を頂いた青年が彼に近づく。


「汝、汚れし(こえ)をもって、聖霊の化身に逆らいしこと。今ここに、その悔い改めを、天と土と火と水に捧げる覚悟はあるか」


 言葉の意味が理解できないまま、ナツキ・ハルヤはあやふやに首を傾げた。青年の掌がそっと胸に触れる。

 空気が、沈む。

 ナツキ・ハルヤの表情が、不思議なほど安らぎに満ちていく。抵抗もない。ただ、そのまま、膝をついた。頭を()れ、地に伏す――そして、もう動かない。

 誰かが叫ぶ。ただ、信徒たちは淡々と祈りの言葉を紡ぎ、倒れたナツキ・ハルヤの背にそっと白い花弁を一枚一枚、置いていく。静かに、丁寧に。


「汝の魂よ、還るべき枝へ。いま一度、巡りの環の中に」


 青年が最後にそう囁いた時、広場にはひとつの風が吹いた。花弁が舞い、静かに彼の体を包み隠すように広がる。信徒たちはそれ以上何も言わず、リナリアの前で再び一礼をする。誰もが、まるで王の前に跪くかのように、その(ひたい)を深く地に伏せた。


「銀樹の聖域の子よ……選び直しの時が近い。すべては風と木々の導きのままに」


 青年は一礼し、合図を送ると、後ろの者たちが地にひざをつき、花びらの入った布を広げる。リナリアの足元に、それを撒くようにして敬意を示した。

 そして――静かに立ち去っていく。辺りには一言も残さず、ただ、地に舞い散った花だけが残された。

 ルミナがそっとその花を拾う。


「これ……山百合の花びらだわ」


 リナリアは何も答えず、ただ遠ざかる彼らの背中を見ていた。道行く者はただ立ち尽くし、声を失ったまま、その後ろ姿を見送るだけ。

 リナリアは動けない。何かが自分を見ている気がした――自分の内側までも。目の前で起きたことの意味を、理解するにはあまりに多くの要素が絡み合っていた。ただ――ひとつ確かなのは、彼女自身が、否応なく『選ばれた者』として、既に多くの目に映っていたということだった。


 — 第三章終 —

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