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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第三章 風の眠らぬ国で

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第四十七話 召喚士の名はエルガ・ヴァルト

 突如、空が陰り、リナリアたちの頭上に影が落ちた。光の粒が消えたように世界が静まり返る。何かが空を遮ったのだと理解したときには、周囲の草木がわずかに揺れていた。

 ジークが顔をしかめて空を見上げる。視線の先には、音もなく、まるで夜そのものが降りてきたような巨大な飛空艇が浮かんでいた。漆黒の船体に浮かぶ帝国の紋章が、光の中で鈍く輝く。それは戦争の記憶を思い出させる重苦(おもくる)しさを含みながら、目撃者たちの呼吸すら支配する存在感を放っていた。


「クラウス、隠れるぞ!」


 ジークはペンを走らせて夢中になっているクラウスの背を強引に引っ張る。


「待ってくれ、あの接合構造は今までに見たことが――」


 クラウスが抵抗するように言うが、ジークは容赦なく草陰へと引きずり込んだ。


「あとでスケッチしてくれ。今は見つかる方が面倒だ」


 リナリアもすぐに身を低くし、三人とルミナは静かに遺跡の隅の草陰に身を潜めた。背中越しに大地の鼓動が伝わってくる。飛空艇の下部が開き、幾人かの兵士たちが整然と降下していく。そして、その中央に立つ一人の女性の姿が、ゆっくりと地面に降り立った。

 女性が地に足をつけると、まるで風がひとつ息を止めたかのよう。空気は薄く硬くなり、肌の表面に見えない膜が張られたような違和感が立ち上がる。静寂のなか、波紋のような緊張だけが足元から広がっていく。

 彼女の纏う衣は深い墨色。縫い込まれた銀糸が淡い光を孕みながら形を変え、見る角度によって古代文字のようにも見えた。装飾ではなく、構造の一部。あるいは、視る者の理解を試す結界。髪はしなやかに重く、光の反射を拒むかのように艶を吸い込み、なぜか微風にもなびかず、空間の意志に従って静かに揺れていた。

 目線が定まっていない。だがそれは、焦点が合っていないのではなく、焦点そのものを否定しているようだ。目の前のものを見ているようで見ていない。全体を、あるいは過去と未来を一括して把握する視野。それを受けた者は、対象として視られることの居心地の悪さに、一歩下がらずにはいられない。

 冷たい。けれど氷ではない。知性に裏打ちされた構造体のように、感情のノイズをすべて除いた響きが彼女の存在には宿っていた。


「……エルガ・ヴァルトか」


 クラウスの声は呟きではなかった。低く、乾いた空気を震わせるような、それでいて言葉というより、記憶の隙間から漏れた音だった。彼の眼鏡の(ふち)がわずかに光り、その眼差しに宿るのは、学者としての恐れと、渇いた期待だった。


「……本当に、彼女が来たのか……」


 クラウスは眼鏡の縁を押し上げ、呟きというにはあまりに確かな声でその名を口にした。視線の先にあるのは、テントへと歩を進める黒衣の背。彼の顔に宿るのは、驚きと興奮が混ざりあった複雑な色。


「知ってる。あの人を知らない帝国の学者はいない。彼女は、召喚術(しょうかんじゅつ)の枠組みそのものを塗り替えた。術式の理論構造を解体して、再構築して……あのゴーレム、あれも彼女が生んだ系統のはずだ」


 語るほどに、クラウスの声には言葉の輪郭が鋭くなる。抑えようのない熱が、慎重な理知をゆっくりと突き破っていく。


「彼女には、指揮系統も、報告義務もない。必要なのは、現場に『いる』という事実だけだ。あの人が動いたというだけで、帝国の重心がひとつ、こっちへ傾く。それほどの存在なんだ……」


 語尾は低く沈んだが、声の芯には震えがあった。畏怖と、知識への渇望。それはクラウスという存在を貫く原動力に近いもの。

 エルガは周囲の兵士に最小限の言葉で指示を飛ばし、振り返ることもなく遺跡前の(しゅ)テントへと向かっていく。その足取りに迷いはなく、振る舞いには一切の演技がなかった。彼女の歩く道は、まるで最初から存在していた既定の線であるかのようにリナリアは感じた。

 魔導士たちは彼女が通ると同時に、整然と敬礼を交わし、誰もがその背を見送ることしかできない。時間の流れすら制御されたような、静けさと緊張が、瞬間ごとに周囲の温度を変えていく。

 リナリアたちは草陰からその様子を見ていた。

 クラウスの語る偉大さがどれほどのものか、リナリアには正直、よく分からない。帝国の魔導士について深く知っているわけでも、術式の複雑さを理解しているわけでもない。けれど――


「ルミナ……あの人、どう思う?」


 リナリアが呟くように尋ねると、ルミナは、ゆっくりと首を傾けた。耳がわずかに揺れる。


「重いものを持ってる人だと思う。目の奥に終わらせる力を飼ってる。……でも、誰もそれを見ようとしない。彼女自身も、たぶんもう、見てない」


 その声は、風よりも小さく、それでいて火よりもはっきりと、リナリアの胸に届いた。彼女の言葉には、形にならない真実がいつも滲んでいる。

 エルガの姿が(しゅ)テントの幕の中へと吸い込まれていく。漆黒の影が光に溶けて見えなくなるまで、リナリアはその後ろ姿を目で追っていた。心の奥で何かが静かに鳴る。それは言葉にならない予感、もしくは世界が向きを変えるかすかな兆しのようなもの。彼女が背筋を伸ばしたのは、その微かな気配を、どこかで感じ取っていたからだ。

 世界の音がいったん遠ざかる。風も、足音も、さざめきも、耳の外へ流れていく。リナリアはその静けさに、ただ囚われていた。


「お前たち、何者だ!」


 背後から、鋭い声が地を裂くように届いた。四人は反射的に振り返る。帝国兵が剣を抜き、鋭い視線でこちらを見据えていた。


「隠れているつもりか? 無駄なことを」


 背後から放たれた声は鋭くも冷静で、(けん)の刃ではなく命令そのもののように響く。リナリアたちが振り返ると、帝国兵が三人、半円を描くように立つ。そのうちのひとりが、静かに前へ出た。


「――エルガ様より通達がある。草陰に潜む旅人たちを迎え入れよと。すでに察知されている。従う以外の選択肢はない」


 その言葉には、強圧的な暴力も、荒々しい怒声もなかった。ただ、すでに決められていたことを淡々と確認する口調。逆らうことすら想定されていない、完璧な掌握の声。

 リナリアはその場に立ち尽くしたまま、ほんのわずかに息を吸った。彼女の目には、いま、遠くのテントに入っていったあの女の影がぼんやりと重なっていた。


 ――どうして、気づいたの?


 それは魔法の感知でも、気配の探知でもない。理屈が通らないのに、どうしてか「知っていた」としか言いようのないもの。あの女は、見ていた。けれど、こちらを見ているわけではなく……もっとずっと遠く、何かの位置を確かめるみたいに。世界そのものに、印を打つような目。

 善とか、正しさとか、そういうのじゃない。要るか、要らないか。それだけで判断されてる気がした。リナリアは喉の奥に、形にならないものを飲み込んだ。


「リナリア……どうする?」


 クラウスの声が低く届いた。ジークは剣に手をかけている。けれど、それは形だけの抵抗だと分かっていた。リナリアはそっと首を振る。


「行くよ。だって……たぶん、もう始まってるから」


 その言葉が自分でも何を意味しているのかは、まだ分からない。ただ、風が吹いていた。草が揺れていた。目の前のテントの奥で、何かが待っている。そこに踏み込まなければ、きっと、もう進めない。そんな予感だけが、やけに確かに感じられた。

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