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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第二章 魔法学校の神秘学者
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第三十四話 母の導き

 クラウスは、ゆっくりと本を閉じた。指先に残る革の質感は、まるで長い時を超えて待ち続けていたかのように静かで重い。この知識は、いまだ誰の目にも触れずにいた——まるで『選ばれる者を待つ本』のように。彼は慎重に二冊の本を揃え、リナリアの前に差し出した。


「ありがとう。とても貴重なものを読ませてもらった」


 リナリアは彼の手元に視線を落とし、迷うような仕草を見せたあと、静かに本を受け取った。


「どう?」


 クラウスは少し考えてから答える。


「……理論は興味深い。魔法と魂、そして意識の関係を再定義するという視点は、これまでの魔法学の枠を超えている」


 指先で机の端を軽く叩きながら、彼は思考をまとめるように言葉を紡いだ。


「ただ……俺にとってこれは、単なる学問の話ではない」


「どういう意味?」


 クラウスは、一瞬だけ遠くを見るような表情をしたあと、静かに語り始めた。


「俺の父は学者だった。神秘学を研究し、特に……アンデッドに執着していた」


 クラウスは言葉を切る。まるで、それを口にすることで過去が現実のものになるのを恐れているように。


「——そして、ある日を境に、姿を消した」


 リナリアの表情がわずかに硬くなる。クラウスはそれに気づいたが、気にする素振りもなく続けた。


「ヴェルンハイム共和国。俺がかつて暮らしていた国だ。帝国の東方に位置する小さな学術都市国家。あの国は……もうない。アンデッドの襲撃によって滅びた」


 リナリアは小さく息をのんだ。


「……アンデッドが?」


 クラウスは頷いた。


「父は、俺が幼いころから何度も故郷へ戻り、研究を続けていた。あの国が滅んだあとも、廃墟と化した土地に踏み入り、何かを探していた。彼は、アンデッドの発生が偶然ではないと考えていたんだ」


 彼の声は淡々としていたが、どこか遠い記憶をなぞるような響きを持っていた。


「最後の遠征……それきり、父は戻らなかった。俺の手元には、彼が残した膨大な研究資料だけが残っている。彼が何を求めていたのか、それを確かめるために、俺は研究を続けている」


 リナリアは静かに聞いていた。クラウスがここまで語るのは、おそらく初めてのことだろう。


「それだけじゃない」


 クラウスは、短く息を吐く。机に置いた指先にわずかに力がこもる。


「俺の母もまた……アンデッドになった」


 リナリアの指がかすかに震える。だが、クラウスは表情を変えず、静かに続けた。


「俺が最後に母を見たのは、ヴェルンハイムの炎の中。彼女が……どうなったのかは、わからない。ただ、父はずっと何かを追っていた。そして、研究記録には、アンデッドの観察記録が膨大に残されている。その中に、どこか意識を持っているような記述があった」


 リナリアは唇を噛みしめた。母フェリオラが『魂の再構築』を研究していた。だからこそ、クラウスの話が他人事には思えなかった。


「アンデッドは、ただの動く死体じゃない。少なくとも、俺の父はそう考えていた。彼らは何かを求めている。何かを探しているように見えた。だが、それが何なのかはわからない」


 クラウスはふと、リナリアの手元に視線を向ける。彼女が持つ本——フェリオラの研究書には、『魔法による魂の再構築』についての仮説が記されていた。それが本当に可能なのだとしたら——アンデッドの魂は、魔法によって再び形を成すことができるのではないか?クラウスは静かに息を吐く。


「……もし、魂を魔法で再構築できるのなら。もし、意識が完全に失われたわけじゃないのなら……アンデッドは、本当に死んでいるといえるのか?」


 リナリアは言葉を失ったまま、じっとクラウスを見つめていた。図書館の喧騒は変わらない。二人の間に流れる空気は、まるで別の次元にいるかのように(しずか)


「……魂は、本当に失われるのかしら」


 リナリアの言葉は、まるで自問するかのように小さく響いた。クラウスは彼女の言葉を反芻しながら、もう一度本に視線を落とした。この本に書かれていることは、単なる理論ではないのかもしれない。もしかすると、フェリオラはすでに何かを見つけていたのではないか——。クラウスの中で、一つの問いが新たに生まれつつあった。——アンデッドとは、本当に「死者」なのか?


 ᛃ


 試験前の図書館は、いつもより騒がしい。学生たちの筆記の音、教科書をめくる音、時折交わされる小さな囁き声——。けれど、リナリアの耳には、何一つ届いていなかった。


「俺の父は学者だった。アンデッドの研究に執着し、やがて失踪した」


 クラウスの言葉が、まるで深い水の中で反響するように、頭の中で何度も繰り返される。彼の視線、彼の声の調子、そのすべてが、自分が知るある人物と重なっていた。


 ——フェリオラ・ウィンスレット。


 リナリアの母であり、この世界で唯一、「魔法から魂を再構築する」ことに挑んだ人物。彼の語る父の姿勢。亡き母への執着。過去に囚われ、答えを求め続ける姿勢——それは、あまりにも母に似すぎていた。

 そして、リナリア自身もまた、同じ穴に落ちている。彼女はそっと本を抱きしめる。クラウスが開いたページには、フェリオラが書き残した『魂と魔法の理論』が記されていた。魂は魔法の作用によって形成され、ある(しゅ)の条件下ではそれを再構築することができる——。


 「……もし、魂を魔法で再構築できるのなら。もし、意識が完全に失われたわけじゃないのなら……アンデッドは、本当に死んでいるといえるのか?」


 クラウスの問いが、リナリアの胸を締め付けた。彼はまだ知らない。この理論を追求した結果、何が起こったのかを。彼はまだ知らない。アンデッドの中心にいたのが誰なのかを。リナリアは、唇を噛みしめた。母フェリオラ——。彼女は、この理論を試そうとした。その果てに彼女が成したのは——。

 リナリアの記憶にははっきりと刻まれている。今からだとおよそ三百年前になる。あの夜の月は異様に大きく、蒼白い光が街を包み込んでいた。まるで、世界が終わる瞬間を見届けるために、月が見下ろしているような——そんな夜。リナリアは、自宅の書庫で母と父とともにいた。母は机の上に数冊の古文書を広げ、静かに筆を走らせていた。


 「リナリア、少し静かにしていてくれるかしら」


 そのときの母の声を、リナリアは今でも覚えている。いつもと同じ優しい声。でも、彼女の目はどこか遠くを見つめていた——。

 リナリアは、思わず肩を抱きしめるように腕を組む。あの夜、何が起こったのかを、彼女は誰にも話していない。フェリオラの実験——死の精霊との接触。その暴走によって、魔法と魂の均衡が崩れた。そして、それがアンデッドの暴走を引き起こした。母は何かを試そうとしていた。そして、父ノクティスも……。

 あの夜、何が起こったのか。私は、いまだにすべてを知っているわけではない。フェリオラが残した理論は、正しかったのかもしれない。それを実証する過程で、彼女は(せい)と死の境界を壊してしまった。そして、それから三百年——。

 あの夜に生まれた異変は、静かに世界を蝕み続け、一つの国を滅ぼすまでになった。ヴェルンハイム共和国——クラウスが生まれた国。それが、三百年前の実験によって崩れた均衡の影響で滅びたのだとしたら?そして、いま目の前にいるクラウスは、その被害者なのだとしたら?彼の母も、またアンデッドとなった——そう告げられたとき、リナリアはひどく胸を締め付けられた。

 彼の過去の悲劇の根源に、母フェリオラがいた。いや、それだけじゃない。リナリア自身も——あの夜の当事者になる。クラウスはまだ、何も知らない。フェリオラの名を知っていても、彼女の正体までは知らない。彼の父が失踪した理由も、母がアンデッドになった経緯も、すべての真相はまだ霧の中にある。

 リナリアは、本をそっと見る。フェリオラの名が刻まれた表紙を、ゆっくりと指でなぞる。もし、このままクラウスが研究を進めていけば、いずれ彼はすべてを知ることになるだろう。——そのとき、彼はどうする?

 この世界に生きるすべての者にとって、アンデッドは災厄だ。それを生み出したのが、リナリアの母フェリオラであると知ったとき、クラウスは何を思うのか。リナリアは、小さく息をついた。彼の研究は、真実へと向かう道なのかもしれない。けれど、それは同時に復讐へと繋がる道でもある。——もし、クラウスがフェリオラにたどり着いたとき。もし、彼がアンデッドを生み出した者を知ったとき。彼は、自分の母を滅ぼした相手を、許すことができるのか。

 リナリアは、答えのない問いを抱えたまま、静かに目を閉じた。試験前の図書館は、変わらずざわめきに包まれていた。けれど、リナリアの心は、冷たい夜の記憶に引き戻されていた——。


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