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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第二章 魔法学校の神秘学者

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第三十話 囁かれぬ探求の気配

 クラウスは静寂の中でペンを走らせていた。帝国魔法学校の図書館は、知識と沈黙が交錯する場所だ。ここでは声を潜めることが暗黙の了解であり、思索の妨げとなる雑音は排除される。それが心地よかった。規則正しくノートに綴られる文字、古びた羊皮紙をめくる感触、灯火の淡い揺らめき——。そのすべてが、思考の渦に沈むための儀式。

 机の上には、擦り切れた背表紙の魔導書が幾冊も積まれている。時間の重みを吸い込んだそれらは、かつて誰かが必死に読み解こうとした痕跡を残しながらも、未だ解答を示すことなく沈黙を守り続けていた。その頁をめくりながら、クラウスはペン先を止め、わずかに眉を寄せる。


 ――魂の断絶とは、完全な消滅なのか。それとも、断片としてこの世界に残り続けるのか。


 問いは、答えを待つことなく頁の上に沈む。クラウスは(ひたい)を押さえ、目を閉じた。思考を続けるほどに、過去が影を落とす。父の残した研究——。異端とされたその理論を、彼は未だに手放せずにいた。ふと、視界の端に霞み染めた桃花の光が揺れた。書架の隙間、決まった場所に座る少女。その髪は柔らかに灯を反射し、静かな波のように揺れていた。


 ――また、来ているのか。


 もう何日目になるだろう。彼女は昼も夜も、同じ席に座り、ひたすら書物を読んでいる。学生ではない。だが、図書館にいる誰よりも真剣な眼差しで頁を追い、その指先は慎重に文字をなぞる。それは学者の研究とは異なる。分析ではなく、確かめるような仕草。

 魔導への階梯。彼女が開くその本の題名は、昨日も、一昨日も変わらない。誰が書いたものなのか。どのような理論が綴られているのか。クラウスは知らなかった。ただ、読んでいる彼女の表情には、迷いがあった。まるで、そこに書かれた言葉が、期待とは違うものだったかのように。何を求めているのか。何を追いかけているのか。彼は知的好奇心から彼女を見ていたのではない。ただ、この図書館にいる者たちの中で、彼女だけが異質だったのだ。そして昨日——彼女は声をかけてきた。


「アンデッドに関する研究、ですか?」


 沈黙を破る、静かな問い。クラウスは、その一言が妙に耳に残っていた。帝国の魔法学では、死者の研究はあまり公には語られない。それを知っていながら、彼女は迷うことなく口にした。まるで、それが彼女にとって特別なものだと言わんばかりに。


 ――彼女も、何かを探しているのか。


 それが何なのか、クラウスにはわからなかった。ただ、彼は知らず知らずのうちに、彼女の存在を気にしていた。ノートに視線を戻す。けれど、思考の片隅に、彼女の姿が焼き付いている。この数日、クラウスは彼女を観察していた。それは好奇心というより、警戒に近いものだったのかもしれない。

 彼女の視線は、本の向こうにある何かを見ているよう。記された文字を解読しようとしているのではない。その意味を、過去の残響の中に探しているように見えた。時折、本を閉じたまま指先で表紙をなぞる。まるで、そこに触れることで、何かを確かめるように——誰かの遺した言葉に触れようとするかのように。

 クラウスは、ふとペンを置いた。研究の妨げになるほど気にしているなら、いっそ直接聞いたほうがいいのではないか。だが、そんな必要はない。彼女は彼の研究に興味があるわけではない。ただ、偶然その言葉に引かれただけなのだろう。彼は静かに息を吐く。その時。リナリアが、不意に顔を上げた。


 ――目が合った。


 わずかに驚いた表情。けれど、すぐに目をそらし、本へと視線を戻す。その動作は、あまりにも拙く、迷いを含んでいた。クラウスはゆっくりとノートを閉じる。彼女が探しているもの。それを知ることに、意味はあるのだろうか。


 ――考えすぎだ。


 彼女は、ただの一読者。自分とは関係のない存在。そう、思っていたはず。だが、彼女が何日もここへ通い続けていることを、気にしてしまっているのは、他でもない自分自身。クラウスはもう一度、彼女の姿を視界の隅に捉えながら、静かにペンを取る。図書館の静寂の中に、二つの探求が交差する。それは、知識の共有ではない。ただ、同じ場所に存在するもの同士が、互いに意識の片隅に留まる、そんな瞬間。



 リナリアは、本の頁をめくる手を止めた。今、目が合った。何気ない偶然——そう思おうとした。けれど、それにしては彼の視線は妙に鋭く、探るような気配を帯びていた。まるで、彼女が何者なのかを見極めようとするかのように。その瞳の奥には、冷静な思考の光が宿っていたが、それが何を意味するのか、リナリアにはわからなかった。

 彼は、いつもそこにいる。ローゼン帝国魔法学校の図書館に通い始めて数日が経つ。その(あいだ)、彼は一度たりともその席を離れることなく、ひたすら書物を読み、ペンを走らせていた。彼の周囲には常に古びた魔導書が積まれ、そのどれもが使い込まれた跡を持つ。眼鏡越しに書物を睨むように見つめ、静かに記録を続ける姿は、まるでこの図書館の一部になったかのよう。


 ——何を研究しているのだろう。


 彼の手元にある本の背表紙を、遠目にちらりと盗み見る。文字は擦り切れ、判読が難しい。だが、その厚みや装丁の古さから、ただの学術書ではなく、より深い領域に触れた書物であることは見て取れた。昨日のことが蘇る。


「……アンデッドに関する研究、ですか?」


 昨日、ふと口にしてしまったその問いは、彼をわずかに動揺させたようだった。彼は驚いたように視線を上げ、慎重に言葉を選ぶような間を置いた後、「君は?」と問い返した。その時の彼の目には、純粋な疑問だけでなく、一種の警戒心のようなものがあった。

 なぜ?アンデッドの研究をしていることを、隠さなければならない理由があるのだろうか。リナリアは視線を戻し、そっと本の表紙を撫でる。『魔導への階梯』——お母さんが遺した書物。その文字は今も彼女には届かない。頁をめくるたびに、新たな概念が現れ、それが何を意味するのかを問いかけるように迫ってくる。


 ——この先に、お母さんの答えがある。


 そう思いながらも、その扉は容易に開かれない。もどかしさが胸の奥に澱のように沈み、指先にじわりと焦燥が滲む。どうしてもわからない部分がある。母が記した言葉のうち、いくつかの理論が、リナリアにはまだ理解できなかった。もし、あの青年なら——彼なら、わかるだろうか?そう考えた瞬間、リナリアは小さく息を呑んだ。彼に聞く? なぜ?


 ——いや、違う。ただ、あの人の研究が、お母さんの書いたことと関係している気がするだけ。


 お母さんは、魂の本質について研究していた。そして彼もまた、魂の断絶や意識の痕跡を追っている。もし、この本の中に書かれたことが、彼の研究と交わる部分があるとしたら——?その可能性に思い至った途端、彼女の中で膨らんでいた疑問が、彼へと向かうべき形を持ち始める。それはただの推測にすぎない。彼が本当にこの内容を理解できる保証はないし、そもそも、彼に話しかける理由がない。

 リナリアはそっと息を吐く。考えすぎだ。私はただ、この本を読んで、お母さんの足跡を辿るだけ——。そう思えば思うほど、意識の端に彼の気配が留まり続ける。机の向こうでは、クラウスが静かに筆を動かしていた。一定のリズムでノートに記される文字の音が、書架の影にゆっくりと溶けていく。その気配が、めくる頁の間から微かに滲む。リナリアは、そっと視線を上げる。彼は変わらず、本に向かい続けていた。その横顔には、どこか彼自身にも理解できない問いが宿っているように見えた。


 ——彼もまた、何かを探しているのではないか。


 リナリアは、本の頁を静かに閉じる。この静寂の中で、彼女の中に生まれた問いと、彼が追い求める答えが、どこかで交差しているような気がした。

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