第二十七話 母が歩んだ地
ジークが道を先導しながら、三人は帝都の喧騒を抜けていった。大通りを外れ、入り組んだ裏道を進むと、建物の装飾や街の雰囲気が少しずつ変わっていく。帝都の中心部の整然とした美しさとは異なり、ここには賑やかで活気のある空間が広がっていた。
屋根が低く、どこか暖かみのある建物が立ち並び、行き交う者たちは皆、長い耳を揺らしたり、しっぽを弾ませたりしている。リナリアはふと、自分がこの場に馴染んでいないことを意識した。
——ここにいるのは、ほとんどが獣人。
肩を寄せ合い、陽気に談笑し、気楽に食事をとる彼らの様子は、まるで一つの小さな世界を形作っている。街の中心部とはまるで違う、彼らのための空間。そんな中で、ルミナは何の戸惑いもなく歩いていた。その仕草は、ごく自然で、まるでここに暮らしているかのよう。
リナリアは思わず足を止めた。この空間に溶け込めていないのは、自分だけなのではないか。ふと、周囲の視線を感じる。獣人たちは、珍しいものを見るようにリナリアを見つめていた。人間であるということ。これまで当たり前だったその事実が、今は妙に際立って感じられた。
「ここだ」
ジークが足を止めたのは、一軒の宿。石造りのしっかりした建物で、入り口には小さなランプが灯されている。看板には簡素な文字で「旅籠」と書かれていた。
「前に帝都に来た時、ここに泊まった。獣人が経営してる宿だ。辺境から来る者もよく利用してるから、偏見なく泊まれる」
ジークの言葉通り、宿の中に入るとすぐに、活気のある獣人たちの声が飛び交っていた。狼や狐の耳を持つ者、虎のようにがっしりした体躯の者、どこか猫のようにしなやかな者——そこにはさまざまな種族の獣人が集っていた。
「おお、ジークじゃねぇか!」
宿の主人らしき男がカウンターの向こうから手を振った。熊獣人。
「また来たのか‼ そっちの嬢ちゃんたちは?」
「連れだ。二部屋あるか?」
「ああ、もちろんだ。今日は混んでるが、お前らの分はあるさ」
リナリアとルミナが荷物を下ろしていると、まわりの獣人たちの視線がふと彼女たちに向いた。
「……人間?」
ふいに、狼の耳をもつ半獣人の女が、リナリアをじっと見つめた。リナリアは一瞬、どう答えるべきか迷った。
「ええ、辺境から来たの」
女は少し驚いたように目を細め、カウンターの奥にいる宿の主人に目を向ける。周囲の獣人たちの会話が、微かに止まった。リナリアはそっと息を吐いた。帝都では、獣人が蔑まれることもあると聞いていた。だが、ここではその逆。人間である自分が「少数派」なのだと、初めて実感した。リナリアは、じっと見つめられることに、居心地の悪さを感じながらも、ルミナの隣へと腰を下ろした。
翌朝、リナリアたちは宿の受付で学園の場所を尋ねた。
「ローゼン帝国魔法学校なら、汽車で行くといいです。ここの駅から六駅になります」
「汽車……!」
リナリアは思わず声を上げた。汽車に乗るのは、これが初めて。駅は思ったよりも混雑していた。プラットホームには帝国の制服を着た学生や商人が行き交い、貨物車両には大量の荷物が積み込まれている。やがて、遠くで汽笛が鳴り響いた。重々しい音を響かせながら、黒い鋼鉄の車体がゆっくりとホームに滑り込んでくる。
「こんなに大きなものが……本当に動くの?」
リナリアは、目を見開いてその巨大な機械を見上げた。客車に乗り込むと、室内は思ったよりも広かった。椅子はしっかりとした革張りで、窓からは帝都の街並みが流れていくのが見える。ごうん、ごうん、と心地よい振動が響く。
リナリアは窓辺の席に座り、静かに外を見つめた。帝都の建物は、どこまでも続く石造りの並び。尖塔を抱いた教会、赤煉瓦の商館、鋼鉄の装飾が施された高層の塔。交差する街路には、荷馬車や人々がひしめき、行き交う姿がひとつの流れのように揺れている。
線路沿いには市場が広がり、果物を並べる露店の間を、商人や買い物客が忙しなく歩いていた。リナリアは、そっと手を窓枠に添えた。風が、流れていく。陽の光が鉄と石の街を照らし、時折、汽車の窓に柔らかな反射を落とす。私、本当に帝都にいるんだ……
そう思うと、胸の奥にじわりとした感覚が広がる。旅をしている実感が、ようやく形を成してきた気がした。汽車を降りると、そこには巨大な学園の門が広がっていた。
「ローゼン帝国魔法学校……」
世界最高峰の魔法学園にふさわしい格式のある建物は、門は開かれており誰でも入ることができるようになっていた。中へ足を踏み入れると、広大な中庭が広がる。整えられた芝生と美しい石畳。風に揺れる木々の葉が穏やかな影を作り、ベンチでは学生たちが談笑しながら魔導書を広げている。散歩途中の老人、鳥のさえずり、魔法の杖を片手に議論を交わす学者らしき男たち——そこには知を探求する者たちが集う独特の空気が漂っていた。
「……ここで、母とエリオーネが学んでいたのね」
リナリアは足元の石畳を見つめた。この場所に、あの二人の足跡が残っているのだろうか? そんなことを思いながら目を上げたとき、中庭の中央に立つ石像が目に入った。
それは、長いローブを纏い、威厳に満ちた表情の男の像。その人物が握る杖の先は天を指し、もう片方の手は開かれ、何かを授けるような仕草をしている。リナリアが見上げていると、近くを歩いていた老紳士がゆっくりと足を止めた。
「その像に見入るとは、君も魔法に興味があるのかね?」
彼の柔らかな笑みには、知識への敬意と誇りが滲んでいた。
「これは、この学園の創設者にして、かつて帝国に仕えた大賢者エーリクの像だよ」
「大賢者エーリク……?」
リナリアはその名を繰り返した。老紳士は満足げに頷くと、懐かしそうに続けた。
「エーリクは、かつて魔王を討伐した英雄の一人でもあった。この学園は彼の手によって築かれ、知の探求の場となったのだよ」
「英雄……」
リナリアは石像を見つめる。その表情には、学問を追い求めた者の静かな誇りが刻まれている。
「彼は最終的にこの学園を去り、時の塔へと旅立ったと言われている」
「時の塔……?」
リナリアは一瞬だけ、その響きに心が引かれた。しかし、それよりも今、彼女には確かめたいことがあった。
「……あの、昔ここの生徒だった人について調べたいのですが、それは可能でしょうか?」
リナリアの突然の問いに、老紳士は少し驚いたように目を細めた。
「ここの卒業生なら、学園の図書館に記録が残っているはずだよ」
「学園の図書館……!」
リナリアの目が輝く。老紳士はもっと賢者エーリクの話を続けたそうだったが、リナリアは「ありがとうございます!」と礼を言うや否や、足早にその場を離れてしまった。老紳士は肩をすくめる。
「最近の若い者はせっかちだな……」
「悪いな、あいつは気になったら一直線なんでな」
ジークが軽く肩をすくめた。老紳士は納得したように頷く。
「それはそれでいいことだ。知を求める情熱は大切だからね」
「話の続き、聞かせてもらおうか?」
ジークが腕を組むと、老紳士は喜んだように微笑んだ。一方で、ルミナはリナリアが走り去った方向を見つめ、躊躇いがちにジークと老紳士を見比べた。もっと話を聞きたかったが、リナリアを放ってはおけない。ルミナは軽く会釈をして、そのままリナリアの後を追った。




