第二十五話 帝都への道
関所を抜けると、整備された石畳の道が続いていた。雨は降り続いていたが、ぬかるんだ道よりは格段に歩きやすい。街道の両脇には丘陵地帯が広がり、ところどころに農村が点在している。遠くには、小さな灯りがぼんやりと滲んでいた。
リナリアたちが先へ進もうとしたとき、大きな荷馬車の車輪が石畳を軋ませながら近づいてきた。幌の隙間から顔を覗かせたのは、がっしりとした体格の中年の男だった。旅慣れた風格を持ち、鍛えられた腕が印象的だ。
「おい、そこの旅人さん。さっきの関所でのやりとり、見てたぜ」
彼の隣には、商隊の仲間らしき者たちがいた。幌の中から数人の男女が興味深そうにこちらを見つめている。
「東の果てから来たって言ってたな。どんなところか、話を聞かせてもらえないか?」
ジークは軽く顎を撫で、目を細める。
「へぇ……俺に興味があるってわけか?」
「まぁな。商隊ってのは、常に新しい話を求めてるもんだ。それに、あんたらはただの旅人には見えねぇ」
男がそう言うと、他の商人たちも笑いながら頷いた。
「俺たちは交易商人の一行だ。これから帝都エルゼグラードに向かうところだが、よければ一緒にどうだ? こんな雨の中を歩くよりは楽だろう」
リナリアとジークが視線を交わし、リナリアは頷いた。
「ありがたい申し出ね」
ジークはすぐに荷馬車のステップに足をかけ、ひょいと乗り込んだ。リナリアも後を追う。その間に、リナリアはルミナの背から荷物を下ろし、雨をしのげるように馬着をかける。ルミナの白い毛並みは雨に濡れて鈍い光を帯びていたが、馬着をかけることで目立たなくなる。四つ足のまま、大きな荷馬車の後ろを静かに歩いていた。
荷馬車が動き出し、リナリアたちは濡れた服を軽く整えながら腰を下ろした。幌の中には交易品が積まれ、座る余裕は十分にある。リナリアは周囲を見渡しながら、彼らがどんな者たちなのかを見極めようとしていた。
「それで……東の果ってのは、どんな場所なんだ?」
ロシュがジークに尋ねると、ジークは少し考え込むように目を閉じた。
「何もねぇよ。ただ広い空と荒野、それに……強い風が吹いてる。人は少ないが、そこにいるやつらはたくましい」
「ほう……」
ロシュを含め、商隊の者たちが興味深そうに耳を傾けた。
「東の果てなんて、旅商人でも滅多に行かないからな。帝国の影響も薄いんだろう?」
「まぁな。帝国の影響が及ぶのは街道が通ってる場所だけだ。大半の土地は、まだ帝国の旗が届いちゃいない」
ジークは言葉を続ける。
「けどな、東の果てには『古都』があるんだ。そこでは今でもドラゴンが崇められてる場所があってな……」
「古都?」
ロシュが興味深そうに眉を上げる。
「詳しく聞かせてくれよ。そんな場所があるなんて知らなかったぜ」
ジークは軽く笑いながら続けた。
「ああ、帝国の歴史にはほとんど記録されちゃいねぇ。けど、その土地には太古の時代から伝わる伝承があってな。帝国ができるもっと前の話、そこが世界の中心だって話さ」
「なるほど……それはドラゴン女王の伝説だろ?その都が今でもあるのか?まさか、お前はそこの出身ってことか?」
ジークは少し口を閉じ、遠くを見つめるように視線を逸らした。
「まぁ、そんなところだ。ただ……俺みたいな中途半端者には、肩身の狭い場所だったよ」
軽く肩をすくめるが、その言葉には微かに影があった。
「その点、まだこっちの方が混沌としていて救いはありそうだがな」
ロシュはジークの様子を見つめながら、しばらく黙っていた。そして、静かに呟く。
「……まだまだ知らないことがあるとはねぇ。世界は広いな」
雨は次第に小降りになり、空の向こうには薄く光が差し始めていた。馬の蹄が濡れた土を踏みしめ、荷馬車は揺れながらも着実に道を進んでいく。雨が上がると、商人たちがそれぞれの作業に戻る。リナリアは馬車の縁にもたれ、霧のかかる遠い景色を眺める。湿った風が頬をかすめ、静かに吹き抜けていく。帝都エルゼグラードへの道は、まだ続いていた。
しばらくすると、リナリアは目の前を横切る鉄道の線路に目を留めた。道の先には、小さな駅の建物が見える。
「これ……なに?」
思わず声を上げると、ロシュが驚いたように振り返った。
「おいおい、本当に帝国に来るのは初めてか?」
リナリアは思わず唇を噛む。うかつな発言をしたことに気づいた。
「私が思っていたのは……みんな魔法を使ったり、箒で飛び回ってたり……まったく想像していたのと違っていた!」
商人たちは笑った。
「まぁ、間違っちゃいないさ。線路を敷くのは帝国魔導師団の管轄だ。そのうち目にすることもあるだろう」
リナリアは、目の前に広がる未知の世界を前に、胸の奥がざわめくのを感じた。帝国はただ剣と戦争の国ではない。魔法と技術が混ざり合い、新たな力として形を成している。彼女がこれまで見てきた信仰の世界とはまるで違う。
「帝国魔導師団……」
その言葉を小さく口にすると、妙な響きがあった。魔法は神の奇跡ではなく、体系的に操るもの。術を磨き、積み上げ、国家の力として利用するもの——それが帝国のやり方なのか。
「線路を敷くのも魔法使いの仕事なんて、想像もしてなかったわ」
リナリアは半ば呆れ、半ば感心しながらそう呟いた。箒で空を飛ぶ魔法使いたちの姿を思い描いていたが、彼らは地を固め、鉄を運び、世界を造り変えることに力を注いでいる。帝国は、ただの強国ではない。そこには、彼女がまだ知らない形の「力」が息づいているのだ。その胸の高鳴りを、隣のジークがちらりと横目で見ていた。
夕暮れが近づき、一行は道沿いの小さな宿に泊まることにした。旅の疲れがじわりと足にのしかかる。リナリアは部屋に入り、濡れた外套を脱ぐと、荷物を降ろしながらゆっくりと息をついた。炉にくべられた薪がパチパチと音を立て、部屋の中を仄かに暖めている。
「思ったよりも、帝国って複雑なのね……」
ぽつりと零した言葉に、ジークは窓の外を見つめながら答えた。
「帝国は強大だが、完璧じゃないさ。力がある分、軋轢も多い。信仰も、価値観も、すべてが統一されてるわけじゃない」
リナリアは小さく頷きながら、窓の外の夜空を仰いだ。暗闇の向こうに広がる帝都エルゼグラードの光は、まだ遠くかすかだ。
「帝国って、バラバラになった人々をひとつにまとめようとしてるのかしらね」
小さく呟くように言いながら、リナリアは思案する。辺境と帝国、信仰と現実、魔法と技術——それらを力ずくでひとつにしようとするのが帝国のやり方なのかもしれない。ふと、部屋の隅に目を向けると、白く小さな影が丸くなっていた。ルミナだった。人目につかぬ場所でそっと兎の姿になり、冷え切った体をふわりとした毛の中に埋めるようにしている。彼女のかすかな寝息が、静かな夜の空気に溶けていく。
リナリアはそっと微笑み、ベッドに腰を下ろした。明日には、さらに帝都へと近づく。この旅が何をもたらすのか、それはまだ誰にもわからなかった。




