第二十二話 草原に響く竜の足音
広大な草原がどこまでも広がり、風が優しく草をなびかせていた。昼の陽射しが降り注ぎ、銀色に輝く草の海が波打っている。どこか遠くで小鳥のさえずりが響き、かすかに川のせせらぎが聞こえた。リナリアとルミナは、その景色の美しさよりも、今の状況を考えていた。
リナリアは地図を広げ、指先で現在地を探る。目印となるものがほとんどない。見渡す限りの草原。小さな丘が連なる程度で、村も道も見当たらなかった。
「ここ、どこなのかしら……?」
地図をじっと見つめながら、リナリアは呟いた。銀樹の聖域からかなり離れたのは間違いない。神殿から逃れ、ルミナの背に乗り風を切った時間を思い出す。方向は間違っていないはず。
「上から確認してみるわ」
ルミナはそう言うと、一歩後ずさり、しなやかな肢体が光に包まれた。周囲の空気がわずかに揺らぎ、金色の粒子が弾けるように広がる。毛並みが滑らかに収縮し、腕がたちまち細くなり、指先が鋭利な鉤爪へと変わっていく。瞬く間に彼女の姿は、猛禽のようなフクロウに変化した。
大きな翼を広げ、ルミナは風を切って空へ舞い上がる。青空の中へと消えるように飛び立ち、高度を上げながら周囲を見渡した。上空からは地上では見えない風景が見えてくる。南の方には細い道が続いており、その先に集落らしきものがある。帝都エルゼグラードへと続く道筋を探るために、ルミナはさらに高く舞い上がった。
そこで、遠くからゆっくりと近づいてくる人影を見つけた。ルミナは急降下し、草原へ降り立つと、すぐに人の姿へと戻る。金色の粒子が舞い、羽毛が消えていくと、いつものしなやかな女性の姿が現れる。リナリアの前に立ち、彼女を見つめた。
「誰か、こちらへ向かってきてるわ」
「人?」
リナリアは地図を畳みながらルミナの言葉に耳を傾けた。ルミナは軽く首を振る。
「ただの人じゃない。……あの歩き方、姿……人のようで、人じゃないわ」
リナリアの心に警戒の色が浮かぶ。ルミナの言葉を軽んじるわけにはいかない。彼女は魔法生物として、感覚が鋭く、危険を察知する能力に長けていた。リナリアは草むらの陰に身を潜め、近づいてくる影をじっと見つめた。
しばらくすると、ゆっくりと姿がはっきりしてくる。男の背は高く、広い肩と引き締まった筋肉を持つ。獣人のような体躯をしているが、その頭部は竜のように見えた。だが、リザードマンとは違う。鱗に覆われた肌は滑らかで、鋭く切れ長の瞳には明らかな知性が宿っていた。角が後ろへ伸び、金属のような光沢を持つ。その歩みは堂々としており、荒野に慣れた者の動き。
彼はリナリアたちの前で足を止めた。しばらく、じっと二人を見つめる。リナリアは構えたが、敵意は感じなかった。
「ここで白いドラゴンを見なかったか?」
低く落ち着いた声が響く。その問いに、リナリアとルミナが互いに視線を交わした。リナリアは身を起こしながら、慎重に言葉を選ぶ。
「あなたは、それを知ってどうするの?」
彼はふっと目を細めると、静かに答えた。
「どうもしない。ただ、気配に引かれた。それが俺の血に流れるものだからな」
「気配……?」
リナリアは改めて彼の姿を見つめた。近くで見ると、彼の鱗は薄く金を帯びており、身体からほんのわずかに魔力の揺らぎが感じられた。彼の言葉に嘘はない。
「あなた、名前は?」
「ジーク」
男はゆっくりと答えた。
「ジーク。ドラゴンの血を引く者」
「ドラゴンの血を……?」
驚きを隠せず、リナリアは瞬きをする。横でルミナがわずかに眉をひそめたが、ジークはそれ以上何も言わず、静かに彼女たちを見つめている。腕を組み、少し考え込む。敵意は感じられない。だが、ドラゴンを追ってこの地に来たというのなら、ルミナを追いかけてきたのか。慎重に微笑みながら、リナリアはゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、名乗らなきゃね。私はリナリア、そしてこちらはルミナ。私たちは帝都エルゼグラードへ向かう旅の途中よ」
「エルゼグラードに?」
ジークは少し目を細めた。その視線は静かだが、どこか探るような色があった。
「それで……ドラゴンについて知っていないか?」
リナリアは肩をすくめる。
「さあ、どうかしら。でも、私はこう見えても偉大な魔法使いなの。ドラゴンの使い魔くらい召喚できるわよ」
ジークの視線がリナリアを貫いた。彼女の言葉に、わずかに眉を上げる。
「ほう?」
「嘘と思うなら、信じなくてもいいわ。でも答えはそういうこと」
リナリアは挑むようにジークを見つめた。ジークの視線が、一瞬だけリナリアの足元に落ちた。畳んでいたはずの地図が風に煽られ、端がわずかに揺れている。
「……そうか」
彼は何かに納得したように呟き、視線を戻す。そして、微かに口元を歪める。
「だからこんな場所で地図を広げていたわけか」
リナリアはその言葉にハッとし、無意識に地図へ手を伸ばす。彼の視線を遮るように、さりげなく身体の向きを変えたが、その動きがかえって「見せたくない」という意図をはっきりと伝えてしまう。
ジークはその仕草をじっと目で追うが、それ以上何も言わなかった。ルミナはリナリアの横で、静かに彼の反応を見守っていた。彼女はまだジークを完全に信用してはいなかったが、その態度にはどこか探るような色があった。
風が草を撫で、遠くで鳥の羽ばたく音が響く。草原の静寂の中で、リナリアとジークは互いの意図を探るように、しばし沈黙のまま相手を見つめていた。




