第十四話 旅立ちの朝に
二年の時が流れた。澄みきった朝の空気に、小鳥のさえずりが響く。透き通る光が木々の間から差し込み、優しく大地を撫でる。穏やかで、変わらぬ風景。けれど、ここにいる者たちは確かに変わった。
リナリアは十八歳になった。背丈はエリオーネとほとんど変わらないほど伸び、少女だった面影はすっかり薄れ、凛とした美しさを宿していた。長く艶やかな髪はゆるやかに結ばれ、大人びた服装がその成長を象徴している。少し前までは背伸びしていた装いも、今ではすっかり彼女のものとなっていた。
ルミナはいつも彼女のそばにいた。今でも小さな兎になることはあるが、堂々たるドラゴンへと姿を変えることもできる。そして、大抵は少女の姿になり、リナリアの話し相手として彼女に寄り添っていた。精霊が寄り付かないリナリアにとって、ルミナの存在は唯一無二のもの。優しく包み込むように、静かに彼女を見守り、寄り添う存在。
今朝、リナリアは旅立ちの準備を終えた。彼女は自分のいた部屋を片付けながら、言葉にならない気持ちを抱えていた。幼い頃から過ごしたこの部屋。いつもフェレリエルと並んで眠った場所。けれど、今はただ広すぎるように感じた。
「一人で使うには、ちょっと広すぎるわね……」
フェレリエルがぽつりと呟いた。その言葉に、リナリアは小さく笑う。少し前までは、この部屋で窮屈なくらいだったのに。今では彼女だけがここに残る。
エリオーネは珍しくそわそわとしていた。いつもはどっしりと構えている彼女が、今朝は指を折って点呼確認を繰り返している。
「よし、薬草は持ったわね。非常食も……あ、ちゃんと着替えは入れた? それと、あの地図……」
彼女らしくない落ち着かなさに、リナリアは苦笑する。旅立ちの予感を悟ったのか、精霊たちも落ち着かずに宙を舞っていた。ルミナはそんなエリオーネの前に座り、じっと彼女を見つめていた。エリオーネはゆっくりと膝をつき、ルミナの顔を覗き込む。
「いいわね。リナリアを必ず守るのよ。 何かあったら、こうやって念じれば私と会話できるようにしてるから。ちゃんと連絡してね。……まあ、むしろ私の方から連絡すると思うけど。」
ルミナは何度もこくこくと頷く。エリオーネは優しくルミナの頭を撫でると、その肩にそっと手を置いた。やがて、リナリアとフェレリエルがバックパックを背負い、支度を整えてやってきた。
「あぁぁ……本当に行ってしまうのね、愛しい子……」
エリオーネはリナリアを抱きしめた。今日の彼女は、まるで別人のように感情を露わにしていた。普段は何事にも動じない彼女が、今朝は何度も息をつき、何かを言いかけては飲み込んでいる。その様子を見て、リナリアは初めて実感した。
——ああ、本当に旅立つのだ、と。
エリオーネの腕の中は、いつもと変わらず温かかった。その温もりが、今日の彼女をどれだけ名残惜しませているのかを、リナリアは感じた。
「うん。行ってくるね。お母さんとお父さんに会いに行ってくる」
その言葉に、エリオーネは目を伏せ、微笑んだ。そして、少しの間リナリアを見つめた後、穏やかに、けれど確かな力を込めて言葉を紡ぐ。
「あなたの信念に素直に従って進みなさい。どんな困難があろうと、あなたの心が導く道を選ぶのよ」
リナリアはじっと彼女の瞳を見つめ、深く頷く。エリオーネはふと、懐かしむように目を細めると、少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「それと……フェリオラに会ったら、私にリナリアを託してくれてありがとうって伝えて頂戴」
その言葉を聞いた瞬間、リナリアの胸が熱くなった。母の名を呼ぶエリオーネの声には、あたたかな愛情と、どこか寂しさが滲んでいた。
「わかっているわ……ママも、エリオーネのことが大好きだったのよ」
リナリアは静かに微笑んだ。
「いまなら、ママの気持ちがわかる気がする」
エリオーネはその言葉に目を伏せ、小さく息をつくと、最後に優しくリナリアの頬に触れた。フェレリエルは里まで一緒に行き、見送るつもりだ。リナリアはルミナを見て、そっと手を伸ばす。
「さぁ、行こう!」
ルミナは嬉しそうに手を握り返した。リナリアは、エリオーネの方を振り返る。朝の光の中で、エリオーネはまっすぐにこちらを見ていた。その眼差しに、言葉にできないほどの想いが込められているのが分かった。リナリアは胸いっぱいに空気を吸い込み、力強く言った。
「エリオーネ母さん、行ってきます!」
そして、家を飛び出すように出発した。
——旅立ちの朝が始まる。新しい道が、これから彼女の前に広がっていく。この森の外へ。今はまだ見ぬ、母のいる場所へ。すべては、ここから始まるのだ。
— 序章終 —




