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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第七章 死の精霊の魔法い

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第百十一話 ただいま

 雲より高いミルゼンの塔――かつてはデーモンの牙城、今は骸の客人と竜の末裔が同じ卓を囲む空中の死者の都。その蒼石の回廊を、ひときわ軽い足音が跳ね回った。先頭を飛ぶ影は雪兎の耳をもつ小柄な影。耳先にほのかな影色を帯び、瞳も淡い霧銀――「昔日のルミナが夜露を纏ったか」と守衛は瞬きを忘れた。


「来た! ほんとうに帰って来た!」


 声を張ると、壁の蔦陰や尖塔のらせん梯子から子どもたちが次々に顔をのぞかせた。竜の鱗を頬に宿す子、獣の尾を揺らす子、骨の指で毛皮を整える子――どれもルミナの色を一滴ずつもらった子孫たちだ。中には既に(せい)を離れ、骸となって歩む者も混じる。


「グレイリム、跳ねすぎると今度こそ尻尾が取れるぞ」


 背後で石畳が震え、肋を銀鎧で包んだ巨きな骸竜――かつてのジークが姿を現した。骨の口元がわずかに綻び、魔火(まび)が瞬きで笑った。


「明るくするんだ。歓迎の灯を落とすな」


 グレイリムは頷き、灰まじりの耳を揺らして回廊を駆けた。


 ――まもなく、薄紅色(うすべにいろ)の母が塔へ帰る。


 塔中の亡者と竜骨の灯りが、そろそろと明度を上げ始めた。骨の指でそっと頭を撫でられ、ルミナは照れたように笑う。七百三十余年を重ねても、この塔に満ちる空気は柔らかい。

 大扉(おおど)が軋み、霊花を刻んだ柱の向こうから、影が差し込む。黒い外套のノクティス、薄紅色(うすべにいろ)の髪を揺らすリナリア、杖を突くデルフィーネ、そして音もなく翼を畳む屍竜。最後に、淡い青磁の光を纏ったフェリオラが一歩前へ出た。真っ先に走り出たのは――純白の耳を持つルミナ。


「リナリア!」


 七百年という天文学的な時間は、氷室で甘みを熟成させた果実のように、ふたりの距離をむしろ濃くととのえていた。抱き付き、耳を澄ます。心臓が動いている。


「ほんとに……夢を連れて帰ってきたみたい!」


 リナリアは頬を赤らめ、はにかむ。


「おみやげは家族のアルバムだけ。けれど、ちゃんと帰れたわ」


 ルミナは首を振り、袖で涙を拭う。


「それで十分(じゅうぶん)


 ジークがノクティスへ膝を折り、骨の手の甲を胸へ当てる。


「陛下、塔の補強は万全です。ドラゴンも住みやすくなってございます」


「すっかり王らしくなったな。わたしの王座は今や、家族の食卓だからな」


 ふたりは骨と肉とで短い敬礼を交わし、笑い合う。そこへ静かに歩み寄る女。エリオーネ。聖域の魔力が肌を包むせいか、女神が人になったような柔らかさを保っている。後ろに立つのは、相変わらずのくせっけを(はず)ませるエルフのフェレリエル。


「お帰りなさい、フェリオラ。時間の向こう側、いかがでした?」


「凍てつくほどに静かで……けれど手紙が焚火のようにあったかかったわ。まるで雪原に佇むように」


 フェリオラはエリオーネの手を取り、胸元にそっと当てる。心臓はかすかに速く、けれど確かだ。デルフィーネは待ち受けていた執事のブラッセルに支えられ、骨同士で軽く頭を合わせる。

 フェリオラがリナリアへ近づく。一千年ぶりに、母と娘の同じ時間を刻んだ。


「待たせたわね」


「ううん。帰ってくるときはいっしょに『ただいま』って言おうって……それだけ考えてた」


 母の指が微かに震え、娘がそっと重ねて握り返す。小さく息を合わせ、胸の高鳴(たかな)りが重なると――二人は声を重ねた。


「ただいま」


 その夜、回廊には宴の灯り。生者も亡者も同じ杯を掲げ、区別なく笑う。エリオーネは銀樹から摘んだ花をフェリオラの髪に挿し、フェレリエルの竪琴が凪いだ星空を撫でる。竜骨のジークは子らを肩に乗せ、屍竜はバルコニーで月を眺める。そして中央の卓では、四人が手を重ねた。「旅は終わったの?」とルミナ。「いいえ」とリナリアが微笑む。


「別れのない世界は、止まる世界じゃなかった。帰ってこられる、めぐる世界――それを、これから書き直しましょう」


 杯が触れ合い、塔を包む障壁が虹の火花を吐く。七百年分の「ただいま」が夜風に解けて、銀樹の聖域が遠くで微かに呼応した。その瞬間、遠い銀樹の聖域が小さく光を返した。あたらしい物語の序章が、暖かな夜気のなかでひそやかにめくれた。

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