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星の織りなす物語 Lethe  作者: 白絹 羨
第七章 死の精霊の魔法い

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第百四話 玉座の静止

 崩れかけた玉座の階段をのぼる。

 死者の王国――かつてヴェルンハイム共和国と呼ばれた都は、灰白(かいはくしょく)の霧に包まれて沈黙している。石畳の隙間から上がる淡い魂光(こんこう)が、倒れた尖塔や割れた噴水を仄かに照らし、その(うえ)を何千という影が行き交う。皆、わたしが呼び戻した者たち――いや、正しくは模倣された魂だ。

 死者は生前の記憶を抱えたまま、わたしを女王と呼ぶ。だが瞳は深い湖面のように波立たず、喜怒哀楽の縁取(ふちど)りだけを残して静止している。結晶化した死の精霊の魔力が、その水面を縫い止めているせいだ。

 玉座の()――砕けた議事堂を改築した高い天蓋の下で、ノクティスがわたしを待っていた。死の王の黒衣。だが彼の瞳だけは生前のまま、優しい緑を宿す。


「これが理想に見えるか、フェリオラ?」


 問いは穏やかでも、奥に小さな痛みが滲む。

 わたしは笑みで返すつもりが、喉が震えて声にならない。ただ歩み寄り、彼の手を握る。骨と皮だけになったはずの指先が、死の精霊の加護で滑らかな肌を保っている。わたしはまだ美しい亡骸の幻影をまとう――それも、かけがえのない両親から受け取った肉体を手放せない、ちっぽけな執着ゆえだ。

 あの実証実験の夜を思い返す。銀樹の聖域で採った残留魔素(まそ)、生家で集めた遺髪や爪――両親の欠片を精緻に編み、死の精霊に定着を乞うた瞬間、虚空が裂けて光があふれた。


 ──母上?

 ──父上……?


 ふたりの輪郭が霧の向こうに現れた時、胸の底で長年凍っていた湖が砕け、一面に花が咲き乱れた。涙も声も出ず、ただ膝を折って指先を伸ばした。だが触れた掌は冷たく硬い。愛情の温度は記憶としてしか返ってこなかった。それでもいい、別れなくここにいてくれるなら――そう思ったのは一瞬だ。

 再現された魂たちはわたしを「娘」と呼びながら、わたしの中の未来を問うた。子孫も季節も巡らぬ静止の国で、何を育むのか、と。気づいたときリナリアをエリオーネの元に転送していた。

 死者たちは増え続けた。模倣した魂に支えられた新しい肉体を得て、老いも痛みもなく(せい)を繰り返す者。一方で、残骸から復元されることを拒み、輪廻へ還る権利を叫ぶ者。三世紀も続く死者同士の議論はやがて剣となり、行き場を失った(いか)りは生者へ向かった。共和国軍はわずか三日のうちに崩れ、街は灰と化した。

 勝利の夜、静寂だけが残る都市を見下ろしても、胸に広がったのは歓喜ではなく薄い空洞だった。子どもたちの笑い声も、店先の喧騒も、季節の匂いもない。時間ごと切り取られた硝子の標本。そこにいるわたし自身が、誰よりも「未来」を希求していないことに気付いた。

 そして今日、玉座の()

 死者の代表たち――王侯、兵士、工匠、子ども――が半円を成してわたしを迎える。生前の衣を纏いながら、石像のように表情を刻まぬ彼ら。


「陛下。わたしは――一週間前、まだ明日を願って死にました。いま蘇ってみると……永遠は未来を檻に入れるものだと感じます」


 続けて最年少の少女が歩み出る。わたしは唇を噛む。彼女は戦災で亡くなった、復元されたばかりの魂だ。泥でこねた小さな未来図を胸に抱えている。


「わたしね……大きくなって、パパとママに『ただいま』って言うはずだったの。ドレスを着て、お嫁さんになって……」


 透き通った声なのに胸に刃を突き立てるほど鋭い。幼い頬がわずかに震える。涙をこらえるように拳を握りしめ、首を振る。


「会えるのは嬉しいよ。わたし――わたしたちは夢をどこに置けばいいの?」


 その言葉が放たれた瞬間、議場の空気が揺れた。わたしの中で何かが崩れ落ちる音がした。両親の肖像よりも鮮烈に、リナリアの泣き声が蘇る。あの子は未来の象徴だった。わたしは結局、娘すら抱けないまま置き去りにした。

 ノクティスがわたしの肩を抱く。


「フェリオラ……もう十分だ。ひとまず休もう」


 休む――つまり幽閉だ。彼は死者たちの暴走を止めるため、王として女王の拘束を受け入れる覚悟を決めていた。わたしは首を振る。


「わたしは間違っていない。もっとましな形を、これから探せる」


 だが死者の合議は迅速だった。


「議決――女王フェリオラをウィンスレット邸へ幽閉し、五十年ごとに再審とする」


 その評決を聞き、ノクティスはわたしから手を離した。瞳に宿る緑が痛みで曇る。

 玉座をあとにするとき、わたしは振り向かない。勝利の証だった憧憬の都は、今やわたしの罪を映す鏡だ。空を仰げば灰色の雲。その向こうに、いつかリナリアが見るであろう未来の月が昇るはずだ。別れのない世界――それは未来を凍らせる檻だった。わたしの狂信は、愛を保存する引き換えに時間を窒息させただけ。

 それでも歩みを止められない。肉体への執着も、両親への渇きも、リナリアを抱けなかった未練も、すべてを捨てきれずにいる弱さ。幽閉の門が見える。錆びた鉄ではなく、名残の蔦が絡む懐かしい扉。

 静かに息を吐き、胸の奥で死の精霊――死を送り、魂を縫い止める者――の鼓動を聴く。かつて「五番目」と呼んだその意志は、いまも世界の淵で淡々と脈打っている。まだ終わらせない。別れなき器を壊し、未来と再会を両立させる道を、檻の中から探し直す。幽閉は敗北ではなく、凍った時間を溶かす潜行――そう言い聞かせ、わたしはかつての屋敷へ足を踏み入れた。

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