4 勉強と読書三昧の日々の中で、健康になりつつあるが女性ゆえの・・・
兵営の執務室で、ブライアン中将は部下のオーギュスト大尉の報告を受けていた。
「・・・と言う訳で、外交官全ての調査をしてみましたが、報告書に書いた通り、玉石混交の一言ですね。特に『石』の方が酷い。これじゃ、その外交官の赴任先で有事があったとしても、こちらに連絡が来るのはコトが終わってからになりそうですよ」
「ご苦労だった、オーギュスト。流石に社交的で顔が広い君だけのことはある」
「ありがとうございます。一応、こちらの目的は解らないように注意して調べましたが・・・だからと言って、軍が外交官を弾劾出来るわけでも無いのですが」
「元より、そんなつもりは無い。外交官の質も大事だが、それより有事の際の連絡手段についての詳細の方が知りたかったのだ」
以前、オロールから指摘された『情報の速さと質』に関して、詳しく調べることにしたブライアンだった。結果、どの国の外交官も連絡手段は主に書簡で、伝書鳩の用意さえしていない者もあった。
「やはり、これは拙いな・・・そうなると、軍からそれぞれの国に誰かを派遣しておいた方が良いかもしれない」
「でも殿下、そうすると色々と面倒がありそうではないですか」
少なくとも国王陛下の許可は必要だし、下手をすれば外交官たちから不満が出るかもしれないのだ。
「・・・解っている。それも含めて、意見を聞いてみるか」
「え?・・・誰に?」
オーギュストが、思わず問い返した時、ノックの音がした。
「入れ」
「失礼いたします」
姿勢を正して敬礼した後、執務室に入ってきたのはデュース大尉だった。
「昨日ご指示いただいた書類が出来上がったので、お持ちいたしました」
「ああ、御苦労。流石に早いな。事務仕事も早く正確にできる武官は、そうはいないものだ」
「ありがとうございます。武器と軍馬、その詳細についてまとめました。搬入予定のものと、訓練中の馬のものも付け加えておきました」
「それは、助かる。これなら、充分満足するだろう」
「え?・・・誰が、ですか?」
デュースも、思わず問い返してしまった。
「丁度いい。2人揃っていることだし、打ち明けておこう」
ブライアンは、ソファーに移動し彼らに座るよう促す。そしてオロール・スキルヴィング嬢についてを、ざっと説明した。
(それは・・・『意中の女性』が現実になったという事か?)
まず最初に、オーギュストは思った。
(殿下は、公爵令嬢を軍人にするお考えなのか?)
次にデュースは、そう考えた。
「現在オロール嬢は、うちの屋敷に居て軍事関係の勉強をしている。軍事機密があったとしても、外部に漏れる心配はない」
「はぁ・・・了解いたしました」
オーギュストとデュースは敬礼で答えたが、内心自分たちの考えはあながち間違いではないだろうと思うのだった。
その晩、自宅に戻ったブライアンは、夕食後にオロールと話した。
「これが武器と馬の詳細だ。明日にでも目を通してくれ。今晩は以前話していた『情報の速さと質』について、意見を聞きたい」
ここ数日、フォリア夫人の適切かつ暖かいお世話で体調は安定していたオロールだが、今晩は何故か顔色が冴えなかった。けれど、書類や本に埋もれて日中を過ごしている幸せに、その表情は輝いているようにも見える。
ブライアンに手渡された「外交官に関する報告書」をひと通り読んだオロールは、ブライアンから誰かを新たに派遣する計画を聞いて、徐に口を開いた。
「・・・それでは、いっそ『参謀局』を新しく設けると言うのはどうでしょう?」
現在のデュランダル王国陸軍では、第5王子が大将を務める。けれど近い将来、彼はその地位をブライアンに譲るだろう。今は中将として第6王子であるブライアンがいるが、既に大将と同様の仕事をしている。
中将の下に、少将1名と大佐数名がいるが、基本的に決定権は王族にある。彼らは直接上奏する権利があると言う程度だ。
オロールは言葉を続けた。
「現在の陸軍大将である第5王子殿下が就任した時、軍の改正が幾つか行われたという事が解りました。けれどその後、1年も経たないうちにそれらが全て廃止され、旧体制に戻っています」
ブライアンから渡された書類の中には、これまでに施行された軍令に関する報告書もあった。
「改正されたものの幾つかは、良いものもあったのですが、それも含めて全てです」
いくら飽きっぽい性格だったとしても、上手くいっているものを止めてしまうと言うのは考えづらい。それを第5王子にさせたのは、その方が都合が良い誰かの思惑があったからではないだろうか。例えば、意見を上奏できるような立場の誰かが。
「そう言ったことも考慮に入れて、新たに『参謀局』を設ければ良いのではないかと考えました」
上奏できる特権はそのままにして、意見交換が出来る場を作る。
「利点は、他にもありますが、例えば『参謀局』に入るのは殿下ご自身と現少将と大佐にして、そこにそれぞれが推薦した将官や士官を加えれば良いでしょう」
推薦できる人数を、大将が5名・少将が2名・大佐が1名とすれば良い。地位を世襲したいと思っているに違いない少将や大佐は、自分の跡取りを推薦できるからありがたいと思うだろう。そして、ブライアン自身は大尉であるオーギュストとデュースを参加させることが出来るのだ。
「そして殿下の推薦枠の残りは、検討中という事にしておきます。そして、その候補として見込みがありそうな将官や士官を、留学と言う形で各国の外交官たちの元に派遣してはいかがでしょう?」
留学期間は短めにして何度も入れ替える。留学生たちは、今後の昇進も見込まれるのならば、本気で情報収集や伝達方法の改善に取り組むのではなかろうか。
参謀局があり、意思の疎通や命令系統がはっきりしてれば、有事の際、例えば王族が指揮不能状態になってしまった時でも対応できる。
そんな、懸念している複数の事柄が改善される方法を、オロールは事も無げに説明してのけた。
「・・・それは・・・凄いな・・・」
現在、自分の手足のように働いてくれているオーギュストとデュースは身分も階級もやや低い。それでもブライアンが信頼して何かと仕事を振るのだから、少将や大佐たちなどの階級が上の者たちは面白くないだろう。そんな話も、ちらほらと聞こえてきているこの頃なのだ。
「ビスタ少将に上手く話を通せば、オーギュストとデュースの階級を中佐まで引き上げることも出来そうだ」
上奏権も付け加えれば、彼らの意見は公的にもブライアンに届くという事になる。
「よし、その線で動くことにしよう。ああ、そうだ、今度オーギュストとデュースにも会って貰おう。お互いに知っておいた方が、良いような気がするのでな」
期待していたより遥かに素晴らしいオロールの提案を、ブライアンは満足な笑顔で受け入れた。
(今後が、更に楽しみだ。以前より、いくらかは健康そうになったことでもあるし)
全てが上手くいっていると安心したブライアンだったが、翌朝彼の支度をしにやって来たフォリア夫人の言葉に驚いてしまった。
「殿下、オロール様ですが、今朝がたお倒れになりまして・・・」
「えっ⁉・・・過労か?」
「いえ、その・・・おそらく『月のモノ』が原因の貧血だと思われますわ」
その朝、屋敷に来て以来初めてというくらい体調が悪そうに起きたオロールは、朝食を殆ど食べることが出来ず、立ち上がって数歩歩くとそのまま床にドサリと倒れてしまった。
「オロール様っ!」
仰天したフォリア夫人が駆け寄ると、部屋着の後ろ側、椅子に座っていた辺りに血の汚れがあった。
(・・・月のモノね・・・それで貧血を起こされたのでしょう)
メリアンと2人掛かりで彼女をベッドに運び、着替えと処置を済ませる。けれど夫人は、不思議になった。
(オロール様がここにいらしていから、もうひと月以上経つけど、そんなご様子はなかったわね。遅れていた、という事でしょうか?)
「・・・お手数かけました。すみません」
暫くして目を覚ましたオロールは、傍で見守る夫人に呟いた。こう言うことは、初めてではない。その度に、その時に付いていた侍女はいつも不機嫌そうだった。
「お気が付かれましたか。良かったですわ。どうぞ、お気になさらないで下さいませ。処置もお世話のひとつに過ぎませんのですよ」
けれどフォリア夫人は、心からの優しい笑みと共に答えた。
「今日は、このままお休みになっていて下さいませ。お勉強は、また体調が良くなってからでよろしいと思いますよ。殿下には、その旨お伝えしておきますから」
慈しみに満ちた眼差しで話しかける夫人に、オロールは申し訳なさそうに頷く。
「お願いします・・・久しぶりなので、つい忘れていました」
「久しぶり?・・・つかぬことをお伺いしますが、前回はいつ頃でございました?」
口調は侍女のそれだが、母親が娘を心配するかのような様子だ。
「夏が始まる前・・・でした。いつもこんな感じで、月のモノと言っても毎月来るわけではありません。突然なことが多くて・・・すみません」
「お謝りにならないで下さいな。そういう女性も少なくないと聞きますし。・・・それについて、主治医の方は何と?」
「・・・いえ、特には・・・」
貧血を起こさないよう、もっとしっかり食事をとるよう注意されるくらいだった。
(・・・これは、やっぱり・・・)
フォリア夫人は、後をメリアンに任せて、ブライアン殿下の元に向かった。
月のモノと言われて、ブライアンは困惑するしかない。多少の知識はあるが、女性の生理に詳しいわけでは無いのだ。
「それで、殿下にお伺いしたい事があるのですが」
夫人の言葉に我に返ったブライアンは、彼女に先を促す。
「殿下は、オロール様をいつまでここに預かるおつもりなのですか?」
それは、オロールの世話をいつまでしなければならないのか、という不満なのだろうか?
ブライアンは困ったように表情を曇らせた。
「忙しい思いをさせてしまって、すまないとは思っている。だが、俺としては・・・」
彼女の才は、自分が思っていた以上かもしれない。昨晩の『参謀局』の話でも、再確認した。このまま勉強を続けてもらい、将来的には自分自身の個人的な参謀として、ずっと傍に起きたいと言うのが本音だった。
「彼女が帰りたいと言うなら別だが、そうでないなら、ずっとここに居て欲しいと思っている」
ブライアンの言葉を聞き、夫人は嬉しさを隠そうともせずに答えた。
「オロール様のお世話は、ちっとも苦になりませんのでご心配には及びませんわ。それより、この先もオロール様がここで過ごされるのなら、専属の主治医を新たに雇い入れていただけないでしょうか?女性の医師を」
先ほどオロール自身から、彼女が自宅にいた時の主治医について聞いていた夫人だった。初老の医師は、彼女が産まれた時からずっと専属として診察や投薬を行っていたそうだ。けれど病弱な体質は改善されず、役立たずの令嬢として尼僧院へ入ることが具体性を帯びてゆくと、医師の方も諦めて対症療法的な事しかしなくなっていたようだ。
「男性の殿下にはお解りいただけないと思いますが、女性特有の病気や体調不良は多いものです。オロール様の場合、お身体がお弱いこともあって、それらが強く影響を与えているように思うのです」
切々と訴えるフォリア夫人に、けれどブライアンは渋面を見せた。
「それは解るが・・・女性の医師は、どこにいる?」
少なくとも、王族や貴族が抱える主治医の中で、女性はいないだろうと思う。
「心当たりが、ございますの」
フォリア夫人は、そう言って胸を張った。
エフィー・フォリアの古い友人、ローレル・グラシューは、高名な医師の一人娘だった。グラシュー医師は王族の主治医を掛け持ちするほどの医療技術と知識を持ち、国王の治療に当たったこともあった。ローレルはそんな父から、全ての技術と知識を受け継いだが、女性であるという事だけで貴族の主治医にさえなることが出来なかった。
けれど彼女は、そんな境遇に潰されること無く、王都の街中で女性相手の医者をしている。いわゆる婦人科というカテゴリーは無い医術の世界なので、妊娠・出産に関することはトラブルがある場合も含めて、産婆や助産婦が対応するのだが、ローレルは外科や内科も出来る女性なので、帝王切開の手術も成功させたこともあった。
だが、基本的には平民でも男性の町医者に掛かるので、女医であるローレルは、日々をのんびりと暮らしているのだ。
そんな彼女に、フォリア夫人は白羽の矢を立てた。
オロールは、貧血と腹痛・腰痛まで加わって、結局数日寝込むことになった。
その間に、フォリア夫人はローレル女医と話をつけ、彼女にオロールの主治医となることを承諾してもらう。
またブライアンは、オーギュストとデュースを呼び出し、兵営内の見通しが良い馬場で世間話を装って『参謀局』の計画について話した。
「それは、素晴らしい。色々な問題点をカバーしてくれそうですね」
「確かに、そういう機関があれば、軍上層部の風通しも良くなるでしょう」
オーギュストもデュースも、参謀局新設計画を手放しで歓迎した。
「では早速、ビスタ少将と会談しよう。そっちは任せてもらおうか」
ブライアンの言葉に、2人は大きく頷いた。
だがそこで、デュースが軽く首を傾げて問い掛けた。
「この計画は・・・もしかして例の方のご意見が含まれているのでしょうか?」
ブライアンは、あっさりと白状する。
「含むと言うより、全てが彼女からの提案だ」
一瞬、2人の顔が呆けたように固まる。
そして暫しの沈黙の後、オーギュストとデュースは深く納得した。
そうだった、この殿下の人物眼は卓越していたのだ、と。
ブライアンは根っからの軍人気質で、自ら鍛錬を行うほどの行動派だ。けれど人物の能力を見極める、天賦の才があった。人選して適材適所で仕事を割り振る能力を、いつも傍で見ていた2人はよく知っていた。
そんな彼が、オロール・スキルヴィングという公爵令嬢の中に才能を見出したのなら、それは本当なのだと納得する。
「ただ彼女は病弱でな、今日も寝込んでいるのだが、体調が回復したら2人を紹介しようと思っている。その時は、屋敷に足を運んでくれ」
ブライアンの招待を、ありがたく受けるオーギュストとデュースだった。
数日後、ローレル・グラシュー女医は第6王子の屋敷に来て、オロールの主治医となった。
「早速ですが、オロール様。問診をさせていただきたいと思います」
挨拶を済ませると、女医はまだ生理痛に悩まされているオロールに薬を処方し、ベッドサイドに腰かけた。冷静で落ちついた口調だが、医者と言う厳しさは感じられない。
眼が小さく鼻が低いローレルは、お世辞にも美人とは言えないが、穏やかで愛嬌のある顔をした中年婦人に見える。女医と言うより古本屋の女主のようだ。
その傍には、フォリア夫人が看護婦のように付き添っていた。
「幼いころから、ご病弱だったと伺っていますが、その辺りの事を詳しくお話しください」
「はい・・・生まれた時は、育たないだろうと言われたそうです。幼少期から、ベッドで過ごすことが殆どでした。詳しい病歴は、私には解りませんので自宅の主治医に聞いてみるのが確実かと」
女医は頷いて、今日中にスキルヴィング公爵家に使いを出そうと考える。
「子供の頃も同様で、寝込むのは日常茶飯事でした。それは今も変わりませんが・・・それでも20年、生き延びています」
(え?オロール様って、20歳だったのですか!)
内心驚いたのは、フォリア夫人だ。はっきりと年齢を聞いていなかったので、まだ16歳くらいかと勝手に思っていた。そのくらいの体つきだったのだ。
その傍らで、女医は淡々と、けれど優しく様々な質問をしていった。
そして問診がひと段落すると、ローレルはブライアン殿下に報告に赴いた。
「殿下、オロール様についてご報告申し上げます」
穏やかだが医者らしい雰囲気で、女医は口を開いた。フォリア夫人もオロールの世話はメリアンに任せて、一緒に付いて来ている。
「基礎疾患はございません。今回の『月のモノ』に関する諸症状は、栄養不良と運動不足が原因である可能性があります。婦人病に関しては個人差が大きいのではっきりとは申し上げられませんが、フォリア夫人と協力すれば、今後はある程度の緩和が見込めると思われます」
今まで自宅で与えられていた環境を、女医と世話係が力を合わせて改善すれば、人並みの日常生活も可能だろう。そう言ってのけるローレル・グラシューに、ブライアンは顔を明るくした。無理はさせられないとしても、傍においてその才能をこれからも伸ばして行けるのだ。
「当面は、身体を慣らしてゆく予定です。庭の散歩くらいが出来るようになることを、最初の目標にないたします」
最後にそう言って報告を終えた女医に、殿下はくれぐれも宜しく頼むと頭を下げた。
やがてベッドを離れたオロールと、オーギュストらを対面させる日が来た。
ブライアンは、自宅でのアフタヌーンティーに彼らを友人として招待したのだ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
やって来た2人は、久しぶりの友人同士の付き合いに喜び、更にはあの御令嬢に会えることを楽しみにしていた。ブライアンが認めた才能を持つ女性とは、どのような人物なのか、と。
「こうやって3人で、兵営以外で語り合うのは、本当に久しぶりですね、殿下」
「ああ、海軍時代はしょっちゅうやっていたからな」
それぞれの部屋で、夜を徹して語り合いながら酒を酌み交わしたものだった。
「こちらでは、そうもいきませんからね。殿下のお屋敷には、こうして招待されないと入れませんし。昔のように、酒瓶片手に突撃するなんてしたら逮捕案件です」
「かと言って、こちらの家にお迎えなぞしたら、家族がパニックです。うちなんて特に、妹が何をするか解りませんよ」
小さなサロンルームで話している3人のところへ、フォリア夫人が入ってきて声を掛けた。
「オロール様を、お通ししてもよろしいでしょうか?」
少し時間が掛かったのは、夫人が彼女の衣装に悩んだせいでもある。
殿下のご友人である若い男性の前に出るわけだから、夫人としては少し飾り立てたい気持ちがあった。けれど可愛い系や美しい系のドレスは、オロールの良さを隠してしまう。相変わらず不愛想に見える彼女には、花やリボンやフリルは似合いそうにない。
肌の色は抜けるように白いが、女医の勧めもあって化粧は最低限だ。はっきり言って、地味になる。
色々迷った末、結局フォリア夫人は晴れた日の海のような色合いのドレスを選んだ。長袖ハイネックのドレスで飾り気は無いが、上品で清潔感があって知的な印象だった。
「ああ、待っていた」
ブライアンの声に、オロールは部屋の中に入る。
「こっちがオーギュストで、こっちがデュースだ」
あっさりと2人を紹介しながらも、ブライアンは彼女の出で立ちに好感を覚えていた。
「オロール・スキルヴィングでございます」
オロールは淑女の作法通りに静かに腰を屈めたが、驚いたのは2人の方だった。
(スキルヴィング!公爵家のご令嬢なのか!)
そこまで聞いていなかった2人は、慌てて姿勢を正す。
「失礼いたしました。オーギュスト・ロダンと申します。男爵家の3男です」
右手を胸に当てて、敬意を払って頭を下げる。
「デュース・ドゥカートです。子爵家の4男で、ご存じかと思いますが、フォリア夫人の甥に当たります」
同じく頭を下げたデュースだが、生真面目な表情は崩さなかった。
「現在は2人とも中佐になっているが、今日は階級も身分も無しの友人同士だ。後で酒も出すから、今日はゆっくりしてくれ。オロールも、良ければ一緒に・・・」
「殿下、オロール様はまだお酒はちょっと・・・お時間も、短めに」
女医の言葉を思い出した夫人は、そっとブライアンに耳打ちする。
けれどオーギュストは、ブライアンがさり気なく言った言葉に驚いた。
(呼び捨て・・・ですか。かなり親しくなっておられるようだ。『意中の女性』として進展していると見て良いのだろうか?)
公爵家のご令嬢を預かっているのなら、たとえ王族であってもオロール嬢と呼びそうなものだ。それをまるで家族のように、いや恋人か婚約者のように優しく呼んでいるのは、そう言うことなのだろう、とオーギュストは思う。
そしてオロールの方も、目の前の2人の軍人が中佐になっていることで、例の『参謀局』の計画が進んだことを理解していた。
「それにしても、あのビスタ少将があっさり計画を承諾したのには驚きました。あの頑固なご老人なら、もっとごねそうな気がしていましたが」
早速友人の顔になって、オーギュストが茶目っ気たっぷりに口を開いた。
「まぁそれも、オロールに助言を貰っていたからな」
ブライアンの返事に、友人2人は揃ってオロールの顔を見た。
先ほどからずっと、気配を消したように座っていた彼女だが、視線に気づくと顔を上げる。内心では若い男性たちと同席して会話すると言う初めての経験に戸惑っていたのだが、無表情な顔は落ち着き払っているように見えた。
「最新の貴族年鑑で、ビスタ少将のご事情は解っていましたから」
それはどのような?と身を乗り出すオーギュストとデュースに、オロールはゆっくりと説明を始めた。
ビスタ侯爵家は、代々軍人の家系だった。昔の戦で功績をあげ、先祖が侯爵の地位を授けられた。それ以後、代々陸軍の少将としてその地位を守っていたが、今の侯爵家はお家の事情で後継ぎがまだ成人していない。現在17歳で、来年あたり陸軍に入る予定だと言う。
「ビスタ少将はご高齢で後継者はまだ若い。そうなると、少しでも早く後継ぎには、軍における地位を確立しておきたいところでしょう。また色々な知識も与えておきたいと思うのではないでしょうか」
普通なら、貴族の子弟が軍に入る場合、最初は少尉あたりから始まる。そこから機会があるごとに昇進してゆくのだが、ビスタ少将としてはそこまで待てないといったところだろう。
「ですので、『参謀局』に入る少将ご自身の特権として、推薦する人数2名のうち1人分を、来年軍に入るご子息のために取って置けるように、またその時には少佐から始められるような措置を取るという提案をするように、殿下に申し上げました」
実際ビスタ少将は、もう1人の推薦者を自分の甥にしている。これで少なくとも今の権威は保たれるだろうし、ゆくゆくは後継ぎの地位も安泰だ。これに飛びつかないわけはない。
けれどそうなると、ブライアンが推薦するオーギュストとデュースの昇進や、彼の推薦枠である残り3名の保留も認めざるを得ないのだが、少将はやはり自分の利を選んだという事だ。
(うぅ~~ん、流石だ・・・)
オーギュストとデュースは、心の中で感嘆の声を上げた。
見かけは地味な御令嬢だが、その話の内容以外にも、話し方や雰囲気にも畏敬の念が沸き上がる。
「そんな訳で、今後もオロールには意見を聞いて行こうと思っている。これを機会に、オーギュストとデュースも彼女の存在を心に留めておいてくれ」
やがて酒が運ばれてくると、それを機にオロールは退出する。
色々と、考えておきたいことがあった。
そして、月日は流れる。
オロールは、フォリア夫人とグラシュー女医の世話と指示の下、規則正しい生活を送った。
勉強の合間に休憩時間を取り、外気に当たりお茶を飲む。食事や間食は、彼女の好みを把握していったフォリア夫人によって、量を取らせるように工夫された。やがて庭を散歩する時間も増えてゆき、少しずつだが、オロールは日常生活を普通に送れる体力をつけていった。
ブライアンは、夕食を自宅で取るようになった。オロールと共に、その日あったことなどを報告しあいながらの時間は、彼にとっても楽しく満足が行くものだった。週に1度は休みを取るようになり、そんな日は彼女の散歩に付き合って庭を歩いたり、図書室に入って色々な話をする。
そんな風に彼が自宅にいる時間が増えたわけだが、ビスタ少将などは別の意味で、安堵していた。
(第6王子も、やっと軍事に飽きてくれたか)と。
現在の陸軍大将である第6王子の時は、半年くらいで飽きてくれた。
王子たちが軍籍に身を置く場合、常にトップの地位に就くのが通例だが、大抵は最初こそ意欲的に取り組んでも、やがては熱意が冷めてくる。
(まぁ、そうなるように仕向けてはいるのだが・・・)
けれど今回の場合、まだ第5王子が退任していないのに、第6王子が就任してきた。確かに今の大将は、仕事の殆どを弟に任せなければならない状況ではあったのだが。
(大将などいなくても、構わない・・・と言うか、いない方がやり易いのだが)
一番良いのは、お飾りの大将がいてくれることだ。そしてそうなるよう仕向けるのが、ビスタ少将のお家芸なのだ。
今回は時間が掛かってしまったが、第6王子殿下の『参謀局』の提案はありがたかった。
これでこれからも、ビスタ家は安泰だ。
ビスタ少将は、自分の執務室で満足そうに笑みを浮かべた。