4-8 決戦
夜襲が終わった翌朝には、ブライアンの怪我もだいぶ良くなっていた。流石は体力自慢で頑丈な彼は、回復力も桁違いなのかもしれない。
「・・・うむ、動きに問題は無いな。これなら、大丈夫だ」
「無理はなさいませんように。痛みを無視して動かすと、後で困ることになるかもしれません」
オロールの方は、寝不足こそ解消されているが、完全に疲労回復できたわけでは無い。もう病弱だった頃の面影は無いが、それでも普通の人より体力が低いのは間違いないのだ。
そんな会話をしていても、2人はよく解っている。
今晩は先の事を慮るよりも、無理をしてでも成し遂げなければならないことがある、と。
「ちょっと!聞いたわよ、大丈夫なのっ?」
その時、幕舎に響いたのはジェン・ティルナ王女の声だった。
戦装束の頭飾りだけを取ってやって来た彼女は、足音も荒く中に入って来る。
「ああ、これ食べられるようにしてきて」
ジェンは持って来た大きな布包みを、世話係の士官へヒョイと片手で差し出す。慌てて受け取った士官は、その重さにもう少しで包みを取り落とすところだった。
士官が出てゆくと、ジェンはつかつかとブライアンの前に立ち、椅子に座る彼の胸倉を掴んだ。
「何やってんのよ、この間抜け、うすらとんかち、あんぽんたんっ!」
ついさっき、ブライアンの油断について詳細を聞いたジェンだった。
「自分がどういう立場なのか、しっかり自覚しなさい。この戦の総大将だし、オロールにとっても無くてはならない存在なのよ。ホント、馬鹿としか言いようがないわ。このすっとこどっこい!阿呆!ひょうろくだま!」
ありとあらゆる罵声を浴びせる彼女は、本気で怒っていた。
けれどブライアンとしては、そこまで言われるほどか、とムッとする。このアマゾネス王女だって、破天荒で無鉄砲な性格ではないかと、と。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。ジェンは、豊かな胸をそびやかして言い放った。
「アタシだって、そんな馬鹿な事しないわ。昔はそうだったかもしれないけど、もうさんざん旦那に怒られて、今じゃそれなりに自分の行動の先を考えて振舞えるのよ」
ぐぅの音も出せずに黙るブライアンだが、確かに反省はしているのだ。
「・・・解っている。悪かった」
俯いて下唇を突き出しながらも、返事をしたブライアンに、オロールはこっそりと笑みをこぼしていた。
(言いづらい事を、よく言ってくれました)
「で、何かあったのか?」
何とか気分を誤魔化して問いかけたブライアンに、ホノブル軍の指揮官であるジェンはあっけらかんと笑いながら答えた。
「ただの陣中見舞いよ。ホノブルの方は、準備万端っていう報告も兼ねてね。でも本当は、ちょっと心配だったのよね。オロールが」
怪我をした総司令官より、親友の方が心配になったというジェンだ。
「絶対に疲れてるはずだと思ったから、ホノブルの果物を取り寄せておいたの。パパイヤとかマンゴーとか・・・これなら食べれるかと思ってさ。甘い果物は、頭脳活動にイイって旦那も言ってたしね。しっかり食べて、夜まで寝ておきなさいよ」
以前より少し痩せて鋭利な顔になっているオロールを気遣って、ジェンは来た時と同じようにさっさと帰って行く。つむじ風のような、アマゾネス王女の来訪だった。
午前中に最終調整の仕事を終えたオロールは、昼食代わりにジェンが持って来てくれた果物を食べていた。
「どうだ、美味いか?」
軽く体を解しに外に出ていたブライアンが、昼食を終えてオロールの幕舎に入って来る。
「はい、少し冷やしてもらったので更に食べやすいです」
大皿に乗った熱帯果実は、半分ほど無くなっていた。オロールにしては、かなり食べたと言えるだろう。
「甘くて瑞々しくて美味しいです。食べかけで申し訳ありませんが、味見してみます?」
テーブルの大皿をそっと押し出しながら勧めるオロールに、彼は歩み寄った。
「いや、味見はこっちがイイな」
ブライアンは彼女を立たせると、返事も待たずにキスをする。
熱帯フルーツの少し癖のある香りと甘さが、2人の口の中に溢れた。
久しぶりの深く熱い口づけに、暫し酔いしれたブライアンとオロールは、やがて名残惜しそうに身体を離す。
「食べ終わったら、少し寝ておけ。俺も、昼寝しておくから」
もう一度彼女の頬に優しくキスを落として、ブライアンは満足そうに出て行った。
言われた通りに昼寝をしたオロールは、短時間だがすっきりと目を覚ました。蓄積していた疲労が、大分和らいでいることが不思議だった。
新月の夜は、星明りのみの静けさで更けてゆく。
風も無い夜空の下には、カナロア軍の陣の篝火が煌々と辺りを照らしていた。
デュランダル軍とホノブル軍は、全ての準備を整えてその時を待っている。
カナロア軍も、再度の夜襲を警戒して臨戦態勢に入っていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
総大将として正面に陣取る隊の前で、ブライアンは握拳を天に突き上げた。
1本の火矢が、空に向かって放たれた。
それを見て取った北の高台から、さらに大きな火の玉が夜空を横切って飛ぶ。それは先端に油を染み込ませた布を巻きつけた1本のタケで、その明るさは星々の瞬きを封じるように遠くからでも容易に確認できた。
それが、開戦の合図だった。
夜の空気を切り裂くような音が、次々と響く。それらは北・南・西南の方角からカナロアの陣を包み、直ぐに豪雨のような落下音が響き渡った。
ドカドカガンガン、ゴンゴンドスドス、ドゴドゴ・・・
数えきれない数のタケの雨が降り注ぐ。
突撃の準備をしていたカナロア軍は、空から飛来する正体不明の攻撃に度肝を抜かれた。
北の高台から発射されるタケは、先端を斜めに切り落とし攻撃力を上げるための補強がされている。節の中の空洞にはバランスよく重りを入れ、命中率を上げており、中には尾翼のような物を付けて飛距離や飛行方向を安定させているものもあった。
南から飛来するタケは、ホノブル軍からのもので、内部に妙なモノが入っていた。南の島に生息する毒蛇や毒虫、果ては誰の物かは解らないが排泄物まで詰め込んだ代物まである。飛来したタケに当たらなくても、中身がぶちまけられるだけで戦意そのものが喪失しそうな代物だった。
西南からのタケの雨は、カナル川の河口に終結したデュランダルとカナロアの軍船からのものだ。周囲に小舟を配置し、タケの補充にも抜かりは無かった。
出撃するどころでは無くなったカナロア軍だが、その様子をオロールは冷静に見つめていた。
戦場を見渡せるその場所は、デュランダル軍の後方ではあるが、敷いた陣の中にある。その場所で、臨機応変に対応するためだ。
ブライアンとしては、流石にそんな場所に彼女を置くことに反対したが、最終的にオロールはそれを押し切った。
「・・・ではせめて、これを着用してくれ」
戦前の準備で、ブライアンはかねて用意していた女性用の鎧を出してきた。
「万が一のために用意しておいた物だ。慣れていないと不自由だろうが、我慢して欲しい」
流矢に当たる可能性もある。本当に万が一、戦局が不利になって敗走する場合や、敵に接近される恐れも考えれば、防御力は重要になるのだ。
彼が差し出したのは、最大限に軽量化してある銀色の鎧だった。とはいえ、オロールにとってはそれでも重い。動きづらいし体力も必要だとは思ったが、彼女は微笑んで受け入れた。
上半身だけを包む銀の鎧の上に、黒のフード付きのマントを羽織って、オロールはシャカールに乗っている。傍らには忠実な愛犬フィザルの姿もあった。
周囲は、情報局の士官たちが特命を帯びて警護に当たっている。彼らはブライアンから、絶対にオロールを守れと命じられていた。
情報局と参謀局は密接な関係にある。護衛の士官たちは、この命令を栄誉と捉え、オロールの盾となるべく静かに彼女を守っていた。
やがてタケの雨は、豪雨から小雨へと変わり、やがて止んだ。
「我らが愛するもの、全てを守るために! 突撃!」
抜き放った剣を高々と掲げ、ブライアンが大声を放つ。
自信に満ち溢れた声は、それを今や遅しと待つ全軍に響いた。
「ぅおおおおぉぉーーーー!」
突撃の声と同時に、呼応する全てのデュランダル軍が吠え、決戦の火ぶたが切って落とされた。
ブライアンを先頭に切り込んでゆく騎兵たち。
それを追って、兵士たちは雪崩のようにカナロアの陣内に飛び込んだ。
志願兵たちも、ギリギリまで敵に近づき、ボーラを投げてその動きを封じる。
カナロアの陣内はタケの雨によって相当の被害を受けていたが、東列強諸国の度重なる戦に鍛えられた兵たちは、1人1人が皆侮れない力を持っている。連携などは行えない状況下で、彼らも必死に応戦した。
力と力のぶつかり合いな戦況の中で、カナロア軍はじりじりと後退しつつあったが、それでも総崩れにはならない。
最初の突撃があってから約1時間後、静かに戦況を見守っていたオロールが、傍らのフィザルに声を掛ける。
「フィザル、行きなさい」
落ち着いた声で命令されたサルーキ犬は、パッと身を起こすと走り始めた。
行き先は、ブライアンの元だ。
激しい戦闘が繰り広げられる中を、フィザルは素早く身をかわして疾走する。そして、その嗅覚でブライアンを見つけ出し、真っ直ぐにその近くへ駆け寄った。
「ゥワンッ!ワンッ!ワンッ!」
大きな吠え声は、直ぐにブライアンの注意を引いた。
「フィザル!・・・解った、時間だな」
彼は近くにいた騎馬兵を切り捨てると、愛馬プリンスボンドの手綱を引く。そしてその場で輪乗りをして、周囲にそれを知らしめた。
それまでごり押しに前線を勧めていたデュランダル軍は、息を入れるように盾を並べて足を止める。
それは、オロールが決めた合図だった。
ブライアンが持つ、猪突猛進の癖が悪いほうへ出ない様にとの配慮だ。デュランダル軍の参謀局長は、長く続くであろう決戦を予測していた。しかも彼は、はっきり言って怪我人なのだ。
ブライアンは彼女が出す指示に、全て従う決意をしている。
「フィザル、戻れ!」
了解の意志を示すため、ブライアンは彼女の愛犬に指示を出す。フィザルは嬉しそうに一声吠えて、あっと言う間に姿を消した。
北の高台からは、タケの雨を降らせ終わった兵たちが、武器を取って崖を降り戦いの場に加わる。
ホノブル軍も、南から猛攻を加えていた。
「アマゾネス王女、ジェン・ティルナ!命が惜しくない奴は、かかっておいで!」
連戦の疲れも見せず、次々と獲物を襲うようなジェンの姿に呼応して、ホノブルの兵たちは悪鬼の形相でカナロア軍に切り込んでゆく。
北からも南からも、包囲されるように攻撃されるカナロアは、次第にカナル川に架かる橋の方へと押されて行った。
それから数時間、進軍と停止を繰り返しデュランダル軍はじりじりとカナロア軍を押し込んでゆく。けれど双方とも被害と疲労は蓄積されていった。
「・・・ドーベル大佐に出撃の連絡を」
戦場全体の様子は、各隊から来る伝令兵から伝えられて把握している。オロールはブライアン率いる本隊に疲労が見え始めるや否や、傍らの士官に告げた。
ルガル・ドーベル大佐は、志願兵の中でも多少の実戦経験がある者を選び、更に軽傷で一旦野戦病院へ入ったが戦意を失っていない者たちを纏めて1隊を作っていた。
連絡が来ると直ぐに、ドーベル隊はブライアンの本隊へ駆けつける。
「閣下!僭越ながら、ご助勢仕る!」
古風な言い回しで声を掛けると、ドーベルは敵兵の中へ突っ込んでいった。
後方から加わった新たな勢力は、カナロア軍のすり減った戦意を根こそぎ奪ったようで、後退の速度が速まった。
そして、カナル川の岸辺りまで追い詰められたカナロアの1隊が、上流に出現した光に気付いた。
「あれはっ!・・・何だっ?」
不夜城のように巨大に輝く灯りは、川面に反射している。煌々と輝くそれは、次第に川を下って迫って来ていた。
そして彼らは、いつの間にかカナル川が水位を増していることに気付いた。
この日の夕方、オロールは3羽の伝書鳩を飛ばしていた。
そのうちの1羽は、カナル川上流に架かる吊り橋近くに集結していた傭兵隊の元に向かう。義理の姉に当たる傭兵のヴァーナは、その知らせを受けて行動に移った。かねてより少しずつ何か所かに作っておいた堰、川の水量を調節するための構造物を、上流から順に破壊する。
更にもう1羽の伝書鳩は、上流に待機していた沢山の川船に飛んだ。それはギムレット王国のラモーヌとの間で進められていた計画だった。
小さいけれど数は多い川船が、堰が切られたカナル川の流れに乗って、怒涛の勢いで戦場近くまで進んだ。
最後の1羽の伝書鳩は、カナル川の向こう側、カナロア領内で探索活動をしているリンデン大佐への連絡を運んだ。
彼は軍用犬と共にカナル川の近くで対岸の様子を見て、頃合いを見計らって伝令犬を走らせる。傭兵隊は連絡を受けると、川岸から川船に合図を送った。
ギムレット王国の川船団は、船上に大量の篝火を焚いて一気に川を下った。
カナロア軍は、突然上流に出現した灯りが、デュランダルの援軍だと判断する。実際には、篝火だけで兵士は1人も乗っていなかったのだが。
これはもう、退却するより他は無いと判断した隊長と士官たちが下流の橋の方へ駆け出すと、他の隊もそれに倣う。カナロア軍は、総崩れになった。
橋を渡った先には、カナロアの大将である皇太子と、それを守る親衛隊が無傷で控えている。そこまで逃げ込めば、態勢を立て直せるかもしれないと考えていた。
騎馬兵たちが橋へ殺到するので、歩兵たちはカナル川を泳ぎ渡るしかない。敗残兵と言えるような有様になった兵たちは、けれど水位が上がった川に流される者が多かった。
しかし橋の方角からは、次々と悲鳴と水音が聞こえてくる。
オロールは、かねてより工兵隊の中から選んだ特務隊を作っていた。
彼らは夜間、こっそりと小舟で橋に近づき、少しずつ橋げたに細工をした。何時でも直ぐに、橋げたを構成する板を外せるようにしておいたのだ。
そして戦が佳境に入った夜半、橋の中央5メートル分だけ、渡していただけの板を取り払った。
橋の方からの騒ぎは、カナロアの騎兵たちが川へ落ちる音だった。
河口では既に待ち構えたデュランダルとホノブルの海軍たちが、漁をするように溺れる彼らを捕縛している。
『ただ追い返すだけではなく、二度とデュランダルに手を出そうなどと思わないように』
というオロールの考えは、カナロアを徹底的に叩くという計画を作り上げていた。
それでも何とか、カナル川を渡ることに成功した者もいた。
けれど彼らは、上流からやってきた傭兵隊と、事前に海側からこっそり潜入していたサンリットの戦士たちに出くわすこととなる。
「行きます!」
そんな戦場の様子を見ていたオロールは、愛馬シャカールを促して駆けだした。
黒いマントを脱ぎ捨てた彼女は、女騎士のように銀の髪を靡かせる。護衛兵たちも彼女を守るように、屍が転がる戦後の野を駆け出した。
オロールの行き先は、ブライアンの元だ。
橋の手前で待っていた彼は、返り血を浴びた鎧もそのままに、彼女を迎える。
「ここからが、最後の仕上げだな」
「はい、直ぐに橋は元に戻ると・・・えっ、ちょっと待って!」
ブライアンはオロールの返事を最後まで聞かず、いきなり橋に向かって駆けた。
体力お化けと言われる彼の愛馬プリンスボンドは、馬上の主と同じく返り血と汗にまみれていたが、ここからが本番だとばかりに疾走する。
そしてブライアンの手綱さばきに応え、橋を復旧する工兵たちの頭上も飛び越えて、向こう側に着地した。
「ああ、もう・・・・仕方がないですね。シャル、お願い」
彼を止めることが出来なかったオロールだが、小さく溜息をつくと愛馬に声を掛けた。
シャカールはブルルッと鼻を鳴らし、大切な主の意に応えて駆け出す。全力疾走を助走として橋の半分を駆け、尾花栗毛の美しい馬は背の主と共に見事に跳躍を決めた。
同じくフィザルも橋の上を駆け、途中で欄干に跳び乗ると、そのまま難なく走って向こう側へ飛び降りる。
目の前の美しい光景に思わず目を奪われたデュランダルの騎兵たちも、慌ててその後を追う。橋げたの板が全て渡されるのも待てず、次々と飛び越えて大将と参謀長に続いた。
フィザルはオロールが乗るシャカールの横に並ぶと、走りながら主の視線を受け止めた。そして直ぐに全力疾走に移り、前を行くブライアンに近づくと精一杯の声で吠える。
「ゥオンッ!ゥワンッ!ワンッ!」
その声に先に反応したのは、彼の愛馬プリンスボンドだった。耳をピクッと絞ると、直ぐに足を緩める。
「どうしたっ!プボ?」
驚くブライアンにも、後ろからの吠え声が漸く聞こえた。
「・・・っ、いかん・・・また、やってしまった」
夜を徹しての戦に、つい気が昂っていたようだ。単騎で飛び出すなど、大将としてやってはならない事だと気づく。
そして、フィザルの後ろから来るオロールの姿にも気づいた。
「オロール!」
冷静でいつも落ち着いている彼女が、1人で後を追ってくる。ブライアンの頭は、スゥっと落ち着きを取り戻した。彼は直ぐに踵を返し、彼女の元へ駆け戻る。
「すまん、オロール。また先走ってしまった」
素直に謝るブライアンに、オロールは汗に濡れた顔に笑みを浮かべて応えた。肩で息をする彼女を見ると、更に申し訳ない気持ちになる。
(俺という暴れ馬を、上手く制御してくれるオロールが、本当にありがたい)
ブライアンは、最後の舞台に向けて気を引き締める。
デュランダル軍は次々と橋を渡り、集結しつつあった。
その頃、カナロアの本陣では、立て続けに入る敗走の報告に慌てふためいていた。
それまでに何度も援軍要請があり、その度に本陣の兵を割いては対岸へ向かわせていたが、成果は上がっていない。それどころか、本陣に残っているのは皇太子直属の親衛隊だけになっている有様だ。
今やもう、王都から援軍を呼ぶ時間は無い。それはただ総大将である王太子の怠慢に他ならないのであったが、5倍の兵力があるという奢りもあったのだろう。平和ボケしている小国のデュランダルが、ここまで強いとは思いも寄らなかったのだ。
撤退するかどうか、と迷いながらも取り急ぎ陣を防御態勢に敷き直していた時、突然カナロアの本陣の内部で火の手が上がった。
「何事だっ!」
慌てて幕舎から飛び出した王太子アロンド・カナロアの目に映ったのは、陣のあちこちに保管していた糧食を摘んだ馬車が全て燃えている光景だった。
実は決戦に入る前の段階で、オロールの立てた計画に誤算が生じていた。
もっと早い段階で、デュランダル領内に入っているカナロア軍から、本陣にもっと多くの援軍要請が入る可能性が高いと踏んでいたのだ。そうするに十分な攻撃を成功させていたし、そのために決戦前に時間を掛けて少しずつカナロアの兵力を削って行ったのだ。
本陣の総大将をデュランダル領内に入れてから、総力戦に持ち込むのが最初の目的だった。
けれど結局、総大将の王太子は動かない。
けれどオロールは、そういう場合も考慮に入れていた。彼女は直ぐに計画を修正し、次の作戦を進めていった。それが、現在の状況だ。
総大将が動かないならば、こちらがそっちへ行けば良いだけのこと。そしてその為に、最大限有利な状況を作るだけのことだ。
オロールは、軍用犬部隊のリンデン大佐に連絡を取っていた。
『デュランダル軍が橋を渡ったら、訓練していた計画を実行せよ』と。
軍用犬部隊は、それまでに何度もカナロア本陣内の様子を調べ、時には装備を全て外した軍用犬を1匹で陣内に入れたりもした。そして糧食がどこでどのように保管してあるのかを、正確に把握していた。
そしてオロールからの連絡を受けると、陣の再編成に忙しいカナロア兵の隙を見て内部に潜入する。訓練を十分に受けた軍用犬に火が付いた松明を咥えさせ、無言の仕草で糧食が積まれた馬車に向かわせたというわけだ。
松明を怖がりもせず、かなり遠距離から指示に従って行動できるよう訓練された軍用犬たちは、見事にその役目を果たした。
火矢を放つよりも確実で、敵に気付かれずに行うことが出来た計画だったかもしれない。
少なくともカナロア側にとっては、突然糧食が燃えあがったようにしか見えなかったのだから。
慌てて消火に走るカナロア陣内だが、その時にはもうデュランダル軍は橋を渡っていた。
北からの傭兵隊と、死に物狂いで働くサンリットの戦士たち。
そして総大将の下に、整然と隊列を組むデュランダル軍と、更にその後から次々と橋を渡って来るホノブル軍。やがて彼らは、カナロアの陣を3方向から包囲した。
その時、東の地平線から朝日が昇る。
その光を正面から受ける軍勢は、まるで今から閲兵式が始まるかのように輝いていた。
「てっ、てっ、撤退・・・たっ、退却っーーーーっ!」
総大将アロンド・カナロア王太子は、僅かな手勢を連れて西へと走り出す。
尻尾を巻いて、というに相応しい逃げっぷりだったが、ブライアンはそれを追う事はしなかった。
『徹底的に叩くが、王太子は逃がす』
それは最初に、オロールと話し合って決めていたことだった。その方が、後々変な恨みを買わずに済むだろうと彼女の意見だったのだ。
カナロア王国の東の外れ。
カナル川を背にしたその場所に、デュランダル軍、ホノブル軍、傭兵隊、サンリットの戦士たちが集まって来る。
その真ん中で、ブライアンは傍らの士官からデュランダルの国旗を受けとった。
「デュランダル王国に栄光!我らが祖国は永遠!」
高々と掲げられた旗が、朝風の中にはためく。
勝利の凱歌のように、一斉に声が上がった。
「デュランダル王国、万歳!祖国は永遠に!」
うおぉぉぉ~~~っ、と高らかに上がる声の中で、ブライアンはもう片方の手を差し伸べた。
オロールの方へ。
一瞬、自分だと解らなかったオロールだが、傍に来たオーギュストとデュースに促されて彼に歩み寄る。
そしてオロールがブライアンの傍に駒を並べると、彼は彼女の手を取り、恭しくキスを落とした。
この勝利は、彼女がいたからこそ。
そんな陸軍大将王子の仕草に、士官も兵士も胸の中に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「ブライアン閣下、万歳!オロール参謀、万歳!」
口々に上がった声の中で、ひと際大きな声が突き抜ける。
「『炎陽の王子』『銀月の姫』は、永遠に輝く!」
それは、サンリットの戦士たちが放った声だった。




