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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第3章 サンリット首長国

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28/43

3-8 熱疹罹患 コールドベリー探索

 翌朝、ブライアンとオロールはロウトホルらに別れを告げて、帰路に就いた。

 国境を越えて王国領内のバンブー村には、昼過ぎには到着できそうだ。

 けれど薄曇りの空と同じように、ブライアンの心は晴れやかとは言い難い。


 結局昨晩は、旅の最後の夜だと言うのに、仕事の話に熱が入り、そのままそれぞれのゲルに戻って休んだのだ。ロマンチックなシチュエーションでのプロポーズを計画していたのに、気が付けば小さなゲルで独り寝のブライアンだった。

(俺は、好きな女性にプロポーズさえ出来ないのか・・・)

 情けなさに苛まれ、なかなか寝付けなかったブライアンは、寝不足になっている。


 いささか落ち込み気味の彼は、殆ど話すことなくどんよりとした雰囲気で愛馬に跨っていた。その愛馬プリンスボンドも、主の内心を知ってか知らずか、ただ忠実に歩を進める。

 一方オロールの方は、彼の計画など知る由もないはずなのに、こちらも口数少なくシャカールに乗っていた。

 今まで通り、馬を並べて進む2人だったが、それまでとは打って変わって、何やら微妙な雰囲気を纏っていた。



「お帰りなさいませ~~っ!」

 バンブー村の屋敷に着くと、玄関からフォリア夫人が飛び出してきた。

「お疲れ様でございました。殿下もオロール様も、ご無事のお帰り本当にようございます」

 何事もなくご無事であったわけではないが、あれらの事件については屋敷の方へは知らせていない。

 屋敷の中に入ると、グラシュー女医とメリアン、そしてリンデン大佐も待っていた。足元には、サルーキの仔犬が3匹、転げ回って遊んでいる。


「ああ、今帰った。それにしても、随分大仰な出迎えだな」

 久しぶりに見る面々は嬉しいが、明日には王都に戻るつもりのブライアンにしてみれば、ここで出迎える必要はないのではないかと思うのだ。するとグラシュー女医が、にこやかに答えた。

「私はオロール様の主治医ですから、1日でも早くご様子を窺いたいと思いまして。ちょうど休暇を取ってもおりましたし。メリアンも同行したのは、彼女の為でもあります」


 かつてオロールの侍女だったメリアンは、グラシュー女医が所長となっている『薬物研究所』で勉学に励んでいた。元々利発で気が利くメリアンだったが、薬学の才能があったようだ。グラシュー女医の熱心な教えと真摯に取り組む彼女の努力の末、今では女医の片腕となっている。


「メリアンは、既に薬学に関しては私と同じくらいの知識があります。研究にも熱心で、私の父が残した資料なども活用してくれています。ですので、私は本来の医学の方に専念できています」

 メリアンを褒めるローレルの言葉には、娘を自慢するような響きが微かに含まれていた。


「ほう・・・それは頼もしいな。で、今回ここに来た理由は何かな?」

 ブライアンは、穏やかに微笑んでメリアンに問いかける。

「は、はい。オロール様にお会いしたかったのもありますが、そのついでにこのバンブー村周辺に生える薬草について調べてみたかったのです」

 頬を真っ赤に染めて答えるメリアンは、いまや侍女と言うより薬物研究所の副所長と言っても良い働きをしているのだ。


 旅行用のマントを脱ぎながら話をするブライアンは、少し気分が明るくなっていた。

 けれどオロールは、その後ろでぎこちなくのろのろとマントを脱いでいる。


「あっ!オロール様っ!」

 その時、フォリア夫人が叫び、彼女を支えた。

「どうされました?大丈夫ですか?」

 オロールは夫人に寄り掛かり、何とか答える。

「・・・何だか・・・変な・・・」


 すぐさまグラシュー女医が駆け寄って、反対側からオロールを支えた。

「お部屋の方へ参りましょう。オロール様、歩けますか?メリアン!」

「はいっ」

 続いて駆け寄ったメリアンは、フォリア夫人と交代した。2人に支えられて何とか歩くオロールを見送りながら、夫人は声を掛けた。

「私も後から行きますわ」

 そして不安そうに立ち尽くすブライアンに、きびきびと告げる。

「ほら、殿下。ご用意は出来ておりますから、先ずは湯浴みをなさって下さい」

「・・・旅の疲れが出たのだろうか・・・俺は自分で出来るから、オロールの方に行ってくれ」

 再び暗い気持ちに襲われながら、ブライアンは浴室に向かった。


(・・・気づかなかった)

 浴槽に身を沈めながら、ブライアンは今日一日のことを思い返していた。

(口数が、少ないとは思っていたが・・・)

 自分の落ち込んだ気持ちにばかり浸っていて、オロールの不調に気づかなかった。

(旅の疲れが出ただけなら良いのだが・・・)

 今朝からの時間を反省しつつ、ブライアンは急いで湯浴みを済ませると、用意されていた服に着替えて浴室を出た。



「あ、殿下。丁度良かったです。居間の方で、詳しいお話をさせて下さい」

 オロールの部屋から出てきたグラシュー女医が、酷く難しい顔をして声を掛けた。彼女の後ろから、メリアンもついて来る。オロールはフォリア夫人が看ていてくれるのだろう。ブライアンは嫌な予感を感じながら、居間へ向かった。


「それで、オロールは?」

 ソファーに座るなり問いかけたブライアンに、ローレル・グラシュー女医が答えた。

「今はフォリア夫人が看てくれています。後からメリアンも来ますが、先にお伝えしておきます」

 厳しい顔つきの彼女は、冷静に言葉を続けた。

「オロール様は、熱疹に罹っています」

「え?・・・熱疹?・・・それは、子供が罹るものでは無いのか?」

 女医は、静かに説明を始めた。

「普通はそうです。発熱は1~2日で治まり、発疹は5日程度で消えます。伝染病の一種で、うつると翌日には発症します。一度罹ったら二度と罹りません。ですから発病した子供がいると、わざわざうつして貰いに行くくらいです。子供なら軽い発熱と発疹程度で済みますからね」

「ああ、俺も兄上が罹った時に、うつして貰いに行ったと聞いている」


 当時乳母であったフォリア夫人が、その後何度もブライアンに話していた。熱がある時くらいは大人しくなるかと思ったが、寧ろ発熱でハイになって飛び回ってはしゃいで大変だったと。


「ええ、ですから王族・貴族、平民を問わず、皆子供の時に罹っているのが普通です。ですが、オロール様の場合は、罹っていなかったのだと思われます」

「あ!・・・」


 オロールは、幼少期から自室で隔離された状態で育った。ごくたまに弟のサリオスが来てくれたと聞いたことがあるが、基本的に子供と接したことは無いのだ。ロウトホルのゲルでも、そう言っていた。

 そこまで考えた時、ブライアンは気づいた。


「昨晩、オロールは幼い子供たちと一緒に食事をして、同じゲルで寝たんだ」

「では、子供たちの中に、熱疹から治ったばかりの子供がいたのでしょう。発疹が消えても、その後数日間はうつるので」

 そして女医は、ここからが重要なのだと言いたげに居住まいを正す。

「ごく稀に、子供の時に熱疹に罹らずに大人になった人はいます。その場合、つまり大人になって熱疹に罹ると、症状が重篤になります。父が残した文献に、詳細がありました」


 ローレル・グラシューの父は、デュランダル王国一と言われた医師で、既に亡くなっている。多くの医学書や手記を残し、それらの全ては娘であるローレルが継いでいた。


「それによると、大人の場合は発熱が高熱と言えるくらいになり、それが5~6日続きます。発疹も消えるまでに1週間くらい掛かるのですが、問題はその高熱なのです。それに耐えられず命を落とした例があり、乗り越えられても後遺症で体や頭が不自由になることもあるのです」


 グラシュー女医の説明を聞きながら、ブライアンの顔色はみるみる青褪めた。


「今は私が持ってきていた解熱剤を飲ませていますが、それだけでは足りませんし、そもそも一般的な解熱の薬は、熱疹に対しては効きが悪いのです」

 グラシュー女医がそこまで話した時、メリアンが部屋に入って来た。

「失礼いたします。先生、リンデン様にお伝えして、村の薬屋に行ってもらいました。あと、コールドベリーについても、一応お伝えしました」

 メリアンは、小脇に分厚い書物を抱えている。

「ありがとう、メリアン。ここからは、貴女が殿下に説明なさい。薬物の原料については、貴女の方が詳しいですから」


「はい、それでは失礼いたします・・・これです」

 メリアンは、持って来た書物を開いて、ブライアンの前に差し出した。

「この薬用植物図鑑は、先生のお父様が著したものです。その中に、先ほど申し上げたコールドベリーと言うものがあります。ここバンブー村の北にある山岳地帯に生える植物です」

 メリアンが指さした部分には、ブルーベリーに似た果実の絵があった。

「岩の間に生える低木で、果実が実るのは初夏ですが、今の時期ならもう採れるのではないかと思います」

 ブライアンは訝しげに挿絵を見つめた。

「・・・これが、役に立つと言うのか?」

「薬効を詳細に説明させていただきます。3粒ほどでかなり体温が下がると記載されていますが、問題はその効果が限定的なのです」

 メリアンは、やや口早に説明を始めた。


 コールドベリーの薬効は、木から採った瞬間からどんどん低下する。24時間でほほ効き目が無くなるので、主に山中で発熱した場合のみ役に立つ植物だ。ローレル・グラシューの父は、これを何とか有効利用できないかと、色々と調査や実験をしていたらしい。


「けれど、有効成分を取り出すことは出来ていません。ただ、どんな発熱症状でも効くことははっきりしています」

「と、いう事は・・・オロールをそこへ連れて行けなければならないという事か?」


 それまで黙って聞いていたグラシュー女医が、難しい顔のまま答えた。

「それは、無理です。オロール様の体力では、移動させることさえお命を縮めます。実際、私たちが全力で看護にあたっても、あと3日・・・ギリギリ4日くらいまでしか体力がもたないと思います」

 ブライアンは蒼白の顔のまま、ギリッと唇を噛み締めた。


「・・・そのコールドベリーが生えている場所はどこだ?俺が、採ってくる」

「それが・・・かなり遠くて、ここからだと馬で往復して丸2日は掛かると思います。高山に近い場所なので、馬でも上りづらい場所なんです」

「いや、プボならその半分で行かれるはずだ。向こうで探す時間を入れても、何とか間に合うだろう」

 自分に出来ることは、それしかない。ブライアンは、拳を握り締めてきっぱりと告げる。

「いえ、ですから、コールドベリーの効果は採ってから1日しかもたないんです。持ってきて貰っても、ここに到着するまでには・・・」

「帰りに全力で走らせれば、山の下りになるわけだし、ずっと早く戻ってこれる。早ければ早いほど、薬効は残るはずじゃないか」

 少しでも、オロールが楽になるならやるだけの価値はある、と言い切るブライアンだ。


 そんな彼に、グラシュー女医は口を閉じるしかない。

(たとえ3日以内に間に合っても、効果が低くなったコールドベリーでは、解熱効果は数時間でしょう。再び熱が上がったら、その後は・・・)

 それならば、ずっと傍にいてあげる方がオロールの心は安らげるのではないかとさえ思ってしまう。


 その時、村へ走ってくれていたリンデン大佐が戻って来た。

「只今戻りました。村で手に入る限りの、解熱効果がある薬や薬草を入手して来ました」

 かなりの荷物をテーブルに置きながら、更に話を続ける。

「ただ、やはりコールドベリーは、乾燥したものさえありませんでした。でも、ちょうど北の山から帰って来た猟師に聞いたら、もう実り始めているそうです。彼が見た場所を、詳しく聞いてきました」


「メリアン、コールドベリーの見た目を詳しく教えてくれ。低木だと言っていたが、実の色と大きさは?」

 ブライアンは立ち上がってリンデン大佐とメリアンに詳しい情報を聞き、振り向いてグラシュー女医に告言った。

「直ぐに出る・・・が、その前に少しだけオロールに会っていきたい」


 オロールの部屋に入ったブライアンに、フォリア夫人が告げる。

「解熱薬があまり効かなくて、かなりお辛い状態だと思います」

 ベッドサイドに近づいて、彼女の顔を覗き込むと、額から頬に掛けて濃いピンク色の斑模様が浮いていた。苦しそうな息を切れ切れに繰り返すオロールは、瞼を閉じて耐えているように見えた。

「・・・オロール、薬を採りに行ってくる。待っていてくれ」

 彼女の頬に手を添えて、ブライアンは静かだが力強く声を掛けると、瞼が震えてその瞳が開かれた。

 高熱で朦朧としているようだが、視線は彼の顔に注がれる。


「オロール、必ず戻るから、絶対に待っていてくれ」

 もう一度同じ言葉を掛けた彼に、オロールはか細いながらもはっきりと返事をした。

「・・・・・・はい・・・」

 ブライアンは頷いてギュッと彼女の手を握り、踵を返すと部屋を出て厩に走った。


「プボ、オロールのためにコールドベリーを採りに行く。遠く険しい山だが、お前だけが頼りだ。頑張ってくれ」

 愛馬にそう告げ馬具を付けると、ブライアンは1分1秒をも惜しむように屋敷から駆け出た。


 彼と入れ違いに厩にやって来たリンデンは、馬房の中で今にも馬柵棒を折ろうとしているシャカールに気付く。

「おい、どうしたシャカール!」

 慌てて近づくリンデンに、シャカールは鼻息も荒く嘶いた。

「なんだ?・・・お前も行きたいのか?」


 ブライアンがプボに告げた言葉の中に、大切な主の名が含まれていた。言葉の全てを理解したわけでは無いが、一緒に行かなくてはならないと決めたのだろう。

 そこに、厩の近くにいたフィザルもやって来て吠える。このサルーキ犬も、どうやら一緒に行く気のようだ。

 リンデンは暫し考えたが、直ぐに馬房の中に入る。

「閣下からご許可は貰っていないが、お前たちの気持ちを優先しよう。責任は俺が取るから、お役に立ってこい」


 リンデンはシャカールに馬具を付け、コールドベリー探索に役に立ちそうな物を幾つか集めて鞍に縛り付ける。

「フィザル、お前はシャカールに乗っていけ。体力を温存して、コールドベリー探索に全力であたるんだ」

 サルーキ犬は、そのジャンプ力で軽々とシャカールの背に跳び乗り、鞍の前部分をしっかりと咥えた。馬に乗る犬と言うのはかなり珍しいが、以前リンデンはそんな訓練もさせていたのだ。

 細いロープや大きめの袋と布、そして大型犬を背に乗せた栗毛の馬は、準備が整うや否や全速力で駆けて行った。



 駆ける速度だけなら、シャカールはプリンスボンドに引けを取らない。大の男を乗せたプリンスボンドに、軽い荷物とフィザルだけを乗せたシャカールが追いつくのは左程難しくは無かった。

 山野を走り、ここからがいよいよ急峻な山道に差し掛かるところまで来た時、ブライアンは後を追ってきたシャカールに気付いた。

「シャカール!お前も来たのか!・・・フィザルもか!」

 栗毛の馬から跳び下りた犬に驚いたブライアンだが、馬と犬でも心強くなる。


 今いる場所は丁度山の森林限界の辺りで、ここから先は大小の岩と灌木が点在する場所だ。様々な種類の灌木の中から、コールドベリーの木を見つけなければならない。

「探すのは、このくらいの大きさの木の実で、色は黒っぽい」

 ブライアンは人差し指を親指で小さな輪を作り、プリンスボンドの黒い体に近づける。馬と犬に大真面目に説明する彼だが、プボとシャル、そしてフィザルも何となく理解したようだ。

「見つけても、絶対に食べるなよ。体温が急激に下がるから、具合が悪くなる。見つけたら、俺を呼べ」


 3匹の動物と一緒に使命を果たす、お伽噺のような状況だが、彼らは直ぐにコールドベリーの木を探しに入った。山道を外れ、岩だらけの斜面を移動するブライアンと、軽快に岩の上を跳びながら駆けるフィザル。プリンスボンドは、馬にとっては歩きにくい地面に難儀しながらも、何とかバランスを取って主人の後を追った。

 けれどシャカールは、合流した場所から動かなかった。

 ここまで来て、一緒に来ないシャカールを不思議に思わないでもないブライアンだが、声を掛ける時間も惜しいと思い、そのまま斜面を歩き回った。



 屋敷では、グラシュー女医、フォリア夫人、メリアンそしてリンデンが全力でオロールの看病にあたっていた。

 メリアンは、揃えて貰った薬草を使い、少しでも解熱効果が高い薬を調合し続ける。

 ローレル・グラシュー女医は、オロールから片時も目を離さず、タイミングを見計らって薬を飲ませた。

 フォリア夫人は、冷たい水で絞った布を、病人の腋の下や足の付け根に当てて冷やし続ける。額や首筋も冷やし、少しでも体温を下げようとしていた。

 そして冷たい水は、リンデンが何度も沢に汲みに行き、直ぐに温くなる洗面器の水を交換した。


 けれどオロールは、何度か嘔吐と熱性痙攣を起こし、その体力はじりじりと削られていった。

「オロール様、殿下がきっともう直ぐ、お薬を採って帰ってきますからね。あと少しの辛抱ですからね」

 フォリア夫人は何度も、高熱に浮かされる病人に話しかけて励ました。




 コールドベリーの探索に入ったブライアンたちは、教えて貰った通り、日当たりの良い南向きの斜面を駆け回る。一息つくような時間も惜しみ、数時間岩陰の灌木を調べていたブライアンは、やがて1本のコールドベリーの木を見つけた。

「あった!これだ!」

 小袋を取り出し、熟した実を探しながら摘んでゆくブライアンの耳に、プリンスボンドの嘶きが聞こえた。彼の近くで同じようにコールドベリーの木を探していた愛馬が、『ここにもある!』と告げたようだ。

 そしてプリンスボンドは、熟した実が付いた小枝を、口で咥えてポキポキと折ってゆく。

(あっ!そうか。実だけを摘むより枝ごと採ったほうが、効果が持続するかもしれない)

 今更ながらに気付いたブライアンは、直ぐに駆け寄ってプリンスボンドが折った小枝を集め始めた。


(こんなもんか?・・・ん?プボは・・・)

 ふと気づけば、プリンスボンドが傍にいない。当たりを見回すと、愛馬は少し離れた場所でフィザルと一緒に前脚で土を掻いていた。

 そこにはブライアンの腰の辺りまでしかない高さの、コールドベリーの木があった。小さな木だったが、特に日当たりが良い場所だったのか、良く熟した実がぎっしりと生っている。

 フィザルはものすごい勢いで両前脚を動かし、木の根元の小さな岩や小石を辺りに跳ね飛ばしていた。

 プリンスボンドも、犬に倣って右前脚で地面を掻き、その力を発揮してかなり大きめの岩も動かそうとしている。


(そうか!いっそ、木を丸ごと持って行けば・・・)

 馬と犬、そして男の力で、コールドベリーの木は土の着いた根っこごと掘り出された。

(後は、持ち帰るだけだ)


 念のため小袋の中の摘んだ実と小枝についた実も持ち、何とか細い山道まで戻ったブライアンだが、道を下り始めて気が付いた。

「プボっ!足をどうしたっ?」


 彼のすぐ横を歩いていたプリンスボンドが、完全に跛行していた。

 右前脚に異常があると判断したブライアンが荷物を置いて確認すると、蹄鉄が取れて無くなっている。さらに蹄に亀裂まで入っていた。

「・・・岩を掻いた時か・・・」

 ブライアンは、絞り出すように呟いた。

「・・・最悪だ」


 この状態で、自分とコールドベリーを乗せて走らせることは不可能に近い。馬にとって蹄の損傷は、時として致命傷になる場合もある。全速力で屋敷に駆け戻ることは、絶望的に思えた。

「ヒヒン・・・ブルルッ」

 プリンスボンドは、大丈夫だから行こうと言う様に鼻を鳴らす。

 ブライアンは、窮地に陥った。

(どうすれば・・・)

 その時、山道を駆けあがってくる馬の蹄の音が聞こえた。


 ドガッドガッドガッ・・・


 力強く駆け上がってきたのは、待機していたシャカールだった。

 こんなアクシデントを予想していたわけではないだろうが、プリンスボンドに比べるとスタミナに劣る自分を解っていたのだろう。ブライアンたちが探索をしている間に体力を回復したシャカールは、意気揚々とブライアンに近づいた。


「シャカール・・・助かった」

 手綱を取ったブライアンだったが、シャカールはそれを嫌がるように体を離し、背中の荷を見せつける。そこにはリンデンが括りつけた、細いロープや大きな袋、そして丈夫な布があった。

「・・・そうか、これを使って・・・」

 ブライアンは、冷静に考える。

 シャカールに、自分と荷物を乗せて屋敷まで全力疾走するスタミナは無い。けれど、荷物だけなら・・・

「シャカール、お前が運んでくれるんだな」


「ヒヒィン!」

 我が意を得たとばかりに満足げに嘶いたシャカールを見て、ブライアンは黙々と荷造りをした。

 根っこごと掘り上げた木は布で包み、実が付いた小枝は大きな袋に入れる。それらをシャカールの鞍に乗せて、細いロープで固定した。

(俺が、持って行きたかったが・・・)

 そう思うが、ここはシャカールに任せるのが一番確実なのだ。

 最後に、小袋のコールドベリーを鞍に縛り付け、ブライアンは彼女の愛馬の首を叩いた。

「シャカール、頼む・・・」


 尾花栗毛の美しい馬は、後も見ずに駆け出した。



 金色の鬣を靡かせて、シャカールは全力で駆けた。

 賢い彼には、一刻一秒を争う事態なのだという事が解っている。

 長い時間を駆け続け、栗色の馬体は汗にまみれ、口には白い泡を吹いた。

 けれどシャカールは、一度も足を緩めることなく走り続けた。



 ブライアンは、プリンスボンドの脚を労わりながら、フィザルと一緒に山を下りた。

 そのフィザルも、前脚の爪を痛めているようで、足元が覚束ない。

 馬と犬、そして人も、俯きながらよろよろと歩いた。


 そこに、前方から人を乗せて駆けて来る馬の姿があった。

「閣下~~っ!」

 それは、自分の馬に乗ったリンデンだった。


「大分前ですが、シャカールと擦れ違いました。こちらには目もくれずに、駆け抜けていきましたが・・・」

 リンデンの言葉を聞いて、ブライアンは状況を説明した。

「解りました。閣下は、私の馬で屋敷に向かってください。何かあった時のために、応急手当が出来る物を持ってきています。プリンスボンドとフィザルは、自分がここで手当てをして、責任もって連れ帰ります」

「・・・それは、助かる。ありがたい・・・」

 地獄に仏、のような気分になった。

 ブライアンは疲労と落胆と不安で力が抜けていた身体に、カツを入れた。


(オロール、今行くから・・・)

 一番大切で、掛け替えが無い相手。心の底から愛しいと思う彼女の元へ。

(待っててくれ!)

 ブライアンは、リンデンの馬に跨ると屋敷に向かって駆けた。



 シャカールは、屋敷の玄関前に着くと、最後の力を振り絞るように扉に体当たりをした。

 ドガッバキャッ!


 粉砕された扉から中に飛び込んだところで、シャカールはその場に四肢を折って倒れこむ。

 物音に気付いたメリアンが、血相を変えて飛び出してきた。


「シャカール!・・・この荷は、コールドベリー!」

 大声を上げたメリアンは、大急ぎで荷物を解いた。

「この木に生っているいる方なら、きっと効果が!」

 メリアンは、布に包まれた木から数粒のコールドベリーを採ると、病室に駆け戻った。


 破壊音に気付いて駆け付けた使用人は、玄関内に蹲って荒い息を吐き続けるシャカールに、大急ぎで水を持ってくる。そして限界以上に頑張った馬の身体を拭いてやった。

「頑張ったな。お前は凄い馬だ。お前の主は、きっと大丈夫だ」

 その声を聴きながら、シャカールはゆっくりと頭を落として眠り込んだ。


 病室に駆け戻ったメリアンは、手際よく3粒のコールドベリーを磨り潰してガーゼで濾した。

 スプーン1杯ほどの果汁は、直ぐにオロールの口元に運ばれる。

 既に意識は無く、腫れ上がってひび割れたその唇を割って、グラシュー女医は少しずつ液体を垂らした。


 フォリア夫人は、シャカールが運んできた荷を確かめ、土が着いたままのコールドベリーの木を病室に運び込んだ。大きな桶を用意し、水を入れて木の根をそこに差す。

 こうしておけば、コールドベリーの実の効果も、長持ちするはずだ。


 グラシュー女医は、患者の様子を見ながら適切に果汁を与えた。

 メリアンも、コールドベリーの状態を確認しつつ、安定した効果が出るよう工夫する。

 フォリア夫人も、オロールに優しく声を掛けた。

「きっともう直ぐ、殿下も参りますからね」

 馬だけが帰って来たことに不安を覚えつつも、言葉にすることで自分を落ち着かせる夫人だった。


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