3-6 計画準備 異国間の戦を利用して
ブライアンたちが外交官邸の中に入ると、コイヌール外交官と留学生たちが飛び出してきた。
一昨日自分たちの留守中に尋ねてきた男女の様子を、留守番をしていたターバンの大男から聞いていたのだ。一時預かりをした馬たちのことも聞いた彼らは、この男女が陸軍大将王子と参謀令嬢ではないかと思い至る。そして円形闘技場の話も聞いて、大慌てで伝書鳩を飛ばしていた。
『陸軍大将と参謀局長補佐は王都にいるか?』
と言う内容に留めたが、帰って来た返信は『休暇で旅行中』というもので、どうしたものかと頭を抱えていたところだったのだ。
とりあえず外交官邸に落ち着いたブライアンとオロールは、慌てふためいている外交官など気にも留めず、これから始める計画に、こっそりとワクワクしていた。
ブライアンは、先ずはサートゥルに命じた。
「アルガム領とテソーロ候領の国境辺り、戦が起こると思われる場所の近くに、中程度の大きさの隠れ家を用意して欲しい」
サートゥルは張り切ってその役目を引き受け、急いで都を出た。
彼の役職は『デュランダル王国陸軍 サンリット首長国案内役』というどこか曖昧なものだったが、ブライアンの言葉であっさりと認められた。専用の馬を与えられたサートゥルは、僅か数日のうちに目的に適う隠れ家を探し出してくる。
「山の麓にあった牧場の跡地で、既に放置状態の持ち主もいない廃墟です。ですが家屋や家畜小屋は、まだ使用に耐えます。一番近い集落でも馬で半日は掛かりますし、牧場へ至る道も荒れ放題の草ぼうぼうだから、誰も近づくような場所じゃないと思います」
ブライアンは早速その場所を確認するべく、サートゥルを伴って都を出た。当然変装し、馬もプリンスボンドではなく外交官のものを借りた。
そしてその間、オロールはここ数日の間に書き上げた書簡を、伝令を使ってデュランダル陸軍本営に届けさせた。
それは今回の計画を始める準備で、手紙の最後には当然ブライアンのサインを入れて貰っていた。更にはギムレット王国のラモーヌにも、自分の名で手紙が届くよう預けた。
隠れ家の確認が終わると、ブライアンとオロール、そして忠実な馬たちと犬は外交官邸を出た。
今後の拠点は、サートゥルが見つけてくれた廃墟のような牧場になる。
それから数日間、彼らはそこである程度の準備を整えた。とは言え隠れ家なのだから、外から見えない部分を掃除したりする程度だ。そしてその間、一番忙しかったのはサートゥルだっただろう。
「オロール、大丈夫か?無理するなよ」
厨房の窓を少し開け、埃混じりの空気を外に出しながらブライアンが声を掛ける。
「はい、ありがとうございます。それにしても・・・ブライアンは、雑巾がけが上手ですね」
「おう、海軍時代に甲板掃除はさんざんやったからな。罰則でだったんだが。こう見えて、実はひと通りの家事くらいは出来るぞ」
彼はある意味、異能な王子様なのかもしれない。
そんな仕事を結構楽しんでいたブライアンとオロールだったが、その間サートゥルは自宅と都、そしてこの隠れ家を何度も往復していた。
サートゥルは今まで通り自宅で早朝の畑仕事を祖父と共に行い、朝採れの野菜を都へ運ぶ。そしていつもの八百屋で野菜を卸し、それから様々な物資を買い集めた。不審に思われないよう馴染みのない店を回り、保存が利く食料や生活物資を少しずつ調達する。
それらはオロールの指示だったが、彼には他にもっと重要な任務を与えられていた。
「噂と言うものは、時間が経てば経つほど下火になってゆくものです。ですから時々、その火に追加燃料を投下しなければなりません」
オロールは『炎陽の勇者』の噂話を、最大限に活用するつもりだった。
「それには、新しい情報を加味するのが良いのです。『炎陽の勇者』は異国の王子らしいという噂を、上手く流してください。また、噂話と言うものは伝言ゲームの様に内容が変わってゆくものです。『炎陽の王子』の風貌や馬たちと犬の姿も、変わらないように情報操作してください」
その内容は、オロールがギムレット王国のラモーヌと書簡交換をして得た知識を活用したものだった。
今回の計画で、彼女は情報操作も試してみるつもりだった。
サートゥルの努力の結果、首長都では『炎陽の王子』の話が定着してくる。数日後、サートゥルは面白そうにオロールに報告した。
「今や『炎陽の王子』は英雄譚みたいになってますよ。路地裏の子供たちさえ知ってるんですから。それに王子が助けた女性も、実は『姫君』だったという事になってます。あ、それは自分が流した噂じゃないんですが、『銀月の姫』と名前が付いちゃったんですよね」
生贄として闘技場に引き出された時の、凛とした気品と輝く銀の髪。
それを実際に見た観客たちが、鼻を高くしてそのように話を盛ったのだろうと思われる。
「・・・『銀月の姫』?・・・何だか、妙な気分になりますね」
このところ大掃除ばかりしているオロールは、荒れた手を額に当てながら感想を述べる。
「俺だって『炎陽』だぞ。最初は漁師かと思ったくらいだ。誰だ、それは?って気分なんだが」
(遠洋・・・でしょうか)
掃除で汚れたシャツを着たままのブライアンも、何とも言えない表情になっていた。
それでもそれは、計画の一部なのだ。
最後は苦笑いで、その場を収めた2人だった。
サートゥルは他にも、これから起こるであろう戦についての情報も集めていた。
それによると、どうやら戦場になるのは山脈の麓にあるルフレスクという土地になるだろうという事だった。
テソーロ候領とアルガム領の境は、さほど高くは無い山脈になっている。1本の街道が通っていて、現在テソーロ候領側には、かなりの数の兵士たちが集まっているらしい。そこから街道の峠を下った場所、そこがルフレスクと言う名の荒野だった。ブライアンたちがいる隠れ家からだと、山の中を徒歩で行っても30分程度で到着する。
そして着々と準備が整ってゆく間に、1人の男が隠れ家を訪れる。
「失礼いたします、殿下」
着てきたポンチョを腕に抱えて入って来たのは、デュース・ドゥカート大佐だった。
「デュースじゃないか!お前が来たのか」
驚いたブライアンに、彼の親友でもあるデュースはニヤリと笑って答える。
「自分も休暇が余っておりまして、この機会に消化しようかと考えました。前回のギムレット王国訪問では、オーギュストが随行して自分は留守番でしたから、今回は自分が、と」
要は、少しばかりつまらない思いをしていたという事なのだろう。親友として役に立ちたいと思う気持ちは、オーギュストと変わらない。
「一応、受け取った書簡の中に記された人数に入っていますから、大丈夫です。その内容に従って、目立たないように全員少しずつここに入る手はずになっています。人数や得意な能力もご指示の通りに揃えて、全員休暇扱いとしております」
私的な行動と理解しているデュースは、敬礼も無しで報告をした。
「そうか、ご苦労だった。凄く心強いな。オロール、彼に詳しい説明を頼む」
ブライアンが振り向いて彼女にそう告げると、挨拶もそこそこに2人は話し合いを始めた。
それから翌朝までに、残り11名の男たちが隠れ家に集まってきた。彼らはそれぞれ、馬の横腹に干して乾かしたタケを大量に縛り付けていた。
それらのタケは、以前オロールが、今は遊牧民となっているロウトホルに頼んだ仕事の結果だった。
『太いタケを大量に切り出して、街道近い場所に干しておいて欲しい』
と言う仕事内容は、今回の計画に使う予定では無かった。デュランダルに帰国したら、荷車を送って兵営に運びこみ色々と実験してみたいと思っていたオロールだ。
その予定を、実験を飛び越してこの機会に実地試験運用してしまおうと考えていた。
そしてその日から、計画は次々と実行されていった。
ブライアンもオロールも、新しい遊びを見つけた子供の様に、生き生きとして精力的に行動している。
オロールは呼び寄せた12人のうちの2人を、直ぐにその仕事に送り出した。
彼らは情報局の兵士で、情報局長オーギュストの人選によるものだ。送った手紙の指示通り、山野の活動に長け情報収集に秀でている。その風貌も、1人は北方民族に近く、もう1人は砂漠の民に近かった。
猟師の姿になった2人のうちの1人は、テソーロ候領の山で暮らす猟師として、集まってきているテソーロの兵たちの駐屯地と接触する。山で獲れた獲物を持ち込んで売る猟師として、テソーロ候側の情報を集めた。
もう1人の方は峠辺りで待機し、得た情報を隠れ家まで運ぶ役目になる。ついでにルフレスクに集結しつつあるサンリット首長国側の情報も入手していた。
ブライアンは、デュースを含めた残りの10人に、計画の全てを説明し、街道の周辺とルフレスクの北側を見て回る。自分たちがどんな目的で、何をどうすれば良いかを理解した士官と兵たちは、意欲的に作業を行おうとする気概が見て取れる。彼らはデュランダル王国陸軍の工廠局に身を置く有能な人材で、それを率いる士官はデュースがその才を認める人物だった。
「ヴィスマール少尉、作業については全て任せる。限られた時間だが、有効に活用して欲しい」
ブライアンのどこか楽し気な言葉に、まだ若い士官はニヤッと笑って頷いた。
ヴィスマールという士官は、金髪碧眼の優男だ。女性から見れば相当に魅力的な容姿に恵まれているが、彼にとって恋愛などは完全に興味のない分野であるらしい。デュースに言わせると、工学に関して天才的な頭脳を持っているが、偏屈な研究家か発明家のような生活なのだそうだ。
「・・・という事は、ぶっつけ本番の実験をして良いということですね。これは面白いです」
オロールの説明を聞いたヴィスマールは目を輝かせて、隠れ家を飛び出して行った。
デュースは現場を纏める傍ら、サートゥルに案内して貰って、時折都へ資材の調達に入る。主に道具やロープなどの買い出しだが、やはりそこで今や都でもちきりの噂も聞いてしまう事になる。
(参謀が生贄にされそうになり、閣下が助け出したとは聞いていたが・・・)
どうやらそれは、かなり端折って伝えられた内容だったようだと気づいた。
(噂話だからその内容をかなり差し引いたとしても、とんでもない状況だったのだな・・・)
遠慮なくやってくれと伝えられた計画も、それなら納得がいくと腑に落ちたデュースだ。
そして彼は、こっそりと外交官邸に運び込まれていた荷物を、少しずつ運び出して隠れ家へと移動させた。それらはデュランダル王国陸軍大将の武器と防具、そして10名分のそれらだった。他にも大きな衣装箱が1つあったが、それは外交官邸に残しておく。
計画は着々と進み、忙しい時間を過ごしていたブライアンとオロールだったが、申し訳ないくらいの気分の高揚と充足感を感じていた。
何の遠慮も無く、気遣いも不要で、失敗しても損は無いと言う状況のなせる業なのだろう。
彼らも、聖人君子では無いという事だ。
そんな中、テソーロ候の駐屯地に接触していた情報局の兵から連絡があった。
『3日後、夜陰に乗じて出兵する予定。自称1万の兵力だが、実際は5千程度だと思われる』
ブライアンは早速、全員を集めた。
「兵力は5千というのが確かなところだろう。テソーロ候の思惑通りには、兵が集まらなかったのだと思う。だが自軍の兵には、1万だと伝えて無理やり士気を高めているのだろうな」
大将の言葉に、参謀も口を添えた。
「テソーロ候の動きについては、ギムレット王国にその都度手紙を送っていました。おそらくギムレットの王都が、何らかの形で対応を始めているのだと思います」
とは言え、5千の兵力と言うのは、そこそこ大きな戦になるだろうと予想される。
「テソーロ候も、今回は指揮を執るようで、今度こそ本気で兵を進めて侵攻を成功させる覚悟でいるようです。ですが思ったほど兵力を集められなかったからでしょう。戦を有利に進めるために、夜間に峠を下って勢いをつけ、サンリットの駐屯地を急襲するつもりのようです」
オロールの冷静沈着な説明に、一同は黙って頷く。
「3日後の夜は、おそらく曇りになるだろうと聞いています。三日月の晩ですが、辺りはかなり暗いと思ってください」
天気については、この地に長く暮らすサートゥルの話を聞いていた。この季節、厚い雲が流れる日々が続くのだと言う。
「我々にとっては、寧ろ好都合だな。見つからずに行動できるだろう。当日は装備を整えて、日暮れと共にここを出て所定の位置に着くこととする。それぞれに役割をしっかりと確認しておくように」
ブライアンの言葉を最後に、一同は解散して、最後の仕掛けに取り掛かった。
その日の夜、オロールは1人でそっと外に出た。
計画の実行は夜間になる。頭と体を夜型にしておきたいと思っていた。ブライアンたちも、夜間の行動に慣れるために隠れ家を出ている。
(・・・あら?)
荒れ果てた放牧場にある厩に、ぼんやりとした灯りが見えたような気がした。
(馬たちも、ブライアンたちと一緒に出ているはずだけど・・・)
灯りは酷く弱くて、目の錯覚の様にも思えた。
(・・・気になりますね)
生憎心霊現象のような代物は、書物の中だけのものという認識のオロールだ。野生の獣の目が光ったようにも思えないので、ちょっとした好奇心で厩に歩み寄る。
そこには、自宅に帰っていたはずのサートゥルが、しゃがみこんで何かをしていた。
その手元が、ぼんやりと照らされている。
「・・・サートゥルさん?」
「ぅわっ!」
そっと近づいて来たオロールに気付かなかったサートゥルは、思わず声を上げてしまった。
「ごめんなさい、灯りが見えたものだから。それに、もう帰ったと思っていたので」
慌てて言葉を続ける彼女に、サートゥルは恥ずかしそうに笑って答えた。
「すみません、一度帰ったんですが戻って来ました。祖父たちに、仕事で数日泊まり込むと言ってきたんです。計画のためには、その方が良いと思ったんで。で、ふと思いついて、これを採って来たんです」
サートゥルは、手に持っていた物をオロールの前に差し出した。
ぼんやりと金緑色に発光するそれは、不思議な魔法の品の様に見える。
「・・・これは?」
「苔なんです。うちの庭の傍に川があるでしょう?その少し上流に崖があって、滝になってるんです。うちではそこから、水車を使って水を引いてるんですが、その滝の裏側に小さな洞窟があって、こいつが生えてるんです。名前は知らないけど、うちではヒカルコケって言ってます」
ぼんやりとした明るさだが、手元くらいは照らすことが出来るようで、サートゥルはそれを使って手作業をしていたらしい。
「いくらあっても良いかと思って、縄を綯っていたんですが・・・この苔、何かに使えないかなぁって考えてもいました」
照れたように説明するサートゥルの手の中の『ヒカルコケ』を、オロールはジッと見つめた。
「これって、どのくらいの間、光っているものなのかしら?」
「湿ってる間は光ってる、って感じですが・・・干しておいたものを、また水で戻せば光り出しますよ」
サートゥルの返事を聞いて、オロールは悪戯っぽい目つきになる。
何かが閃いたらしい。
「これを乾かしたもの、出来るだけ沢山用意して貰えるかしら。折角なので、演出に使えそうです」
彼女の思惑は解らないが、自分が役に立ったらしいと感じたサートゥルは、早速行動に移った。
3日後の夕方、連絡役の2人を除いた10人と、ブライアンとオロールは隠れ家に集まって装備を整えた。デュランダル王国陸軍の正式な軍装である。オロールも普段兵営で来ている薄い灰色の服に着替えたが、大きめの白く薄い布と小さな革袋を持っていた。
やがて彼らは、目立たぬよう充分注意して、オロールが定めた場所に移動する。今回は、各自が馬を連れていた。
そこはテソーロ候の軍が駆け下りて来るであろう街道が、ルフレスクの平地に入る辺り。その両側の森の中で、見事な竹林が生い茂る場所だった。
デュースを含めた4人が、南北にまっすぐ伸びる街道の東側に潜む。
ブライアンとオロール、そして残る4名が西側だ。
陽が沈み、辺りが暗くなってゆく。
サンリット首長国の軍は、篝火を焚いてひっそりとしていた。テソーロ軍の襲撃は、周期的にそろそろだという事は解っていたが、それが今晩だとは思っていないようだ。数にして1000くらいの戦士たちは、多くの部族から集められた勇猛な者たちだったが、やってくる敵5000に対してはどう対抗するのか。
サンリット側に接触して得た情報によると、峠を降りてきたテソーロ軍を平地で迎え撃つつもりらしい。確かに砂漠や荒野を駆けまわる彼らは、山道ではその能力を生かせないと考えているのだろう。
テソーロ軍は全てが騎馬兵で、峠を下る勢いを利用して攻めて来る。装備は重厚な鎧兜だ。サンリット軍も騎馬兵が殆どだが、軽装備の者ばかりだ。気候的に、重厚な鎧兜は無用の長物だ。
このまま両軍がぶつかった場合、どういう戦況になるのだろう。
森の下草の中に身を隠しながら、オロールはそんな事を考えていた。
「・・・大丈夫か?」
体温が伝わりそうなほど近くにいたブライアンが、ひそひそと声を掛けてきた。
「昂っているんじゃないか?」
「え?・・・昂る?」
「ああ・・・戦場での戦士は、戦いの前に武者震いすることもあるんだがな」
「・・・・・・あの・・・顔に出てましたか?」
「いや、顔は冷静沈着そのものなんだが、何となくそんな気がしたんだ」
纏う空気が、少し違う。
そんな感じだったのだろう。
「・・・確かに、緊張しているかもしれません。戦場近くにいるのは、初めての事なので・・・それに、ドキドキするような・・・ワクワクするような、奇妙な感じです」
それが、戦士が味わう戦前の昂りに近いのだろう。
ブライアンは黙って腕を伸ばし、オロールの身体を引き寄せた。
「え?・・・んっ・・・」
いきなり塞がれた唇は、直ぐに深いキスに移行した。
「・・・どうだ?緊張は解れたか?」
少しばかり悪戯っぽい顔で、そっと囁いてくるブライアンに、オロールは潤んだ目で睨んだ。
(こんな場所で・・・近くに兵たちもいるのに)
思わず視線を泳がせた彼女の耳に、彼は更に言葉を吹き込む。
「大丈夫だ、見てるのはフィザル達だけだ」
(え?)
オロールの視線の先に、プリンスボンドとシャカールの近くにいる愛犬の姿が映る。
犬は直ぐに足音を忍ばせて、その場を離れた。警戒を続けるつもりだったのだろうが、その姿は『見てませんよ』と言いたげだ。
そしてシャカールは、あからさまに嫌そうな顔つきになっており、プリンスボンドは『自分は関係ありません』と言う様にそっぽを向いていた。
「で?緊張は解れたのか?」
もう一度問い直すブライアンは、その答えを聞くことでキスの効果を確認したいのだろう。
「・・・緊張は、すぽ~~んと消え去りました。それまで考えていた事も、全部一緒に」
オロールは、久々の仏頂面で答えた。
そして数時間後、テソーロ軍を見張っていた兵が駆け戻ってくる。
「日没と同時に、駐屯地から出兵しました。多少の留守番は残していますが、兵5000が峠に着くのは夜半過ぎになるでしょう。そこから隊列を整えて、つづら折りの街道を下り、最後の直線の下り坂から突撃する作戦のようです」
オロールは彼を労うが、直ぐに次の行動を促した。
「では、かねて伝えておいた場所へ向かって、合図を待ってください」
情報局の兵が走り去ると、サンリット軍を遠目で窺っていたブライアンが告げる。
「向こうにも、情報が入ったようだ。予定通りだな」
もう1人の情報局の兵が、オロールの指示通りに動いたのだ。
『テソーロ軍が、峠に現れたぞ!』
と、サンリット軍に大声で怒鳴り回ったのだった。そして彼は、そのままデュースたちの方へ走り去り、次の仕事に移った。
サンリットの部族兵たちは、慌ててテントから出て峠の方を見る。
砂漠や荒野に暮らす者たちは遠目が利くが、そんな彼らの目には、かなり絞った小さな松明の灯りも明確に確認できた。
つづら折りの街道を降りて来るテソーロ軍の様子を見ながら、サンリット軍は戦闘準備に入った。
最後の下り坂を目の前にして、テソーロの兵たちは勝利を確信していた。
目指す敵は、まだ気づいてもいないだろう。突撃する馬の足音に気付いても、その時にはもう遅すぎる筈なのだ。
そして指揮官の合図とともに、5000の兵力は、次々と坂を下って行った。




