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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第3章 サンリット首長国

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23/43

3-3 荒野と砂漠を越えて、自由人の兄の元へ

「それでアンタたち、そんな恰好で何してんの?駆け落ち?」

 ブライアンとオロールを自分のゲルに招き入れたロウトホルの、第一声がそれだった。


「いや、少し事情があって、首長都の向こうにあるエンベ村に行くところだ」

 私的な旅なので身分を隠していると説明するブライアンだが、『駆け落ち』という言葉には凄く魅かれてしまう。

 王子の身分を捨て、彼女も公爵令嬢の地位を捨てて、ただの男と女として愛を貫く。

 現実は、駆け落ちしたとしても追ってくるのは陸軍の関係者くらいだろう。第6王子では王位継承権などはお飾りのようなものだし、彼女の方も公爵令嬢としての価値は殆ど無いから実家も放置状態なのだ。


「ふぅん、よく解らないけど、つまりはお忍びってコトなんだね」

 あっさりと言ってのけるロウトホルは、かつての黄色の側室であった頃の姿を想像できないほどの変わり具合だ。

「ところで、ロウトホルさんは何故ここに?」

 渡された乳酒をちびちびと舐めながら、オロールが尋ねた。

「ああ、ここ生まれ故郷なのよね」

 さらりと答えたロウトホルは、床に敷かれた厚手の絨毯の上に腰を下ろし、屈託ない笑顔で話し始める。

「暇金を貰って出た時は、やっとこれで自由の身になれた~~って思ってね。アタシここの生まれなんだけど、昔酷い飢饉があってさ、その時人買いに売られたんだ」


 親にしてみれば、餓死するよりはマシだと思ったのかもしれないが、売られたロウトホルのその後はやはり大変だったようだ。けれど彼女は、あっけらかんと話し続ける。


「あっちこっち転々として、売られる買われるを繰り返してるうちに、いつの間にかギムレットっつう国の側室になってたって言うワケ」

 どうやら西の方の国から来た裕福な商人が、彼女を買ってギムレット王に売りつけたような感じらしい。

「で、側室の仕事が終わって纏まった金も貰えたんで、ここに帰って来たんだ。親兄弟はとっくに死んじまってたけど、アタシを知ってる人もいたから、手伝って貰ってここに住み着くことにしたんだよね」

 ロウトホルの口調は、もうすっかり遊牧民のそれに戻っている。

 側室であった頃の、どこか昆虫を思わせるような肉感的な感じは綺麗さっぱり無くなっていて、化粧を落とした顔は健康的に日焼けしていた。


「ゲルと生活用品一式と、ヤクとリャマ2頭ずつとロバを買ったら、暇金が滅茶苦茶減っちゃったけどさ、贅沢しなきゃあと2年くらいは普通に暮らせそうなんだ。と言うか、あまりすることも無いんで、ぼんやり空や景色見てばっかかなぁ」

 それまでには家畜たちも育って増えて、乳や毛がとれるようになるだろう。不測の事態が起きれば困ったことになるかもしれないが、それを考えても始まらないと、ロウトホルは快活に笑った。


「それよりさ、今晩は泊まっていかない?狭いゲルだけど、詰めれば3人寝られるし、野宿よりはマシだろ?大した物は出せないけど、食事も振舞うからさ。実は、ずっと気になってたんだよね」


 黄色の側室であった時、琥珀事件でブライアンとオロールに色々と迷惑を掛けた。その場にいた他の側室たちにはお詫びの品を送ったが、2人には何もしていない。お礼をする機会をうかがっている間に、バタバタと事件が起こって早々に王宮から出ていくことになっていたのだ。


 せめてものお礼の気持ちだからと宿泊を勧めるロウトホルに、2人はありがたく泊めて貰うことにした。その晩は、今のサンリット首長国の状況を色々と聞くことも出来た。


 サンリットの首長都の北にあるアルガム領では、北の山脈の向こうにあるテソーロ候の領地から、武装農民の集団が頻繁に襲撃して来ている。しかしそれらは、アルガム領内の兵力であっさりと鎮圧されていた。

 デュランダルの時と違うのは、武装農民たちが全滅しているというところだろうか。サンリットは騎馬兵が多く、敵と見なしたものには容赦ないという噂だ。


「でもね、少し前から、今度は兵隊が来てるみたいなんだよね。数は100位って噂だけど、領内だけだと押し返すのが精一杯みたいで、首長様が檄を飛ばしてあちこちの部族から兵を集めてるらしい。本格的な戦になるんじゃないかって、もっぱらの噂だよ」


 確かテソーロ候は、現在蟄居謹慎を命じられているはずだ。けれどあの男の性格ならば、大人しくそれに従う筈も無いのだろう。再び宮廷に返り咲くために、領地拡大と財産の蓄積に励んでいるに違いない。


「だから今、都はすっごく治安が悪いの。ガラが悪い荒くれが集まってるみたいで、商人たちも行くのに二の足を踏んでるみたいね。アンタたちも、都の西に行くなら避けた方が良いんじゃない?」

 そうすると、都の北は戦場の近くになる訳だから、南の砂漠地帯を行くことになるだろう。

 ブライアンとオロールは、ロウトホルから更に砂漠についての情報を貰い、翌朝を迎えた。


 狭いゲルの中での雑魚寝という状況だったが、寝心地は良く疲労も回復したオロールだ。けれどブライアンの方は、すぐ隣で眠っている彼女の寝息や気配が気になって、いささか睡眠不足でもあった。

 そんな彼が出発の準備を整えている時、オロールはロウトホルに話しかけていた。

「ロウトホルさん、この先の街道の向こうに、タケの林があるのをご存じですか?普段は結構、お時間があると仰ってましたよね。お願いがあるのですが」

「ん?知ってるけど、何?」

「お仕事を引き受けていただけないかと」

 そしてオロールは、彼女に詳しい説明をした後、金貨を2枚取り出して渡す。

「お仕事の代金、前払いです」

「えぇっ、これって多すぎない?その程度の仕事でさ」

 金貨2枚でロウトホル1人なら、ここでの暮らしは更にあと2年くらいは大丈夫になりそうだ。

「いえ、もし1人で大変そうなら、誰か人を雇っても良いと思うので」


 遊牧民の生活は、自然に多くを委ねている。不測の事態があった時の為にも、予備の金はあった方が良いのだ。オロールはきっと、それも考えていたのだろう。

 ロウトホルはそんな彼女の気持ちを察して、ありがたく金貨を受け取った。

「解った、仕事はきちんとやっとくよ。他にも何かあったら、連絡してちょうだい。あの村の雑貨屋に手紙をくれれば、急ぎじゃなければ受け取れるからさ」



 かつての黄色の側室、今は遊牧民ロウトホルのゲルを出発したブライアンとオロールは、南下しつつ砂漠地帯を目指した。

 そして数日後、砂漠近くの村に到着した2人は、ロウトホルの助言に従って、ラクダを2頭買い求めた。砂漠を馬で旅することは出来なくもないが、馬の消耗は激しくなる。砂漠を横断する時だけ人や荷物はラクダに乗せ、馬は身軽にして歩かせた方が良いと言う話だった。

 軍用犬でオロールの愛犬となっているフィザルは、元々この地方原産の犬種なので大丈夫だろう。


「よし、荷物は積み終わった。乗って出発するぞ、オロール」

 日が沈む時刻の砂漠は、オレンジ色の夕日に照らされている。

 今から出発して涼しい夜間に進み、日が昇ったら日差しを避けて休むのが砂漠の旅の基本だ。

「はい」

 オロールは、砂の上に四肢を折って伏せるラクダの背に乗った。馬と違う造りの鞍は慣れないが、伏せているラクダの背は低くて乗りやすい。

 そしてブライアンがラクダに合図を入れて、立ち上がらせる。


「えっ!あっ!・・・きゃぁっ!」

 ・・・ドスン


 ラクダは立ち上がる時に、後ろ脚を先に立てる。

 その勢いは、かなりのもので、オロールの身体は鞍を離れて前方へ投げ出された。


 見事な、飛び込み前転・・・

 身体が軽いので空中で一回転し、尻から落ちたのが幸いだった。


「だ、大丈夫かっ!」

 慌てて駆け寄ったブライアンに、立ち上がったオロールは尻を摩りながら答えた。

「は、はい・・・教えて貰っていたのに、これほどとは・・・すみません」

 ラクダは後ろ脚から立ち上がるから気を付けるように言われていたのだが、ここまで勢いよく立ち上がるとは思ってもいなかった。

「いや、俺も言葉が足りなかった。立ちあがる時は、上体を思いきり反らせておけ」

 ラクダのコブに寄り掛かるような体勢を取るよう教えられたオロールは、もう一度トライし、今度は何とか無事に騎乗することが出来た。


 砂漠の、満天の星空。

 その下を歩く2頭のラクダに乗った、旅の男と女。

 一列になって砂丘を進む一行は、静かだが穏やかな空気を纏う。


 一休みする砂丘の上に腰を下ろし、熱い茶を啜るブライアンとオロール。

 彼女は時折手を伸ばし、砂をすくっては指の間からサラサラと落ちる感触を楽しんでいる。

 交わす言葉もない時間だが、互いの存在だけが全てのような気がしていた。


 飲んでいたお茶のカップを砂の上に置くと、ブライアンは手を伸ばして、傍らのオロールの肩を抱き寄せる。

 砂漠の夜は、寒い。

 衣服越しの温もりはもどかしいが、言葉を掛け合うのも必要ないと思われる確かな存在。過去も身分も、どうでも良い。今ここにある存在が、全てなのだ。


(・・・この旅が終わったら・・・プロポーズしようか)

 降るような星空を見上げて、ブライアンはそんなことを考えていた。



 砂漠に点在するオアシスを辿る旅は、順調に進んでいった。毎晩ブライアンは、オロールに対する気持ちを確認し、その決意を確かなものにしてゆく。

 けれどオロールの方は、かなり体力を消耗していた。

 昼間はオアシスで身体を休めるのだが、野宿であることに変わりはない。多少は涼しいはずのオアシスでも、暑さが堪える彼女の身体には負担が大きい。

 そんな彼女の体調が良く解っているブライアンだが、寄り添う事さえ躊躇していた。

(傍に寄ったら、余計に暑いだろうし・・・)

 こんな時は、自分の発熱体質が恨めしくなる。


 それでも何とか砂漠を踏破し、一行は小さな村へ入った。

 乗って来たラクダを売り払い、再び荒野の旅に戻ったわけだが、これで首長都は無事迂回できたことになって、後はエンベ村を目指すだけだ。

 暑い砂漠から寒い荒野へと、急激な気候変化で、オロールの疲労はかなりのものになり体調も悪そうだった。けれど彼女は、ブライアンの負担になってはいけないと、気力だけで旅を続けている。


 そしてやっと数日後にはエンベ村に着き、一行はブライアンの兄であるデュレンの家に向かった。村はずれにある小さな一軒家の庭先に1人の男性がいて、井戸端でロバの世話をしている。

「兄さん!」

 馬から降りたブライアンが声を掛けると、男性は立ち上がって歩み寄って来た。

「遅かったじゃないか、ブライアン。待ちくたびれたぞ」

 元第4王子デュレンとの、久しぶりの再会だった。


「婚約者も一緒だと、あっちからの手紙にはあったが・・・」

『あっち』と言ったのは、彼の中ではもう父親は陛下ではなく、自ら縁を切っているので親父とも言えないからだろう。

「いや、それは兄さんを足止めするための、陛下の方便なんだ。彼女は、まだ婚約者じゃない」

「・・・まだ?・・・まぁ、それは後でゆっくり聞くことにして・・・彼女、相当疲れているんじゃないか?」

 あっ!と気づいたブライアンは、慌ててオロールの傍に駆け寄って、彼女をシャカールから降ろすと、そのまま抱き上げた。

「とりあえず、狭いトコだけど中に入れよ」

 デュレンの言葉に従って、急いで家の中に入ったブライアンだった。


 椅子に座らせてもらい水を飲んだオロールは、何とか多少回復したようで、そのまま兄弟の話を聞くことにする。

 先ずはデュレンの方が、口を切った。

「ヴァーナは、近所にちょっと買い物に出てるんだが、もう戻ってくるはずだよ」

 彼が国王である父親に送った手紙には、結婚したとあったが、相手の名前は記されていなかった。初めて聞くその名前に、ブライアンは手紙に会った内容を思い出す。

「確か、傭兵を生業としている女性だとあったが・・・」

「ああ、もう今は引退・・・いや、休業かな・・・してるけどな」


 そんな話をしていると、扉が元気よく開かれた。

「ただいまっ!弟さん、来たの?外に馬や犬がいるけど」

 入ってきたのは、ブライアンが想像した通り、大柄で逞しいヴァーナの姿だった。


「ああ、お帰り・・・って、何買ってきたんだよ!菜っ葉だけだっつうから、一緒に行かなかったけど」

 ヴァーナは、左手に青菜の束、右手に人の頭くらいはある大きな球形の物を抱えていた。

「いいのがあったからさぁ。このくらいなら大丈夫だって。心配性なんだから・・・お客に振舞うにもいいと思って買っちゃったのよね。そこそこ日持ちもするし・・・けど、早速食べたいから、とりあえずこれ、冷やしてきて」

 慌てて駆け寄ったデュレンの手に、大きな球形の果実らしきものを押し付けて、ヴァーナはブライアンとオロールに歩み寄った。


「初めまして、ヴァーナ・ブライトよ。弟さんは、確かブライアンと言うのよね。殿下って言った方が良いのかしら?」

 快活に言うヴァーナに、ブライアンは苦笑して答える。

「兄の家を訪ねた弟、として来ているんだ」

「解ったわ、それじゃアタシも名前でヨロシクね。義姉さんなんて呼ばないでよ。それじゃ、話は後にして、ウォーターメロンが冷えるまで、お茶でも用意するわ」

(ウォーターメロン・・・西瓜とも言う食べ物でしたね)

 オロールは頭の中の図鑑を広げるようにして、思い出していた。


 馬や犬の世話を終え、落ち着いてテーブルの前に座ったブライアンは、徐に懐から革袋を取り出した。

「忘れないうちに渡して置くよ。陛下から、お預かりしてきた物だ」

 一通の手紙と共に渡されたそれは、デュランダル国王夫妻からの物だ。これをデュレンに手渡すために、ここまではるばると旅をしてきたのだ。


 手紙は、愛が溢れる両親からのもので、第4王子の希望は全て叶えるという公的な内容だった。さらに別の便箋に、これで王室は完全に縁が切れたわけだが、親としての心情は変わらずにあるという、心のこもった暖かい文言が書かれていた。


「・・・こんな辺鄙な所まで、届けて貰ってすまなかったな。でも、ありがたいよ」

 デュレンは、殊勝に頭を下げた。

「だが、こんな沢山の金は・・・」

 革袋に入っていた金貨を眺めて、デュレンは少し眉を顰める。

「確かに、ありがたいんだが・・・」


「奥様、身籠っていらっしゃるのですよね」

 そこにオロールが、静かに声を掛けた。

 ヴァーナがウォーターメロンを抱えて帰ってきた時のデュレンの慌てようで、そうではないかと推察したのだ。

 女性のデリケートな状態について疎いブライアンは、そこで漸く気づいたのだが。


「ああ、そうなんだ。少し前まで悪阻もあったから、それで妊娠が解って、ここに滞在してたんだ。ブライアン、お前たちと会ったら、ここを引き払って別の土地に行こうと思ってる」

 どこか、平和で穏やかな土地で、ただの平民として穏やかな生活をしたい。そんな事を話す兄に、ブライアンは微笑みながら言った。


「だったら、それは貰っておけばいいだろ。そもそもそれは、王都の兄さんの屋敷や家財道具を売り払った金なんだ。元々兄さんの所有物だったわけだし、その方が公的にも縁を切った証になる」

 ああ、そうか、とデュレンは頷いた。

「はなむけ、の意味もあると思う。親としては、最後まで子の幸せを思うのだろう。兄さんもこれから親になるのなら、その気持ちは解るんじゃないか?」


 デュレンとヴァーナは、顔を見合わせた。

 自分たちの仕事、吟遊詩人と傭兵稼業は基本的に旅をしながら行うものだ。少なくとも子供が産まれてある程度育つまでは、再開することは出来ない。別の仕事して生活を支えるにしても、元手になるものがあった方が良いのは当然のことだ。


「・・・そうだな、これはありがたくいただくよ。2人に、よろしく伝えてくれ」

 吹っ切れたように笑ったデュレンの顔には、父親の自覚と覚悟が浮かんでいた。



「で、こっちの話は終わったから、今度はそっちな。まだ、婚約者では無いと言うその方の紹介をして貰ってないんだが?」

 徐に切り出した兄の言葉に、そう言えばそうだったと思ったブライアンは、改めてオロールを紹介する。

「オロール・スキルヴィング嬢だ。陸軍で、参謀局長補佐をしてもらっている」

 オロールは、静かに頭を下げた。


「スキルヴィングってことは、公爵令嬢なのか⁉」

 糸が切れた凧のようにフラフラあちこちに出てはいても、王都の貴族名くらいは知っているデュレンだ。

「えっ!陸軍の参謀?」

 ヴァーナの方も、この静かに座っている小柄な女性が、そんな地位についていることに驚く。

 結局ブライアンは、長い時間をかけて説明をすることになった。


 話を聞いた後、ヴァーナはオロールに対して親近感を持ったようだった。

 女だてらに、という台詞は聞き飽きるほど聞いていたヴァーナである。ウォーハンマーを振りまわして、害獣退治や戦などに参加してきた自分と、心情的に通じるものがあるのだろう。

 やがてヴァーナは、ポツリと呟いた。

「やりたい事をやって、それでもそんな自分を理解してくれる人がいるって、ありがたい事よね」


 デュレンとヴァーナの馴れ初めは、彼が熊に襲われているところを偶然通りかかったヴァーナが助けたということだった。

「いやぁ、あの時はもうダメだと思ったね」

 デュレンは傍らの妻を見ながら、楽しそうに話した。

「でもホント、コイツって凄いんだ。飛び込んできて一発熊にお見舞いして、注意を引き付けながら立ち回って、最後は熊の頭の前に陣取って、渾身の力で叩きつけ!」

 身振りを交えて誇らしげに、妻の武勇伝を語る。ヴァーナの方は、また始まったとばかりに肩を竦めたが、それでもまんざらでは無い様だ。

「でもって、熊公はそれで気絶さ。そんなコイツに本気で惚れたんだけど、幾ら口説いてもけんもほろろでさ、こうして夫婦になれたのは奇跡かもしれないくらいなんだよな」


 ちゃらんぽらんな吟遊詩人など、相手にもしなかったヴァーナだったが、それでも懲りず諦めずに愛を伝えて来る彼に絆されたのかもしれない。

 そしていつしか気づいたのだろう。ありのままの自分を好きになってくれる男が、ここにいたのだということに。


「今は、アタシの方が惚れてるのかもしれないけどね。だから、これからもきっと、ずっとこうやって暮らしていけると思うのよね」

 最後にヴァーナはそう言って、晴れ晴れとして笑顔を見せた。


 話が一区切りついた後で、冷やされたウォーターメロンが切り分けられてテーブルに乗った。

「ええと・・・スプーン、要る?」

 ヴァーナは、公爵令嬢であるオロールを気遣って尋ねた。

「いえ、大丈夫です」

 この旅の中で、食べ物に直接口を付けるということに慣れたオロールだった。


 カプリ、と赤い果肉に齧り付く。

 たっぷりと甘い果汁が、口の中に溢れるようだ。

「・・・これ・・・凄く、美味しいです!」

 シャクシャクと果肉を味わいながら、美味しそうに食べるオロールを見て、ブライアンはホッとしながら嬉しくなっていた。

 ここ数日、体調が悪く食事も進まなかったオロールだ。体力を落とすまいと、無理をして食べる様子を見ていた彼としては、そう思わざるを得ない。

「そうか、気にいったか」

 優しい笑顔で声を掛ける弟を見て、兄デュレンは少し驚きながらヴァーナを見ながら思った。

(コイツ、こんな優しい顔も出来るのか)


 もしかしたらこの2人は、自分たちと同じように幸せになるのではないか。

 その道のりは長くなりそうな気もするが、それでも陰ながら応援しよう。


 その後数日、オロールの体調も考慮して、デュレンの家に滞在したブライアンだったが、その間にもオロールはヴァーナと打ち解けて様々な話を聞いた。ヴァーナの方も、聞き上手な彼女との話は、かなり楽しかったようだ。

 帰る日になった時も、ヴァーナは別れを惜しんで、たまに手紙を出すかもしれないと言ってくれた。

 デュレンも、仲が良かった弟との別れは寂しかったようだ。


「どこに行くかも決まってないけど、どこにいてもお前たちの幸せを願ってるよ。こんないい加減な兄貴で、悪かったな」

 王族の地位が肌に合わないのは、弟も同じなのだ。自分はそこから飛び出すことで自由を得たが、彼は身分を受け入れて折り合いをつけ、自分らしさを失わずに生きている。

 そんな弟を尊敬しつつ、けれどやはり苦労はあるだろうと思うデュレンだ。

 願わくば、そんな彼を生涯支える存在になって欲しい、とオロールに対しても思っている。


「気を付けて帰れよ。あっちにも宜しくな」

 俺たちはずっと幸せに暮らすからさ、という言葉に送られて、ブライアンとオロールはエンベ村を発った。


 これで引き受けた役目は終わったと、少なからずホッとしたブライアンとオロールだったが、帰路はどのルートを通るかと話し合う事になった。

 ブライアンとしては、砂漠を通るルートは避けたい。来た時のオロールの消耗具合を考えると、同じ目に遭わせたくは無いのだ。

 オロールの方も、自分の体力は自覚しているので、帰りは別ルートの方が助かると思っていた。

「都の南側を掠めるような感じで、帰るのはどうでしょう?」

「そうだな、そうするか。・・・危険はありそうだが、充分注意して行けば何とかなるだろう」

 すっかり旅慣れて自信も付いて来ているし、何より役目は終わって大金を持っているわけでは無い。そう考えたブライアンは、彼女が提案したルートで帰ることを決める。


「でしたら、ついでに都の様子も見ておきませんか?一応、外交官も駐在しているのでしょう?」

「まぁ、本当に『一応』だがな」

 確かに、首長都の現状は気になる。テソーロ候との戦についても、把握しておきたいところだ。

 けれどサンリット首長国の都にいる外交官は、本当に一応駐在しているだけというような状況なのだ。


 首長国の都は、高い城壁に囲まれていて、多くの門がある。けれどそれらは終日開放されていて、内部の治安は悪い。夜間に旅する砂漠の常で、商隊などが通過しやすいようにするためなのだろうが、野盗だって簡単に入れるという事なのだ。

 人口は多いが、家屋は密集状態でメインストリート以外の道は入り組んでいる。始めて来た人間は、迷うこと間違いないような脇道は、馬が1頭歩けるくらいの道幅しかない。そして全ての家屋は分厚い壁と頑丈な扉で、安全を保っている。


 そんな都にいる他国の外交官たちは、新たに官邸を作ることも出来ないため、全て借家住まいなのだ。デュランダルの外交官も、大きめの家屋を借り入れてそこで業務をこなしていた。

 けれど排他的傾向が強いサンリット首長国では、通常の外交業務も困難を極め、全ての外交官は諦めの境地に至っていると聞く。


 そんな場所だからこそ視察は必要かもしれないし、借家とは言え護衛のための兵士も多少はいる。屋上には、伝書鳩の小屋もあると報告されていた。

 都に入るメリットは大きいと判断し、ブライアンとオロールは東に向かって馬を進めた。



 首長国の都は、聞いていた通りの外観だった。

 高い外壁は容易に越せそうにないが、門は石やタイルで装飾が施されていて目を引く。2人は馬に乗ったまま門を通過して、都の中に入った。


 流石に中に入ると人が多く、馬に乗ったままでは拙いだろうと降りて歩くブライアンとオロールだ。

「人が多いのは、ここがメインストリートだからでしょうか」

 シャカールの轡を取って辺りを見回しながら歩くオロールの言葉に、周囲を警戒しながらブライアンが答えた。

「ああ、多分この先に、大きな広場がある筈だ」


 ブライアンにしてもここは始めて来る場所だが、地図は頭に入っている。外交官がいる建物は、広場を抜けた先だったはずだ。


 旅装束はそのままなので、顔はほとんど見えていない2人だ。旅の埃を纏ったその姿は、周囲に溶け込むようで人目を引くような気配はなかった。

 広場に近づくにつれて、道の両側には店が多くなってゆく。香辛料を山の様に盛り上げて並べる店や、軒先に皮と内臓を取っただけの1匹分の肉をぶら下げている店もある。

 辺りには独特の匂いが立ち込め、異国情緒の中にもどこか殺伐とした空気があった。


「あ、あれは何でしょう?」

 広場に入ると、そこは賑やかで騒々しい雰囲気が満ちていた。立ち並ぶ店や屋台、売り歩きの商人や、見世物で日銭を稼ぐ人々もいる。

 そんな珍しい光景に、オロールは何度も小さな声でブライアンに尋ねた。

 そんな彼女を微笑ましく思いながら、その都度説明をするブライアンだったが、最後はとうとう言ってしまった。

「あまり物珍しそうな言葉は出すな。人目を引くかもしれんからな」

 オロールはハッと気づいて、すみませんと小さく呟いて俯いた。


 やがて2人は、デュランダル王国外交官の官邸である借家に辿り着く。

 そこはぎっしりと立ち並ぶ建物の中の1つで、高さこそそれなりにあるが、ごく普通の家屋のように見えた。


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