3-2 荒野と砂漠の国 サンリット首長国へ
西への旅を決めたブライアンは、早速準備に取り掛かった。
サンリット首長国のエンベ村にいる兄デュレンは、手紙を受け取って待っているだろうと思うが、その性格を考えると急いだほうが良いだろう。
オロールの方は、思った通り快く同行を引き受けてくれた。近頃随分体力も付いて来ているし、馬での旅という事が気持ちを後押ししたのだろう。
何はともあれ、2人は兵営内での留守中の仕事に関する指示や引継ぎを行った。プライベートな旅になるので、ひと月ほどの予定だが、休暇という事になる。
ギムレット王国へ出向いた時も王命による仕事なのだから、今までブライアンは休暇らしきものを一度も取ったことは無いし、オロールは元々好きな時に来て仕事をすればいいという自由な立場なのだ。
依って休暇は大変スムーズに受理されて、周囲も留守中の彼らの仕事の割り振りを快く引き受けてくれた。
兵営でのやるべきことを終えると、ブライアンとオロールは厩にやって来た。プリンスボンドとシャカールに馬具を付け帰り支度をしているところに、ラキシス・リンデン大佐が息せき切って駆け寄ってくる。
「閣下、参謀、お帰りになるところ失礼いたします。少しお時間をいただけますでしょうか?」
リンデン大佐は、いつものように相棒のベガを伴っていた。
「ああ、構わない。何だ?」
「サンリット首長国に行かれるとお伺いしました。それにつきまして、僭越ながらお願いがあります」
見れば彼は、ボルゾイのベガの他にもう1匹の大型犬を連れていた。
「以前、スキルヴィング参謀にお話ししたことがあるのですが、この犬、フィザルを一緒に連れて行っていただけないでしょうか」
リンデン大佐が責任者となっている軍用犬計画は、順調に進んでいた。仮犬舎は既に建っており、現在は更に大型の犬舎を併設した石造りの建物を建造中だ。素質がありそうな犬たちも集められ、現在は10頭ほどが訓練を受けていて、スタッフも揃った。
「このフィザルは優秀で、もう基礎訓練は終了しています。次は実地訓練と言うか、経験を積ませたいと考えていました。本来ならば自分が責任もって行いたいところなのですが、現段階では兵営を離れることが出来ません。かと言って、フィザルの能力向上をここで足止めするのは、勿体ないと思うのです」
だから、旅の護衛と言う形で連れて行って貰えまいか、と願い出たリンデン大佐だったのだ。
オロールは、決定権は自分にはないと解っているので、黙ってブライアンを見ている。けれどその瞳の中に、この申し出を喜んで彼の許可を求めている色が窺えた。
(・・・大型犬ならば、良いか。うっかり潰す心配は無さそうだしな)
どちらかと言えば、猫より犬の方が好きなブライアンだが、愛玩用の小型犬は少し苦手だった。
「スキルヴィング参謀が良ければ、構わない」
ブライアンの言葉に、オロールの雰囲気がパッと明るくなった。
「では、よろしいでしょうかスキルヴィング参謀?」
リンデン大佐の言葉にコクコクと何度も頷いて、彼女はその場に屈みこんだ。
「フィザル、よろしくね」
そっと片手を差し出したオロールの前に、大型犬は静かに歩み寄ってその手を舐めた。
フィザルは西方原産のサルーキと言う犬種だ、とリンデン大佐は説明した。
体形はボルゾイのベガと似て、細身で脚が長い。ウエストがキュッと締まった体は、短毛という事もあって走るのも早そうだ。
垂れ耳と長い尻尾には、飾り毛と言う長く美しい毛があるので、美形の騎士のような印象がある。
毛色はベージュだが、飾り毛は先に行くほど色を濃くし、グラデーションのように黒っぽくなっていた。
「フィザルは、人の言葉をよく理解しますし、顔色やその場の空気も読めるようなので、お邪魔にはならないと思いますよ」
リンデン大佐は、優秀な教え子を送り出す教師のような表情で、明るく笑った。
その日から、フィザルはオロールの忠実な犬として、常に傍にいるようになった。
翌日、ブライアンとオロールは馬車に乗って屋敷を出た。
プリンスボンドとシャカール、そしてフィザルは、馬車の後から着いてくる形だ。このまま西の国境近くにあるバンブー村まで行き、そこにあるオーギュストの知り合いの家で、本格的な旅装束になる予定だった。その関係もあり、ついでにバンブー村の通信支局の視察もしたいという事で、オーギュストも途中合流した。
「バンブー村は気候の関係もあって、デュランダル王国の中では一風変わった雰囲気なんですよ」
オーギュストは、いつもの明るさで、馬車内の雰囲気を盛り上げてくれる。
「珍しい植物とかもあるので、風景も面白いですし、楽しめると思います」
比較的のんびりとした速度で馬車は進み、一行は2日後にバンブー村に到着した。この間に、プリンスボンドとシャカールは、それぞれの主人にフィザルを紹介される。
大型犬は静かに馬たちに歩み寄り、2頭が顔を近づけて臭いを嗅ぐに任せた。シャカールは、フィザルがオロールの傍にいることが少し不満だったようだが、それでも仲間としてこの大型犬の存在を認めてくれた。
フィザルは馬車や馬と並走することを直ぐに覚え、疲れも見せずに走る。かなりタフな犬種なのだろう。飾り毛をなびかせて悠々と走るその姿は、遠目にも美しく映った。
バンブー村は気候風土が違うと聞いてはいたが、その建物からして、2人の目には風変りに見えた。デュランダル王国の王都では普通、屋敷と言う程度の建造物は石造りの2階建て以上だ。だが現在目の前にある屋敷は平屋であり、木材や漆喰を使っているようだ。しかも屋根は大量の植物で葺いているように見える。
「あの屋根は・・・萱ですか?」
いわゆる茅葺屋根というやつなのだろう。
中に入ってみれば、天井も壁も木材が主に使われていて、家具は一応王都風であったが、調度品などは珍しいものばかりだった。
「今晩、ここに泊まるのは面白そうですね」
オロールは興味深げにひと通り屋敷内を見て回ると、庭に出て行った。ブライアンは馬車の御者に、彼女の安全に注意するよう声を掛けてから、オーギュストと一緒に村へ買い物に出る。ここで明日からの旅の支度を整える心づもりだった。
庭に出たオロールは、屋敷を囲むように茂る植物に近寄って、そのすべすべとした幹らしい部分に触ってみた。
(・・・これは、タケかしら?)
植物図鑑でしか見たことが無い植物に、実際に見て触れることができて少し嬉しくなる。
「あっ・・・し、失礼致しました!」
その時、庭の片隅で草むしりをしていたらしい初老の男が、今気づいたとばかりに立ち上がって頭を下げた。
「いいえ、お気になさらず・・・このお屋敷の庭園管理者さんでしょうか?」
「いっ、いや・・・そんなご立派なモンじゃございませんで。ただの庭師で・・・」
オロールの気さくな問いかけに、王都の御令嬢となど話したことさえない庭師の男は、冷や汗を噴出させながら答えた。
「これは、タケですよね?」
だがオロールの方は、そのまま穏やかに質問を続ける。
「へっ、へえ・・・左様でございます。・・・ええと・・・この辺りには多いんですが、便利なんで色んなモンに使っておりますです」
しなやかで折れることなく、風雪に耐える。伐って乾かせば固くなり、住居の部分や家具調度、細工物にまでと用途の幅は広い。
庭師の説明を聞きながら、オロールは静かに考えていた。
(このタケ・・・何かに使えそうな気がします)
サラサラと風に揺れて、葉擦れの音も清々しいタケの林は、独特の空気を醸し出していた。
夕刻になり、大荷物を抱えて帰って来たブライアンとオーギュストだったが、それに気づいたオロールは、書き物をしていたらしいテーブルから立ち上がって労った。
「お帰りなさいませ、殿下。お疲れ様でございました」
「ああ、結構大荷物になったが、欲しいものは全て揃ったぞ。ところで、何をしていたんだ?ここまで来て、仕事か?」
購入してきた様々な品を整理してゆくオーギュストを横目で見ながら、ブライアンは彼女の傍に歩み寄った。
「いいえ、手紙を書いておりました。ホノブル王国へ」
「ホノブル?・・・あの王女にか?そう言えば、あの事件の後、書簡が届いていたな」
ブライアンは、以前自分を種馬として拉致した彼女を思い出して、渋面になった。
表ざたにはせず収めた第6王子拉致誘拐事件だったが、帰国したジェン・ティルナ王女は詫び状のような手紙を寄越していた。ブライアン自身は、まだ怒りが収まらずにいたので返事も書かなかったが、その代理の形でオロールが返信していたのだった。
その後、今度はいかにも彼女らしい、字面も内容も自由闊達な手紙が届く。タクト砦にいた頃、ブライアンと書簡を交わして手紙の書き方に慣れたオロールは、それ以来ジェンと、時々書簡を交わす関係になっていた。
「はい、今回はちょっとした問い合わせみたいな手紙ですが、明日ここから王都に戻るオーギュスト大佐に持って行って貰おうと思いまして、今書いておりました」
書簡なら、ど田舎のバンブー村からより王都からの方が、確実に速く届けられるのだ。
「お安い御用です、オロール様。書き終わられましたら、どうぞお申し付けください。ところで購入してきた品ですが、衣服の方はどうされますか?」
携帯する品々は後で荷造りするが、旅装束は試着してみるかどうかを聞いているオーギュストだ。
「俺は大丈夫だが、オロールの方は一度着てみておいた方がいいだろう」
朝早くの出発になるし、着慣れない服で慌てるかもしれない。サイズが大丈夫か、という事も気になる。
「はい、解りました」
オロールはオーギュストから衣類を受け取って、隣室へ入って行った。
暫くして、着替えた彼女が戻ってくる。
「あの、こんな感じですが・・・この布は、どうすれば?」
ゆったりとした生成り色の服は、腰をベルトで締めているが膝辺りまでの丈の長さがある。下にはやはりゆったりとしたズボンで、靴は乗馬や旅に向いたブーツだ。
高地遊牧民の民族衣装に近いその姿は、あまりオロールに似合ってはいなかった。
「ああ、それはターバンです。髪を包むように巻いてください。西の方を旅する女性が身に着けるものなんです」
オーギュストの説明と手助けを受けて、オロールは長い銀の髪をターバンの中に包んだ。
「ふむ・・・・」
サイズ的には大丈夫だな、と思いながらブライアンは彼女の姿に別の感想も抱いていた。
(・・・遊牧民の少年みたいだな)
「春とは言え、山岳地帯や砂漠の夜は寒いです。ですので、後は上からこちらを着ていただくことになります」
オーギュストが差し出したのは、色鮮やかな毛織物のポンチョだった。
それも着てみたオロールは、首に巻いたスカーフを口元まで引き上げると、出ている部分は目元だけになる。そこに更に、防塵用の旅行ゴーグルも装着すると、年齢性別さえ不明の旅人が出来上がった。
「よし、これなら良いだろう」
ブライアンは、満足そうに頷いた。
身分の高そうな若い女性が旅をしていれば、たとえ自分が気を付けていても、どんなちょっかいを出されるやもしれない。変装に近い姿だが、用心するに越したことは無いのだ。
「着心地はどうだ、オロール?」
「はい、いい感じです。楽なので、かなり長い時間馬に乗っていられそうです」
オロールは意外にも、そんな服を気に入ったようで、ポンチョの柄をしげしげと見ながら穏やかに答えた。
翌朝、ブライアンはプリンスボンドに、オロールはシャカールに跨って、バンブー村を出発した。
2頭の馬にはそれぞれの荷物を括りつけ、大型犬のフィザルは彼らの少し前を進む。常歩程度の速度で進むのは長旅ゆえだが、それでも徒歩よりずっと楽で速い。
フィザルは時折振り返りながら、街道の先を警戒しつつ小走りで駆けていた。
小高い丘を1つ越えると、景色はがらりと変わった。
「・・・これが荒野・・・丘を越えただけで、こんなに景色が変わるのですね」
オロールが、感動したように呟く。
それを聞いたブライアンは、彼女を連れて来て良かった、と嬉しくなった。
(・・・それにしても)
岩と茂みが点在する風景の中を進みながら、オロールはブライアンを眺めて思う。
(王子様には、とても見えませんね・・・何と言うか・・・馬賊みたい)
服装といい乗馬姿といい、精悍で強靭な馬賊の親玉のような今のブライアンである。
ただ、心の中の嬉しさがダダ洩れで、妙にウキウキしている雰囲気を纏っているものだから、そのアンバランスさが可笑しくなる。
「・・・クスッ」
小さく声を漏らしたオロールに気付いて、ブライアンはいかにも機嫌が良いと言った表情で振り向いた。
「何だ?どうした?」
「あ・・・いいえ、何でもありません、殿下」
彼が振り返る前にいつもの顔つきに戻ったオロールだったが、彼は急に馬を寄せて眉を顰めさせた。
「それはダメだ」
「は?」
こっそり笑ったのを気づかれていたのか、と思ったオロールだが、ブライアンは更に言葉を続けた。
「この旅では、俺はただの旅人で王族じゃない。『殿下』と呼ぶのはやめろ」
確かに用事自体は私的なことで、王族であることを捨てた兄に届け物をするだけの旅だ。王子様のお忍びの旅という事になる訳だから、彼が言いたいことは解る。
周囲に変な気遣いをされないよう、また妙な面倒ごとに遭遇しないよう、普通の旅人として過ごすつもりなのだろう。
いわゆる『殿様お忍び道中』みたいなもので、何より本人が一番それを楽しんでいるのが今のブライアンなのだ。
「・・・解りました。それならば、『ご主人』とか『旦那様』とかが良いでしょうか?」
彼との上下関係だと、自分は部下であるから、使用人か下僕なのではないかと考えるオロールだ。
「は?」
(『ご』とか『様』が無ければ、希望する立場と言えるが・・・)
結婚した女性が自分の配偶者の事を誰かに話すときには、『主人が』とか『旦那が』と言う場合もあるが、それだって夫に対しての呼びかけには使わないだろう。
(かと言って、一足飛びに『あなた♡』と呼んでくれとは言えんしな・・・)
仕方がない・・・
「名前で呼んでくれ。ブライアンでもオルフェでも、どっちでも良いから」
今度はオロールが、眉を顰める番だった。
口に出しづらい事この上ないが、命令ならば従うしかない。
「え・・・ええと・・・ブ・・・ブラ・・・」
(・・・そこで止めるな!)
「どうした?・・・早く呼んでみろ、ホレ・・・ホレ」
口ごもるオロールの様子が、つい面白楽しい気分になって、ニヤニヤ笑いながら揶揄う様に即すブライアンだった。
その夜は、野宿になった。
荒野を少し下ったところに、高い山からの湧水を集めたような浅い流れの川があったので、野営訓練に慣れているブライアンは、適当な場所を見つけて馬を止めた。
「今晩は、ここで野宿だな。水を汲んでくるから、火を起こしておいてくれ」
馬たちを連れて川の方に行ってしまった彼の背中を見ながら、オロールは考え込んでしまった。
(火を起こす・・・って、ええと・・・確か)
荷物の中に道具がある筈と考えたオロールは、彼の荷袋の中から行軍用の火付けセットを見つけた。使い方は、以前デュースが揃えてくれた軍用装備の資料の中にあったので、頭では解っている。
けれど、知ってはいても実際やってみるとなかなか上手くいかないのが世の常だ。
オロールはそれでも試行錯誤を繰り返し、何とか小さな火を作ることに成功する。かなり時間が掛かっていた。
「遅くなった、大丈夫か?」
水を汲みに行った川で魚を見つけたブライアンは、ついでに4匹ほどを捕まえていた。
バケツと魚を下げた格好で、彼は黙々と焚火を作っているオロールの背後から声を掛ける。彼女は驚いて振り向き、返事をしようと口を開いたが・・・
「あっ・・・で・・・ブ・・・」
(デブ?・・・俺が?)
肥満の自覚は無いが、流石に驚いて珍妙な顔になるブライアンだ。
殿下と言いかけて止め、ブライアンと言い直そうとして口ごもったオロールだったが、その状況にすぐ気づき、慌てて修正を試みようと思った・・・が。
「で、出不精なのでっ、火を起こすのが下手で・・・」
(今度は、意味不明・・・)
でぶしょう?・・・ああ、出不精か・・・と解ったブライアンだが、彼女は出不精なのか?と思う。
アウトドアライフの経験がないので、そんなスキルは持ち合わせておらず、火を起こすのが遅くなってしまったと言いたいのだろう。かなり無理があるが、デブという言葉を誤魔かすためだという事も解った。
「ああ、火は安定しているから、後は俺がやろう。魚も獲って来たから、これも焼こうと思う」
ブライアンは焚火の傍に腰を下ろすと、食事の支度にとりかかった。
兵の野営訓練に参加している経験も多い彼は、全てに慣れているようで、テキパキと作業を進めてゆく。
「すみません・・・その・・・何から何まで・・・」
手伝う事さえ出来ず、座っているだけの自分が何とも情けない。
そんなオロールに、ブライアンは楽しそうな笑顔で答えた。
「気にするな。見ているのも面白いだろう?」
けれど、彼はふと気づいてしまった。やはり彼女は、自分の名を呼び捨てにするのが出来ずにいるらしいと。会話の端々に、名前を呼ばずに済ませている様子が、ありありと解る。
「・・・やはり、言いづらいか?」
「え?」
「俺を、ブライアント呼ぶのが嫌そうだ」
「そ、そんな事は・・・嫌だと言う訳では無いのですが・・・」
ブライアンは小さく溜息をつくと、食事作りの手は止めずに話し始めた。
「王族の身分というのは、俺にとっては厄介なものなんだ。今までに、そういう垣根を越えて付き合って来れた相手は、オーギュストとデュースくらいなものだ」
最初はご学友として出会った2人だったが、長い年月を共に過ごす間に、掛け替えのない親友となった。海軍時代は特に、ブライアンが一士官として扱われたいと言う希望を通したため、互いに名前で呼び合う仲になったのだ。王都に戻って陸軍に入った時からは、プライベートで飲みに行くことも出来なくなったので、呼び方は礼儀に適ったものになったが、それでも互いに培った関係は変わらない。
「身分とか階級とか、そういうものを取り払って、1人の人間として・・・向かい合いたいと思ったんだ。俺は、これからもずっと、オロール、お前に傍にいて欲しいと思っている」
少しばかり、いやかなり回りくどいが、彼にとっては告白の範疇に入る言葉だったのだろう。
1人の人間として、ブライアンと言うただの男として、自分を見て欲しいという願い。そして彼女と、対等な立場で向かい合いたいという想い。
けれど、そこまで深読み出来るようなオロールでは無かった。
「私には、友人と言えるような人がいないので、本で読んだ知識ですが・・・互いに1人の人間として向かい合える親友というものが、素晴らしい存在だという事は知っています。そして、長く付き合う相手と信頼を置ける間柄になりたいなら、垣根を越えて対等に向き合う事が必要なのだということも解ります」
そんな相手として、自分を選んだことは畏れ多くもあり、ありがたいことだと思うオロールだ。
「ですから、努力します。どうか、お時間をいただけますか?」
「ああ、とりあえず身分がばれないようにしてくれれば・・・当面はそれでいいさ。無理が無いように、努力してくれ」
今はそれで構わない、とブライアンは答えた。
(それにしても、やはり手強いな・・・)
最終目的は、2人きりの時は名前で呼び合う仲になるということだ。目標達成までは、まだまだ長い道のりだと思うが、旅は始まったばかりだ。少しずつでも進歩していけるなら、今はそれで良いと思うブライアンだった。
携帯食料を煮溶かしたスープと、焼き魚の夕食が出来た。
スープの方は2度目だが、串に刺して焼いた魚を食べるのは初めてのオロールは、手渡された焼き魚を見て目を見開くばかりだ。
(・・・ええと、これは・・・どうやって?)
そんな彼女に、ブライアンは微笑みながらその手から焼き魚を取り上げて、食べやすいように頭や尾、ヒレなどを取り除いてやる。
「これなら食べやすいぞ。熱いから気を付けろよ。骨にも注意して、そのまま齧れ」
ナイフもフォークも無しで、大きな物をそのまま齧るという行為は、魚に限らずしたことが無い。けれどこれも経験だ、とオロールは恐る恐る口を近づけて、意を決したようにパクリと食べた。
「・・・あっ・・・あふいっ・・・はふっ・・・」
塩を軽く振っただけの焼きたての魚は、アツアツだ。
けれどそれは、今まで味わったことが無い美味しさとなって口の中に広がる。
「おふ・・・お・・・おいひいです」
モグモグと焼き魚を頬張るオロールに、ブライアンは最高に嬉しそうな顔になった。
塩を振らない焼き魚1匹分と2人の食べた残りの骨などを貰って食べたフィザルは、満足そうに休んでいる。プリンスボンドとシャカールも、辺りの灌木やその下草を食べて腹を満たした。
食事を終えたブライアンとオロールは、一緒に片づけを済ませると、寝る支度に取り掛かる。
身体が冷えないようにと充分な毛布で包まれるオロールだが、やはり彼の方が気になっていた。
「あの・・・ブ・・・ブライ・・アンは、寝ないのですか?」
まだ相当ぎこちないが、何とか呼べたオロールだ。
「俺も寝るが、焚火の番は要るからな。火を見張りながらの仮眠程度で済ませるが、慣れているから大丈夫だぞ」
愛馬たちも近くで立ったまま、警戒しながら寝るだろうし、フィザルは既に警戒態勢に入っている。軍用犬として、こういう場合は周囲を警戒しつつ夜を過ごすことはしっかり身についているようだ。
「だから、お前は安心して寝て良い。というか、ちゃんと睡眠をとって疲労回復するのが、今のお前の務めなんだからな」
彼女を包んだ毛布の前をしっかりと合わせ、そう言い聞かせたブライアンは、そのまま顔を寄せて来た。
「俺を気遣うなら、褒美をくれ」
そして彼は、暫し深いキスを堪能する。彼女がいっそこのまま気を失って、そのまま眠ってしまっても良いだろうと思ってもいたが、オロールは何とか最後まで持ちこたえた。
「大分慣れてきたみたいだな?どうだ、どんな感じだ?」
少しばかり揶揄うような口調で問いかけたブライアンに、オロールは軽く息を切らしながら答えた。
「・・・焼き魚の匂いがしました」
色気もへったくれも無いその返事だが、確かにそうなるかと思わないでもない。
けれどこれは、確かに進歩なのだろう。
この先長くなる旅の時間が、楽しみでならないブライアンだった。
翌日も旅は続いたが、連日の野宿はオロールの身体に負担が掛かると思い、ブライアンは街道を少し外れて小さな集落に向かった。
粗末な宿でも良いから、彼女を屋根のある場所で寝かせたかったのだ。けれどその思惑は、見事に外れてしまった。建物が数軒あるだけの集落は、小さな雑貨屋が一軒あるだけで、宿と呼べるようなものは無かったし、住民も見慣れぬ旅人を泊めてくれそうな気配もない。
出会った住民に一応聞いては見たが、この辺りでは移動式住居で暮らす人が多く、遊牧民ばかりなのだという。集落の周辺にもそんな移動式住居、ゲルと呼ばれているものが点在するそうで、都合が悪くなければひと晩くらい泊めてくれるところがあるかもしれないという事だった。
致し方なく野宿できそうな場所を探しながら馬を進めていたブライアンたちだったが、そこで1つのゲルを見つけた。折り畳み式の木枠に毛織物や毛皮、フェルトなどで覆われたゲルは、小ぶりながらも新しい物であるようだ。
家畜用の小屋でも良いから泊めて貰えたらありがたいと思い、ブライアンは馬を進めて近くまで行ってみた。
ゲルの周りには石を積んだ簡素な囲いがあり、中にはこの地方の牛に当たるヤクと、毛を採るためのリャマが2頭ずついる。その向こうに、1人の女性らしき人影が見えた。
ブライアンが馬を降りて歩み寄ると、石積みの囲いに腰かけていた女性がそれに気づき、警戒しながら近づいてくる。
「すまない、旅の者だが・・・」
言いかけた彼の口が止まった。
(・・・見たことがあるような?)
女性の方も足を止め、しげしげとブライアンの顔を見ている。
「・・・アンタ、もしかして・・・」
「君は・・・あの時の?」
互いに見知っている相手だとは解ったが、どうやら2人とも名前が出てこないらしい。
そこへ、シャカールから降りたオロールが歩み寄って来た。
「・・・もしかして、ロウトホルさん?」
それはギムレット王国で出会った、黄色の側室ロウトホルだった。
「やっぱり、あの時の王子様か!」
それでも、名前は思い出さないロウトホル。
「琥珀の件の、黄色の・・・」
そこまで言って、『側室だった』と言うのは失礼かと思ったブライアン。
お互いを指でさし合って声を上げた2人の横で、穏やかな雰囲気を纏いながら軽く首を傾げたオロールに、ロウトホルは向き直って、今度ははっきりと言った。
「という事は、アンタはオロール様か!」




