3-1 姉と弟 兄と弟
ギムレット王国から帰還した後、新しい目標と計画で、陸軍兵営は活気に満ちていた。
『平和な時こそ出来ることを、全力で取り組む』
と言う陸軍大将の檄は、一兵卒にまで行き届き、2つの計画は順調に進んでいった。
そんなある日、今は参謀長補佐の地位についているオロールの元へ、彼女の弟サリアスが訪ねてきた。
「失礼いたします。スキルヴィング参謀、少しお時間を頂けますでしょうか」
敬礼と共に挨拶をするサリアスに、オロールは持っていた書類をテーブルに置いて向き直った。
「はい、丁度休憩にしようかと思っていたところです」
それは良かった、とサリアスは弟の顔になって微笑んだ。
「来週、退役する運びになったので、オロール姉上に挨拶と少しお話をしたくて来たんです」
デュランダル王国では、貴族の子弟は特に問題が無ければ、軍に身を置く習わしがある。跡取りである場合は短期間だけで、ある意味形式的な修行のようなものだ。次男三男と言った爵位や領地を継ぐ予定が無い者は、そのまま軍人となる場合も多い。オーギュストやデュースは、その例になる。適性が無いと自覚したものは、退役して自活の道を探すことになるのだが。
サリアスはオロールの弟だが、スキルヴィング公爵家では唯一の男児で、跡取りになることが決まっている。けれど彼は、意外にも軍の空気が肌に合ったのか、通常より長めに陸軍に在籍していた。
オロールはそんな弟に、穏やかに答えた。
「ああ、もうそんな時期なんですね。お疲れ様でした、サリアス。もう陸軍大将閣下には、挨拶を済ませましたか?」
「いえ、姉上以外の方々にはまだこれからです。実は、挨拶の他にもお窺いしたいことがあったんで・・・」
ソファーに座るよう促されたサリアスは、参謀となって軍の中での地位は上に当たる姉と、久しぶりに語る嬉しさと微かな緊張を滲ませた口調で続けた。
「実は、スカーレット姉上が懐妊されて、その報告方々実家に来る予定なのですが、自分の退役祝いも兼ねて、家族だけで祝いの席を設けるという連絡が来たんです」
スカーレットはスキルヴィング公爵家の長女で、既に他の公爵家に嫁いでいた。めでたくこの度懐妊し、里帰りをするのだと言う。
サリアスも退役後は、公爵家の跡取りとして、領地経営や社交など諸々の事を学んでゆくことになるのだろう。無事に軍人生活を終了したと言う、祝いの意味もあった。
「それで、もしよろしければ、オロール姉上もいらしていただけないかと思いまして、お誘いに上がったんですよ」
サリアスは屈託ない笑みを浮かべて、この表情の乏しい姉の顔を見た。
けれどオロールは、少しだけ考えた後、穏やかな雰囲気のまま答えた。
「ありがとう、サリアス。でも、申し訳ないのですが、私は辞退させていただきます」
お誘いはとてもありがたいのですが、と続いた言葉に、サリアスは目に見えてがっかりした。
「・・・やはり、今はお忙しいのでしょうか?」
「ええ、それは勿論ですが、私は参加しない方が良いと考えますので」
祝いの場の主役は、姉スカーレットと弟サリアスだ。
公爵家での自分の立場を考えると、たとえ今は実家にいた時よりも健康になり体力もついたとはいえ、居心地は悪そうな気がする。第6王子でもある陸軍大将ブライアンの庇護下にいる今の自分は、両親にとっても対応に迷うような存在ではないかと思うのだ。
「おめでたいお祝いの席ですから、皆さんに気を遣わせたくないのです」
淡々と言葉を紡いだオロールに、サリアスは仕方が無さそうに頷いた。
おそらくだが、姉は実家に行くことを可能な限り避けているのではないかとも思えた。彼女が生まれ育ったはずのその場所に、良い思い出など無いのだろう、と。
そして翌週、サリアスは退役の挨拶のため、陸軍大将の執務室を訪れた。
正式な挨拶と手続きを済ませると、これで彼は軍の上司では無くなる。けれど身分的には敬意を払うべき王族の彼だ。
「サリアス・スキルヴィング、この後時間はあるか?少し話がしたいのだが」
けれどブライアンは、そんな事を言いだした。サリアスに、否やは無かった。
「オロール・スキルヴィング参謀の事だが、今までは君が彼女の現状などを実家に報告してくれていたのだろう?」
オロールを自分の屋敷に連れて来た後、ブライアン自身も特にスキルヴィング公爵家に連絡はしていない。おそらくオロール自身も、してはいないと思われた。
「はい、一応折に触れて、両親には伝えていましたが・・・」
向こうから聞いてくることは無かったが、姉が参謀として活躍していることはちゃんと伝えていた。
「そうすると、今後はどうする?」
家族が気に掛けているのなら、自分かオロールから定期的に手紙でも送った方が良いのではないかと思ったブライアンだ。
「そうですね・・・いえ、もし必要があれば、自分の方が手紙を書きます。・・・言いにくいのですが、多分姉はその方が気が楽だと思いますので」
「そうか・・・彼女が実家にいた頃の事は、多少は聞いているが・・・もし良かったら、もっと教えてくれないか?君が知る限りのことで良い。今後、そういう機会は無いのではないかと思うのでね」
サリアスは驚いたような顔をしたが、真摯な彼の態度に決心して話し出した。
サリアスがオロールに初めて会ったのは、彼が5歳の時だった。
物心ついた時から跡取りとして育てられてきたサリアスは、素直で明るい幼子だった。そんな彼に、父親である公爵が言った。
「そろそろ知っておいた方が良いだろう。お前にはスカーレットの他に、もう1人姉がいる。名はオロールと言うが」
2つ上だと言うその姉は、病弱なので部屋から出ないと聞かされ、サリアスは手を引かれてその部屋に連れて行かれた。
薄暗い部屋の中で、初めて見る姉の姿は、サリアスにとっては衝撃的なものだった。
ベッドに起き上ってこちらを見てきた姉は、痩せて小さく、髪は真っ白で乱れていた。
室内には薬草の類の臭いが漂い、カーテンを引かれた薄暗がりにゆらゆらと灯りが揺れている。
「・・・っ!ぅわぁぁ~~ん!」
幼い5歳の子供は、泣き出して父親の手を振り切り、部屋の外へと逃げ出した。
それから暫くは、姉の部屋の近くへ行くことも出来なかったが、10歳になる頃、これではいけないと思い始める。少年となっていたサリアスは、勇者の冒険に憧れる年になっていた。
怖いものなどあってはならないのだ、と考えたサリアスは、1人でこっそりと姉オロールの部屋に向かった。
「・・・誰ですか?」
オロールの部屋の扉をそうっと開けて、足音を忍ばせて中に入ったサリアスを迎えたのは、静かで小さな声だった。
「え?・・・ええと・・・」
拍子抜けしたような彼は、おっかなびっくりではあったが歩を進める。その日は体調が良かったのか、オロールは椅子に座って本を読んでいた。
「サリアス・・・ですか?」
本を閉じて彼の方を見た彼女は、見た目はサリアスよりも年下の様に小さい少女だった。髪の色は灰色のようで、瞳は薄い水色だ。
「は、はい・・・オロール姉様?」
それが初めてきちんと対面した、姉と弟の様子だった。
それ以来、サリアスは家族や使用人たちの目を盗んで、時々姉の部屋を訪れるようになった。
彼女がとても弱い存在でありながら、子供とは思えないほどの知識を持ち、その話がとても面白いと感じていたからだ。
そしてやがてサリアスは、この姉を守ることが自分の役目だと思うようになる。それは幼い少年の、正義感と使命感だったのかもしれない。
「いつか姉は、尼僧院へゆくと父に聞きました。だからそれまでは、自分に出来ることはやろうと思っていたんです」
屋敷に居る時は、父が不機嫌にならないよう気を付けながら、オロールの事を気に掛けて色々便宜を図った。ブライアンが彼女に初めて会った新年祝賀舞踏会の時も、出来る限りのことをするつもりだったのだ。
「けれど、殿下が姉をお屋敷に引き取ってくださった時は、心の底から安堵しました。自分には出来なかったことも、殿下ならして下さるだろうと思いました。そして、その通りになりました」
サリアスは、真っ直ぐにブライアンを見て言い切ると、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。どうぞこれからも、姉をよろしくお願いいたします。自分はこれから、公爵家を継ぐために色々なことをしなければなりません。その中には、婚約者との婚儀もあるのですが、全て終わらせて無事に跡目を継ぎましたら、出来ることも増えると思います。せめてそれまででも良いので、姉をお傍においてやってください」
言われなくてもそのつもりだし、生涯オロールを傍に置きたい覚悟でいるブライアンは、けれど何も言わず、ただ力強く頷いて見せた。
一方その頃、ローレル・グラシュー医師は、医局改革の責任者として本格的に忙しくなる前に、気掛かりだったことを片付けてしまいたいと考えていた。
それはオロールの健康に関する、様々な疑問を解決したいという事だ。
ローレルは先ず、スキルヴィング公爵家の主治医ルフ・レスクに手紙を書いた。
オロールが屋敷に来た直後、その既往歴を知るために一度手紙を送ったことがあるので、コンタクトは容易に取れた。それによると、レスク医師は高齢を理由に、半年ほど前にスキルヴィング公爵家を退いて、今は自宅で悠々自適の生活を送っているらしい。
そんなレスク医師に会う約束を取り付け、ローレルはブライアンに外出とその目的を伝えた。すると彼は、自分も同席すると言う。
「その方が、公爵家の許可が無くても、真実を話すだろう?」
王族の自分が話せと言えば、いや言わなくてもその場にいるだけで、話さずを得ない状況になる筈だ。
結局ローレルは、彼と一緒にレスク医師の家を訪れた。
思惑通り、レスク医師は恐縮した面持ちで、ローレルの質問に全てを赤裸々に話すことになった。
「色々とお伺いしたいことはあるのですが、先ずは先だって頂いたオロール様の既往歴に関する疑問です。産まれた時から、特に何かの病気や不具があったと言いう事は無いようですが、それで病弱とした理由は何でしょうか?」
出産時やその後に、何かアクシデントがあったとは思えないと言うローレルに、レスクはブライアンをチラチラ見ながら、言いにくそうに答えた。
「・・・そ、それは・・・オロール様の見かけが・・・」
ジロリとブライアンが睨むと、レスクは観念したように話し始めた。
「髪と肌が、真っ白で・・・それを見た公爵様が、『白い赤子』だと仰って・・・」
『白い赤子』は、アルビノとして産まれた赤ん坊を指す。色素を持たずに生まれたその子の、肌や髪は白い。
「その場合、瞳の色が赤くなるはずですが?」
ローレルは眉を顰めながら、冷静な声で指摘する。
「それは・・・私も知っていましたので、伯爵様にそうお伝えしたのですが、赤子のオロール様の瞳は、殆ど色が無くて透明に近かったので・・・」
スキルヴィング公爵は、完全な『白い赤子』では無いが、限りなくそれに近いものだと判断した。瞳のガラスのような色さえも、寧ろ不気味に見えたのかもしれない。
公爵家、いや貴族の家にとって、『白い赤子』が産まれたという事は醜聞だった。そういう子供が産まれるという事が、家名に傷がつく事態なのだ。他の子たちの縁談にもケチが付くし、血筋が汚れるということになりかねない。
「そう判断した公爵様は、オロール様を虚弱児だという事にして、誰にも会わせずにお育てすることにしたのです」
第2子が産まれることは知れ渡っている。どこかへこっそり里子に出して、別の子と入れ替えるとまで考えなかったのは、秘密がばれるリスクを考えれば妥当なのかもしれない。
「それに、『白い赤子』は育ちにくいと言われておりますから・・・」
公爵家としては、次女が短命で亡くなるだろうとも思っていたのだろう。隠しておけば、時が経てば全て丸く収まるだろう、と。
けれど『白い赤子』に限りなく近かった赤ん坊は、屋敷の奥で乳母と使用人たちの手で育っていった。
きちんと世話をされ、年相応の教育も与えられたのは、その存在が外部に漏れても大丈夫なようにとの、伯爵家としての面子があったのだろう。
利発な幼子は、いつの間にか書物にのめりこんで、日々を過ごすようになる。けれどそれは、歪な生活環境からくる体力の衰えを助長してしまった。
「部屋の外に出さずに子供を育てれば、相応の筋力や健康が得られないことは明白ですね」
ローレルは怒りを滲ませた口調で、それでも何とか平静を保って呟く。けれどブライアンは、握り締めた拳をブルブルと震わせながら、必死に怒りを抑えていた。
「つまり、オロールの病弱は、後天的に作られたという事かっ!」
その程度の怒声で済んだのは、多少なりとも彼が成長したと言うことなのだろうか。
レスク元医師は、ガクガクと音が鳴るほど身体を震わせていた。
「それから?」
その場の空気を少しでも抑えようと、ローレルはレスクを促した。
「は、はい・・・あれは、オロール様が10歳ぐらいの頃でしたでしょうか。公爵様がいらした時の事ですが・・・」
月に一度くらいの頻度で、公爵はオロールの部屋を訪れていた。現状確認程度の目的で、ごくたまに母親である夫人も顔を見せることもあった。ただ夫人の方は、オロールの後に生まれた長男サリオスや長女スカーレットの子育てで忙しく、次女の事は普段は思い出しもしていなかったのだろう。
公爵はオロールに告げた。
「いずれは尼僧院へ行って貰うことになる。ここで暮らしていても、いずれはサリアスの負担になるからな」
オロールは、静かに問い返した。
「尼僧院なら、私でもお役に立てますでしょうか?」
尼僧院や尼僧の生活については、書物で知っていた。祈りを中心とした生活で、基本的に自給自足を目指し、畑仕事や針仕事なども行うのが尼僧なのだ。
「いや、それは無いだろう。その病弱な身体では、出来ることなぞ無いだろうしな。そもそも、貴族の娘としても役には立たないのだからな」
貴族の娘として産まれたならば、家の役に立つような相手と婚儀を結ぶのが役目のようなものだ。ひと通りの教育はしたが、ベッドのいる時間が大半の娘では、押し付ける相手を探すのも面倒だし、それを見越して多額の結納金を払ったり負い目を作るのは厄介なのだ。
「結婚生活、つまり妻としての役目は果たせないだろう。女性としては、不完全な欠陥品のようなものだ。それなら、そんな事は考えなくても良い尼僧院へ行くのがお前のためでもある」
10歳の少女に言うような話では無いのだろうが、オロールはある程度理解したようで、黙って頭を下げた。
「伯爵様のお話を聞いた後、オロール様は数日の間、何も口を利かずにいましたが、やがて更に書物にのめりこまれました」
叱られながらもベッドの中で本を読み、起きている間の使える時間は全て読書に費やしていた。そしてますますひ弱で虚弱体質な娘となっていったが、その見た目は少しずつ変わっていった。
「生まれた時の白い髪は、少しずつ灰色になり、瞳の色もやはり少しずつ濃くなってきておりました。その頃には『白い赤子』と間違われたのが噓だったかのように」
年相応の手入れやおしゃれもされなかった髪は、いつももつれた灰色の地味な色だったが、瞳は綺麗なアイスブルーになっていた。
それでも瘦せこけた手足や身体は変わらず、長時間立ち歩くことも難しいような体力は以前のままだった。
けれど、それでも、ブライアンは彼女を見出したのだ。
あの新年祝賀舞踏会の晩に。
レスク元医師の家を出た後、馬車の中でローレルが徐に問いかけた。
「殿下、この事をオロール様にお伝えいたしますか?」
ブライアンはかなり長い時間をかけて考えていたが、やがて自分自身にも言い聞かせるように答えた。
「いや、彼女はもう全てを知っているだろうから・・・」
彼は、ギムレット王国に滞在していた時のことを思い出していた。雪が積もった庭で、雪ウサギを作った時のことだ。
あの時オロールは、白い赤子も可愛いと思うかと聞いた。
彼女の、すぅっと変わった雰囲気を未だに覚えている。そして直ぐに、話題を切り替えて今まで通りの雰囲気に戻ったことを。
ふと口にしてしまった『白い赤子』という言葉は、彼女がブライアンに対してかなり気を許してきているからだと思う。
けれど直ぐに気づいて、思い出したのだろう。
『昔の事は、今更変えられない。話したからと言って、どうなるものでもない』
それは彼女なりに自分を受け入れて生きてきた考え方であり、それを乗り越えてきた事実に基づくものだ。
「だから、オロールの中では全て過去の事で、今はもう乗り越えているのだと思う。彼女の健康と体力は、これからも改善されてゆくのだろう?」
「はい、時間は掛かると思いますが」
「それならば、彼女が自分に自信が持てるほど、健康と体力を取り戻してからでも良いと考える」
ブライアンは、やっと納得していた。オロールが『役に立つ』ということに、妙にこだわるのかという事を。誰かの役に立つという事は、彼女にとっては希望であり目標なのだ。
彼女は折に触れ、自分は役に立っているかと問う事がある。そしてまだ、役に立つより迷惑を掛けている方が大きいと考えているのだ。
現段階で、オロールに出生時の秘密を告げたところで、特にメリットはないと思える。寧ろマイナスの方向へ思考が向く可能性も、無いとは言い切れない。
それならばもう少し後で、彼女が自分にしっかりと自信を持てた時に伝えた方が良いだろう。人並みの健康と体力を得て、自信をもって過ごせるようになった後の方が。
ブライアンの決定に、ローレルも同意した。
結局、彼女の幼少期の事は、とりあえず2人の胸の中へ仕舞われることになった。
忙しい日々の中にも、それなりに余暇はある。
ブライアンはオロールの暇になる時間を計って、ほぼ毎日のように彼女を乗馬に誘い出した。
兵営の馬場はかなり広く、周囲には緑も多い。事務仕事で強張った身体を解すには、また疲れた頭をリフレッシュするには、乗馬は最適だった。当然、プリンスボンドとシャカールも大喜びになる。
いつの間にかオロールの乗馬技術は、女性としては舌を巻くほどのレベルになっていた。
「随分慣れて来たな。かなり長時間、姿勢を崩すことなく乗れるようになったではないか」
実際彼女の騎乗姿は、見惚れるほど綺麗だった。
「ありがとうございます。ギムレット王国で、大分鍛えられたのではないかと思っています」
オロールの答えに、ブライアンは首を捻った。
向こうにいる間、馬に乗るような機会は無かったはずだし、特に体力をつけるような場面も無かったはずだ。
そんな彼に、オロールは少しだけ口元を綻ばせて説明した。
「あちらでは、盛装に近いドレス姿でしたから」
貴婦人が着る盛装用のドレスは、スカートを広げるファージンゲールも含めると10㎏前後の重さになる。髪につける飾りなどを含めると、総重量はかなりのものなのだ。
毎日のようにそんな服を着て過ごしていたオロールは、その間ずっとウエイトトレーニングをしていたようなものだ。
つくづく、中世の貴婦人の体力には驚くばかりなのだが。
「お陰様で、足腰は随分鍛えられたように思います」
オロールの言葉通り、鐙を踏む足はしっかりとしており、シャカールも安心して走ることに専念できているように見えた。
「成程な。それなら今度、忙しさがひと段落したら、遠乗りにでも出かけるか」
嬉しそうなブライアンの提案に、オロールも是非お願いいたしますと答えた。
そんなある日、ブライアンの元に彼の父であるデュランダル国王から、急いで来て欲しいと言う連絡が入った。何事かと駆けつけてみれば、そこにはどこか寂しそうな国王夫妻が待ち受けていた。
「何事ですか、陛下?」
逼迫した緊急事態では無さそうだが、普段見慣れない両親の様子が気に掛かる。
「ああ、急がせてしまってすまないな。少々慌てていたものでな。だが今は、多少は落ち着いたよ」
やれやれと言いながら、国王は肩を竦めた。
「実は、デュレンから手紙が届いてな・・・」
差し出された書簡を受け取ったブライアンは、急いでその内容に目を通した。
「・・・つまり、デュレン兄上は、王位継承権を放棄するという事ですか?」
デュレン・デュランダルは第4王子で、自他ともに認める自由人だった。王位継承権は一応あるけれど、ブライアント同様にそれが行使される可能性は限りなく低い。ブライアンはそれを自覚した上で、軍籍に身を置くことを選択したのだが、デュレンは束縛から離れた自由な生活を送ることを選んだ。
ふらりと勝手に旅に出てみたり、楽器を演奏したくて芸人に弟子入りしてみたり、女に騙されて有り金全部巻き上げられてみたり、と色々厄介な人物である。
けれど年が近いこともあって、子供の頃は一番ブライアンと仲が良かった。直ぐ上の第5王子が真面目で寡黙な性格だったこともあり、陽気で面白いデュレンと良く遊んでいたのだ。
「婉曲に言えばそうなのですが、つまりはこの先、万が一のことがあって自分が王位を継ぐような事があっても、それを拒否するために縁を切るということなのよ」
そこで王妃アレグリアが、母親として悲しみに満ちた声音で口を挟んだ。
6人の王子を育て上げ、出来る限り公平に愛を注いでいた王妃は、息子の1人に縁を切ると告げられたことがただ悲しいのだろう。
「でもね、それがデュレンの望みなら、叶えようと・・・陛下と結論を出したところなのです。その手紙にもあるように、生涯添い遂げたい相手が出来たのなら、それがあの子の幸せなのだと思うから」
デュレンの長い手紙には、自分が吟遊詩人として旅を続けていて、そこで知り合った傭兵を生業とする女性と結婚するとあった。
(傭兵の女性とは・・・いろんな意味で逞しい女性なのだろうか?)
ブライアンはふと、ジェン・ティルナ王女を思い出した。
けれど悪く言えばちゃらんぽらんなあの兄なら、そういう女性の方が向いているような気がする。
「・・・解りましたが・・・」
それで自分は、どんな用件があって呼ばれたのだろうと思うブライアンだ。
「とりあえず、デュレンの希望を叶えることにしたのだが、あの通りの男だからな。手紙の住所にも、何時までいるかも解らん。それで大急ぎで、書簡を届けさせた」
『希望は受け入れる。ただ渡したいものがあるから、暫くはそこに留まるように。ブライアンに行かせるから』
「兄弟の中で一番仲が良かったお前が来るなら、待つだろうと思ったのだよ。連れ戻される心配をするといけないので、お前も婚約者を連れて行くからとも書いた」
(・・・と、いう事は?)
「前回に続いてで悪いとは思うが、また誰かを婚約者として同行させて、使者を務めて貰いたい」
誰か、とは言っているが、国王夫妻の中ではその人物はもう決まっているようだ。
「デュレンの屋敷を処分して、その金をはなむけとして持って行ってもらいたいんじゃ。親として出来るだけの事はしてやりたのだよ」
国王夫妻も、世間一般の親としての情は深い。その気持ちはよく解るブライアンは、王命としてではなく、親の頼みを聞く孝行息子の気持ちでその頼みを引きうけた。
「では、お引き受けしますが・・・デュレン兄上の現在いる場所は・・・」
ブライアンは、封書を裏返してその地名を呼んだ。
「サンリット首長国・エンベ村・・・って・・・」
サンリット首長国は、デュランダルの西にある荒野と砂漠の国だ。
そこに点在する数多くの部族を纏めているのが、サンリット首長である。王国とはかなり異なる政治形態だが、領土だけはかなり広く、武力はかなりのものだ。
周辺諸国に侵略するような国風で無いのは、国が一丸となって戦をするような纏まりがないと分析されている。内政的には、部族間を取りまとめるのに精いっぱいなのではないかとも思える。ただ、他国から攻め込まれた時は、その都度必要な部族を集めて撃退しているという歴史的事実はあった。
そんなサンリット首長国にあるエンベ村は、王都に当たる首長都の向こうにあって、ここからではかなり距離があった。
(・・・遠いじゃないか)
短めに見積もっても、往復でひと月は掛かるだろう。
それほど長い間、兵営を留守にするのもどうかと思うし、この前はギムレットに行って長い間留守にしていたのだ。
けれど、ブライアンの中にある冒険心は、少年の様に心の中に沸き上がって来た。
(王命ではなく、私的な頼み事なのだから・・・)
仕事ではなく休暇中の旅行の範疇に当たるだろうと思うと、かなり自由に振舞えるはずだ。
それに、オロールが一緒なら・・・
近頃だいぶ、体力もついて来ている彼女だ。馬での旅なら、気を付けてやれば体力的にも大丈夫だろう。まだ見たことが無いであろう砂と荒野の国を見ることが出来るならと、喜んで同行してくれそうな気がする。
(いつか海を見せてやりたいと思っていたが、砂の海になってしまうな)
2人だけの、身分を隠しての旅は、どんな楽しみがあるだろう。
ブライアンは、色々と考えを巡らせて、西への旅を決めた。




