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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第1章 デュランダル王国
2/43

2 夏バテ令嬢が療養する別荘が襲撃され、軍人王子は彼女の異才に気付く

「お帰りなさいませ、坊ちゃ・・・いえ、殿下」

 エフィー・フォリア夫人は、帰宅して自室に戻ったブライアンに声を掛けた。つい、昔の癖が出てしまうのはいつもの事だ。

「ああ、戻った。食事と湯あみは兵営で済ませてきたので必要ない」

 第6王子で陸軍中将であるブライアンも、いつも通りに答える。

「かしこまりました・・・でも、たまにはこちらでお食事を召し上がってくださいな。兵営でって、ちゃんと召し上がっていらっしゃるんですか?お身体が心配になりますわ。お休みの日も、ずっと無いではありませんか」

 自分の子供のように彼を思う夫人は、世話係以上の親しさで話しかけてくる。乳母としても自分を育ててくれた彼女に、ブライアンは頭が上がらない。

「ずっと軍のお仕事ばかりで、これでは女性と顔をお合わせになる機会もございませんでしょう?」


(・・・始まった)

 ブライアンは、こっそりとため息をついた。毎晩この後、ひとしきり身を固めろなどと言う話が続くのだ。けれど今晩は、彼には逃げの秘策があった。

「そのことなんだが、実は『意中の女性』がいる。ただかなりデリケートな問題があるので、暫く時間をくれないか?」

 それは昼間、部下であり友人でもあるオーギュストから授けられた案だった。

「ああら!まぁ!それは素晴らしいですわ。殿下から、女性の話が出るのは初めてではありませんこと?今までずっと、関心もないようなご様子でしたから、心配しておりましたのよ。まぁ、嬉しいこと!」

 フォリア夫人は、踊りだしそうな勢いで喜びの声を上げた。

「それで、どんな方なのですか?お名前は?ご身分は?デリケートな問題とは?」

 矢継ぎ早に質問を投げてくるフォリア夫人を両手で押しとどめて、ブライアンは真面目な顔で答えた。

「今は言えない。でも、何か進展があったら真っ先に言うと約束する」


 それほどデリケートな問題を抱える相手とは、いったい誰なのだろう。フォリア夫人は軽く眉を顰めたが、真っ先に自分に教えてくれるなら、今は我慢しておこうと思った。彼を幼いころから育ててきたという自負に対して、優越感と言う喜びを感じている。

「解りましたわ。では誰にも言わず秘密にしておきましょうね。でも、1つだけ教えてくださいませ。一言でいうと、どんな女性なのかしら?」


(・・・うぅむ・・・何と答えれば・・・)

『意中の女性』としてオロールの姿を借りているが、頭の中にその様子を思い浮かべても返事に困る。見かけの様子や身体が弱いことなどを上げたら、彼女が特定されてしまいそうだ。


「そうだな・・・機転が利く女性だ」

 迷った末に、ブライアンは答えた。彼女の印象で、一番最初に浮かんだのがそれだった。

「という事は、その女性の内面に惹かれたという事ですわね。それはとても、良いことだと思いますわ。きっと頭の回転が速い、賢い方なのですね」

 フォリア夫人は、ニコニコしながら頷いた。




 そして月日は流れ、王都の夏が過ぎてゆく。

 時間の猶予を貰った形のブライアンの結婚については、フォリア夫人の言動も収まり、御令嬢がたのアプローチもやや沈静化しているようだ。

 ブライアンは相変わらず毎日兵営に赴き、仕事と鍛錬に時間を費やしていた。


 そんなある日、突然知らせが舞い込む。

「中将閣下、狼煙が上がりました。北のウィルソン村の方角です!」

「伝書鳩が到着しました。野盗が数百人、村を銃撃しています!」


 ブライアンは最初の知らせで席を立ち、次の知らせを聞きながら次々と指示を出した。

「オーギュスト、騎馬隊を出す。現在直ぐに出られる者をかき集めろ。デュース、ベルトラン大尉の歩兵隊を出す。俺は騎馬隊と共に出るので、歩兵隊はお前が指揮を取れ。どちらも、速度重視の軽装備だ」

 そして見習士官でもある小姓を呼ぶと、自分の装備着用を手伝わせた。


 野盗の襲撃と言うなら、戦ではない。戦闘と言うより救援が目的なのだから、いち早く現場へ向かう事が第一義になる。それゆえ装備は、皮鎧などの軽量のものが望ましい。

 ベルトラン歩兵隊は、そういう時のために特化させた部隊だ。ベルトラン大尉自身がそうであるように、兵士は皆、脚力と体力に優れている。彼らの行軍は装備を付けたマラソンに近いので、通常の歩兵部隊の4倍くらいの速度で移動できた。それは、ブライアンが陸軍に赴任してから作り上げたものだった。


 装備を整えたブライアンが玄関を出ると、サリアス・スキルヴィング少尉が2頭の軍馬を引いて駆け寄ってきた。

「中将閣下!僭越ながら、ご同行を願い出ます!」

「ん?」

 サリアスの所属する部隊は、今日は非番のはずだ。

「襲撃先がウィルソン村だと聞きました。姉が、そこの別荘にいるんです!」

 オロールは夏の間、そこにある別荘で暑さを避けて療養しているのだと言う。

「足手まといにはならないと誓います。どうか、同行の許可を!」

 必死に頼み込む姉想いの若い士官に、ブライアンは頷いた。

「許可する」


「先に出る!用意が出来た者から、追ってこいと伝えろ!」

 普通ならこの程度の出来事で率先して出てゆくような中将などいないだろうが、ブライアンはお構いなしに叫ぶと、素早く馬に跨って走り出した。


 彼の愛馬は、青鹿毛の見事な馬体で、速度スタミナ共に抜群であり、何より賢く軍馬としては国内随一の名馬だ。

 全速力に近い速度で兵営を出たブライアンは、追ってくるサリアスに気付くと、少しだけ速度を弱めた。並走する形になったサリアスだが、足手まといにはならないと誓うだけあって、その乗馬技術や乗っている馬の能力もなかなかのものらしい。


「ウィルソン村については詳しいか?」

 馬上から声を掛けると、サリアスは頬を紅潮させながらも、息切れすることなく答えた。

「牧畜を主な生業とする小さな村です。使えなくなった古い砦があって、そこを改築して別荘にしています。別荘を警護する私兵が数名いて、村の見回りなども行っています。ここ十数年は、平穏な地域でした」

「ふむ・・・」


 確かにこのところ、王国は平和を保っている。隣接する北にはギムレット王国があるが、特に不穏な情勢ではない。

 野盗と言うからには、ギムレット王国との国境である山脈を根城にする輩なのだろうか。

「山むこうは、テソーロ侯の領地だったな・・・」

 独り言のように呟いて、更に馬を走らせる。

 すると前方から伝令役らしい馬に乗った男が失踪してきた。

「で、殿下!お早いご出発、ありがとうございます」

「いいから、さっさと伝えろ!」

 伝令の男は、別荘の私兵であるらしかった。怒鳴りつけられて、慌てて声を出す。

「は、はい。野盗と言うより、武装した村人のように思われます。数は200程度」

 野盗としては数が多いが、大きな村ならその程度の人数は集められるだろう。

 ブライアンはそれを聞くなり、全力疾走を馬に命じる。

 やがて、ウィルソン村を眼下に見通せる小高い丘の上に着いた。


 小さな村のあちこちには、細い煙が幾つか上がっている。逃げ惑う村人たちや、野盗らしき人影の姿も確認できた。

「あそこに見えるのが、別荘です」

 サリアスが指し示す方向に、石造りの強固そうな建物が見える。昔の砦を改築したと言うのも頷けた。

 背後から馬の足音が響いて来た。後続の騎馬隊が、少しずつ集まって来ていた。


「何騎ほどが来ている?」

「はっ、20です!」

 最初に到着した士官が答えると、ブライアンは彼に命じた。

「5騎を屋敷内へ入れろ。最後の1騎は入ったら門を閉めるよう。残りの15騎は村の中で、襲撃者たちに当たれ。俺は先に屋敷に入る」

 愛馬の横腹を蹴りながらそう告げると、ブライアンは風のように丘を駆け下った。



 話は少し前に遡る。

 ウィルソン村の別荘の1室で、オロールはいつものように午睡の時間を過ごしていた。ベッドに入り寝間着を着て横になってはいるが、多少ウトウトする程度の浅い睡眠だった。

 毎年夏になると、食欲が落ちる。元々食が細いところにもってきて更に食べられなくなるので、体力が落ちて頻繁に貧血を起こすようになる。そんな彼女は、毎年その別荘に避暑に来ていた。

 山の麓の村は、王都に比べればかなり涼しい。山から吹き下るされる風も、爽やかで瑞々しい。そろそろ夏も終わる頃だが、それなりに体調も良いので王都に帰る日も近いだろうと思われた。

(ここは涼しくて良いけれど、本が少ないから退屈です)

 自宅に居れば、公爵家の蔵書数はかなりのもので、好きなだけ読み漁れるのだ。王都に帰る楽しみはそれだけだ。尤も、蔵書の殆どは読み終えてしまってはいるが。


 そんな折、窓の外から何やら不穏な音が聞こえてきた。平和な村には似つかわしくない悲鳴や叫び声に、オロールは起き上がって窓の外を見に行く。2階から見える村の様子は、明らかに襲撃を受けてるものだった。

(野盗の襲撃?人数は・・・多すぎない?)

 訓練を受けた兵士たちの行動には見えなかったが、かなりの数が屋敷に向かってくる様子は解る。

 オロールは、すぐさま行動に移った。


(別に命は惜しくないけど、痛いのは嫌ですから)

 寝室の扉をしっかりと閉め、鍵を掛ける。逃げ出すのは、時間的にも体力的にも難しいと判断した。そして戸棚の中から脱出用のロープを引っ張り出すと、扉の下の方にある金具に片方の端を結び付ける。もう片方は、扉のすぐ横にあるさび付いた甲冑姿の像の足元に縛り付けた。最後に壁に向かい、飾ってある剣を下ろす。

「ぅわ!・・・重いっ」

 装飾用で刃は潰してあるが、重量は相当にある。剣など持ったことなど無いオロールにとっては、両手で持っても切っ先が床をこするくらいだった。

(こんなモノ、片手で振り回す人って化け物ですね)

 寝室である部屋に、そんな無骨な品物があるのは砦だったころの物をそのままにしているからだろう。けれど今は、それらが結構役に立つ。

 出来る限りの準備をして、オロールは扉の近くへ剣を引きずって歩み寄った。


 階下から騒がしい音が聞こえる。怒鳴り声や何かを破壊するような音が聞こえるが、悲鳴は混ざっていない。どうやら使用人たちは、かねてからの指示通りに避難できたと見える。

 やがて襲撃者たちは階段を上がって来た。この屋敷は3階建てで、物置にしている部屋がまだ上にある。足音は殆どが3階の方に向かったようだが、数人が2階を回って調べているようだ。

 やがて扉の向こうから、声が聞こえた。

「おい、ここだけ鍵が掛かってんぞ。中は静かだけんどな」

「つぅコトは、金目のものがあるってコトだよな。知らせっか?」

「バカだな、分け前が減るじゃねぇか」

 直ぐに扉に打ち付けられる何かの破壊音が響いた。


 ドガッ!ドガッ!ドガッ!・・・


 繰り返される音は、何か斧のような物を叩きつけているように思えた。けれど頑丈な樫の木の扉は、簡単に破れるような代物ではない。

 それに気づいたらしい男たちは、今度はドアのカギを壊すことに決めたようだ。


 ゴイン・ゴイン・ゴイン・・・


 金属的な音が響く中、やがてドアの取っ手ごと鍵が壊された。

 ハンマーを握った髭面の男が、扉を押しのけるように開けて中に飛び込む。

 いや、飛び込もうとした。


「うわっ!」

 ドスン・・・

「うぉっ!おいっ!・・」

 ドサツ、グサリ・・・

「グギャァッ!」


 扉が開いたことで足元に張ったロープがピンとなり、最初に入った男は足を取られて前のめりに倒れこむ。後から続いた男も、その身体に躓いて倒れた。

 最初の男にとって不運だったのは、上から覆いかぶさってきた男の手に持った凶器が、背中にめり込んだことだろう。

 体重の乗った斧の刃を背中に受けて、男は悲鳴を上げて絶命する。


 ゴインッ!


「・・・・グァッ!」

 鈍い音と共に、2人目の音がくぐもった声を上げて昏倒した。

 その傍には、扉の陰から出て剣の腹で彼の頭を殴ったオロールの姿があった。



「ハァハァ・・・ハァッ・・・ハァ・・・」

 ペタリとその場にへたり込んで、オロールは肩で息をする。ひと月分くらいの体力を使ったような気がしたが、やるべきことはこれで終わりではない。

 2人目の男を殴ったが、剣を振りかぶることなど出来なかったので衝撃は左程ではないだろう。今は床に長々と伸びているが、やがて起き上がることは目に見えている。

(先ずは、武装解除・・・)

 オロールは死んだ男の手からハンマーをもぎ取ると、必死に引きずった。

(ハンマーって・・・こんな重さなのね・・・っ)

 いわゆるウォーハンマーと言う物だが、かなり本格的な武器で重量は半端ない。それでも何とか動かして、床のカーペットの下に押し込む。とりあえず、すぐに見つからなければ多少は時間が稼げるだろう。

(次は・・・捕縛して・・・)

 縛るものを探すが、ロープは罠として使用済みなので、それを再利用するしか無さそうだ。けれどしっかりと結び付けたロープは、男が引っ掛かった力で結び目が固くなっている。

(切るしかないか・・・)

 けれど剣は刃が潰してあるので用を為さない。あと使えそうなのは?

 オロールは、躊躇わずに死体の背に刺さっている斧に手を掛けた。



 屋敷内に文字通り飛び込んだブライアンとサリアスは、1階の静けさに眉を顰めた。門から玄関までに残された足跡から、10人くらいは屋敷内に侵入しているはずなのだ。けれどすぐに、上の階から物音が聞こえてくる。

「上です!姉の部屋もそっちに!」

 サリアスは声を上げながら階段を駆け上る。ブライアンも後に続いた。



 また、階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。

(・・・また、ここに・・・来る?)

 オロールはガクガク震える膝を叱咤して、何とか立ち上がった。

 昏倒した男を縛り上げることは出来た。死体から斧を引き抜いたせいで、白い寝間着は浴びたように血に染まっている。そして体力も気力は、もうとっくに限界を超えていた。

 これ以上、出来ることはもう無い。

 けれど身体は、そんな考えを無視するように動いた。持ち上げる力はもう無いが、斧を握って真っ直ぐに扉を見つめた。


「姉さんっ!」

 部屋に飛び込んだサリオスの目に、血まみれの姿でこちらを見るオロールの姿が映る。

「・・・サリ・・アス・・」

 続いて飛び込んだブライアンは、姉に駆け寄る弟の腕の中に倒れこんだ彼女の姿を見た。



「この状況なら、階下の方が安全だ」

 ブライアンは、サリアスの手からオロールの身体を抱きとった。畏れ多いと躊躇する弟に、半ば強引にぐったりした身体をもぎ取ったブライアンは、きっぱりと命じる。

「この方が効率的だ。物音から察するに、賊は3階に集中している。背後を守れ」

 力がある自分の方が素早く動けると踏んだ彼の考えに、サリアスはしっかりと頷いた。

「お願いします」


 階段を降りると、後続の騎馬隊が次々と到着する。屋敷内に入ってきた彼らに3階の賊の始末を命じると、ブライアンはサリアスが用意した長椅子にオロールを寝かせた。

 胸から下にべったりと血糊が付いたその姿に、ブライアンはきつく眉を顰める。

「サリアス少尉!ここに医者はいないのか?」

「主治医がいたはずですが・・・使用人さえ誰もいなくて・・・」


(・・・サリアス?)

 その時、寝かされていたオロールの瞼が震えた。

「サリアス・・・隠し扉・・・覚えてる?」

 まだ視界は薄暗いが、意識ははっきりしていた。オロールは弟が近くにいることを察して、小さく呟く。

「姉さん・・・あ!あそこか」


 子供の頃、1度だけ家族でこの別荘に来たことがあった。探検と称して姉を連れまわし、その時に見つけた隠し扉とその奥の部屋。かなり広さがあるその隠し部屋は、砦として使われていた時代の名残なのだろう。そこからは、外に通じる通路も残っていた。


 飛び出していった弟に気付かず、オロールは再び目を閉じると言葉を紡ぎ続けた。

「使用人たちには・・・こういうことを予想していたので・・・前もって言い渡していました。何もかも・・・放り出して・・・避難するように、と・・・」

「しゃべるな!」

 ブライアンは彼女の血の気の無い唇に指を当て、叱るように命じた。

「出血が酷くなる」


(・・・怪我はしてないのですが・・・)

 ただ疲労と貧血で倒れただけで、浴びたのは全て返り血のようなものだ。

 けれど黙っていろというなら、それはありがたい。まだ世界は薄暗くて、グラグラと不快に揺れているのだから。

 オロールは大人しく、その言葉に従った。


 サリアスが見つけ出した主治医は、侍女を1人連れてきた。

「・・・お怪我はございません。疲労と貧血の症状が見受けられます」

 医者の言葉に、ブライアンは体の力が抜けるほどの安堵を覚えたが、ふと気づいた。

(俺ともあろうものが、何故気づかなかったのか?それほど狼狽していたのか?)


 海軍士官として暮らしていたころには、大怪我をした重傷者を何度も見た。あの血まみれの姿が、返り血か出血によるものかくらいの区別がつくはずなのだ。

 では、何故それほど狼狽えていたのだろう?

 そんな事を考え始めた時、上の階から士官たちが戻って来た。賊の始末が終わったのだろう。報告を受けたブライアンは、指揮官の顔に戻り次の命令を下した。

「もう歩兵隊が到着する頃だ。合流して、デュース大尉の指揮下で行動しろ。この場を仮の指令所とする。報告等はこちらにするよう伝えるように」

 陸軍中将としての姿に戻ったブライアンの後ろで、オロールは侍女に身体の汚れを拭いてもらい、新しい寝間着に着替えていた。


 やがて夜になると、襲撃事件もひと段落していた。

 屋敷の中も隠し部屋から出てきた使用人たちが働き、オロールの寝室も片付けられていた。


「失礼する」

 形ばかりのノックの後、疲れも見せずにブライアンはオロールの部屋に入った。

「話をしても、大丈夫か?」

 ベッドで寝ている彼女の傍に立っていた主治医に尋ねると、頑固そうな初老の医師は小腰を屈めて答えた。

「寝たままでなら、大丈夫かと存じます。食事は殆ど召し上がれませんでしたが、投薬は終わっておりますので」

 礼儀正しく退室した医師を見送ったブライアンは、椅子を引き寄せて来てベッドの横に腰かけた。


(何の話が、私にあるのやら・・・しかも長くなりそうですし)

 枕の上の不愛想な顔で、それでも一応話を聞く気にはなった。

「疲れているところをすまん。気分はどうだ?大丈夫か?」

 オロールは黙って頷いた。

「村の方も一応は片付いた。村人も、負傷者が数名居る程度で済んだ。歩兵隊が到着したと同時に、賊は山の中に逃げ散ってしまったので、捕まえられたのは僅かだ。北の農民のようだが、皆仲間に誘われたんだと言っていて要領を得ない。何だか妙な感じがするのだが、そう言えば先ほど『予想していた』と言っていたな。あれはどうしてだ?」

 彼女はまた、何も言わずに頷く。

「・・・何だ?言葉も出ないくらい、気分が悪いのか?」

 オロールは上目遣いにブライアンを見て、囁くような声で答えた。

「・・・もう、しゃべってもよろしいですか?」

「は?」


 長椅子に寝かされた後、しゃべるな!と命じられたのだ。その後、命令解除の言葉は貰っていない。オロールとしては、王族の命令に従っていただけで、それについて特に何かを思っているわけではない。

「あ、ああ・・・あの時は、判断ミスがあった。すまん・・・」

 思い出して素直に謝る彼は、自分の非を口にすることに躊躇いはないようだ。

 オロールは静かに話し始めた。


「テソーロ侯の領地は、ここ数年凶作に見舞われていました。干ばつや冷害、山の獣たちが降りて来て農地をあらしたりして」

「知っている。ギムレット王国に派遣している外交官から報告があったからな。厳しい冬の間に、多くの餓死者が出たようだが」

 けれどそれでも、その地の農民たちが略奪行為を行いに来ることは無かった。

 オロールは、続ける。

「けれど今年は、天候も安定し農作物や山の実りも悪くないそうです。厨房に出入りする村人からの話を、使用人に聞きました」

「使用人たちと、よく話すのか?」

「ここでは他に、することもございませんので」

 自宅に居れば本を読んで過ごすのだが、この別荘にはたまに弟が送ってくれる書物が少しあるだけなのだ。


「話を戻すぞ。そうすると、更に解らなくなる。何故、夏の終わりのこの時期に、農民が決起したのか?」

「今の時期は、夏の作物の収穫が終わり、秋に向けての農作業をする時です。普通なら少し余裕が出来るこの時期に、農民たちは落ち着いて暮らすはずです。ですが、誰かがそんな農民たちを煽動したら?」

「・・・煽動・・・か」


 推測の域を出ないが、誰かが何らかの目的で、農民たちに伝えたのかもしれない。

『余裕があるこの時期にこそ、金や貯蔵作物をもっと蓄えておくべきではなか!』と。


 ここ数年の厳しい冬の経験が身に染みている農民たちにとっては、いつまたあんな餓死と隣り合わせの冬がくるかと思うと、それは恐怖でしかない。そんな話に、耳を傾けたくもなるだろう。

 そしてその誰かが、資金や武器を彼らに与えたとしたら。

 仲間を誘って増やせば、それだけ成功は確かになるのだと説き、後は農民たちに任せる。最低限の襲撃方法だけ教え、あくまで自分は表に出ない。


 オロールは女性にしてはやや低い声で話すが、それは解り易く耳に心地よかった。

「武器に、ウォーハンマーを持っていました。明らかに兵士の戦闘用で、農民が手に入れるようなものでは無いと思います」

「ふむ・・・そう言えば、部下の報告にもあったな。本格的な剣や槍を持っていた者もいた、と」


「上手く話を持っていけば、戦えそうな農民を集めることは可能でしょう」

 山から下りてくる熊や猪などの獣も、今年は少ない。害獣退治が出来るような農民たちも、今年なら多少は手も空いているだろう。

「・・・なるほどな」

 ブライアンは、この不愛想で痩せぎすな令嬢の、淡々と話すその内容と頭の回転に驚いた。あくまで推測だし、煽動したのが誰かも、その目的さえ分からないが、その説明なら腑に落ちる気がした。

「とりあえず、しばらくはここに兵士を置いた方がいいか・・・」

「まだひと月くらいは、可能性があるかもしれません。ですが、襲撃先を変更することは考えられます。近くに同じような村は、幾つかありますし。今回の事も、あくまで万が一という話で、使用人を通じて村人たちに伝えておいたのです。それでも被害は最小限に抑えられました」


 そこまで話して、オロールは身体を起こした。

「横になっていた方が、良いのではないか?」

 気遣うブライアンに、彼女はゆっくりと頭を振る。

「この方が、話しやすいので」

「そうか・・・少し待て」

 身軽に腰を上げ室内を見回したブライアンは、長椅子に掛けられているショールを見つけて持ってくる。そして彼女の細い肩に、そっと巻き付けた。

「・・・あ・・・・あの」

 オロールは驚いて、目を丸くした。優しく暖かいその手は、身分の高い相手のものとは思えない。

 けれどブライアンの方も、そんな彼女の表情に驚いた。

(そんな顔も、出来るのか・・・)


「ありがとうございます。殿下にそのようなことをしていただくのは、畏れ多いことです」

 目を伏せた彼女に、彼は少しばかり不満そうに答えた。

「怪我人や病人に対する気遣いくらいは出来るぞ。海軍時代は、そういう事も多かったからな」

 労わりの行動だと言うブライアンだが、それにしては優しすぎる手つきではなかっただろうか。本人は気づいていないようだが。

 けれどオロールは、黙って頷くだけだった。


「話を戻させていただきます。各村へは、通達だけでよろしいのではないでしょうか。備えておくように、と。今回のように、予想以上の速さで兵士たちが駆け付けてくれるなら、被害は最小限に出来るでしょう。すべての村へ兵士たちを派遣してしまっては、王都の守りにも支障が出るかもしれませんし」

 ブライアンは、大きく頷いた。

 それにしても、この令嬢の思考回路はどうだ。まるで、参謀のようではないか。


 陸軍中将として、彼はふと彼女に尋ねてみる気になった。

「ところで、私はこの地位についてから、王国の軍備に対して懸念を抱いている。全体を把握して以来、色々と工夫をしていて、今回の騎馬隊や歩兵隊が現場に駆け付ける速さなどは上手くいったと思っているところだ。だが、まだまだ手を入れるべきところは多い。何か提案や意見は無いか?」

 オロールは軽く俯いて、答えた。

「申し訳ございません。私はこの国の現在の軍備について、何一つ知識がありません。一般的な国の軍備に対しては、書物である程度知っていますが、それは殿下もご存じな事ではないでしょうか。ですので、言えることは『情報の速さと正確さ』の確立が大事だということくらいです」


 今回の軍の対応が良い例だ。狼煙と伝書鳩、そして伝令。3通りの方法による知らせは、悪天候や不祥事が起きた時の回避になる。


「ふむ・・・確かにそれが重要だな」

 ブライアンはそう答えながらも、別の事を考えていた。

(この令嬢に、現在の王国の軍備の詳細を教えてみたらどうだろう・・・)


 考え込んでしまった彼に、オロールはただ居心地の悪さを感じるだけだ。

 けれど黙って待っていると、やがてブライアンはニヤリと笑ってとんでもない事を言い出した。


「オロール・スキルヴィング嬢、私の屋敷に来て欲しい」



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