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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第2章 ギムレット王国

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2-7 側室 青と緑のトラブルとピンクのヘルプ

 黄色の側室ロウトホルの部屋でお茶会に参加した翌日、ブライアンはオロールを伴って庭に出た。

 警護のためにオーギュストも一緒なので、彼らはデュランダル王国用に用意されている兵舎に足を運ぶ。オーギュスト以外の士官たちと馬たちが、滞在中はそこにいるのだ。

 プボとシャルは、あの猛吹雪の小屋からブライアンたちが犬ゾリで先に出た後、オーギュスト達と共にバローズの町の入湯場に来て、更に荷物を背負ってギムレット王国の王都に来ていた。

 久しぶりに主人に会った2頭の馬は、大喜びで甘えてくる。そんな彼らに持って来た林檎を与え、ブライアンたちは引き続き愛馬たちの世話を士官に頼んだ。


 ちなみに、こんな時、フォリア夫人とメリアンはギムレット宮殿内の情報集に忙しい。と言っても、厨房などを覗いては用事のついでに人当たり良く雑談を交わし、噂話などを集める程度だが、夫人はその風貌や雰囲気もあって、あっと言う間に彼らと親しくなっている。

 そしてメリアンも、忙しかった。彼女は少しでも時間が出来ると、グラシュー女医の元に通っていたのだ。

 ローレル・グラシューも、せっかくの機会なので、ギムレット宮殿内の医師たちとコンタクトを取っていた。女が医者であるという不信感は、母国よりこちらの方が当たりが小さい。『異国の』女医という立場が、それもアリなのだろうと思わせているのだろう。

 異国の医療技術について知りたいのは、双方同じなのだ。熱心さにかなりの違いはあったが。

 そんなローレルの侍女のように、メリアンは出来る限り彼女の近くにいた。そして彼女に願い出て、文字を教えて貰ってもいる。

 情報を得るうえで、仕事上どこかの部屋で見た手紙の宛先や差出人が解れば、もっと役に立てると考えたからだ。

 そして士官たちも、不審に思われない程度に様々なことを見聞きして、オーギュストに伝えている。

 デュランダルから来ている人間の全てが、『何時どんな事が役に立つか解らない』というデュランダル王国陸軍の不文律をしっかりと理解していた。


 ブライアンたちが庭の方に回ると、ちらほらと人影が見えた。

 綺麗に雪かきされた庭園は、立太子式に招待された他国の王族たちの暇つぶしの場所になっているのだろう。

 これも社交という仕事の内だと観念して、オーギュストが耳打ちして教えてくれる相手の国や身分、名前などを覚えながら挨拶をするブライアンである。当然その横で、オロールも挨拶し相手を記憶していった。


「全く面倒なことだ」

 ひとしきり挨拶を済ませ庭園から少し離れると、ブライアンはこっそりとぼやく。

「オロールも、疲れただろう?」

 優しく気遣う彼に、彼女はいつもの淡々とした口調で答えた。

「いえ、それほどでも。私の場合、全ての方々より身分的には下なので、挨拶マナーは1種類ですし、こちらから話しかけなくて済みますので」

 確かに相手は、その国の王太子か王子ばかりなので、最上級の挨拶をして黙っていれば問題ない。オロールとしては、とても楽なのだ。

「そうか?」

 それでも、気疲れしないかと心配になるブライアンだ。けれどその辺りは、不慣れで不愛想なことが幸いしているようだし、オロール本人も肝が据わっているので大丈夫そうだ。


 そんな話をしていると、オーギュストがそっと近づいてブライアンの服をそっと引いた。

「殿下、今庭に出てきたのが、レーベン・テソーロ侯爵です」


(・・・以前とは、大分変ったな)

 ブライアンは、かつて1度だけ彼に会ったことがあったが、その時と比べると態度も見た目もずっと尊大になっていると思う。

(あれが、テソーロ候・・・)

 オロールは、初めて見る相手だったが、何となく思っていた通りの人物だと思った。

 どこか狡猾そうで、油断のならない雰囲気。頭は良さそうだが、それを誇示して他を見下すような視線。自己肯定感が強すぎて、自信過剰になるようなタイプだと思われた。


「彼は、立太子式が決まってから、国王に会いに行っては色々と吹き込んでいるそうです」

 オーギュストは、集めた宮殿内の情報を披露した。


 孫を王太子とすると決めた国王だが、その気になればそれを翻す権限もある。テソーロ候としては、出来れば自分を次期国王として認めて欲しいところだが、それが叶わないならばせめて摂政の座が欲しいというところなのだろう。

 そのために、幼い王子が不義の子であるという噂を徹底的に利用し、それと並行して現国王には少しでも早く譲位して貰うことを望んでいる。譲位すれば国王が摂政の地位に座るのだが、その摂政の座をいずれ自分に譲る方向へ持っていきたい。ギムレットの慣例なら現王妃であるディアドラが摂政になるのだが、従順で大人しく目立たない彼女に、摂政が務まる筈もないと思っている。ゆえに現国王が崩御した時には、何とでも出来ると思っていた。


「そのためにも、今は自分の領内を更に富裕にしたいのでしょう。デュランダルに対しての略奪が思うようにいかないので、今後は西の方に目標を定めているようです」

 西の方、とはデュランダル王国の西隣の国、サンリット首長国の北方にあるアルガム領の辺りだろう。

 凝りもせず精力的なことだと呆れながらも、とりあえずこちらを諦めてくれたことには安堵するブライアンだ。


 彼らは庭園を後にして中に戻った。テソーロ候の方は、こちらの存在に気付いていたようだったが、ブライアンの方から挨拶に行く義理は無い。いや寧ろ、自分の領内の農民が起こした襲撃なのだから、黒幕でなくても向こうが謝罪には来るべきだろう。

「テソーロ候にとっては、謝罪文を送ったから良いだろうという程度なのでしょうね。そういう性格なんですよ」

 オーギュストの言葉が、全てを物語っていた。


 そしてその日の午後、今度は青の側室ラモーヌが部屋にやって来た。

「失礼いたします。お忙しいところ申し訳ございませんが、私の部屋までご足労願えないでしょうか。実は困ったことになってしまって・・・」

 礼儀正しく慇懃に頭を下げるラモーヌだが、否やとは言わせない雰囲気を纏っていた。

(今度は、青か・・・)

 と思ったブライアンだが、オロールは怪訝そうな顔をしている。

 それに気づいた青の側室は、彼女に向かって微笑みながら説明した。


「私が、側室なのに自分でここまで来れたことを不審に思われるかもしれませんが、実は私は王妃様付きの侍女なのです。側室となってからも、その立場は変わりません。部屋は与えられておりますが、王妃様の御用を務めることもございますので、制限はありますが、ある程度自由に宮殿内を歩くことができますのよ」


 ブライアンは納得したオロールを伴って、今回は彼女の侍女であるメリアンを連れて、青の側室ラモーヌの部屋に向かった。


 ラモーヌの部屋は、彼女の雰囲気と同じく、落ち着いて知的な印象だった。居心地の良さを感じさせる空間だったが、そこには部屋の主のラモーヌの他に、緑の側室リンドがどこか怯えたような様子で涙ぐんでいた。

「ご足労をお掛けしまして、本当に申し訳ありません。実は、お力を貸していただけないかと思いまして・・・昨日、ポップ様のところで頼りになる方だと思いましたものですから」

 ラモーヌは、ブライアンとオロールをテーブルの近くに案内する。

 そこには青緑色の花瓶らしきものが置いてあり、横には木箱と飾り紐が置いてあった。


「実は、昨日のお詫びだといってロウトホル様から、見事な牡丹の造花を頂いたのですが・・・」

 絹で作られた美しい造花は、丁度部屋に来ていたリンドにも渡された。

「リンド様が、飾るのに適当な花瓶が手元に無いと仰るので、私が昔手に入れたこの花瓶をお譲りしようとしたのです」


 それはラモーヌが幼い頃、遠縁の者がくれた品だという。左程価値がある物でもなく、使う機会も無かったのでしまい込まれたままになっていた。先日たまたま片づけをしたので、その存在に気付いていたところだったという。

「銅製の花瓶なので、大きな牡丹の造花を飾るの都合が良いかと思って出してきたのですが・・・箱から出した途端に、リンド様が怯えて泣き出してしまって・・・」


「だって・・・これは、緑青ではございませんかっ!」

 そこでリンドが、声を上げた。

「銅の錆、緑青は毒があるのですよね。そんな物を・・・わ、私に・・・」

 リンドは再び顔を覆って、泣き出してしまった。


 ブライアンは、困ったように傍らのオロールを見た。

 こんな状況を、どうすれば良いのだろう。

 けれどオロールは、穏やかな雰囲気のまま、平然と手を伸ばして青緑色の花瓶を手に取った。


「緑青に毒性はありません。そういう俗説がありますが、他の金属の錆よりも安全な物です」

「で、でもっ・・・こんな禍々しい色・・・」

「そうでしょうか?青と緑、そして白っぽい部分もあって、綺麗だと思いますが・・・色がお気に召さないならば・・・メリアン」

 オロールはついて来ていた侍女に、耳打ちをする。メリアンはハイと答えて、そそくさと部屋を出て行った。


 やがて彼女は、手に小さな瓶と布を持って戻ってくる。

 オロールは瓶の中の液体を布に染み込ませると、緑青に覆われた花瓶をそっと吹き始めた。

「お・・・綺麗になるものだな。その液体はなんだ?」

 その様子を見ていたブライアンは、感心して問いかける。

「お酢です。メリアンに厨房から持ってきてもらいました」

 銅の錆、緑青は調理用の酢でも容易に溶けて拭きとれるのだ。


 そしてロールが拭い去った花瓶の側面に、ある文字が見えた。

『美しい方へ』

 飾り文字で刻まれたそれは、女性に対する贈り物として刻まれたものなのだろう。安い品ではあっただろうが、それを選んだ誰かの気持ちが伝わるような気がする。

「・・・そういえば、貰った時にそんな文字があったのを思い出しました。それを私にくれたのは、遠縁の老人でしたが」

 何かの祝い事の席で、ついでのように貰った記憶がある、とラモーヌは言う。


「あっ、あの・・・ラモーヌ様、申し訳ありません。私、早とちりで失礼なことを致しました」

 リンドは我に返ると、慌てて顔を伏せて謝った。耳たぶまで真っ赤になっている様子は、本当に恥じ入っているのだと解る。

「あら、リンド様、お気になさらないで下さいな。実は私も、緑青は毒だと聞いていたクチなのですよ。箱から出すまでは、こんな風になっているとは思いも寄らなくて、私自身も驚いてしまったの。毒物を差し上げる様な状況になってしまって、どうすれば良いか解らなくなって、それで助けてもらえないかとデュランダルのお2人をお呼びしたんですわ」

 ホッとしたようにリンドは顔を上げ、赤い顔のままラモーヌに頼んだ。

「あの・・・今更で申し訳ないのですが、その花瓶、やはりいただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論ですわ。この文字も、贈り物に相応しいですし」

 ラモーヌは、心から嬉しそうに答えた。


 お陰様で助かりましたと、心から礼を述べたラモーヌは、昨日のようにブライアンたちを午後のお茶に誘う。けれど彼は、礼儀正しくそれを断った。

「申し訳ないが、今日は午前中庭を散策したので、彼女を休ませてやりたいと思っている」

(いえ、それほどでは無いですけど・・・)

 近頃随分と体力が付いて来ていて、午睡の必要性を感じないオロールだ。

(ああ、でもこういう場合の口実にはなりますね)


「あ、そうでございましたわね。オロール様がお丈夫ではないと伺っておりましたのに、気遣いが足りませんでしたわ。連日のお茶会は、確かにご負担になりますものね」

 ラモーヌは寧ろ恐縮して、快く2人を見送ってくれた。



 黄色・青・緑、それぞれの側室たちとそれなりに話をして、何となくギムレット王の後宮の雰囲気も少し解ったブライアンとオロールだったが、さらにその翌日も、今度はピンクと関わることになった。


 昨日とは打って変わって、どんよりとした曇り空の下、こんな天気で午後なら人もいないだろうと、庭園に出てきたブライアンとオロールである。

 流石に寒いだろうから、と思い切り厚手の服の上にマントやらショールやらを着せられたオロールは、異国の達磨のように転がった方が早そうな格好だ。

 それでも一日に一度は外気に当たった方が良いというグラシュー女医の指示の下、こうやって外に出た彼女だ。けれど達磨だろうと布の塊だろうと、一緒に居られるならそれで嬉しいブライアンである。


 そんな時、視界の端に侍女の姿が映った。

 これ幸いとオロールを抱きしめ、わざわざ見えるようにキスをするブライアンは、チャンスは絶対に逃さない気構えのようだ。

 やれやれ、と思いながら大人しくしていたオロールだが、ふとこちらを見ているはずの侍女の様子に気付いた。

「殿下・・・彼女は何かを探しているように見えますが?」

 ブライアンもそれに気づき、2人で様子を見ていると、視線に気づいたのか侍女は慌てたように駆け寄って来た。


「失礼いたします。つかぬことをお伺いいたしますが、猫を見かけませんでしたでしょうか?」


 侍女は、自分はマルセリーナ様付きなのですが、と続けて2人の返事を待つ。

(今度は、ピンクの御方ですか・・・)

 流石にオロールも、そう思わざるを得ない。

「いや、見ていないが、猫が行方不明なのか?」

 ブライアンの返事に、侍女は少し言いにくそうに説明した。


 ピンクの側室マルセリーナは、猫を3匹飼っているという。そのうちの1匹、グラシアという名の猫がいなくなったのだと言う。


「マルセリーナ様は、本日はフレア様のお茶会に出ていらっしゃいましたが、途中で退席されてお部屋に戻られたんです。そうしたら、いる筈のグラシアの姿が無くて、只今侍女たちが手分けして探しているところでございます」

 少しの間部屋には誰もいなかったが、部屋のドアは閉まっていたはずだった。猫が自分で出て行ったとは思えないが、猫を盗むような誰かの心当たりも無い。たまたま隙間が出来ていて、猫が出た後風か何かで閉まったのだろうと結論し、こうして宮殿の中や庭を探していると言う。


「この寒さと積雪ですから、室内飼いの猫は外に出たがらない可能性も高いでしょう。それにもし出たのなら、雪の上に足跡が残るでしょうし」

 オロールが呟くと、侍女は確かにそうだと思いなおしたようだ。

「はい・・・でも、何とかして見つけないと・・・マルセリーナ様が・・・その・・・お怒りになられていて」

 癇癪を起してヒステリー状態になっている、とは流石に侍女の口からは言えない。

 話しながら屋内に戻った時、1人の侍女が猫を抱いて駆け寄って来た。


「あっ、グラシア。見つかったの?」

 話をしていた侍女がホッとしたように声を掛けると、駆け寄って来た方の侍女は泣き出しそうな顔で白状した。

「いえ、その・・・実は、私が連れだしたんです」


 別部署の仲の良い同僚が大の猫好きで、一度でいいからピンクの側室の飼い猫グラシアを見たいと強請ったのだと言う。

 グラシアは白地に黒が入った長毛種の猫で、ここギムレットでは珍しいラグドールという種類だ。


「マルセリーナ様がお茶会にいらしている間だけ、ちょっとのつもりで抱いて出たのですが、戻ってみたらマルセリーナ様のお声が廊下まで聞こえて来て・・・」


 赤の側室のお茶会で、何か気分を害したことでもあったのだろうか。途中で帰って来たマルセリーナは不機嫌そうだったが、そこに愛猫がいなくなったことに気付いて感情を爆発させたのだろう。


「どうしていいか解らなくて・・・逃げちゃったんですけど、このままじゃいけないしって思ってたら、アーラさんが見えたので・・・」

 2人で見つけたことにしてもらえたら助かるかもしれない、と思ったのだと言う。

「・・・それは構わないけど・・・」

 アーラと呼ばれた侍女は、ブライアンとオロールをチラリと見た。話は全て聞かれてしまっているから口止めしたいところだが、相手は王族で賓客だ。


 するとオロールは、すっと両手を差し伸べて言った。

「私が見つけたことにしましょう」

 そして侍女の腕からふかふかの猫を静かに抱きとる。

「私が見つけて、殿下が捕まえて下さったことにいたしましょう」

 それならむやみに詮索されることも無いだろうというオロールに、ブライアンは頷いた。

「そうだな、それじゃ我々が届けるから、手続きをしてくれ」

 ピンクの側室の事も知ることが出来そうだし、と思いながら彼はオロールを楽しそうに見ていた。

(猫を抱く彼女も、なかなかに良いものだ・・・)


 マルセリーナの部屋へ向かいながら、オロールはそっとブライアンに耳打ちした。

「出来るだけこの猫の事を褒めてください。他にもあと2匹いるそうですから、そちらの猫も目一杯」

 猫好きに限らず、全て動物を可愛がっている者ならば、それを褒められれば嬉しいものだ。王子様として身分も見かけも申し分ない彼が褒めるなら、更に効果は大きいだろう。

「・・・解った。猫も嫌いじゃないから大丈夫だと思うが、飼い主の方に愛想を振りまくのは難しいぞ」

「そこは努力なさってください。私も、苦手なことを日々努力しております」

 婚約者である公爵令嬢として過ごしているのだ、と少し苦労を訴えてみたいオロールだった。



「ああぁっ!グラシアぁぁ~~」

 部屋に入るなり、ピンクの側室マルセリーナは飛びつくように駆け寄ってきて、オロールの手から猫を奪い取った。

「マルセリーナ様、グラシアはオロール様が見つけて下さって、ブライアン殿下が捕まえて下さったのでございます」

 アーラの言葉に、マルセリーナはそこで初めて2人を見て、一昨日ロウトホルの部屋で会った相手だと解ったようだ。

「あっ、あ・・・ありがとうございますぅ~~」

 咄嗟にお礼は言えたが、それ以外の言葉が出てこない所を見ると、どうやら相手の名前を思い出そうとしているようだ。

「いや、大したことはしていない。それよりその猫、グラシアと言ったか?なかなか素晴らしい猫だな」

「えっ、あっハイ・・・ありがとうございますぅ~~殿下ぁ」

 どこか舌足らずな語尾に違和感を覚えながらも、ブライアンは先ほどオロールから言われた通りに精一杯の笑顔で猫を褒める。

「うむ、毛並みが良い。触り心地も気持ちが良いし、色合いも絶妙だ。そして何より、賢そうな瞳が最高だと思う」

 馬を褒めると思えば、猫はその応用でも大丈夫だろうと考えるブライアンだ。


 マルセリーナの雰囲気が変わった。

 それまで怒りと激情の名残で刺々しかった表情が、目に見えてパァッと明るくなる。

 そこにオロールが口を挟んだ。

「私も猫が好きなのですが、こちらには他にも2匹いると窺いました」

 そしてブライアンの方を、チラッと見る。

「ああ、そうだったな。他の2匹も、見せてくれないかな?」

 オロールの意をくみ取って、彼は精一杯の笑顔でマルセリーナに微笑みかけた。

「あっ、ハイ。ええと・・・今は隠れちゃってるみたいでぇ・・・でも、ちょぅっと待っててくださいねぇ」

 ピンクの側室は大喜びで答えると、グラシアを侍女に渡して隣の部屋に消えた。

 開けっ放しのドアから、中の様子が見える。彼女は棚に並ぶ沢山の薬瓶の中から、1つを手に取っていそいそと出てきた。

「これで、出てくると思いますぅ」


 マルセリーナが床に茶色の粉を巻くと、どこからか2匹の黒猫が出てきた。グラシアも床に下ろしてもらい、3匹は粉を舐めながらゴロゴロ喉を鳴らして床に寝そべった。

「マタタビ、ですか?」

 オロールの問いかけに、マルセリーナは屈託なく頷いて答えた。

「ええ、そう。いつでも使えるように、用意してあるの。あの2匹はウチから連れて来たんだけど・・・あ、ウチって牧場があるのよねぇ。で、元々外飼いだったから、こうでもしないと知らない人がいる時は出てこないのぉ」


「牧場ですか、お仕事は大変そうですね」

「まぁね。ウチは子沢山だったから、特にねぇ。それもあって、ここに来たのよね。テソーロ侯爵様のお目に留まったからだけどぉ」

 テソーロ候の名に、ブライアンとオロールは内心こっそりと気を引き締める。

「テソーロ候様の遠縁の養女になって、ここに来たの。来てまだ半年だけどぉ、侯爵様にはすっごく良くして貰ってるのよ。ドレスも宝石も化粧品も、グラシアだって貰えたし、陛下のご寵愛を得るための品も届けて下さるのぉ」


 マルセリーナは、感情の起伏は激しいが、機嫌が良い時は話し好きになるようだ。ただ、考えは浅く、用心深さなどは無いらしい。


「マタタビも?化粧品も?」

 隣室に会った薬瓶は、その類かと考えたオロールは、何気なさそうに問いかける。

「ええ、そうよ。興味あるぅ?すっごくイイ化粧品があるのぉ」

 マルセリーナは、嬉々として隣の部屋から小さな瓶を持って来た。

「ベラドンナって言うの、知ってる?」

 ベラドンナという植物の葉を絞って作る薬だという事を、オロールは知っていた。

「これね、目に点すと、すっごく美人になるのよ~」


 点眼薬として使用すると、ベラドンナは瞳孔を拡大させる。つまりウルウルした綺麗な瞳の色が目立って、美しい眼が出来上がるのだ。

(少量なら大丈夫ですが、使い方を間違えると危険物ですよね。毒性もあると、書物にはありましたし)

 そうは思ったが、とりあえず余計なことは言わないオロールだ。

「興味があるなら、少しお分けしますわよ。他の側室の皆様にもお勧めしたけど、誰も要らないって言われちゃってぇ。でもそうやって自分磨きを怠るから、陛下の寵愛も減るんですよねぇ」


 それからオロールは、マルセリーナから多くの情報を引き出した。


 ギムレット王は、それぞれの側室の部屋を週に1度は必ず訪れている。けれどマルセリーナは、週に3回陛下を迎え入れているようだ。子作りを諦めていない王は、側室の中で1番若い彼女に多くの期待を寄せているのだろう。

 けれど高齢の王にとって、毎晩の子作りは流石に色々と大変らしい。それを考慮して、マルセリーナは様々な、いわゆる精力剤の類を王に勧めていると言う。そしてそれ等も全て、テソーロ候が届けてくれるのだそうだ。


 王の甥であるレーベン・テソーロ侯爵は、万が一にもマルセリーナが身籠った時の事も考えているのだろう。自分が後ろ盾になっている側室が王の子を為せば、色々とメリットがある。

 様々な可能性を考えて、それら全てに手を打っているテソーロ候は、確かに策士なのかもしれない。


 マルセリーナの部屋を辞した後、ブライアンの部屋に戻った2人は、今回得た情報について語り合った。

「テソーロ候と言うのは、侮れない相手だな」

「そうですね、要注意危険人物という位置づけで良いと思います」

 答えたオロールは、静かな佇まいで立っている。

 けれどブライアンは、彼女が体の前で組んだ手の甲に走る赤い跡を見つけてしまった。

「オロール、手をどうした?」

「え?」


 彼女の白い手の甲には、赤い蚯蚓腫れのようなものが出来ていた。

「・・・ああ、グラシアの爪が当たったみたいです。引っ掻かれたと言うほどではないので、大丈夫です」

 オロールの白く薄い皮膚には、少しばかり目立つ赤い線があったが、傷がついていると言うほどでは無いらしい。けれどブライアンは、その手を優しく取って、赤い跡をペロリと舐めた。

「えっ・・・あのっ!」

 流石に驚いたオロールに、彼は平然と言ってのける。

「念のため、だ。猫の爪で引っ掻かれると、化膿しやすいと聞くぞ」

 そう言って置きながら、今度は彼女の頬に優しくキスをする。

「・・・あの・・・誰もいませんが?」

 仲が良い婚約者同士という場面を、見せる誰かはいない。

 怪訝そうなオロールの言葉に、それでも嫌がっている気配は無いと見て取ったブライアンは、その嫋やかな身体をそっと抱きしめた。

「おや?そうだったかな・・・いや、もしかしたら誰かが窓の外から見ているかもしれないぞ」


 しれっとそんな事を言うブライアンに、流石のオロールも考えざるを得ない。

(窓の外って・・・今の状況で刺客が送り込まれるわけもないですし・・・せいぜいカラスとか?)

 しかし、本当に嬉しそうに彼女を抱きしめる彼の様子は、どうにも腑に落ちない。

(・・・まさか・・・)

 オロールは頭の中に浮かんだ考えを、必死に振り払った。

 そう言うことは、考えてもいけないのだ。

 頭の中で警鐘が鳴っているように思えた。


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