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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第2章 ギムレット王国

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2-5 高級入湯所でパニック 風邪は何時引いたのか?

 高級入湯施設のスタッフに浴室のドアを開けてもらうと、ブライアンは抱いていたオロールを床に下ろし、ドアの鍵を閉めた。

 とりあえず、これでひとまず安心だ。

 入った場所は、どうやら入湯の準備をする小部屋らしい。浴室は天井から下がっている毛皮の向こう側で、海獣の毛皮が防寒と防水の役割をしているのだろう。

 ブライアンは、下げられた毛皮の隙間から漏れてくる湯気を確認すると、自分とオロールのマントを外して部屋の隅に放りだす。

「・・・・あの・・・ここは?」

 床に下ろされた感覚と暖かい空気に気付いて、オロールは目を覚まし口を開いた。


「入湯所だ。ここで湯に入って、身体を暖める」

 ブライアンはさっさと自分の上着を脱いで身軽になると、彼女に手を伸ばす。

「脱がすぞ」

「えっ・・・あっ、ちょ・・・」

 慌てるオロールだが、まだ身体は凍えて上手く動かない。

「で、殿下っ・・・ど、どうぞ・・・おっ、お先にっ」

 王族である彼が先に入るのは当然だし、彼が終わった後で自分が入るのが当たり前だと思う。

「お前の方が、緊急性が高い状態だ」

 けれど彼女の意見はあっさりと却下され、上着が脱がされて毛織物のドレスのボタンに手が掛けられる。

「で、でも・・・(ガチガチ)・・・そ、それに・・・(ガチガチ)じ、自分で脱ぎます・・・(ガチガチ)・・・からっ」

 身体が震えだすまでに暖まったは良いが、どうしても歯が鳴って言葉が途切れる。

「・・・・無理だろ?」

 オロールの指は自分で何とかしようと必死にボタンを外そうとしているが、まだ凍えている手は震えて上手くいきそうには見えない。ブライアンはサッと彼女の手をどけて、全てのボタンを外し終えた。

 少しばかり乱暴に、剥ぎ取ると言えそうな動きで、彼はオロールのドレスを脱がせた。


 来る途中に馬車に酔ったので着替えをしたが、その時にコルセットは外してもらっていた。

 それもあって、オロールは薄い下着のみの格好になってしまう。

「あ、あのっ・・・(ガチガチ)・・・せめて、下着はっ・・・(ガチガチ)・・・自分でっ!」

 泣き出しそうな声で、流石に無表情も消えて訴えるオロールに、ブライアンはハッと我に返った。

「あっ・・・ああ・・・解った。それじゃ俺は、浴室内を見てくる」

 流石にこれはマズイだろうと気が付いて、彼はそそくさと浴室内に入って行った。


(・・・いっそ、このままお湯に入りたいですが・・・)

 下着だけは着けておきたいと思うオロールだが、そうなるとやはり湯は汚れてしまうだろう。後から入る王子殿下に失礼だし、下着が濡れてしまったら着替えもないのだ。

 困ったオロールが小部屋の中を見回すと、真新しい大型バスタオルと浴用手ぬぐいがあった。



(うん、危険は無さそうだ)

 靴だけは脱いでいるがシャツとズボンは着たままで、ブライアンは浴室内をザっと見て回った。

 部屋の中央に大きな浴槽、普通のバスタブの5倍はありそうな物があって、なみなみと湯が張られている。そこに更に熱い湯が少しずつ注がれていて、溢れた湯が床を濡らしていた。

(・・・湯の温度も、丁度良いな)

 彼は腕まくりをして、浴槽内の温度を確かめた。

 隠し扉のようなものは無いし、誰かが隠れている様子も無い。身に着いた習性のように、安全を確認し終えたところに、声が掛かった。


「で、殿下・・・(ガチガチ)・・・い、いちおう・・・(ガチガチ)用意が・・・で、でき・・・(ガチガチ)・・・ましたが」

 まだガタガタと震えながら浴室に入って来たオロールは、バスタオルを巻いていた。

「そ、そうか・・・浴槽の傍に来い」

 ここに来て、急に気まずくなったブライアンは、彼女の方を見ないようにしながら声を掛ける。


 おずおずと歩み寄った彼女の手から浴用手ぬぐいを借り、彼はそれで目隠しをした。

(最低限の礼儀だ・・・)

 そして近くに置いておいた手桶を持つと、浴槽の湯をすくって彼女の脚があるはずの場所に掛ける。

「いきなり湯に入るのは、身体に良くないそうだ。手も入れて、先に少し暖めろ。俺は以前、こっちに来たことがあってな、その時に入湯作法を教えられたんだが・・・」

 普段より饒舌になるのは、気恥ずかしさのせいだろう。

 彼の気持ちが全て解ったわけではないが、気遣ってくれていることは解る。オロールは、大人しく言われるままにした。


 最初に足を湯に入れた時は、熱くてジンジンとしていたが、身体全体を浴槽に沈めると、熱がじわじわと染み込んでくる。ブライアンは目隠しをしてくれているが、それでもバスタオルは巻いたままで、オロールは暖まってゆく身体にほぅっと息を吐いた。


(・・・こういう時は・・・どうすれば良いのだ?)

 ひと安心したところで、ふとブライアンは手持無沙汰になって考えた。


 さっきまでの自分の行動は、我ながら強引だったと反省の気持ちが沸き上がる。オロールは寒さで固まってはいたが、自分で歩けるくらいではあったのだ。入湯の注意点だけを伝えて、後は小部屋で待っていても良かったのだ。

(・・・嫌われたら・・・困る)

 まだ想いも通じ合っていないのに、下着姿に半裸の状態まで見られて、しかも強引にそのような状況にまでした自分を、彼女はどう感じているのか。

「そ、それじゃ・・・向こうにいるからな」

 何かあったら声を掛けてくれ、と言い残してブライアンは浴室を出た。目隠しをしたまま、手探りなので、壁に突き当たったのは致し方ないと言えよう。

 かなり遅まきながらではあったが、それでもあの場に張り付いているよりはマシだと思いながら。


(何をやっているんだ、俺は・・・)

 ブライアンは目隠しの浴用手ぬぐいを外すと、床にドカッと胡坐をかいて座り込んだ。

 ただ彼女が心配で、少しでも早くと頭に血が昇っていたのかもしれない。カッとなると、我を忘れて行動する悪癖は、まだ完全に治っていなかったようだ。

(後でちゃんと説明するにしても、聞き入れてくれるだろうか・・・)

 不安に思いながら、ブライアンは浴室の物音に耳を欹てていた。

 そして、暫くすると・・・


 ドボン!バシャバシャ、バシャッ!ガボゴボ・・・バシャバシャ・・・


 いきなり浴室から、不穏な物音が聞こえた。

 小部屋との仕切りである毛皮を通してだが、ブライアンの耳はその水音を聞き取っていた。

「オロールっ!」

 床から飛び上がって浴室に飛び込んだ彼の目に映ったのは、湯の中に完全に没したオロールの姿だった。


「おいっ!しっかりしろっ!」

 大慌てで、彼女の身体を浴槽から引っ張り出す。

「ゲホッ!ゲホゲホ、ゴホッ!・・・ゴホッ」

 オロールは激しく咳き込みながら、ペタリと床に座り込んだ。


 あまりの気持ち良さにウトウトとなり、うっかり眠ってしまったらしい。

 ズルズルと背中が滑ってそのまま仰向けに沈んだが、口に湯が入った途端に目が覚めた。

 けれど、なまじ浴槽が大きいため、咄嗟に掴まることが出来ず、手入れの良い大型バスタブの底面が滑って身体を起こせなかった。


(・・・お、溺れるかと・・・)

 何とか助かったと思うが、引き上げてくれた彼にお礼を言う事も出来ず、オロールがへたり込んだまま咳き込んでいる。

「とりあえず、ベッドに運ぶぞ」

 浴室の床に寝かせるわけにもいかないので、ブライアンは彼女を抱き上げようとしたが、そこでハッと気づいた。

(このままじゃ、マズイな・・・)

 オロールはバスタオルを巻いたままだった。このまま運べば床はおろか、寝かせたベッドも水浸した。

(ええい、緊急事態だ!)

 ブライアンは彼女の身体からバスタオルを剥ぎ取り、手に持っていた浴用手ぬぐいでその身体をザっと拭うと、有無を言わさず抱き上げて浴室を出た。

 バタンッ!と大きな音を立ててドアが開く。

 数歩進んだその途端。


「うわぁっ!しっ、失礼いたしましたぁ!」

 裸のオロールを抱いたままのブライアンを待ち受けたのは、オーギュストの大声だった。


(・・・えっ・・・何?)

「あっ、いや違うっ!これは、緊急事態だ!」

 視線を巡らせてオーギュストを見たオロールと、狼狽して怒鳴るブライアン。


「・・・あっ・・・いやぁぁ~~!」

 自分が一糸纏わぬ姿だと気づいたオロールは、咄嗟にブライアンを跳ねのけて床に落ち、その場に丸くなって悲鳴を上げた。

 両手で顔を覆ってしまったのは、現実逃避だ。身体を隠すような思考も働かない。


「み、見ておりませんっ!す、すぐっ、出てゆきますっ!」

 オーギュストの方も手で目を覆って、回れ右をして出て行こうとしたが、そこに入って来たフォリア夫人と正面衝突してしまった。

「キャァッ!」

「ウォゥ!」

 室内は何やらパニック状態になってしまったが、その中、ブライアンだけがただ茫然として突っ立っていた。


 あれほど厳しい雪中行軍だったにも関わらず、フォリア夫人は元気よくキビキビと立ち働いた。

 幼少期から丈夫で活発かつタフだったブライアンを、育て上げて鍛えられていた彼女は、見た目に寄らないタフネス中年女性だったようだ。

 呆然と立ち尽くしているブライアンの身体を、力任せに後ろを向かせ、床で丸くなるオロールに近づくと、優しく声を掛けながらベッドに連れてゆく。そして彼女を布団の中に押し込み、後から追いついて来たメリアンに、荷物を解いて彼女の寝間着を持ってくるよう指示を出した。



「殿下も、入湯して来てください。そこにいらしても、邪魔なだけでございますわ」

 少々言い方が辛辣なのは、誤解が入っているからだろう。まあ彼は、びしょ濡れながらも服は身に着けているので、最終的な不埒な振る舞いをしたのではないと解ってはいるが、状況的にオロールが可哀そうすぎると思っている。

 ブライアンはしょんぼりと、不本意にハウスを言いつけられた大型犬のように、肩を落として風呂に入った。


 結局その晩、彼は別室を用意して貰ってそちらで寝ることになった。

 翌朝、あまり寝られないまま朝を迎えたブライアンは、やって来たフォリア夫人に恐る恐る問いかける。

「オロールは、どんな様子だ?」

「今は、グラシュー先生とメリアンが付き添っておりますわ。朝方から熱を出されて、風邪をひかれたようだと先生は仰ってます」


 昨晩、フォリア夫人に世話をしてもらった後、オロールは枕に顔を埋めたままベッドの中で動かなかった。

 浴槽の中で寝てしまい、溺れる様な羽目になって、またブライアンに助けてもらった。

 申し訳なさと恥ずかしさがMAXで、ただただ自分が恨めしい。

 おまけにあられもない姿を、オーギュストにも見られてしまっている。


(穴があったら入りたい・・・無ければ掘ってでも入りたい)


 これから、どんな顔をして会えばよいのか。真っ赤な顔をして枕に顔を押し付けたオロールは、浅い眠りの後、目覚めた翌朝にはしっかりと熱を出していた。


「・・・風邪・・・か・・・大丈夫なのか?」

「今の症状は、咳と発熱でございます。メリアンも傍で看病しておりますが、先生は『どのタイミングで風邪をひかれたのかしら?』と仰ってましたよ」

 雪中行軍のせいなのか、浴室での出来事の結果なのか、裸のまま部屋に戻されて床に落ち少しそのままだったからなのか。

 フォリア夫人が言わんとしていることを察したブライアンは、この乳母上がりの世話係に、全てを正直に打ち明けるしかなかった。


 ひと通り話を聞いた夫人は、額に手を当てて溜息をついた。

(どうしてこの方は・・・不器用で運が悪いのか)

 行動自体は、決して褒められたものでは無いが、悪気があったわけでは無いし、寧ろオロールに対しての想いが強すぎただけかもしれない。

 一言でいえば『女性に対する繊細さに欠ける』という事なのだろう。

「殿下、慌てそうな時は深呼吸してから行動なさいまし」

 彼女としては、そう言う以外に言葉が無かった。



 結局一行は、その日からオロールが回復するまで、1週間ほど入湯施設に滞在することになった。

 ギムレット王国にいる外交官もやって来て、様々な手配を引きうけてくれたが、念のためにとかなりの余裕をもって向こうを出発してきて良かったと思うオーギュスト達である。


 風邪の療養をしながら、余計な時間を浪費させてしまったことを悔やむオロールだったが、それでも時間が経てば少しずつ前向きに物が考えられるようになる。

(過ぎてしまったことは、変えられないのだから)

 きちんと謝って、何を言われても気にしないようにして、出来ることに集中しよう。

 身体は弱いが、精神は強い公爵令嬢オロールだ。


 そんな中、ベッドを離れることが出来たオロールは、ラキシス・リンデン兵長と話す機会を設けた。彼の能力を買っての事で、報告書を出すほどのものでは無いような事柄でも、彼が気づいた事などを聞きたかったのだ。犬についての話も聞きたかった、というのもあったのだが。


「犬がお好きでいらっしゃますか?」

 ひと通り話が終わった後で、ラキシスはオロールに尋ねた。彼は愛犬ベガを伴って来ていた。

 最初は、無表情で冷ややかな印象があったスキルヴィング参謀だったが、何度も優しくベガの頭を撫でる彼女に目から鱗の気分になる。

「そうですね、犬も好きです」

 今までと同じ口調だが、その雰囲気は穏やかで優しい。

 口の利けない犬と暮らすラキシスは、相手の纏う空気や些細な変化に気付くことが出来るのだろう。

「飼われてみてはいかがです?犬はいいものですよ」

 雀斑のある頬を紅潮させて、彼は楽しそうに続けた。

「それは難しいでしょう。私は兵営に通っているので、留守番ばかりさせてしまいます」

 オロールは淡々と答えたが、内心では犬に限らず動物を飼いたいと思ったことは何度もあったのだ。

 するとラキシスは、少し迷った後、意を決したように口を開いた。


「王都の兵営でも、犬を訓練してはどうかと思っているんです。軍用犬というやつですね。遠い異国で、そういうことをしていたという話を聞いたことがあります。犬たちを危険な場所に連れてゆくことはあまり嬉しくは無いのですが、ベガを見ていると、主人と一緒にいて一緒に仕事をすることに喜びを見出す犬もいると知りました」


 伝令・捜索・警戒。

 そういった活動に、犬の能力は大いに役立つだろう。負傷者を捜索する、衛生犬というものもあるらしい。

 そういった施設を兵営内に作れば、スキルヴィング参謀が犬を連れて通っても問題はないのではないかとラキシスは続けた。

「参謀の身辺警護の役目も担えるし、犬もきっと喜びますよ」

「そうですね・・・・」

 オロールはそれ以上の事を口にしなかったが、いつか機会があったらそれも良いかもしれないと思っていた。


 オロールはラキシスの話を、最後まで興味深く聞いた。

 そして彼女はブライアンに進言し、兵営内に軍用犬の養成施設を作ってもらい、ラキシス・リンデンを昇格させてその責任者とするのだが、それはまだまだ先の話になる。



 やがて一行は、バローズの町を出てギムレット王国の王都に向かう事となる。

 出発の前日、ブライアンは勇を鼓して、久しぶりにオロールに話しかけた。

「良ければ庭に出てみないか?明日の出発でいきなり外気に当たるより、今日のうちに慣らしておくのも良いと思うが」

 フォリア夫人に、釘を刺されていた。

 あの時の事は、忘れたように、いや無かった事のように振舞えと。言い訳したり謝って蒸し返すより、その方が彼女は気が楽になる筈だから、と。


「・・・はい」

 オロールは少し驚いたようだったが、いつものように穏やかに答えた。

 彼があの時の事を忘れたように振舞ってくれるのは、確かにありがたい。今でも思い出すと、居たたまれない気分になるオロールなのだ。

 今回は、そんな彼に甘えようと、オロールはショールを羽織って庭に出た。


 雪は積もっているが良い天気で、反射する光が眩しい庭は、美しい銀世界を見せている。しっかりと手入れがされている庭は、小道の雪かきもされていた。

「寒くはないか?」

 ブライアンは持ってきていた自分のマントを、オロールにふわりと掛けた。

「病み上がりだからな。少し重いかもしれないが、我慢しておけ」

 確かに男性用のマントは、丈も長いし重かった。

「すみません、ありがとうございます」

 けれど彼女は、素直に礼を言って軽く頭を下げた。愛想の良い女性なら、惜しみなく微笑みを浮かべるところなのだろうが、生憎彼女にそんな芸当は出来ない。

 けれどブライアンは、それを解ったうえで、嬉しそうに微笑んだ。


「雪に触ってみないのか?そうしたいと言っていたではないか」

 ここに来るまでの馬車の中で、確かに彼女はそう言っていた。けれど、オロールは軽く頭を振る。

「いえ・・・もう充分・・・嫌というほど味わいましたから」

 あの雪中行軍で、雪の冷たさも怖さも経験した。話には聞いていたが、あれほどツライ物だとは思ってもいなかった。

「そうか・・・確かに吹雪は恐ろしいものだが、こんな日は雪もなかなか良いものだぞ」


 ブライアンは数歩足を勧め、積もった雪に手を入れて掬い取ると、ギュッギュッと両手で握って雪玉を作った。

「見てろよ」

 彼はそう言って、葉を落として雪だけを梢に乗せた1本の庭木に向かって雪玉を投げる。


 パシャッ!パラパラ、シャラシャラシャラ・・・・


 背の高い庭木に命中した雪玉は、湿った音を立てて砕け散る。見上げる梢から、雪が舞うように落ちてきた。

 陽光に照らされて散る雪の粉は、微かな音を立てて溶けながら散ってゆく。

(・・・散華)

 そんな言葉が相応しい、とオロールは思った。

「綺麗・・・ですね」

「そうだろう?それに・・・」

 ブライアンは更に先へ進み、何かを取って来たかと思うと、また雪を今度は少し多めに掬い取っている。オロールに背を向けて作業をしていた彼は、やがて振り向くと、両手の上に乗せた物を見せた。

「これは・・・ウサギ?」


 細長い緑の葉を耳にし、真っ赤な木の実を目にした、可愛らしい雪ウサギ。

 大の男が作るにしては可愛すぎるそれを、けれどオロールはただ感心して見ていた。

「ちゃんとウサギに見えたか、良かった。子供の頃は、むしろ雪だるまを良く作ったものだ。最初に作ったウサギは、笑われてしまったからな」

 幼い彼がウサギのつもりで作ったそれは、緑の羽が生えた寄り眼の白ナマコのようだったのだ。


 オロールは僅かに目を細め、眦を少し下げる。

 それが今の彼女にとって、精一杯の笑顔なのだろう。けれどブライアンは、そんな彼女の些細な変化がただ嬉しい。


「私も、何か作ってみたいです」

 オロールは長いマントの裾を引きずって雪の中を少し歩き、何かを取って戻ってくる。そして彼がしたように、背を向けて何かを作った。

「これ、どうですか?」

 彼女が見せる両手の上には、小さな雪の塊に小さな丸い緑の葉、赤い木の実と小枝が刺さっている。

「・・・ハツカネズミ、かな?」


 白ウサギとハツカネズミを並べて置いて、嬉しそうな雰囲気のオロールに、ブライアンは優しく話しかける。

「白い生き物は、それだけで可愛いものだな」

 けれどその時、オロールの穏やかな雰囲気がすぅっと消えた様な気がした。

「・・・白い赤ん坊でも?」


 白い赤ん坊と言われるのは、白子で生まれた赤子のことだ。アルビノとも呼ばれるその現象は、色素を持たずに生まれる個体を指すこともある。


「白子のことだな。聞いたことはあるが、実際に見たことは無い。人間だったらどうなのかは、想像するしかないが・・・」

 可愛いと思えるかどうか、実際に見てみないと分からないと考えたブライアンは、適当なことは口に出来ない真面目さと慎重さも持っていた。想像だけで答えて良いか迷う。


「そうですね、実際に見てみないと・・・それより、少し寒くなってきました。中に入りませんか?」

 オロールはいつもの穏やかな雰囲気に戻って、静かに踵を返した。

「ありがとうございました、殿下。お陰で雪の楽しさも解りました。雪というものの、二面性を知ったような気がします。もっと他にも、そういう二面性があるものは、沢山あるのでしょうね」


 雪は時として凶器のように人を襲う。

 雪崩として、吹雪として。

 けれどそんな雪を、人は楽しむこともできるのだ。


 オロールは緩やかな思考に入って、これから先の事を考える。

 ギムレット王国の宮殿で、自分は何が出来るだろうか、と。



 翌日、一行はバローズの町を出発した。

 立ち往生していた馬車は、ラキシスや士官たちの働きで運ばれてきている。あの酷かった天候はすっかり回復し街道の雪もほぼ消えていたので、彼らはデュランダルを出た時と同じように進むことが出来た。


 途中休憩も入れながらの旅だったが、それでも翌日にはギムレットの王都が見えてくる。高い城壁に囲まれた城と、その周辺に集まる沢山の家々の屋根。

 政情不安の空気や、中のゴタゴタなど全く見せもせず、傲然と聳え立つギムレット城は、夕日に照らされて赤く染まっていた。


 先触れを出していたので、一行は高らかなラッパの音と共に城内に迎え入れられる。

 ここからが正念場なのだ、とオロールは気を引き締めていた。肩書は公爵令嬢だが、期待されているのは参謀としての働きなのだと解っている。

 オロールはチラッと横目でブライアンを見ると、心の中でこっそりと呟いた。

(お役に立てるよう、頑張ります)


 宮殿の中に入ると、そこは豪華だがどこか寒々しい空気のホールになっている。

 ブライアンたちを出迎えるために人数を揃えて従えた、1人のギムレット貴族の男性が立っていた。

「遠路はるばる、ようこそお出で下さいました。私はモーリス・アスコットと申しまして、男爵位を賜っている者でございます。ブライアン・オルフェ・デュランダル殿下におかせられましては、ご滞在中のご用件などを承るよう命じられております」

 そつなく礼儀と挨拶をこなし、丁寧に頭を下げるアスコット男爵は、身なりこそ貴族に相応しく整えているが、これと言って特徴のない凡庸な顔立ちをしていた。


 デュランダル王国からの招待客とは言え、ブライアンは代理の代理だ。第6王子という立場でもあるし、世話役は男爵程度で良いというギムレット王国の思惑なのだろう。


 けれどブライアンは、そんな事など気にならないようで、鷹揚に言葉を返した。

「よろしく頼む、アスコット男爵。今後の予定は、どのようになっているのか?」

「はい、本日は旅のお疲れもございましょう。ごゆっくりとお休みくださいませ。陛下への謁見は、明日の午前中を予定しております」

 自分は疲れてなどいないが、オロールは休ませてやりたい。

 ブライアンは軽く頷いて、堂々とした足取りで用意されていた部屋に向かった。


 宮殿2階の一角は、デュランダル王国用になっているようで、第6王子が使用する部屋以外にも幾つかの部屋が用意されていた。

 彼は一旦部屋に入ると、早速同行者たちを呼び集めた。

 オロール・オーギュスト・フォリア夫人・グラシュー女医が集まった部屋だが、広さも充分で調度は最高級品ばかりだ。

「流石ですね、これが王族用の貴賓室ですか」

 素直にサラリと褒めておきながら、オーギュストは念入りに室内を調べて回る。軍人として当然の行動だが、彼が基本的にこの旅におけるブライアンの警護責任者なのだ。

 窓の外のバルコニーも念入りに見て回り、やがてオーギュストは室内に戻った。

「一応、今は大丈夫です。けれどバルコニーは、傍の大木や上の階から、やろうと思えば侵入できそうに思えます」

「うむ、解った。ありがとう、注意しておく」

 ブライアンは彼に礼を言うと、全員を促してテーブルの周りに座らせた。ちょっとした作戦会議のようだが、伝えておかなければならないことがあった。


 先ずブライアンは、軍で入手している毒殺事件の噂を全員に伝える。オロールとオーギュストはもう知っていたが、フォリア夫人とグラシュー女医はキュッと表情を引き締めた。

 侍女頭として同行している夫人は、一行が口にする食物などに対する責任もある。

 グラシュー女医も、何かあったら『毒』を念頭に入れて対処しなければならないのだ。


 そしてブライアンは、最後に伝えておかなければならない、大事なことを暴露した。

「オロールの事だが・・・その、俺の婚約者ということになっている」


「はぁっ⁉」

 素っ頓狂な声が、オロールの口から飛び出た。


 何故、婚約者?その必要性は?そもそも何故、事前に言っておいてくれなかったのか?

 彼女の頭の中に、多くの疑問符が飛び回るが、その片隅で冷静な部分が告げていた。


(考えてみれば、ただの公爵令嬢を同行させるのはおかしいです。何故、疑問に思わなかったのか・・・聞いておくべきでした)


「いや、その・・・大きな声では言えないが、これはこっちの国王の悪癖に対する自衛手段の意味もある。それにまさか、公爵令嬢の物見遊山とするわけにもいかないじゃないか。だが参謀として傍にいて貰えば、色々と助かるし・・・で、いっそ婚約者だから同行するという事にすれば、自然かと・・・陛下とも相談して・・・」


 あくまでも、偽の婚約者だからと、上目遣いにオロールの顔を窺うブライアンだ。

「前もって言わなかったのは・・・嫌がって逃げられては困ると思ったからで・・・」

 彼女ならその頭で、いくらでも反論や代替策を出してくれそうな気がした。だから直前になって、こうして暴露したわけなのだが。


(逃げたりはしないと思いますが・・・)

 大恩人の命令なら、嫌な事でも引き受けただろうと思うオロールだ。逃げ出すかもしれないと思われた方が、寧ろショックである。

 けれどオロールは、何とか平静を取り戻してゆっくり深呼吸をすると、居住まいを正して答えた。

「了解いたしました。偽の婚約者のお役目、謹んでお受けいたします」


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