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風を紡ぐ   作者: 甲斐 雫
第2章 ギムレット王国

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2-2 ラブレターには程遠い往復書簡と邪推と嫉妬、そして空振り告白

 数日後、タクト砦のオロールから手紙が届いた。ブライアン宛とフォリア夫人宛の2通だ。

 手紙を渡された夫人は、満面の笑みを浮かべてそれを胸に抱く。その様子を見て、ブライアンは彼女に休憩時間を与え自室に戻って良いと伝える。夫人は小躍りするような足取りで、部屋を出て行った。

 1人になったブライアンは、誰も見ていないのを良いことに、子供のような笑みを浮かべて彼女の手紙を見た。


『ブライアン・オルフェ・デュランダル殿下』

 閣下ではなく、殿下とい書いてある宛名は、仕事上の手紙ではないと言う意味だろう。ブライアンは、それだけでも嬉しくなる。

 逸る気持ちを抑えて丁寧に封を切り、彼は便箋を広げた。


『ブライアン殿下に置かせられましては、日々ご健勝のことと存じます』

 最初の一文で、思わず溜息が出た。

(何だ、この堅苦しい挨拶文は・・・)

『こちらタクト砦は、朝夕大分涼しくなってまいりました』

 次の文を読み始めたが、それに続く文字と数字の羅列に驚いてしまう。そこには、ここ1週間の天気と気温が、丁寧に綴られていた。

(・・・気象官かな?)

 恐らく、余程書くことに困ったのだろう。便箋に向かって微かに眉を顰め、固まっている彼女の姿が目に見えるようだ。


 けれどそこで、ブライアンはあることに気付いた。

(オロールは、手紙を書いたことが無いんじゃないか?)

 幼いころからずっと1人で、自室で過ごしていた彼女だ。手紙を書くような相手が出来る筈もなく、書く機会など無かったに違いない。

 この手紙はきっと、書簡集などを読んだ知識を使って書き始めたのだろう。けれど自分の近況報告は、自力で何とかしなければならなかったのだ。


『夏バテの方は、もうすっかり回復し、食事もいつも通り取れるようになりました』

 という文の次には、1週間分の献立が書いてあった。

「プッ・・・ククククッ!」

 こうなると笑うより他は無い。思いがけない彼女の一面を見て、可愛いと思う笑い声だ。


『近頃は散歩もしており、先日は近くの村まで行って、古老に話を聞きました』

(・・・ん?)

 確かタクト砦の西にはマイネル村があったな、と頭に地図を浮かべる。

(だが、少し遠くないか?シャルも連れて行っているから歩きでは無いと思うが、危なくは無いのか?)

 以前、1人でシャカールに乗っていた時、ゴロツキに絡まれたことがあるオロールだ。拉致事件の後の、サンビスト郊外での出来事だ。


 急に不安になったブライアンは、急いで彼女の手紙を読み終え、机に向かって返事を書き始めた。


『オロール

 手紙が届いた。ありがとう、夫人も大層喜んでいた。だが、堅苦しい挨拶文はいらない。もっと気軽に書いてくれ。それと、近くの村まで行ったと書いてあったが、危険は無いのか?護衛は付けているか?心配なので、返事をくれ』


 一気呵成に書いた手紙は短かったが、気が急いていた。

 彼は直ぐにそれを届けさせ、オロールも翌々日には返事を寄越した。


『ブライアン殿下

 取り急ぎお返事申し上げます。砦から出るときは、必ずドーベル大佐が護衛に付いてくださいますので、どうぞご心配なさらぬように、お願い申し上げます』


 その手紙を読んだブライアンは、思わず叫んだ。

「あンの、ハゲ~~っ!」


 彼の頭の中には、朝からオロールの部屋にいたタクト砦長官、ルガル・ドーベル大佐の姿があった。

 彼は何故朝から、彼女の部屋にいたのか。そしてどうやら彼は、彼女の外出には必ず付いてゆくらしい。

 頭に血が昇るブライアンである。


 ドーベル大佐は武人としても名高く、処世術にも長けた評判の良い軍人だ。ブライアンも陸軍を統括する人間として、彼の事は高く評価していた。親しい付き合いがあると言うわけではないが、信頼のおける人物だと思っていたのだ。


 だが、こうなってみると、邪推と嫉妬が沸騰して化学変化を起こす。

 ブライアン自身は、ドーベル大佐の軍人としての資質や人格を尊敬に値すると思っているので、確実に彼に勝てるのは、身分と髪の毛の量しかないと思っている。だから、思わずあの言葉が出たのだ。

「ハゲ!」と。


「で、殿下?どうなさいましたのでございますか?」

 いきなり廊下に響いた『ハゲ』の言葉に驚いて、1人の侍女が部屋を覗く。我に返ったブライアンは、慌てて何でもないと答えて、下がるように告げた。

「かしこまりました。あの・・・よろしければ男性の使用人を呼びましょうか?」

『ハゲ』に関する悩みなら、男性の方が良かろうと気を利かせた侍女だった。



 こうなると、自分が砦に行く理由や相手の迷惑など、どうでもよくなる。

(真偽を確かめなければならん!)

 オロールに限って、ドーベル大佐と何かあるとは思えないが、考えれば考えるほど疑惑と不安が膨れ上がった。

 恋愛経験値ゼロの無垢な公爵令嬢が、行った先(参謀としてだが)で身分違いだが優しい砦の長官と出会う。互いに恋に落ちて・・・というような話はありきたりだと思えるほど良くあるのではないだろうか。恋に無関心だからと言って、何時それが無効化して恋に落ちないとも限らないだろう。

(まさかとは思うが、オロールはハゲが好きだったかもしれないし・・・)


 書物で知識はあっても、様々なことに経験が無い彼女だ。だから、好奇心は意外にも強いと思う。

『珍しいですか?触ってみませんか?』

 とあの禿頭男が言ったら、素直に手を出して撫でそうだ。


 ブライアンの思考は、どんどん泥沼にはまっていった。



 次の日、寝不足の目と頭痛を抱えて、ブライアンは兵営に赴いた。

(・・・何だか自分が、壊れてゆくような気がするな)

 以前の落ち着いて仕事と鍛錬に励んでいた自分は、どこへ行ったんだと不安になる。けれど、軍事訓練中だけはいつも通りなのだから、客観的にはまだ大丈夫だろう。・・・多分。


 しかし執務室に入ったブライアンは、直ぐにギムレット王国からの通信文を受け取った。

『近いうちに、立太子式が行われる模様』

 彼は、直ちに参謀会議を開いた。

 そして現状の確認や、更なる情報の確認について話し合っていると、緊急連絡が入る。

 北の山脈麓の、ベガ村・ウィルソン村・マイネル村に、北から襲撃がありそうだという切羽詰まった報告だった。


 以前ウィルソン村が襲撃されて以来、山脈周辺では警戒態勢が取られ常に監視情報を緻密に取っていたので、事前に可能な限りの速さでもたらされた報告だ。


 大将閣下は、妄想や嫉妬にかまけている場合では無くなった。


 一番西にあるベガ村には砦があって駐屯兵もいるが、念のため騎馬隊を向かわせた。

 ウィルソン村に砦は無いが、スキルヴィング公爵家の別荘があった。以前の襲撃後、昇進して今は中尉となっているオロールの弟、サリアス・スキルヴィングが主になって、砦として使用できるよう改修を行っていた。その関係で、サリオスは1個小隊程度の人数を任されている。しかもウィルソン村は、前回の襲撃の経験もあって、村人たちはその対応をしっかりとしていた。ブライアンは、高速歩兵隊を向かわせた。

 一番東のマイネル村は、オロールがいるタクト砦に近い。既に連絡が入っているはずの砦では、彼女とドーベル大佐が対応を始めているはずだ。だが、念のため兵力を送っておいた方が良いだろう。


 同時に三か所の襲撃なので、大将が本営を離れることは避けた方が良い。

 ブライアンは王都の兵営を動かず、ホルン参謀長官の補佐を受けながら、状況の対応に没頭した。



 結局、全てが終わった頃には、夏が過ぎ秋に入っていた。

 ウィルソン村を担当していたサリアス・スキルヴィング中尉によると、前回の襲撃よりも戦闘力はかなり上がっていたらしい。元農民や猟師たちが武装して襲撃してきたと言うのは同じだが、以前の失敗を踏まえて訓練を重ねさせ、武器などの装備も充実させていたようだ。

 こちらへの被害が殆ど無かったのは良かったが、それでも相手側の捕虜の数はかなりになった。その対応で、テソーロ侯領へ厳重な抗議文を送ったが、前回と同じように型通りの謝罪文が届いただけで、結局その捕虜達への対応に時間が掛かった。


 オロールの方も、もう避暑の必要は全く無かったが、事後処理に忙しく、王都に戻れる状況では無かった。状況が落ち着いても新たにやるべきことが出来て、オロールはすっかり秋になったタクト砦に滞在したまま、王都に戻らず仕事をしていた。


(そろそろ行っても良いだろうか・・・)

 多少暇が出来たこともあり、ブライアンは再び彼女に会いたくてたまらなくなっていた。スキンヘッドの大佐の件もある。実際に会って、確かめてみないことには落ち着かない。確かめた結果が、怖くもあるが。


 そんな折、オロールの主治医のグラシュー女医から、フォリア夫人に手紙が届いた。まだ暫くは帰れそうにないので、オロール様の秋服を送って欲しいというものだった。

 張り切ってオロールの服と、ついでに女医の服も荷造りする夫人だったが、この際彼女の秋から冬にかけての服なども新調したいと言い出す。その相談も兼ねて、一度タクト砦に行きたいとブライアンに頼み込んだ。

 ブライアンは、大義名分が出来たとばかりに、フォリア夫人と荷物を積んだ馬車で一緒に砦に向かった。



 馬車が到着した時は、夜になっていた。

 砦に入ると、ドーベル大佐とオロールが出迎える。彼女は兵営内でいつも着ている、軍服に似せた仕事着だった。その方が寒く無いのだろう。

 挨拶もそこそこに夕食をとり、ブライアンは案内された会議室に通された。先ずは互いの情報交換をしておかなければならない。


 けれど会議室に足を踏み入れた途端、彼の脚は止まった。

「暖かいな・・・」

 見れば石造りの壁も天井も、分厚いタペストリーが隙間なく貼られている。色やデザインの統一性が無いのは、観賞するためではなく、寒さを防ぐためにかき集めた物なのだろう。

「ドーベル大佐が、このようにしてくださいました。私の部屋も、同じようにしてくださっているので、快適に過ごさせていただいております」

 オロールの仕事場は、基本的にこの会議室で、石造りの室内は昼間でも薄ら寒い。彼女の身体を慮っての、大佐の配慮なのだ。

「・・・そうか・・・大佐、配慮を感謝する」

 オロールのために良いことは解っているが、微かに苛立つブライアンだ。けれど、それを表に出すわけにはいかない。


 何とか平常心を保って情報交換を済ませると、彼は一緒にオロールの部屋へと足を運んだ。フォリア夫人がメリアンと一緒に荷物の片づけをしているはずだが、男手があった方が良いこともあるだろうと主張して付いて行ったのだ。

 部屋に入ると、会議室と同じようにタペストリーが張り付けてあって、更に床には毛皮が敷き詰められていた。至れり尽くせりの配慮に、ありがたいと思わねばならない筈だが、ブライアンは素直に喜べない。


「あら殿下、もう会議はお済みですか?」

 持って来た秋服を出し終え、今は持って帰る夏服を衣装箱に詰めていたフォリア夫人は、手を止めて振り返った。

「ああ、何か手伝う事は無いか?重い物は運ぶぞ」

 王子殿下とは思えないような言葉だが、子供の頃から世話係だった彼女の手伝いを、やりたがって手を出す言動は昔のままだ。

「ありがとうございます、殿下。でもまだ・・・あら?そう言えば、新しく購入してきたショールの箱はどこかしら?」

「探して参ります」

 メリアンが素早く動こうとした時、ドーベル大佐が箱を持って部屋に入ってきた。

「失礼いたします。これではありませんかな?馬車から降ろし損ねたようです」


「あら、まあ、ありがとうございます。長官様に持ってきていただくなんて、申し訳ござません」

 フォリア夫人は、お礼を言って箱を受け取ると、中身をオロールに見せた。

「オロール様、秋物のショールです。急いでいたので吟味している時間が無かったものですから、良さげな物を購入してご用意したのですが」

 テーブルの上に5枚のショールを広げた夫人は、自慢げにオロールを見た。

(身体は1つしかないので、1枚あれば十分ですが・・・)

 新品で上等そうなショールを、首を傾げて眺める。

「ひざ掛けとしてお使いになってよろしいかと思いますわ」

「あ!」

 夫人の言葉を聞きながら、オロールは何かを思いついたように、1枚のショールを取り上げた。


「ドーベル大佐、すみませんが・・・」

 何か手伝えることは無いかと待っていた大佐は、ハイと返事をして彼女に近づいた。

「エリスさんに、これを」

 暖かそうな臙脂色の1枚を差し出して、穏やかな声で続ける。

「色々とお気遣いいただいておりますし、先日は破ってしまった服もとても上手に直していただいたので、そのお礼の気持ちです」

「あ!いや・・・それは、ありがたいことで。アイツも喜びます」

 受け取ろうと手を伸ばす大佐の頬が、少し赤くなっているように見えた。


「エリス?」

 その様子を見ていたブライアンは、思わず呟いてしまった。

「エリスさんは、砦内で色々と仕事をしてくれている女性で、大佐の大切な方なのです」

 オロールの説明に目を見開いて驚くブライアンだが、大佐の方は頭まで真っ赤になっていた。


「・・・ドーベル大佐、エリスさんというのは婚約者か?まだ独身だと聞いていたが、そういう相手がいるのだな?」

 奇妙なほど大きな安堵が、心を洗い流していった。

「いや、婚約者ではありません。ただ、生涯を共にすると誓い合った相手です」

 茹でダコのように真っ赤になった大佐は、詳しい説明を求めるブライアンに答えた。


 エリスは平民で、自分もそうだから身分的には問題ない。けれど結婚してしまったら、陸軍大佐の妻として扱われるようになる。軍人の妻たちは、意外にも繋がりがあって、互いにお茶会などを開いては交流を深めている。けれど貴族の子弟が多い士官たちは、当然その妻も貴族階級だ。そんな中にエリスが加われば、苦労を強いることは間違いない。


「自分としては、そういう苦労はさせたくないのです。エリス自身も、それは務まらないと申しまして、相談した結果、結婚はしないが互いを唯一無二の相手としてゆこうと誓い合いました。いつか自分が退役したら、その時は爺さん婆さんになっていても結婚するつもりでおります」

 スキンヘッドから湯気を昇らせながら、ルガル・ドーベル大佐は堂々と言い切った。


「そうか、2人の行く末に幸あれと祈ろう」

(そういう愛の形もあるのだ。この男は、自分よりもずっと多くの経験や苦労をして、これだけの人物になったのだ)

 そんな彼を邪推して嫉妬の念を抱いた自分が、急に恥ずかしくなる。それと同時に、ドーベル大佐という人物を、信頼と尊敬に値する相手だと思った。



 翌朝、用事を全て終わらせたブライアンたちは、帰路に就く。遊びに来たわけではないのだ。フォリア夫人は、久しぶりに会った親友のグラシュー女医とも、もう少しゆっくりと話したかったようだが、ここは軍事施設なのでそうそう長居も出来ない。今回の訪問も、特例として許可を貰っているのだ。


「・・・また、当分会えないな」

 オロールを伴って砦の門から外に出たブライアンは、山を見上げながら呟いた。

 北の方角から、冷たい風が吹いている。

「オロール、寒くは無いか?」

 ブライアンは、低い声で問いかけた。それは初めて聞くような、優しい声音だった。

「いいえ、大丈夫です。ショールがありますので」

 けれどオロールは、いつもと変わらぬあっさりとした物言いだ。

 今日は軍務が休みの日なので、見送りの意味もあってドレス姿だ。ただ一応軍事施設の中にいるので、何があっても良いように、下にズボンを履いている。それもあって、身体は暖かい。


 そもそも門の外に出ようと言った彼の言葉も、明るい時に砦周辺の地形などを見ておきたいのだろうと考えていた。伴われたのは、説明が必要だからかもしれない、と。


 彼と彼女の間には、多少の温度差はあったが、それでもシチュエーションは悪くない。

 スキンヘッドの大佐への疑惑や嫉妬は、綺麗に消え失せている。彼の唯一無二の相手に対する真摯な愛に、感銘も受けていた。

 ブライアンは、勇気を振り絞って言葉を続けた。

「帰りたくないな・・・寂しくなる。また手紙を貰えるか?」


(新たな一面を見たような・・・寂しがるような方では無いと思っていましたが)

 彼の周囲に人は多い。彼を良く知る親友が2人もいて、兵営では士官や兵士から信頼され、屋敷にはフォリア夫人がいる。

 それでも彼は、寂しいと感じることがあるのだ。

「はい、今まで通り、近況をお伝えいたします」

 不思議に思いながらも、オロールは淡々と答えた。


 そして暫くブライアンは黙っていたが、再び口を開いた。

「オロール、その・・・お前はどう思っているのだ?俺は・・・その・・・お前が好きなのだが」

(言っちまった・・・)

 あらん限りの勇気を振り絞ったが、視線は山に固定したままで、彼女を見る勇気までは残っていない。


「・・・ありがとうございます、殿下」

 流石に面食らったようだが、オロールは礼を言って腰を屈めた。

 以前家族のようなものだと言われたが、好きな家族の1人だと認めてもらったのだと理解する。だから、閣下と呼ばずに殿下と言った。

「私も、色々な方と話すようになりましたが、誰よりも殿下とお話をするのが、一番楽しいと感じております」

 僅かに目を細め、俯きがちに答えた彼女の雰囲気は、穏やかで優しい。


(・・・あ、これは・・・)

 脈ありか、と喜んで振り向きオロールを見たブライアンに、彼女も彼の顔を見る。


「軍事計画についても、打てば響くようなお答えを返していただけますし、私の仕事のヒントになることも沢山いただけます。そして何より・・・」

 オロールはスゥっと息を吸い込んだ。きちんと告げておきたい言葉がある。


「殿下は、私にとって大恩人です。生き甲斐を与えてくださいました。生まれて来て良かったのかもしれないと、生きて来て良かったのかもしれないと、思えるようになりました。誰かの役に立てるのだという事を、本当に幸せだと感じています。殿下は私にとって、掛け替えのない大切なお方です」

 だから、命ある限り、その恩に報いるために、これからも励む、と。

 彼女の美しいアイスブルーの瞳は、真摯な気高さに輝いていた。


 けれどブライアンの方は・・・

(家族と大恩人は、どちらのほうが恋人に近いのだろうか?)

 と、心の中で溜息をつきながら考えていた。


 勇気を振り絞って伝えた『好き』は、空振りに終わった。

 けれど、今回の訪問で得たものは大きい。恋愛という人間関係を求める場合、恩人という立場はいささか首を傾げる状況だが、少なくとも嫌われてはいないし、寧ろ好意をもって尊敬して貰っているのだと思う事にする。

(最初の1歩としては、これで良いか)

 ブライアンは、今はそれで満足しておこうと、オロールを即して砦へ戻った。



 それから1週間後、兵営に連絡が入り、王宮に正式な招待状が届いた。ギムレット王国からの、立太子式に関するものであった。

 ブライアンは、国王から呼び出され王宮に向かった。


 王宮に入ると、謁見の間ではなく、国王のプライベート空間である後宮に案内される。後宮と言っても、現国王に側室などはいないので、国王一家の住まいと言う意味だ。


 通された部屋には、国王ルドルフ・デュランダルⅣ世とその妃、そして王太子夫妻が待っていた。ブライアンにとっては、父と母、長兄と義姉になるわけだ。

 父親である国王は、家庭的にも模範的な夫で、妃である母親アレグリアも理想的な妻である。ふくよかな体形の妃だが、子供たちの養育にも手を抜かず、精力的に夫のサポートをしている。それでいて明るく穏やかで、健康的な肝っ玉母さん的な雰囲気もある妃は、夫からも手放しで褒められ愛されていた。

 王太子でもある長兄、ファビラス・デュランダルは晩婚だったが、王太子妃であるエリティエールとは仲睦まじい。現在エリティエールは、身籠っていた。


 挨拶もそこそこに、国王は話を切り出した。

「ギムレット王国から、立太子式の招待状が来たことは知っておるな。慣例なら、王太子夫婦が行くのだが、今回はどうしようか迷っている」


 ギムレット王国の内情不安と、懐妊中の王太子妃。夫婦で行かせるのは不安が大きい。嫁や初孫に何かあっては、と思うのは人情だろう。

 ブライアンは頷いて、軍で入手している情報を明かした。


「王宮内では、不穏な噂もあるようです。先日新しく入った報告では、王宮内で公爵の1人が急死して、毒殺ではないかと。その公爵は、今回王太子として立てられる幼子の母親、未亡人となった元王太子妃の後ろ盾の1人だそうです」

 あくまで噂だと言うが、その話に国王は眉を顰めた。

「やはり、ここは何かの理由を付けて断ろうか。隣国であるから関係を悪くしたくないが、祝いの品を慣例の倍くらいにすれば・・・」

 難しい顔になって言う国王に、ブライアンは徐に提案の言葉を告げた。

「私が代理となるのは、いかがでしょう?これでも軍人ですので、自分の身は自分で守れます。不測の事態にも対応できるかと思いますし、軍事的な理由からも、内部に入り込めば確かな情報が得られます」


 国王としては、第6王子ではあっても彼は大事な息子だ。親心しては行かせたくないが、武人としての彼の技量は信用している。軍事的な理由もあるなら、ここは国王としてブライアンを派遣するより他は無いだろう。

「・・・そうだな。ブライアン、お前に任せるのが一番良いようだ。だが、身体的危険の他にも、心配なことがある。ゼファー国王は・・・その、癖のある御仁でな」

 国王は、ちょいちょいと手招きをして、彼の耳元に何事かを囁いた。


「了解しました。それについても、手立てを打ちます」

 ブライアンは暫しの考慮の後、同じように国王の耳元に何かを囁く。

「うむ、ではよろしく頼む。くれぐれも、気をつけてな」

 国王の決定に、ブライアンは恭しく頭を下げた。


「すまないな、ブライアン。自分が1人で行くつもりで、お前に護衛を頼もうと思っていたのだが、陛下のご決定の方が良いと思う」

 王子が2人で行くのもおかしいし、ブライアンにとっては寧ろ自分だけを守る方が容易いだろう。身重の妻の傍にいたかった王太子ファビラスは、真面目にそう言って頭を下げた。

「感謝する。無事に戻って来てくれ」


 その後、正式に代理の手続きを行い、ブライアンは兵営に戻った。

 立体式まで日数はあるが、色々と事前準備を整えなければならない。かなりの期間、兵営を留守にすることになるのだ。

 大将が留守の間の指揮権は、ビスタ中将が握ることになる。彼は名門軍人貴族だが、実戦的な指揮の経験はほぼ無い。けれど陸軍内の運営に関しては、長年の経験で上手くやってくれるだろう。不測の事態に関しては、ホルン参謀局長がいれば大丈夫だ。


 ブライアンは招集をかけ、参謀会議を開き、留守の間の手筈を整えた。

 ギムレット王国へは、国王代理ということなので念のため騎馬小隊を編成して護衛をつけることにする。その指揮官には、オーギュスト大佐を選んだ。社交的な彼の能力は、向こうでの情報収集にも大いに役立つだろう。

 そして彼は屋敷に戻り、翌朝2台の馬車を仕立てて騎馬隊と合流し、王都を出発した。

 馬車の中には、フォリア夫人も乗っていた。



 一行が向かったのは、タクト砦だった。

 事前に伝令で報告を受けていたオロールは、グラシュー女医とメリアンと共に馬車に乗り込む。荷物が積み込まれると、ドーベル大佐への挨拶もそこそこに、2台の馬車は東に向かった。


 ギムレット王国に通じる街道に向かうには、ミツキという町を経由する。交易商人などが利用する町で、そこそこ大きく小規模ながら迎賓館もある。一行はそこで準備を整え、北へ向かう予定だった。


「急なことで、すまなかったな」

 護衛の士官たちに囲まれた先頭の馬車の中で、ブライアンはオロールに話しかける。後続の馬車にフォリア夫人・グラシュー女医・メリアンが乗ったので、2人だけの空間だ。それだけで何となく嬉しい彼は、愛想良く穏やかに尻尾を振る大型犬のようだ。

「いえ、大丈夫です。砦の中では、いつ何が起きても良いようにしておりますので。ですが、私などが随行してもよろしかったのでしょうか?」

 素朴な疑問を口にするオロールだ。

「ああ、今回は参謀としてではなく・・・いや、その職務は継続したままで、ただ肩書としてはスキルヴィング公爵令嬢として付いて来て貰ったのだ」


 オロールは納得したように頷いた。

 向こうの王宮内に入るには、上級貴族の身分は必須だろう。それほど得意というわけでは無いが、情報収集にもある程度は役に立つかもしれない。女性ならではの、情報源もある筈だから。


 北風を馬車の横に受けながら、やがて一行はミツキという大きな町に入って行った。


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