2-1 北から吹く風 冬の王国
陸軍隊長となったブライアンと、参謀となったオロール。
舞台は北の王国ギムレットへと移ります。
ご感想・ご評価など、よろしければよろしくお願いいたします。
正式に、デュランダル王国陸軍の一員となったオロールは、体調を鑑みて1日おきに兵営に通うようになった。
女性の身でもあるため、軍の階級は無い。そこで呼称としては、参謀ということになる。オロール・スキルヴィング参謀、と言う訳だ。
一緒に参謀局に入ったホルン少将も、自分は寧ろ文官のようなものだからと、参謀局長の肩書のみを使用している。おかげで参謀局は、ホルン参謀局長とスキルヴィング参謀という2人が代表するような見かけになってしまい、他のメンバーは軍事的仕事の傍ら参謀局に入っているような感じになってしまった。
やっていることは以前と変わらないし、ただ気分の問題と言うだけなので、こればかりはどうにもならないだろう。
毎朝ブライアンと馬を並べて兵営に通うオロールは、ホルン少将と話し合っては、日々集まってくる情報の分析に忙しい。今のデュランダル王国の平和を維持するためには、あらゆる可能性を洗い出して、対応策を考えておくことが大事なのだ。
けれど、ブライアンとオロールのプライベートな部分では、全くと言って良いほど進展は無かった。
同じ屋敷で暮らし、食事を共にして、職場も同じ。
以前ブライアンはオロールに、もう家族のようなものだと言ったことがあったが、その通りの状況だった。部下でもあり親友でもあるオーギュストなどは、きっぱりと告げたことがある。
「殿下、失敗しましたね。恋人、婚約者、妻を全部通り越して、家族になってしまうとは。こうなると、オロール様はプライベートでは妹のような位置づけですよ。どうするおつもりなんです?」
同じくデュースも、しみじみと付け加えた。
「そうでなくても、恋愛には不器用な殿下でいらっしゃますし、見たところオロール様も同じような感じではないかと思います。ここから恋愛の方向に再び舵を切るのは、なかなか困難ではないかと」
ブライアンだって、言われなくても重々解かってはいるのだ。何とかしたいとは、いつも思っている。けれど、どうすればよいか解らない。頼みの綱の親友たちも、具体的な案はこれっぽっちも無いようなのだ。
それでも、一日おきにはずっと傍に居られる訳だし、彼女が休みの日には帰宅すれば出迎えて貰える。細やかな幸せ、楽しい時間はそれなりにあるのだから、ブライアンはチャンスを伺いながら日々を過ごしているのだった。
そして、王国に夏がやって来た。
いつものようにブライアンが朝食の席に付くと、フォリア夫人がやって来て告げた。
「オロール様は、今日はお休みさせるとグラシュー先生からの伝言でございます」
「え?」
ここ数日、参謀局は忙しくて彼女は連日兵営に出勤していた。やはり疲れが溜まっていたのだろうか、とブライアンは眉を顰めた。
「お疲れもありますが、このところお食事が進まなくて・・・今朝も起きるのが辛そうでしたので、先生がストップをかけたのでございます」
(・・・そう言えば・・・)
ブライアンは、思い出した。この屋敷に来る前は、夏になると暑さを避けて北の別荘で過ごしていたオロールだった。その時に北の農民の襲撃があって、彼女と再会したのだ。
「夏の暑さが、身体に堪えるんだったな・・・」
いわゆる夏バテなのだろうが、以前より体力が付いてきたとは言え、やはり体調は崩すのだろう。
王都の夏はそれほど厳しくは無いが、それでも日中は30℃近くまで気温が上がる日もある。そう言えばここ数日は、暑い日が続いていた。
うっかりしていた、と言うか、気が回らなかったと反省しつつ、ブライアンは夫人に尋ねる。
「様子を見に行って良いか?」
けれど夫人は、あっさりと首を横に振った。
「殿下、妙齢の女性の寝室にそうそう顔を出すものではございませんよ。けじめはお付けになりませんと、ね。ご伝言は、お伝えいたしますから」
このまま、なぁなぁで時を過ごしても進展はないだろう。この不器用な軍人殿下を、少しぐらい焦らしても罰は当たるまいと思っているフォリア夫人だ。
「・・・そうか・・・では、兵営の方には伝えておくから、ゆっくり休めと言っておいてくれ」
雨に濡れた大型犬のように、あからさまにしょんぼりしたブライアンだった。
けれどその日の昼過ぎ、執務室で書類に目を通していたブライアンの元に、オロールがやって来た。
「えっ!何で来た?」
「はい、馬車で」
「いや、そうじゃなくて、何故来たんだ?屋敷で休んでいなきゃならないのではないか」
また無理をして仕事をしに来たのかと思うと、少しばかり腹が立つ。
「往復馬車使用で、短時間なら良いとグラシュー先生に許可を頂きました。少し考えがありまして、ホルン参謀局長と相談したいことがあります。閣下にもご許可を頂ければ、直ぐに実行できるかと思いまして」
「???」
オロールはホルン参謀局長の部屋に赴き、暫く話し合った後、再び彼の執務室に戻って来た。
先ずは、参謀局長が口を開く。
「このところ、北方からの情報で、ギムレット王国に不穏な気配があるということを、先日の参謀会議の時にもご報告申し上げたと思います」
デュランダル王国の北に隣接するギムレット王国は、1年の半分を雪と氷に閉ざされる。現国王はゼファー・ギムレットで、先年王太子を事故で亡くしていた。彼自身がもう初老の域に達しており、後継ぎに関して色々とゴタゴタが起きている。元々国内情勢は、平穏とは言えない国でもあった。
デュランダルとギムレットは山脈を国境としているが、山の向こう側はゼファー国王の甥であるレーベン・テソーロ侯の領地だ。以前起きた北の農民の襲撃事件も、裏で画策したのはその侯爵様ではないかと軍部では推測している。
「うむ、何やらキナ臭いが、今しばらく様子を見ようという結論だったな」
ブライアンが頷くと、ホルン参謀局長は頷いて話を続けた。
「そこでオロール参謀と相談しまして、情報をもう少し詳しく集めたいし、出来る手立ては今のうちに少しでも打っておきたいと結論付けました」
ブライアンは、深く頷いた。彼に対する信頼は厚い。
「そのために、オロール参謀をタクト砦に出向させようと考えます」
「何だと⁉」
参謀局長の提案に、流石に驚く。けれどオロールは、横から口を挟んだ。
「山脈の麓にあるタクト砦は、私が以前夏を過ごしたウィルソン村の東にあります。夏でも涼しくて、今の私にはちょうど良いかと思います」
要するに、避暑を兼ねて仕事にも励めるという事だ。
陸軍の仕事に関してはそれが最適で、彼女の体調も維持できるなら一挙両得と言える話だろう。けれど、ブライアンとしては素直にそれを受け入れられない。
(夏の間、オロールと離れ離れになるのか・・・)
一瞬、かなり情けない顔つきになるが、陸軍大将としては認めざるを得ない。
結局オロールは、有能な下士官数名を連れて、北東のタクト砦に行くことになった。
ローレル・グラシュー女医は、これだけは譲れないというブライアンの意向で、オロールに付いて行ったが、侍女頭でもあるフォリア夫人は屋敷での仕事があるので行かれない。代わりにメリアンを行かせることで何とか諦めたが、彼女もブライアンと同様に、毎日オロールの事を思う日々を送ることとなった。
今まで毎日、彼女の存在を身近に感じて満たされていたブライアンの痛手は大きかった。
軍事訓練の最中は良いが、休憩時間になると彼女の事ばかり考えてしまう。書類を片付ける様な事務仕事の時は、ついペンが止まり紙から目を離して虚空を見つめ、ぼんやりと彼女の姿を思い浮かべる。
オロールが真剣に書類を見つめる横顔。怜悧な横顔は凛とした雰囲気を纏って、それは綺麗に見えたものだ。彼女がシャカールに乗る姿は、穏やかで心地よげで、見ているだけで嬉しくなった。
「閣下!大将閣下!・・・ブライアン閣下!」
いきなり大声を掛けられて、ハッと我に返ったブライアンの前には、呆れ果てたようなオーギュストの顔があった。
「あっ・・・・ああ、何だ?」
慌てて返事をした彼に、オーギュストはため息交じりに告げる。
「閣下、何かもう仕事になりませんよ。オロール参謀が出向してからというもの、呆けている時間が多すぎます」
これには返す言葉も無い大将閣下である。
後からやって来たデュースも、持って来た書類を差し出して苦言を呈する。
「閣下、先ほどの命令書ですが、宛先が間違っています。厨房担当者を厩に向かわせてどうするんですか?馬にディナーでも振舞えと?」
ここまで使い物にならなくなった上官を、どうすれば良いと言うのか。
彼の腹心の部下で親友でもある2人は、顔を見合わせて頷いた。
「こうなったら、非常手段です。今後、閣下の休日を調整して、週に1度は2日連続で取れるようにします。休みの翌日は、会議などは入れないようにしますので、いざとなればその日も休みにできます」
実質4勤3休ということにする、とデュースは言う。
「タクト砦は、プリンスボンドの脚と体力なら、早朝出発してもその日の夜中には到着出来るんじゃないでしょうか。そうすれば、丸一日くらいオロール参謀に会っていられると思いますが?」
オーギュストは、ニヤリと笑ってとどめを刺した。
ブライアンが彼らの好意を退けることなぞ出来なかったことは、言うまでもない。
その3日後、ブライアンはその日の仕事を終わらせると、兵営からそのままタクト砦に向かった。夕方の出発になるが、翌日の午前中には到着できるからだ。彼女の傍にいる時間を少しでも長く取りたかった。
第6王子とは言え王族の彼1人を、単騎で行かせることに多少の不安はあったが、彼自身の乗馬や剣の技量は王国一とも言われているし、何より愛馬プリンスボンドに付いていける馬など国内にはいない。陸軍の参謀局でも、彼を止めることは出来なかった。
「オロール!たい・・・・」
体調はどうだ?と言いかけて、ブライアンはその場に立ち竦んだ。
プリンスボンドを飛ばして予定通り、いや予定よりも少し早く、タクト砦に到着したブライアンは、オロールがいる部屋へと真っ直ぐに向かい、気が急くままにドアを開けた。
彼女は石造りの部屋の中で、書類を持ったまま目を丸くしていたが、その姿を目に留めた直後、もう1人の人物に気付いた。
(こんな朝から、一緒にここで何をしていやがる)
咄嗟にそう思ったブライアンだが、その男には覚えがあった。
「大将閣下!何か、王都に異変でも?」
驚きはしたが表には出さず、スキンヘッドの男が声を上げた。
彼はルガル・ドーベル大佐。タクト砦の長官である軍人で、叩き上げの武人だった。
周辺諸国との小さな争いで着実に武勲を上げ、貴族の位を持たない平民ながら、大佐の位まで昇り詰めている。ブライアンより5歳ほど年長ではあるが、背の高さも体格も同じくらいで、精悍な顔つきはどちらも同じくらいイイ男だ。
違うのは、髪の量だけか。
ドーベル大佐は、その頭を剃り上げた見事なスキンヘッドだった。
「ああ、いや・・・異変があったわけでは無い。丁度暇が出来たので、様子を見に来てみた。まぁ、視察のようなものだ」
陸軍大将が自ら、しかも単騎で砦に来るなど妙なことだとは思ったが、そこで疑問を口にするほどの人間ではないドーベルだ。平民でありながら出世ができるくらいには、処世術にも長けている。
「左様ですか。それでは何時でもご案内申し上げますが、先ずはお食事と休憩をなさってください」
彼はブライアンの様子を見て、そう告げると部屋を出て行った。
「閣下、いらした理由は本当に視察なのですか?」
オロールは落ち着き払った声音で尋ねた。何か極秘の用件ではないかと思ったのだ。
「いや、その・・・そこまで大事ではないが・・・この目で見たかったのだ」
(君の姿を・・・)
と、そこまでは、声にできない。
「何か、こちらからの連絡に不首尾でもありましたか?」
ほぼ毎日のように、伝令馬を使って日々の報告は欠かしていない。書簡は王都の兵営に、陸軍大将を通して参謀長官に届くようになっている。オロールが書いた報告書を、ブライアンは毎日目を通しているはずだが、実際にその目で確認したくなるような不出来な部分があったのかと思った。
「そう言う訳では無いが・・・」
彼女からの書簡は、それだけでも嬉しいことに違いは無かったが、敢えて言うなら事務的すぎるというところだろうか。
「まぁ、その・・・お前の体調も心配だったしな。それについては、解らなかったから」
確かに、軍関係の報告書に、夏バテのことを書くわけにもいかないだろう。
「ああ、それはすみません。でもグラシュー先生も付いていてくださいますし、何もご心配なさることはございません。こちらは涼しくて、仕事もはかどっております」
オロールは、穏やかに答えた。笑顔こそなかったが、それはいつもの事だ。けれど纏う雰囲気に、気遣って貰えた感謝が窺える。
ブライアンとしては、今はそれで満足するしかなかった。
食事をして一休みしたブライアンは、貫徹で馬を走らせた疲れも見せず、ドーベル大佐の案内で砦の中を見て回った。オロールも一緒ではあったが、彼としては彼女だけに案内してもらう方が良かったかもしれない。
「今日も、歩兵隊の半分は山に入っています。山岳行軍演習という形を取ってはいますが、2人ひと組で行動して目的は情報収集です」
どんな情報でも、何が役に立つかは分からない。気が付いたことは何でも、細かくメモを取るようにさせていると言う。ドーベルは、しっかりと己の仕事を全うしているようだ。
「ここに来た翌日に報告して要望した通り、写生や測量が得意な人材も到着して、国境付近の地図も精度が上がりました」
オロールも、淡々と付け加えた。
ギムレット王国との国境は山脈で、この場合厳密には山の稜線が境になる。山脈はほぼ東西に延びているので、北側がギムレット王国、南側がデュランダル王国となるわけだ。
北側まで兵が侵入すれば、それは国際問題になってしまうので、山岳訓練と称する情報収集は山の稜線までとなってしまう。けれど双眼鏡を使えば、ある程度の事は解ると言えよう。
やがてドーベル大佐は、砦の工房へブライアンを案内した。
「・・・これは、何だ?」
そこには幾つかの試作品のような物が並んでいた。
「ソリとかスキー板を応用したもの、というところです」
そこではオロールが、説明をした。
ギムレット王国は冬が長い。雪と氷に閉ざされた半年もの期間、平民の主な交通手段はソリとスキーになると言う。
話には聞いていたが、スキー板を初めて見たブライアンは、面白そうに手に取って眺めた。
「これを足に着けて滑るのだな。面白そうだ」
「斜面を下るには便利そうですが、上るとなると大変そうですよね」
そんな風に言うオロールだが、それでも何かの役には立つと思っているのだろう。
「こういった道具は、ギムレット王国の方が進んでいます。閣下が王都に戻られましたら、ギムレットに駐在している留学生に伝書鳩を送って、それらの情報も得られるように便宜を図っていただけると助かります」
最後にそう言って、オロールは静かに頭を下げた。
その晩、2人は陸軍大将閣下用に用意された部屋で、話し合った。
内容はといえば、ギムレット王国の現状についてある程度の詳細が分かったので、その確認だったのだから、色気の無いことおびただしい。
「どうやらゼファー国王は、亡くなった皇太子の一人息子、まだ嬰児の孫を後継ぎと考えているようだ。それはまぁ当然とも言えるが、その摂政の座を狙って、色々と暗躍する者が出てきている。その上、あの噂もあるからな」
ブライアンの言葉に、オロールは頷く。
一番摂政の座に近いのは、当然現国王だ。けれど彼はまだ自分に子が出来る可能性を捨ててはいない様子も伺えた。王太子がいない状況は対外的にも不安があるため、一時的に孫をそれに当てるのかとも思える。けれどその孫は、不義の子ではないかという噂がまかり通っている。
そしてそんな噂は、陸軍が送っている留学生からの報告で、ブライアンも良く知っていた。
「出生に疑惑がある孫と、まだ子が出来る可能性を捨てきれない国王。何やら、争いの種が出てきそうですね。何でも、国王の甥であるテソーロ侯が、かなり自分を主張しているそうですが」
オロールは考え深げに、意見を述べる。
「ああ、そうだ。出生に疑惑がある孫よりも、自分の方が正当な王位に近いと発言したこともあるらしい。国王自身の子はもう望めまい、とまで言っているようだからな。どうしてもその孫が王太子になるのなら、不義の噂がある王太子妃よりも自分が摂政になるべきだと主張している」
普通なら、そこまで傲岸不遜に言い放つなら、咎められてもおかしくは無いが、テソーロ侯にはそれをさせないほどの実力があった。ギムレット王国では最も豊かな領地を持ち、金も兵力も侮れないものを持っていたのだ。
「今はまだ、ゼファー国王が高齢とは言え健全であるから、一応の平穏は保たれているが、何かあればどうなるか解らない。新しい報告では、軍備を増強したテソーロ侯が、デュランダルの北東にちょっかいを出しそうだという報告も上がっている」
デュランダル王国の北東部とは、その領土に角が生えたように突出している部分だ。山脈に沿っているが、低い峠があるので北への街道が出来ている。そこを通じて、交易も行われていた。デュランダル王都からは遠くなるので、ちょっかいを出すのに都合が良いのだろう。
何しろ農民を煽動して略奪を企むような真似までした男だ。その時は失敗に終わったが、場所を変えてまた同じようなことをしてもおかしくは無い。
「先ずは、そちらの方の対策をしておかなければなりませんね」
オロールはそう言って、現在それに関して考えていることを話そうと、書類を取りに席を立った。
けれど、ブライアンはその話を聞くことが出来なかった。
「・・・閣下?」
戻ってきたオロールが見たのは、机に突っ伏して眠ってしまった彼の姿だった。
流石のタフネス王子も、徹夜の強行軍に夕食の酒も手伝って、睡魔に抗えなかったようだ。
オロールはドーベル大佐に救援を要請し、彼をベッドまで運んでもらう。
結局ブライアンは、そのまま翌日昼頃まで爆睡し、起床後直ぐに帰営する羽目になった。
王都に向かって愛馬を飛ばしながら、ブライアンは後ろ髪を引かれる思いで今回の強行軍を思い返していた。
オロールの夏バテが回復していることを、この目で確かめられたことは嬉しかった。
内容が軍事関係の事だけだったとはいえ、彼女の声を聞けて傍に居られたことは楽しかった。
けれど、今帰路についてみれば、それだけでは物足りないと思ってしまう。
会いたい会いたい、とそれだけの想いで行ったわけだが、会ってそれで満足できるわけでは無かったようだ。こうして帰路に就いた今は、また会いたいと言う気持ちだけが募ってしまう。
(遠距離での恋愛というのは、こういう風にツライものなのだな・・・)
そんな風に考えてところで、ブライアンはハッと気づいてしまった。
(違う!恋愛じゃない・・・ただの片思いだ!)
そう思いついた途端、ふいに情けなさと自分の滑稽さに思い至る。
ブライアンは、大きく溜息をついた。それに気づいたプボが、主人を心配してか脚を緩めた。
(自分の気持ちだけで突っ走って、彼女の気持ちなど何も考えていなかった)
オロールは、迷惑に思ってはいないだろうか。何も知らせず、突然訪問したことを不快に感じてはいないだろうか。砦にいる間、ずっと傍にいて付いて回っていたような気がする。
(金魚の糞・・・粘着質の変態のようではないか)
おまけに彼女との話の途中で、眠りこんでしまったし。
悪い事ばかりが頭に浮かんでしまうが、やがて彼はそんな考えを振り払うように何度も頭を強く降った。
(いや、まだ行ったのは1回だけだから・・・)
「ブヒン?」
馬上の主の妙な行動に、プリンスボンドはとうとう足を止めて小さくいなないた。『どうかなさいましたか?』というところだろう。
「ああ、プボ・・・何でもない。大丈夫だ」
ブライアンは、賢い愛馬の首をポンポンと叩いた。
(・・・もう・・・行かない方が、良いかもしれないな)
夏が終わるまでの辛抱なのだから、と無理やり自分を納得させ、彼は愛馬を促して再び駆け出した。
再び兵営に戻ったブライアンだったが、その行動は以前にも増して奇妙になっていた。休憩中や事務仕事の折にぼんやりするのは同じだったが、その途中で必ず、頭を千切れんばかりに横に振る。
そんな様子を見て、オーギュストとデュースは首を傾げた。
「砦で、オロール様と喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩できるほど、仲が進展したなら良いけどな」
結局2人は、彼に直接問いただすことにする。
「殿下、次のお休みも、前回と同じように取り計りましょうか?」
最初はそんな感じで、探りを入れてみる。
「・・・いや、いい。前回はすまなかったな」
やはり何かあったのだろう。オーギュストとデュースは、優しい教師のように忍耐強く彼の話を引き出した。やがてブライアンは、砦からの帰路で考えたことを全て告白させられてしまった。
「要するに、オロールの気持ちも考えずに突っ走ってしまったわけだから、もう行かない方が良いと決めたんだ」
彼の言葉に、2人は同じことを思った。
この王子殿下は、その身分なら国内のどんな女性でも有無を言わさず傍に置くことが出来る。恋人だろうが愛人だろうが、相手の意志など関係なくそういう関係になれる。けれどブライアンには、そういった考えが根本から無いのだ。
元々そういう性格なのもあるだろうが、身分や権力については、それを使う意思を持たずに育ったのかもしれない。
「殿下、オロール様は迷惑になど思っていらっしゃらないと思いますよ。けれど、確かにあまり強引に距離を詰めるのは、良くないかもしれませんね」
「そうですね。女性に対して、一番大事なのは先ず『誠意』ではないかと思います。百夜通って誠意を示した男の話もありますから」
親友たちは、言葉を尽くして彼を慰めた。
「・・・どっちなんだ?通って良いのか、悪いのか?」
ブライアンは、もうどうしたら良いのか分からなくなった。
背中を丸めて上目遣いになり、情けなさそうな目を向ける彼に、オーギュストとデュースは同じことを思った。
(これだから、憎めないんだよなぁ・・・)
王族でありながら国内随一の武人。背が高く鍛え上げた身体と、整った顔立ち。その気になれば、幾らでも好きに振舞える環境にありながら、不器用で素直で努力家だ。信頼できる僅かな相手には、可愛らしいほどの素の顔を見せる。
オーギュストとデュースは、必死に考え、何とか助言を絞り出した。
「う~~ん、総合的に考えて、ここは一度最初に戻ってみてはどうでしょう?」
「・・・最初、とは?」
「手紙、ですよ。先ずは、砦のオロール様に書簡を送るのが良いと思います」
彼の場合、最初の1歩はそこから始めるのが良いのではないかと勧める親友たちだった。
その晩、ブライアンは屋敷に戻ると、サッサと夕食を済ませて自室に籠った。
便箋を広げ、ペンを持つ。
『オロール
忙しい事とは思うが、屋敷の方にも手紙を送って貰いたい。フォリア夫人も、毎日心配して』
(ううむ、違うな)
そこまで書いて、ブライアンは便箋をクシャクシャと丸めた。
オーギュストは、手紙を書く場合のアドバイスもくれていた。
『最初からラブレターなんて、殿下には無理難題だと思いますから、先ずは堅苦しくないような書き方を意識して、素直に書くと良いです。話しかける様な感じで。そうですね、お屋敷の様子などをお伝えしてみては良いかと』
(これだと、夫人に手紙を書けという事になる・・・)
それなら、庭の様子などから書くか。と思いつくが、さて今の庭の様子はどうだっただろう?
結局ブライアンは、わざわざ庭に出て、夜の庭木の様子を見て回ることになった。
『オロール
屋敷の方は、庭の林檎の実も大きくなって来た。まだ秋風が立つのは先のようだが、そちらはどうだ?夏バテの方は大丈夫そうで安心はしているし、グラシュー医師からの定期的な報告も受けてはいるが、たまには屋敷の方にも手紙を書いて欲しい。フォリア夫人も、毎日気に掛かっている様子だ。忙しいとは思うが、俺も楽しみに待っている』
最後の一文を書いた時、気恥ずかしさが沸き上がったが、ブライアンは何とか最後に署名を入れる。
今はこれで精一杯だ。
仕事上の書類を書く時の、何十倍ものエネルギーを使ったような気がする。
(明日、早速伝令を出そう)
ブライアンは、肩の凝りを解す様に手で揉みながら、何度も首を回した。




