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初恋の終わり、それから―

作者: Gypsophila

初投稿作品です。目新しい斬新な設定などではありませんが、私なりに綴ってみましたのでお時間あればぜひご覧ください。

途中で視点が変わります、苦手な方はご留意ください。


6月24日 17:18現在 誤字・ご指摘いただいた箇所をすべてではありませんが対応させていただきました。皆様のおかげで大変助かります。極力なくせるように鋭意努力いたします…!

 雲ひとつない青空の下、まるで世界が幸福に満ち溢れているような陽気な音楽が響く昼下がり。

 

 私、メアリ・ノヴィスの初恋は終わった。


「本当に申し訳ない。メアリに落ち度など一切ないんだ。ただ…僕に……他に、想う人が…」


 わざわざ人気のない、それでもけしてゼロではない場所を選んで、深く頭を下げる彼のつむじすらまだ私にとっては愛おしい。紳士で優しくて、愛に誠実な人。最後まで変わらずに私の愛おしい人。ただ、彼の気持ちが変わっただけ、それはどうしようもないことだ。手紙ひとつで別れを告げることだって可能な身分差を決して持ち出したりはせず、自分に都合の良い言い訳などすることもなく私の価値を極力傷つけず自分の非を少ないながらも人の目があるところで晒すことを厭わない姿にああ、本当に好きだわと性懲りもなく思ってしまう。


 権力も財力もないしがない男爵令嬢である私と地位も名誉も人格も美しい容姿すら持ち合わせた伯爵令息との間にはまだ婚約者と言う法的な拘束力すらなかった。自由恋愛が貴族の中で流行したのは十年ほど前。その時は随分と問題になったケースもあったようだが、お互いに節度を持って現実的な範囲であればと目を瞑る家が増えたのもある意味で突然の婚約破棄を高らかに宣言させない苦肉の策だったのかもしれない。そんな価値観が芽生える中で結婚適齢期も幅広くなってきた近年、彼の愛だけで保っていたこの関係は当然彼の愛が他の誰かに移ってしまえば途切れるしかないのは明白。「それではふたりの年齢も鑑みて、二年後に気持ちが変わらなければ婚約の手続きを致しましょう」とそれ以上交際に口出しをしなかった彼の両親は何時かこうなることを確信していたのだろう。


「承知いたしました。私に落ち度がないとおっしゃっていただけるなら、ロビン様にだって落ち度があろうはずもありません。とても幸せな時間を共にすることができて、貴方の愛に少しでも触れることができたのなら、それだけで。今まで、ありがとうございました。……どうか、お幸せに」


 彼が可愛いと頬を撫でてくれた笑顔で、別れを素直に受け入れることができただろうか。それでもこれ以上彼の前に留まることなどできず、彼の隣にいるために必死に習ったカーテシーをひとつ残し淑女の歩幅でゆっくりと、それでも心は早く早くと足に発破をかけてその場を後にした。



 いつも伯爵家の馬車で家まで送ってもらっていた娘がひとり張り詰めた顔で帰ってきたことにある程度のことを察したのだろう両親と兄、そして男爵家ただひとりの使用人エマは誰もその理由を問うことは無く、自室へ篭ることを許してくれた。豪華さは勿論ないけれどそれ以上の価値の詰まった温かな自室に戻り後ろ手に鍵をかけると漸く張り詰めていたものがほろりと解け、一筋の涙となって頬に落ちていく。


 ふと窓際に彼がくれた花の鉢が目に入る。その横には交際してから初めて貰った小さなぬいぐるみ。ドレッサーの中にはこれまで何かの折に必ずプレゼントしてくれたアクセサリーの類もひとつやふたつではない。温かな自室をより輝かせてみせる彼との思い出が多すぎる。


「大好きです……ロビン様。…、女神様も酷なことをなさるのね。ロビン様の心が移ろいゆくとき、どうして私の心も同じようにしてくださらなかったのかしら」


 質が良くないながらも綺麗に整えられたベッドの上に力の入らぬ体を沈めて誰からも答えを得られない問いがついてでる。着替えもせずにベッドに寝転んでもきっと今日ばかりは誰も私を叱ることはないだろう。一筋を皮切りに堪えても溢れてくる涙は誰にも拭われず枕に大きな染みを作って、数時間前までならきっと優しく拭ってくれた彼の永遠の不在を突き付けているようだった。


 結局丸三日、学園にも行けずに塞ぎ込んでしまった私が何度目かの入眠のあと、目覚めたのは動物たちの気配しかない真夜中のこと。寝て泣いてとを繰り返していたためか頭が重くてたまらない。これ以上横になっていると更に体に障るだろうと無理やり上体を起こし夜風にあたるためクローゼットに手をかける。シンプルなコートや衣類が並ぶ中、ストールの端に備え付けられた小ぶりながら赤い石の欠片が存在感を放つ。それは彼と初めて会話するきっかけとなった衣類に取り付けられる小型の熱魔法具だ。


 私たちの国は夏と冬の寒暖差が大きく、特に冬の寒さは数か月前からの備えを必要とするレベルである。裕福なものは薪で火を起こす以外に魔法具を使用して暖を取るのだが決して豊かではない男爵領では平民はおろか我が家ですらそのようなものを用意することはできない。その結果、毎冬悲しいことに寒さが原因の死者すら出る始末だった。それを不甲斐なく思っていた父が頭を悩ませている姿を幼い頃から見ていた私は力になりたい一心で勉強を始めたのを今でも覚えている。

 

 家全体を暖める魔法具が主流だった中、私たちでもなんとか手が届く品質が悪く欠片程度の魔法石でも効率的に暖められないかと子供の浅知恵で初めて作り上げた魔法具は人ひとりをほんのり暖めてくれる程度だったがその年の冬の凍死者数をゼロにする絶大な効果を得た。何とか絞り出した僅かなお金で三流品の魔法石をかき集め、お年寄りと子供を中心に貸し出すように手配を進める。結果的にそれは比較的裕福な平民への販売へと繋がったことで兄までとされていた学園に私も通わせてもらえるようになったのだ。


 入学式の折、まだ肌寒さが残る気候だったため家から持って行った魔法具を制服の端につけていたのだが、それを目敏く見つけたのが彼だった。


「すごいな!君が作ったのか、その魔法具は!」


 キラキラ輝く瞳で純粋に褒めたたえてくれた彼はそれからことあるごとに私を褒めてくれていた。私なんかとつい口をついて出てしまう度に何倍にもなって褒め言葉が重ねられるから、恥ずかしいやら嬉しいやら。それが毎日続けばついついその気になってしまったって仕方ないはず。まだ現役で頑張ってくれているその魔法具を服の裾に挟み込み、大きく窓を開くと冷たい風が部屋へと吹き込み頬を撫でて髪を辿る。魔法具のおかげで体に寒さは感じない。


「すごいわ、私って。……ふふっ」



 次の日の朝、久しぶりに朝食の席に顔を見せた私に安堵の表情を浮かべた両親と兄は何事もなかったように迎え入れてくれる。エマの準備してくれた温かなスープで胃を満たしながら流れる和やかな雰囲気の中。


「お父様、お母様、お兄様。……私隣国へ行きたいと思うのです。学園で留学生の募集がありまして、それに応募してもよろしいでしょうか?勿論費用の掛からない特待生枠に受からなければ辞退いたします」

「メアリ…」


 私の希望が自暴自棄にでもなったものなのか否か、判断が付かなかったのだろう。困惑した六つの瞳が一心に私を窺うから、その優しさがくすぐったくて思わず笑みが零れてしまう。確かに私の初恋は終わった。だがこんなにも愛してくれる家族がいて、守るべき領民が私にはいるのだ。


 そして私にはかけがえのない才能がある。きっと。


「ロビン様、……いえ、アンカーソン様がいつも言ってくださっていたのです。君には素晴らしい才能があると」


 三日間泣きはらしたことできっとみっともない顔だろうが、不思議と心は晴れやかで居ても立っても居られない心地は自然と語気を明るくさせる。


「それに、きっと私がいつまでも塞ぎ込んで自らの幸せに向き合わず鬱々としておりましたら優しいアンカーソン様はきっと気にしてしまいますもの。私、アンカーソン様には幸せでいて欲しいのです」


 私の思いがけして自棄を起こしたものではないと感じてくれたのかそれで前を向けるならと両親と兄は「少しだがお小遣い位なら捻出できるよ」と微笑んでくれた。


 それからはあっという間だった。留学生にと先生から声をかけてもらったこともあったが、決して気を抜かず選考ギリギリまで勉強に励んだ結果、色よい成績となったことも自信となり胸を張って留学生に名を連ねることができた。度々彼のことを思う時もあったが、それは悲しみというより激励となって私の背中を押すような温かなもの。思い出ですら、彼は優しいのだ。


「確かに私とアンカーソン様の縁は終わりました。けれどアンカーソン様が私に与えてくださったものは決してなくなりはしません。しがない男爵令嬢ですからと卑屈だった私を変えてくださったのもアンカーソン様です。自分にだって価値があるのだと思えるようになったのも」


 さよなら、私の初恋。私の初恋が彼で本当に良かった。



╌╌



五年後―


 私は久しぶりに母国の地に立っている。


 本来一年間の留学のところ、有難いことに隣国に力を買われもう少しもう少しと滞在していると卒業すら隣国で迎えいつの間にか五年が経っていた。家族や友人とは欠かさずに手紙のやり取りをしていたが隣国とは言え遠い場所にある家へ帰るにはお小遣い程度では難しく、だがその代わり両親や兄は仕事の折に顔を見せてくれたので寂しさをそう感じずにいられた。それに隣国でも気の置けない友人が幾人もでき、研究の成果もきちんとあげられ胸を張って母国へ戻ってこれたのだから上々だろう。


  隣国で有難いことに好意を寄せてくれる人もいたが、終ぞ関係が発展することは無かった。結婚時期が幅広くなったとはいえ、行き遅れの部類となる二十三歳の今、結婚はできなくとも母国で女性初の宮廷魔法具師として席を用意されての帰国は苦労も多いだろうが充実したものとなる確信がある。辻馬車を乗り継いで国境を越えた先に迎えに来てくれた両親と兄の姿が見え、年甲斐もなく小走りで駆け寄って再会の抱擁を交わした。


「メアリ、向こうで良い人はできなかったのか」


 私自身納得はしていても親の心配は尽きないのだろう、「おかえり」の次に衝いて出た言葉から誰かを連れ立つでもなく隣国に留まるでもなくひとり身軽に帰ってきた娘の姿に思うところがあるのは明白だ。もの言いたげな視線を向ける父に小さく苦笑で返すと父は予想とは裏腹に何故かほっと安堵した表情を見せたあと、何度か躊躇うように口をぱくりとさせる。不思議に思って少し首を傾けた私に父はふわふわと心許ない調子で言葉を紡ぎ始める。


「………私たちは先に帰ることにする。メアリのために、……あー……そう、美味しいご飯をつくらなければ。母国の料理は久しぶりだろう」

「……?何を仰ってるの、お父様。……え、まさかエマを解雇しなければならないくらいの財務状況だってこと!?た、大変だわ。やっぱりお小遣いなんて無理があったんだわ。…あ、でも、安心してお父様。私を陛下が破格の金額で雇用してくださったのよ、皆を支えるくらい何とかなるはず…」

「いや、そういうことでなくて、だな…あー…」

「お父様、落ち着いてください。下手な言い訳でメアリが混乱しています」

「…お兄様?」

「ほらほら、いいから私たちは帰りましょう。じゃあまた後でね、メアリ」

「お、お母様?」


 訳知り顔の母と兄は結局それ以上の言葉が出ない父を半ば強制的に引き寄せて私もきっと乗るはずだと思っていた馬車に乗り込み、あっという間にこの場を後にしてしまった。状況を飲み込めない私に、後ろから声がかかる。


「メアリ」


 ……そんな、まさか。……でも、この声を聞き間違えることなどあるはずがない。五年経った今でも。震える膝が上手く動かず声の方へと振り向くまでの時間が永遠のように思え、心臓が飛び出そうなほどという比喩は今ほどぴったりなことはないだろう。


「…………、ロビン様……?」


 ――あの日終わった初恋が、別の顔をしてこちらの様子を窺っていた。







╌╌ロビン視点╌╌


 僕の愛した人は可愛くて優しくて聡明で、それでいて自分のことを悲しいくらいに低く見積もるところがあった。


「すごいじゃないか、メアリ!先生から声がかかるだけでもすごいのに、君の論文を見て隣国から直々に声がかかるなんて!僕も君の魔法具に関する造詣の深さにはいつも驚かされてばかりだけど、ここよりも更に魔法具研究が進んでいる隣国からも認められるだなんてさすがだね」

「そんなことありませんわ、ロビン様。たまたま参考にした書物がよかっただけで決して私の力などでは」


 そんな言葉を色々取り繕って一年目の推薦を辞退した彼女は、恋人と呼べる関係になってから更に頭角を現し始めていた。平民と殆ど変わらない生活をしているという彼女は母や使用人、領民のために少しでも生活が楽になるようにと平民でも手に届く価格で魔法具を量産できないかと日々勉強を怠らない。低く見積もる彼女の癖が悔しくて必要以上に彼女を褒めそやし、知り合った頃は謙遜ばかりしていた彼女がはにかみながらもお礼を告げてくれるようになったのは、僕の人生の功績のひとつと言ったっていい。


 愛おしい彼女との時間は蜂蜜のように甘く、それでいて日々向上心を忘れない姿は僕も負けていられないと何度も背中を押してくれる。心地よい時間の流れに身を浸していると、再び留学生募集の張り紙が掲示される季節となった。丁度留学生を選抜する試験から逆算し半年前に掲示されるそれをふたりで目にした日は付き合い始めて一年半が経つ頃で、両親との約束の日を指折り数え始めた時期でもある。


「メアリ、今年も先生からも隣国からも声がかかっているんだろう?行こうとは思わないのかい?」

「魔法具の研究ならここでもできます。それに……留学すれば一年間……、…ロビン様のおそばに、居られませ…ん」


 ほんのりと頬を染めて自分の気持ちを素直に告げられるようになった彼女を愛おしく思う反面、自分が彼女の足枷になっているのではないかと怖くなった。怖くなって、怖気づいて選択した手段は卑怯なものだったろう。それでも別れ話をして暫くしてから彼女の旅立ちを知って、これもきっといつか己の人生の功績となるはずだ、それもとびきりのと自分に言い聞かせることができた。


 学園に残った僕に向けられた好奇の目は日を追うごとに視線だけでは飽き足らず言葉を紡ぎ始める。仲睦まじい僕と彼女を知っていた友人はその話題を敢えて避けていたけれど、婚約者のいない令嬢たちにとって自分がどのように見られるか分からないわけではない。かと言って、彼女に吐いた嘘を現実にできるような出会いなどあるはずもなく、人の目から逃れるように図書室の最奥へと篭るようになった。



 ある日、侯爵家主催の大きな茶会が催されることになり、我が家にも招待状が届いた。流石に断りを入れることもできず重い腰を上げたのは出発しなければならない数時間前。主催の侯爵家夫妻への挨拶も早々に何処に行っても令嬢やその両親から足止めをくらい、ほとほと疲れてしまったため逃げるように訪れたガゼボには既にふたりの先客がいた。それは早く謝罪を入れなければと思いながらも行動に移せずにいた彼女の両親だ。意を決したようにぐっと拳を握りこみ。


「あの……!………お久しぶりです。ノヴィス男爵、ノヴィス男爵夫人」

「……!……ああ、久しぶり」

「ご自宅までお伺いしようと思っていたのですが、遅くなって申し訳ありません。……メアリ、……ノヴィス男爵令嬢のことで、…僕を信頼して交際を許して下さったのに、申し訳ありませんでした」


 心臓がどくどくと嫌な音を立てるのを抑え込むように早口で一気に謝罪の言葉を捲し立て深く頭を下げる。娘を深く愛しているふたりからの罵倒を心して待ったのだが一向に頭上から降ってくることはなく、代わりに「頭を上げて」とまだ彼女と交際していた時と変わらない温かな温度が返ってきた。戸惑いながらも促される言葉に従っておずおずと視線を持ち上げるとふたり揃って同じように眉毛をハの字に下げ複雑そうに微笑んでいることに理解が追い付かず再度謝罪を繰り返すも夫妻は目配せし合ったあと。


「君が頭を下げることはない。人の心にとやかく言う筋合いは本人以外誰にもない。それに、娘は納得しているようだった。それなら私たちがそれ以上何か君に言うことはないよ」

「でも…」

「本当に気に病まないでいいのよ。娘は自分の幸せのために留学していったの。どうかあなたもあなたの幸せのために生きてね。それが娘の願いでもあるのよ」


 罵倒してくれた方がどれだけ良かったろう。優しい言葉であればあるほど堪らなくなって、握りしめた拳は小刻みに震えている。押し殺そうとした感情はとても貴族として役に立たないほど隠しきれずにきっと夫妻に伝わってしまっているであろうことが情けない。言葉を失った僕の代わりに、何気ない世間話のような軽い口調で口を開いたのは男爵だ。


「……私はね、自他ともに認める親ばかだ。貴族として領地を経営するものとしての素質は…まあ、その、あれだが、子供たちを心底愛していることだけは胸を張って言える。もちろん、妻のこともね」

「あらやだ、あなたったら」


 仲睦まじく肩を寄せ合うふたりの姿を何度も見たことがある僕はその言葉を疑う気は勿論なかったが、何故そんな話をし始めたのか続く言葉が予想できずに目を瞬かせることしかできない。


「だから、君と娘が交際を始めたとき、徹底的に……調べた」

「調べた…?えっと、……それは」

「君のことをだ。娘は確かに可愛いし優しいし気立てがよく才能に満ち溢れそれから「あなた」…こほん。つまり娘のことを誇りには思っているが相手が何を隠そう、君だ。裕福で昔からの実績も信頼もある伯爵家の嫡男がまるで正反対の男爵家の娘に声をかけるなんて初めて聞いた時は騙されているんじゃないかと思ったんだ、いや、君には悪いけどね」

「は、はあ」

「だから調べた。私の持ちうる力…正確には私の信頼できる執事や友人の力なんかも全て合わせて徹底的にね。ちょっとでも悪い噂があったら娘に告げ口してやろうとも思っていた」

「……それは、気づきませんでした」

「だけどどんな方向からつっついても模範的で年若いのに若気の至りのような失敗もまるでなかった。残念なことにね」


 ふんと鼻息荒く悔しそうに言う男爵の横で可笑しそうに笑い声を噛み殺した夫人に再会した時よりもはっきりと温かな温度で微笑みを向けられて、どこかソワソワしてしまう。


「他に想う人が、だったかしら。…不思議ね、娘が留学へ行ってからだってあなたが連れ立って歩く女性の話なんてこれっぽっちも聞こえてこないわ。詰めが甘いところもあるのね、優秀だと名高いあなたにも」

「いや、それは…」

「………娘は、愛されていたのね。とっても」


 嬉しそうに目尻を下げて笑う夫人の顔は彼女にそっくりで、彼女に自分の愚かな猿芝居が伝わらないように否定をしなければならないのに言葉がでない。あなたと過ごすようになって娘は積極的で前向きになった、君の話ばかりでつまらなかったが自分の才能に誇りをもって勉学に励むようになった娘は楽しそうだった、私なんかとよく聞いていた口癖もいつからか聞かなくなったな、そういえば。夫妻から聞く思い出話の彼女を僕は知らないはずなのに生き生きとした表情が手に取るようにわかって愛おしさで胸が張り裂けそうになる。そうだ、それは僕の、僕だけの何にも代えがたい功績だ。


 ――だけど。


「僕は臆病者です。彼女は僕の傍にいることを選んでくれたのに……、僕が原因で彼女の未来が潰えてしまうのではないかと怖くなった。いや、きっとそれを重荷にすら思っていたのかもしれない。だから卑怯な方法を選びました。彼女のためと言い聞かせながらも結局は僕のために。……本当に、申し訳ありませんでした」

「君のやり方が正しかったのかなんて、私たちにも分からない。もっとやりようがあったという人が居ても所詮他人の言うことだ。そいつに何が分かる。君は君が最良だとその時思った方法を選択し、娘も納得して娘自身自分の道を選択した。君に縋らなかったのも留学を選んだのも全て娘の選択だ。どちらかが悪いなんてことはないんだよ」



╌╌



五年後―


 久しぶりに男爵から一報があった。メアリが、帰国する。


 そんなシンプルな文面と共に添えられたのは日時と場所、ただそれだけだ。五年経っても臆病者な僕は新しく恋人や婚約者を定めることもできず両親の苦言を右から左へと流してばかり。ただ遠くで頑張る彼女に後れを取らぬようにと経営を父のもとで学び今では任される仕事も増えた。それでもあの日の自分を棚に上げ彼女に会いに行く勇気はまだない。そんな僕の心情にきっと男爵夫妻は気づいているのだろう。この手紙は未練を断ち切るための手助けか、はたまた別の意図があるのか、僕の気持ちに気付いている夫妻の気持ちは終ぞ分からなかった。


 手紙に添えられた日はあっという間に訪れる、そういうものだ。行くとも行かぬとも決められないまま仕立てた服は僕の手持ちの何よりも高価で少し鼻に付くくらいに手触りの好い生地は着替えてみると彼女を意識しすぎている自分が垣間見えて恥ずかしい。今更会ってどうする、もう良い相手がいるかも、いやそれはいいことだ、…いや、ほんとはそんなことはない。彼女の活躍を耳にするたび誇らしかったしその都度頑張らなければと奮起できた。


「会いたいな…」


 言葉にしてしまえば何とも単純な感情だ。例え誰かを共に連れ帰ってきたとしても、心からとは言えずとも最大限祝福しよう。僕の人生最大の功績を目に焼き付けて、それからまた僕は僕の幸せのため道を選ぼう。臆病者のままの僕ではきっと彼女のように僕が治めるはずの領地や領民を導くことなんてできないから。


 意を決して乗り込んだ馬車の中、彼女に会う前に心臓が飛び出てしまいそうだ。指定された場所は国境近いため、馬車でもそれなりに時間はかかるはずなのにもう目と鼻の先で心の準備をさせる気がない。とは言え、到着した時間は手紙に書かれていたものよりもうんと早く、自業自得ともいえる。馬車を近くの村に待たせ、何をするでもなく行ったり来たり行ったり来たり。どうやらその様子を後から到着した彼女の家族に目撃されていたらしい。


「……メアリはあそこにいる」


 国境付近を明らかに不審者の如く練り歩いていた僕のところまでわざわざ知らせに来てくれた男爵は、「次は無いぞ」の言葉を残して馬車に乗って去っていった。


 示された先にはぽつんと心許なげに立つ影がひとつ。


「メアリ」


 震えないようにと絞り出した声は情けないくらいにか細い。


「…………、ロビン様……?」


 大人っぽくなって一段と美しさに磨きがかかった彼女の驚きで揺れる瞳が僕を映すことがこんなに嬉しいなんて。


 ――あの日臆病者が終わらせた初恋が、廻り回って目の前に。何を言おう、何を言わないでおこう。臆病者からの脱却に向け。

最後までお読みいただきありがとうございました。

まだまだ拙い文ですが、日々精進してまいりますのでよろしければまたお立ち寄りください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 相手の才能に嫉妬して貶める男性登場人物が多い中、 才能を伸ばす為に自分が泥を被るロビンが不器用ですが良かったです。 傷ついても前向きに進んだメアリも良かったです。
[一言] 良い話を読ませていただきました 悪がどこにもなく皆が皆を思いやっている世界を久しぶりに見た気がします やっぱり純愛が最強ですね!
[良い点] 面白かったです。 あぁあ~、あともうちょっと見たいって感じで終わってるのだけれども、少し引きのある終わり方でいいのかも知れませんね。 なんなら結婚式も、その後も気になるふたりですが。 男爵…
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