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経験則による猜疑


 私は夜な夜な一人でキッチンに立ち、カクテルを作っている。

 というのも大した理由ではない。最近寝つきが悪く、夜の時間を持て余してしまっているからだ。


「……よし」


 インターネットのレシピを元に作り上げた私のカクテル。素人にしては上出来だ。

 しかし飾り付けはないため、見た目はとても味気ない。


 私はそれをキッチンのダイニングテーブルに置いて椅子を引くと、静かにゆっくり腰を下ろして背もたれにもたれかかった。


「……」

 

 静かだ。私以外に誰も存在しない空虚な部屋には、コツコツと秒針の進む音だけが聴こえている。

 私はなんとなく緩慢に、グラスへ口をつけた。


「美味し……」


 なかなかに上出来ではなかろうか。柑橘系の酸味が中途半端に張り付いていた眠気を消し飛ばし、しつこくない甘さは舌の上で踊る。

 グレナデンシロップの入手には少し手間をかけたが、これくらいならばこれからも、自分で作ってみるというのも考えておくべきだろう。


「……」


 自分で作る。自分だけで、飲む。

 孤高な夜のキッチンはまるで深海みたいに、沈黙で包まれていた。

 私はただ一人、海底に沈みきったかのような心地で夜を過ごす。

『彼女』の存在。危険だと分かっていても手を伸ばしてしまう、私の愚かさを呪いながら。


 ◇◇◇


「大人になっても、お酒だけは絶対に飲まないこと!」


「分かった。」


 來摩ちゃんは大人が嫌いだった。そのためか大人の象徴とも呼べる酒類飲料も嫌っており、私もそのような約束を彼女と交わした覚えがある。


「でも……タバコは良いの?」


「良くない!良くないけど……お酒だけは、ダメよ。」


「なんで?」


「……お酒は、悪魔だから。」


 そのときの彼女の真剣そうな顔に、圧倒された私は思わず納得してしまったものだ。

 私はその日、彼女と一つ目の約束をした。


「別の話をしましょう。そうそう、また尋のことを悪く言う人がいてね?」


「そうなんだ。」


「あら、興味無さそうね。」


「だって何を言われたって、來摩ちゃんが護ってくれる……でしょ?」


 來摩ちゃんは私を助け、私は來摩ちゃんの言う通りにする。これで全てが上手くいく。

 私を密かに嫌っていたあの子も、私を短慮にも侮辱したあの子も、みんな來摩ちゃんにその悪事を明るみにされたのだ。

 私は來摩ちゃんに返しきれない恩がある。私は來摩ちゃんに感謝している。

 そして來摩ちゃんの望みが、私を護ることだと言うのなら――


「友達、だもんね。」


 ――私は何も考えず、その身を委ねれば良いのだ。


 ◇◇◇


 グラスが空になると、私の体は満足したかのように微睡みへと誘われていく。

 流し台の中にグラスを置いて、洗面所で歯を磨き、最近始めた簡単な髪の毛のケアを済ませ、私は自室に戻ってベッドに腰掛けた。


「……」


 静かな中にいると嫌でも聴こえてくる私への悪意の幻聴。誰にも言えない、数ある秘密の内の、その一つ。


 なぜこんなにのうのうと生きていられるの?


 なぜ良くしてくれる人たちからの恩を、仇で返すの?


 なぜ問題に向き合おうとせず、本の世界に逃げようとするの?


 ……ちがう、これは私の声だ。私の記憶にある、私を騙していた人たちの声で、私の心が暴かれている。


  疑え


 声は嗤う。怒りの頂点を超えた狂気に染まって。


 疑え


 声は哂う。不信を盲信する投げやりな涙に濡れて。


 疑え


 声は咲う。喜劇の主人公のように馬鹿馬鹿しい世界で生きる、私のことを指さして。


「誰も……信じない……っ!」


 來摩ちゃんは私を裏切った。私から離れ、いなくなってしまった。護ってくれると、そう言っておきながら。

 ならばもう、私に信じられるものなんて何も無い。最初から虚構と分かっている小説の物語の方が、よほど信頼できるというものだ。


『アタシが、護ってあげる』


「――嘘つき!」


 きっと彼女も初めから、私のことなどなんとも思っていなかったのだ。他の人と同じ、陰で私に後ろ指を刺して嘲っていたのだ。

 だから私の前から姿を消した。私という人間にそうする価値すら見い出せなくなったから。


「嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき……!」


 疑いたい。疑って今度こそは上手くやりたい。

 誰にも騙されぬように。誰よりも真実を見据えられるように。誰にも裏切られぬように、疑いたい。

 そう思っていた、はずなのに……


「嘘……つき……」


 もしも、彼女が私との約束をまだ果たす気でいるのだとしたら。

 私の前からいなくなってしまったのは何かの間違いで、本当は私のことをまだ護ろうとしてくれているのだとしたら。


『「約束、忘れないでね。」……だそうですよ。』


「……」


 『彼女』と交わした約束の数々が走馬灯のように脳内を駆け巡ってはそれを私に思い出させる。


 ひとつ、『彼女』以外を友達とは思わない。


 ひとつ、私たちはずっと一緒。


 ひとつ、私たちは意地汚い大人たちみたいにはならない。


 無意識に拳を打ち付けていた膝が熱くなるのを感じる。それと同時に胸の中に温かいものが染み渡るように湧いて出て、私の心を落ち着けてくれた。


「教えてよ、來摩ちゃん……」


 ぼすん、とベッドに寝そべり、そう呟いた。


 私はいつも虚構しか知らない。

 塗り固められた嘘とそれらしいプロット、未回収の伏線と、曖昧に濁された結末。

 悲劇を嘆く喜劇の主人公は、大勢に笑われながら手のひらで踊らされた。もう真っ平だ。


 私は、何を信じればいいのだろう。


 途方もない漠然とした問いに目を伏せ、私はそのまま深い眠りの底へ沈んでいった。

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