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池×戸国(古舘視点)


 古舘 粧奈は絶句していた。

 それは目の前で繰り広げられている光景があまりにも信じられないようなものだったからである。


「ふふ、もう一回言ってごらん?」


「えへへ、だぁーい好き。」


(???????)


 見ていると脳がバグってしまう。戸国という人物が絶対に言わないであろうセリフを、絶対言わないであろう甘えた口調で、蕩けた目をして、戸国が言っていた。


「と、戸国……さん?」


「なに?」


「えーっと……」


「こーら。よそ見は厳禁だよ?」


「用無いなら話しかけないで、今忙しいから。ごめんね池くん、話遮っちゃって……」


「……」


 古舘の脳は破壊されてしまった。

 なるほど、NTR系のアレコレが何故忌み嫌われているのか、その理由がわかった気がする。


「これは……」


「尋ちゃん……?」


 浮たちも困惑しているようで、動揺の余り言葉すら出ない有り様だった。

 だというのにお構い無しに、戸国は猫のようにスリスリと、池相手に全身を擦り付けている。


「……へぇ。」


(……はっ!そうや!千晃は池の元彼!これっていわゆる『修羅場』ってやつなんとちゃうんか!?)


 二人の蜜月に遭遇する千晃に、古舘はつい先日のことを思い出した。

 

 池は学校内でも屈指のモテ率を誇っており、今までどのような女も落とせなかったことはなかったと言われている。

 実際何人か落とせなかった人物もいて、その内の一人が戸国だったとは過去に古舘は聞いたことがある。それほどまでに戸国の他人への警戒心というのは凄まじいものであったのだ。

 そんな性格によって幸か不幸か、今まで悪い男を寄せ付けることはなかった戸国。だが最近は浮との出会いによって、以前までのトゲトゲしさというものが薄れつつある。

 本人にも何度か言った通り、戸国は池と並んでも見劣りしないくらいの美貌の持ち主だ。そのドギツい性格が災いして可愛げこそなかったが、それが無くなった今、そこにいるのはただの可愛らしいトンデモ美少女である。


「ん?そこにいるのは『元』俺の彼女の暁霞じゃんか。」


「池くん、私の前で他の女の話?」


「あはは、ごめんって。」


(なんやアイツくそ腹立つわ!!ってかなんで戸国があんなことなっとんのや!?いくらなんでも展開早すぎるやろ!)


「しょ、粧奈ちゃん!?」


 笑顔を貼り付けながら唇を噛む古舘。口の中で鉄の味がするも、血はどんどん頭に上ってくる。

 結局怒りは隠しきれずに浮に心配される羽目となった。


「女を取っかえ引っ変えとは、これまたロック。」


「そういうワケじゃないよ。ただの友達さ。ね?」


「そうだよ?ただちょっと仲が良いだけ。ただの友達。」


 戸国はこてんとその頭を池の肩に乗せる。

 それに池はイケメンスマイルで迎え入れ、優しげな手つきで戸国の髪を撫でた。


(くっそ……浮気男とはわかってんのに、ちょっと戸国のこと羨ましい気持ちもあるのが悔しい……)


「……とりあえずなんか飲み物。これちょうだい。」


「ブルーシンデレラで良い?」


「うん。」


 しかし千晃はそんな二人の様子には無関心で、それよりも自分の喉の渇きを潤すことの方が先決らしい。

 まごつく古館を他所に、千晃は目の前のカウンター席、つまり池の横の席に着いて注文をした。


「なにしてんの?みんなも早く座りなよ。」


「え?あ、せやな……」


 かくして古舘らも席に着いたのだが、戸国は普段通りの塩対応だ。浮とマスターさんにはある程度敬意を払った態度だが、古舘に対しては徹底的にこき下ろすような視線である。


「……なぁ池、なんで戸国とそんな急に仲良うなったんや?昨日まで全然話してもなかったやろ。」


「ん?それが少し話す機会があって、そこから意気投合しちゃったわけなんだよ。今週末も一緒に遊びに行く予定も入れちゃってさ。」


「えへへ、楽しみ……!」


(た、楽しみ……?あの戸国が、外出を『楽しみ』やと……!?恋は人を変えるのは知ってたけど、まさかここまでとは思わんかったわ……)


 まるで浮のようにはにかんだ笑いを浮かべる戸国に、古舘の胸にモヤモヤしたものが募る。

 この前まで人間の最底辺レベルにまで自分のことを嫌っていた相手を一瞬で虜にできる池だ。人間的魅力で劣っているのは古舘だって理解はできる。

 しかし、そのままそれを受け入れるということは古舘にとって、戸国と過ごした数年間の敗北を、池に認めるということに他ならない。


 それだけはどうしても、認めることができなかった。


「……戸国の阿呆。」


「は?急に何?」


「なんでもあらへん!知らん!」


「あはは……粧奈ちゃんもビックリしてるんじゃないかな。尋ちゃんと仲が良い人がいるって、知らなかったんだろうし。」


 浮のフォローが入り、戸国は仕方なさげに肩をすくめて見せる。そしてそれから千晃に作ったドリンクを出すと、すぐにまた池と会話をし始める。

 すると千晃が、口を開いた。


「まぁ、何はともあれ、良かった。」


「え?」


「池が他の子たちからリンチされたって聞いて、少し不安だった。」


 千晃は鉄面皮を被りながらも池にそう語りかけた。

 ブルーシンデレラのグラスを傾け、カウンターに置く。


「リンチされる痛みはよくわかる……ひどいよね……」


「さすが経験者、重みがちがうわ……」


「……わけがわからないよ。」


 千晃の同情的なその言葉に、池は不可解を表明して眉をひそめた。


「千晃さんはボクが憎くないのか?キミの理論で言えば、ボクは浮気性の裏切り者なんだろう?」


(キミの理論っていうか、事実やろ……)


「なんで嫌いにならないといけないの?」


「千晃さんがレインで別れを切り出したんじゃないか!それでボクに当たり散らして……」


「そんなことしたっけ。」


「したよッ!!」


「ごめん覚えてない。」


「……な、なんだって?」


 あっけらかんとそう言った千晃の顔は嘘をついているようには見えない。元より表情が変わらないため、内心どのように考えているのかは知りようがないのだが。


「……あ、ホントだ。思い出した思い出した。」


「トーク画面を確認してやっと……?」


「これ戸国さんと古舘さんとでなんて送るか考えたやつだよね。」


「えっ」


「……」


 サッと目を泳がす戸国。なんだか様子がおかしい。


「そのときは別れた方が面白いなって思って、それで別れたんだよね。人をフるって初めてだったから、なかなか良い経験だった。」


「なっ!?千晃さん、まさかキミは最初から、ボクのことを好きなわけじゃなかったのか……!?」


「好きだよ?他の彼女とよくライブ来てくれてたよね。」


「バレてた!?」


「カスやん。」


 なんでわざわざそんなリスクを犯すのか、古舘には到底理解できそうもなかった。


「そ……そんな、そんな理由でこのボクを弄んだのか!?」


「弄んではない。付き合ってるときは恋愛について勉強もした。だからこの前、それっぽい感じの雰囲気のときにキスもしてみた。」


「それを弄んでると言うんじゃないのかァっ!?」


 顔を真っ赤にして指を突き立てる池の声は裏返っていた。しかし古舘らの感心は別のところにある。

 

「あ、キスしてたの本当だったんだ。」


「ウチもそれ思った。」


「え……えぇぇぇ!?き、き……チューしたの!?」


「浮にはまだ早い。」


 当事者二人以外のメンツの反応は十人十色だ。

 古舘と戸国はそれについて一度一杯食わされているので比較的驚きは少ない。


「できるだけ誠実に付き合おうとはした。……でも、やっぱり好きとか、あんまりわかんなかったのはそう。」


「そ、そんな……あの日、ボクに好きだって言ってくれたじゃないか……」


「あれ嘘。そう言ったら喜ぶかなって。」


「うっ……ひぐっ……」


「泣いちゃった!」


「どうすんだこの空気。」


「戸国バーメイドやろ。客を慰めるのも仕事ちゃうん。」


「え、嫌だ面倒くさい。」


「戸国さん、お勤め頑張ってください。」


「うぐっ、本職の方……」


 マスターさんに言われ、戸国は渋々と池の肩を叩く。


「池くん元気出して……?私は池くんのこと――」


「あ、もう良いよ戸国さん。約束のブツは渡すから……もう、やめてくれ……」


「あ、はい。」


「うわ急にいつもの戸国や。もどして。」


 途中からだいたい予想は着いていたが、やはり裏で取引してのあれだったらしい。

 古舘は軽口を飛ばしつつ、予想が正解とわかって胸をなでおろした。


「やっとわかった……そもそもボクは最初から相手にされてなかったんだ。ただ交際してみたいと思ってただけで、ボクじゃなくても良かった……」


「そんなこと……なくはないですけど。」


「励ますの下手か?」


「ならお前がやれ。」


「浮気者に情けは無用や。」


「いや八分の一くらいは無罪だと思うよこの人。」


 八分の七が有罪の時点でアウトである。

 古舘は頑として首を縦に振らず、戸国が折れるまでテコでも動かぬ構えを見せた。


「……ねぇ尋ちゃん。ここってバージン・メアリーも出してるんだね。」


「え?まぁうん……一応ね。」


「ってことはトマトジュースもある?」


「あるけど……」


「ちょっとお邪魔するね!」


「え、は、ちょっと?」


 そういうと浮は学校机で作られたカウンターを潜り抜け内側に入ると、早速器具を確認して材料を揃え始めた。


「浮ちゃん、もしかして……」


「うん!元気、出してもらいたいもんね!」


「あ、あなたは……?」


「通りすがりのバーメイド……見習いだよ!」


 卓上に二つの瓶が並ぶ。

 トマトジュースに、ココナッツシロップだ。


「ココナッツシロップもあったのは助かったよー。」


「酒屋で売ってたシロップ諸々買ってきたからなぁ。」


「なにはともあれ、これを使って作っていきます!」


 アイスペールから氷を取り出し、プラスチックのカップにゴロゴロ入れる。

 そこにトマトジュースとシロップを入れてバースプーンを差し込み、流麗な手つきでステアを開始した。


「ウチらも見たことないカクテルやな……」


「トマトジュース使う機会は滅多にないって聞いてたけど。」


「はっはっは、そもそもお客さんが少ないですからね。大抵の来客があなたたちか中出くらいのものです。」


「なんかすみません……」


 戸国が失言を詫び、それをマスターさんが軽く笑い飛ばしたところで、浮が完成したカクテルを池に差し出した。

 池は腫らした目でそれを見つめる。


「これは……」


「このカクテルの名前は『ユダ』。本来はココナッツリキュールを使うんだけど、それはココナッツシロップで代用したよ。」


「ユダって……あの、イエスを裏切った?」


「え、なにそれ戸国。」


 物知り顔で疑問を浮かべる戸国だが、古舘にはさっぱりだ。確かになんとなく名前は聞いたことがあるが、それこそどういう人物なのかは全くわからない。


「イスカリオテのユダだよ。かつてイエス・キリストに選ばれた十二使徒の内の一人で、銀貨三十枚でイエスを裏切って、彼を処刑台に送った立役者。」


「……そうさ、本当はわかってた。裏切り者はボクだ。」


 戸国の説明に感化されてか、池は自嘲するように笑うとグラスを手に持ちゆったりと眺めた。


「必死に否定してた。本意じゃないんだ、環境のせいなんだって……でも結局のところ最後の一線は、理性で抑えられたはずなんだ。妙子さんともっと話し合えば良かった、奈々萌ちゃんともっと向き合えば良かった、椿さんに本音を打ち明ければ良かった……富江さんにも、楓花ちゃんにも、遥菜ちゃんにも、玲奈さんにも……そして、暁霞にも……」


 音もなく、涙を飲み込むようにそれを味わう。

 後悔も憤慨も腹に流し込み、池はグラスを置いた。


「美味しい……けど、二度と飲みたくはないね。」


「どうして?」


「どうしてだって?笑わせてくれる。キミだってそう思っているんだろ?ボクが悪いんだ……これだって結局、そういうことなんだろ……?」


「池、ええ加減に――」


「――粧奈ちゃん。」


 浮がそのようなことを言うなどありえない。そんな気持ちから湧き出た衝動は、浮本人に待ったをかけられる。


「……本当にそうなんでしょうか。」


「え……?」


 代わりに戸国が発した一言に、誰の口からともなく動揺の声が聴こえる。


「確かにユダは裏切り者として名高い人物ですが、近年ではそうではない見方もされるようになってきました。むしろキリストの教えを最も理解していたからこそキリストを裏切り、自身がその罪を被ったのだという説もあります。」


「ち、ちがう……ボクはそうじゃなくて……」


「とはいえまちがいなく言えるのは、それが神の導きであったとしても、ユダはキリストを裏切りその罪を負ったこと。それは許されざることであり、彼を破滅の者たらしめるために十分な要因です。……ですが」


 戸国はカットされたバケットパンを皿に置き、それを池に差し出した。


「彼は間接的に、キリストの目指した『人の子の救済』を成すための一助となりました。彼は他の信徒のように自分の信仰を護るのではなく、キリストと同じく『人間』を護ろうとしたのではないでしょうか。」


「……」


「池さん先ほどおっしゃっていましたよね。『自分は告白を断れなかっただけだ』と。」


「それは……いや、それもボクが優柔不断なだけで……」


「裏を返せば、それほどまでに真剣に悩んでいたということでは?」


 ハッとしたように池が目を見開く。

 一方戸国は古舘らがよく知る、どこか他人行儀な一線を引いた表情で、それでも不器用に言葉を重ねていた。


「浮気……確かに肯定されるようなことではありません。ですが、それがあなたなりの配慮だったというのであれば、少なくとも私は責める気にはなれませんね。まぁ当事者じゃないから、というのはそうかもしれませんが。」


 戸国は居心地の悪そうな顔で頭を掻き、しかしハッキリと池の目を見て腰に手を当てた。


「あなたの成すべきことを成した……もっと上手い方法があったとは思いますが、そういうことなんじゃないですか?」


「……!」


 そのとき、池の表情が晴れて瞳に光が宿り、その頬を一筋の涙が伝った。

 あまりにも愚鈍で優柔不断な池という人間の在り方を、その言葉は肯定も否定もしていない。それでもなぜか勇気を貰えた気がして、池の目からそれは溢れて止まらない。


「ボクは……ボクは……!」


「ちょ、いきなり号泣しないでもらえますか。あとちゃんと約束も守ってくださいよ。これに関しては裏切ったら承知しませんから。」


「わかってるとも……明日にでも持ってこよう。」


 池はそう言うと、今度はぐいっとグラスを傾けた。

 戸国は初めて、満足気に頷いた。

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