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商売人と母親(古舘視点)


「それでは、この続きはまたの機会に。」


 やっと満足して離れて行った男に、古舘は心の中で「やっとか」と吐き捨てた。

 渡された名刺をクラッチバッグの中に放ると、できるだけ輪の中に入らないようにしながらバイキングの列に並んだ。


「……おい、粧奈ちゃん。」


「ん?どったん原田にぃ。」


 古舘の傍について見守っていた原田が、古舘を咎めるように潜んで声をかけた。


「さっきの方との会話や。いやに素っ気ない態度やったやんけ。」


「あぁ、そのこと……」


 皿にサラダを盛り付けつつ、聞き流す体勢ではっきりしない返事をした。

 煌びやかなドレスに身を包んだ古舘は、耳にかけた美麗なイヤリングを触るように髪を耳にかける。


「別に、仲良うしたい相手とちゃうかっただけや。顔もそんな良くはなかったしな。」


「あのなぁ……さっきのがどこの会社の方やったんか、わかってんのか?」


「アイチューブの日本支社の幹部のご子息やろ。夢を与えるとか笑顔を創るとか……聞いてもないのにぎょーさん教えてくれたわ。」


 バイキングに並んでいる品々の中に杏仁豆腐を見つけ、少し嬉しそうな顔をした古舘に対し、原田は疲労の滲んだため息をついて懇願した。


「わかってんなら、もうちょっとなんかあるやろ。」


「なんかって?きゃーすごいー、ところで年収おいくらー?ってことなんか?」


「アホ!趣味がアイチューブの動画視聴とか、妹がうちのブランドの服を気に入ってるとか、いくらでも話題ならあったやろ!」


「そんなん言うとるだけや。好きなアイチューバーがウチと一緒なのは下調べしてきたからやろうし、妹の話も盛ってるかでっち上げてるかのどっちかに決まっとる。」


「だとしてもな……」


 原田は右手で左頬を掻いた。

 小さい頃からの付き合いだった古舘にはわかるが、これは彼が猛烈なストレスに耐えられなくなった際に行うクセのようなものである。


 無論、古舘にも原田の言いたいことはわかる。

 ここは異業者交流会。異なる職を持つ者同士が集まり、それぞれ交流しながら人脈を作っていくためのパーティーのようなものだ。

 当然、大手企業の令嬢である古舘のもとに多くの人々が来ることは初めからわかっていたことであるし、むしろそちらの方が会社としては手間が省ける。

 しかし古舘は、ここに集まるほとんどの人たちに対して、微塵の興味も見出すことができないのだった。


「毎年毎年思うけど、これが戸国の気持ちなんかなぁ……」


「戸国?……ああ、粧奈ちゃんのお友達か。そりゃ今は関係ないやろ。」


「ただの独り言にまで口出しされたら堪らんわ。」


「あんなぁ……」


「はいはいわかってるって。必要最低限の挨拶はするから。これで文句はないやろ?」


 断固として引かぬ態度の古舘に、原田もとうとう諦めたらしい。また頬を反対の手で掻きながら古舘の数歩後ろへと戻った。


『――ただいまより本会を主催された、古舘 彪奈様からのご挨拶がございます。皆さまのご着席をよろしくお願いします。』


 古舘が一通りの料理を皿に盛ったとき、自社の幹部である女性がホール全体にそうアナウンスする。


「んぉ、もう始まるんか。はよ席着いとかな。」


 堅苦しい挨拶も、格好だけ取り繕った母の演説も、古舘にとっては退屈この上ない。

 とはいえ、お行儀よく聞いておかなければ他者からの風評が悪くなり、やがては会社の評判に泥を塗ることになりかねないため、ここはどうしようもないところなのだ。


 古舘は適当な席に座ると、たおやかな微笑みをたずさえて部屋の正面へと目を向けた。

 やがてホール全体の照明が落ちていき、スポットライトに照らされる一本のマイクに、一人の女性が歩み寄った。


『――本日はお忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。』


 古舘と同じく、自社のアパレルブランドである『Laica』のデザインしたドレスに身を包んだ彪奈は、最近手を出し始めた宝飾品なんかも耳や首から下げている。

 もちろん華美になり過ぎて悪趣味、というふうにはならないよう程度は考えられているので、古舘が他人のフリをする心配もなさそうである。


『さて、昨今では商取引における税申告の制度の変更や、国際的な貿易摩擦などの経済問題に、私たちは直面しております。まるで荒波の真っ只中に投げ出されているような……それほどの世の中の変化が、私たちに牙を剥いてきて頭を悩ませています。』


 古舘の近くに座っていた貫禄のある男性がしみじみとうなずいた。

 話の掴みで引き込むために、多くの人々からの共感が得られる話題を持って来る。彪奈はやはり、この道を長く歩んできた者としての力量がある、と偏屈な考えは無しに古舘はそう評価した。


『しかし、私はこれまであまりこのような集まりを開かず、閉鎖的な経営を行っていました。理由は単純で、私一人の力でどうとでもできる、と思い込んでいたからです。』


「……ん?」


 これは彪奈の手落ちだろうか?スピーチの組み立てが、彼女のいつもの展開とは異なっている。

 彪奈は見ず知らずの相手に、ましてや不特定多数に自身の「弱み」をさらけ出すような真似はしなかった。

 それにまつわる経営の間違いを認めることになり、ひいては会社自体が舐められることになるからだ。

 しかし現に彼女は明らかにその禁忌を犯している。いったいここからどうしようと言うのか、古舘には想像もつかなかった。


『私には今年高校生になった娘がいまして。実は最近までその関係はあまり良いものではなかったんです。』


「なっ……」


 突然自分のことを話題に出され、古舘は思わず音をたてて立ち上がりそうになってしまった。

 笑顔は剥がれ落ち、衝撃の表情が表に出てきている。


『しかしつい先日、その娘が友人を連れて大阪まで帰って来まして。その内の一人の子が本当に賢い子で、諭されてしまったんですよ。「もっと娘さんとお話すべきだ」と。』


 初耳である。

 それを言った方はどちらか、古舘はすぐに見当がついたものの、まさかそこまで古舘らの家族関係を憂いてくれているとは思っていなかった。

 古舘だけにではなく、彪奈にまで言い含めていたらしい。古舘はまんまと、知らないところで外堀を埋められてしまったのだった。


『そうです。私は初めから、何一つ自分ではできなかった。会社の設立も、経営も、業務展開も何もかも、たった一人の娘がいたから成し遂げられたことです。』


『そこから目を逸らしている内は何も変わりはしない。耳を塞ぎ目を閉じることが、人生の荒波への抗いとはなり得ない。目を開き耳を傾けること。それこそが肝要なのです。』


『この集まりに参加してくださっている皆さまは、そのことを既にご存知だった方々なのでしょう。そんな皆さまに、お願いしたいことがございます。』


 サッと彪奈の上体が倒され、彼女は堂々としたお辞儀をして見せた。


『――この無知な私に……どんなことでもいい、たくさんのことを教えてください。商売に役に立つものでも、立たないものでも、なんでもいいんです。』


 会場にざわめきが起こり、次々に壇上へと指をさす。

 そんな指の先にいる彪奈が、下げていた頭を再度上げ、その会場に蔓延している困惑のざわめきを目線だけで消し去った。


「……」


『私はもう、見ないふりをすることも、聞こえないふりをすることもしません。皆さまの声を切実にお聞きし、それら全てを自らの糧にして前進していきます。皆さまもどうか、今日のこの交流会をそのように使っていただきたい。この言葉を以て、私からの挨拶とさせていただきます。』


 毅然とした表情で下がる彪奈は、とても清々しい顔をしているように見えた。

 ここ数年来、長年見たことのなかった彪奈の母親としての顔。それは古舘にとって既に朽ちた思い出のはずだった。


「……粧奈ちゃん?」


「……」


 あとから切り出そうとして、ずっと話し合っていなかったこと。とうとうそれについて話すときがきたのかもしれない。

 ここまでお膳立てされては、仕方がないだろう。


「……なぁ、原田さん。」


「なんやねんな。」


 古舘は一呼吸おいて、原田の目を見て言った。


 

「――ウチがこの会社、継がへん言うたらどないする?」


 ◇◇◇


 パーティーが終わると、先程までの賑やかさが嘘のように、ホールの中は閑散としていた。

 空になった皿をスタッフが片付けている中、各方面への挨拶を済ませた古舘はもう一度ここへ戻ってくる。


「オカンー。」


「……言葉遣いには気をつけなさいと言っているでしょう。」


「ええやんか、誰もおらんねんし。」


 古舘は敢えて砕けた様子で接している。

 今からするのは家族の話だ。ビジネス的な上下関係は必要ではない。


「まぁいいでしょう。私から話があります。」


「奇遇やな、ウチもや。」


「お互いこれまで話す機会すらありませんでしたしね。」


「そりゃあ、数年前から親子喧嘩したまんまやもん。」


「それは……とりあえず、あなたの話から聞きましょう。」


 具合が悪そうに、彪奈は話題を逸らすのと本題に入るのとを同時に達成する。古舘からの嫌味をマトモに貰って傷つき、それでいて受け流している。


「ウチ、やっぱりこの会社は継がへん。」


「理由は?」


「オカンが一番ようわかっとるんとちゃうん?こんな汚い商売なんかしたないわ。」


 先ほどの親子喧嘩にも通ずる答えに、彪奈はまた具合を悪そうにする。今度は本題として切り出したがために、彼女もついに目を逸らすことはできなくなってしまった。


「……この世界で綺麗なままでいようとするのは、あまりにも無謀です。」


「やから嫌や言うとんねん。オカンは会社継げ継げ言うけど、ウチはこんな拝金主義の成金企業やるなんてまっぴらごめんや。」


「あなたに何が……」


「わかるんかって?わからんよ。でもオカンだってわからんか?会社いうデカい鎖に縛られて生きていかなアカン、ウチのちっぽけな人生とかさ?」


「……」


「だんまり決め込むいうことは、わかっとんのやろ?わかった上で、それでも会社継げって、そう言っとるんやんな?」


「……そうです。」


 非常に心苦しい、という顔でいながらも、一向に意見を曲げようとはしない。

 予想通りの偏屈さに業腹だが、ここで騒ぎ立て詰め寄り、せっかくの話し合いの機会を不意にするほど、古舘は戸国に対して不義理ではなかった。


 しかしここで、彪奈の表情は急変する。


「私からの話はこうです。あなたの大学を決めました。今後はそこに受かるために勉学に努めなさい。」


「なっ……!?」


「これは決定事項です。そこで会社運営のための知識を学び、三年の遅れを取り戻しなさい。」


 戸惑う古舘に、彪奈は畳み掛けるように言いたいことを全て言い放つ。


「ま、待ってや。進路については口出さへんいう約束やったんちゃうん?」


「あなたが勝手に言っていただけでしょう。それに一度、あなたのワガママをきいて高校は選ばせてあげたのですから、今回は大人しく従ってください。」


「なっ……なんで親にウチの将来のこと決められなアカンねん!」


「――あなたが私の娘だからですよ。」


 堂々と言い放つその顔に、一切の容赦はない。

 その人生を全て会社のために費やしてきた純然たる商売人は、その娘にも同じ生き方を要求した。


「……納得、できるかいな。」


「当然のことでしょう。ですが私たちはこうして、一度面と向かって話をすべきでした。この場で答えが出せなくとも、お互いに……」


「面と向かって?話し合い?……はっ、アホらし。蓋を開けてみたらいつもと変わらんやんか。オカンがこうしろああしろ言うて、口答えしたらウチのためや言うて……ウチももう子供やないねん。ウチは自分のために生きていく。オカンはもう干渉せんといてや。」


 古舘の人生に、彪奈の入る余地はない。

 いったい古舘がいつ、このように窮屈で退屈なこの道で生きていきたいの願ったというのか。

 自分は、自分が願うままに生きていきたい。


「……よう言うわ。」


 しかしそんな願いを持つには、古舘はまだ幼かったのかもしれない。


「――そこまで言うんなら、今まで散々会社の名前使て好き勝手したツケは、払ってくれるんやろな?」


「……」


 彪奈を覆っていた敬語の鎧が打ち砕かれ、抑えきれなくなった怒りがふつふつと見え隠れする。

 そんな彪奈から投げかけられたたった一問に、古舘はいとも簡単になにも言い返すことができなくなってしまった。


「アンタ昔、会社名義で探偵会社使っとったらしいやんか。もっと調べてみたらなんや、ただの子供の喧嘩やんけ。そんなことのためにウチはこの会社をここまで大きくしたわけとちゃう!」


「そんなこと……ウチにとったら、そんなことやない。」


「そこを責めてるんとちゃうねん!アンタがロクに貸し借りの精算もせずに、一人前みたいなこと言うとることに怒っとんのわからんのか!?」


「じゃあどうしろ言うねん!」


「初めから言うとる!!」


 互いが敵のように睨みつけ合う。彪奈の一言が空っぽのホールに空虚な残響を残した。

 憎々しげに奥歯を噛む古舘に、あくまで毅然と立ちはだかる彪奈は、親が子に言い聞かせる声色で続けた。


「……アンタには、無理や。」


「……え?」


 もはや憐れみすらも感じさせる優しさが、古舘の胸をつんざいた。

 古舘はなにも言い返せない。これは確かに自分が犯した罪であり、彪奈が請求すべき順当なツケの対価だからだ。


「アンタには出来へん。それはアンタの力不足もあるけど、アンタが作った借りはデカすぎる。あの不祥事のせいで、ウチは危うく会社丸ごと潰すことになるかもしれんかった。」


「……ごめん、なさい。」


「謝罪はいらん……責任さえとってくれればそれでええんや。」


「そ、それは嫌や……」


「腹くくらんかいボケ!」


「ひぅっ……」


 悔しい、苦しい、耐え難い、恐ろしい……

 まるで子供のように震え上がり涙を浮かべるしかない古舘に、拒否権などあるはずもない。

 沈黙で答えようとも彪奈がそれで満足するはずもなく、望みの答えを直接聞くまで、じっとこちらを見据えている。


「もう一度聞きます。目を逸らさず、耳を塞がずに聞きなさい。大学は私が選んだ場所へ行くこと。それからこの会社を継いで幸せになりなさい。……わかりましたか?」


「……はい、お母さん。」


「……ありがとう、ごめんなさいね。」


 そう言って背を向けると、彪奈は古舘の方を振り返ることもなくホールから出て行った。

 静かで明るい部屋の中に靴音が響き、そして部屋の扉が閉まったあと――


「……クソっ」


 少女の密かに咽び泣く声だけが、広いホールの中に溶けていくばかりだった。

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