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歴史とラッシーと碧い宝石


「なんというか、私たち本当に大阪にいたんだねぇ。」


 旅行誌を眺めながら、カウンターの向こうに立つ浮はそう呟いた。

 私もそれに大いに共感する。


「そこまで遠くに行ったっていう自覚出ないよね。」


「そうそう!でもこの景色なんて実際見たわけだしね私たち。」


 浮が撮った大阪城の天守閣の写真を見せて、浮は興奮しながら話していた。


「とはいえまぁ、無事に帰って来れて良かったよ。それに……」


 彼女が持っているスマホ。

 旅行の二日目に存在が行方不明となったあのスマホは、今は何事も無かったかのように彼女の手に収まっている。


「……あはは、これは……ごめんなさい。」


「いいって。見つかって良かった。」


 というのも、花火を見終わって家路に着いた後。

 浮はバーテンダーさんにも事情を説明した後に服を洗濯機に入れようと取り出した。


「一日目の服のポケットに、スマホ入れっぱなしだったんだよねぇ。」


  そういうことである。

 つまりあれだけ心配していたのは完全な杞憂ということだ。それに気づくのがもっと早ければ、私も恥を晒さずに済んだわけだが……うん、やめよう。考えるな。


「ま、浮はドジだからね。」


「うーん、面目ない。」


「見つけられなかった私も大概だけどね。」


 そう言って話を締めくくった私は、ひとまず目の前の課題に集中する。

 課題というのは、そのままの意味で課題だ。

 学校で提出しなければならない課題を、今このバーに持ち込んでやらせてもらっている。


「む、難しそう……」


「そうでもないよ。これ暗記問題だから。」


 現在私がやっているのは日本史。

 飛鳥、奈良時代当たりの範囲で、字面こそゴチャゴチャしているけど、覚えてしまっていれば造作もない。


「えー?私分かんないよ?たまむし……なんとか、こ?」


「玉虫厨子。法隆寺かどっかで保管されてる国宝の名前だったと思う。」


 あくまでテスト対策だし詳細は覚えていない。

 飛鳥時代を象徴する文化財の一つであり、タマムシの羽を装飾として使用していることからこのなった名がつけられた……っていうのを授業で言ってたっけか。


「尋ちゃんってもしかして歴史博士なの……!?」


「バレたか。」


「ふぉぉぉ!すごぉぉい!」


 ふむ、勉強はテストのためだけにしていたつもりだったが……こういう使い道もあるならそう悪くもないか。


「ふふふ、もっとチヤホヤして――」


「そうだ!じゃあカクテルの歴史についても尋ちゃんは詳しいのかな?」


「それはズルいだろ……」


 せっかく有頂天にまでアガっていた気分が急激に冷え込み、その分野の門外漢の私は目を逸らすしかなかった。


「えへへー、カクテル博士は私だね。」


「……いや、なんかこのまま認めるのは癪だな。」


「えぇー?」


 別に私が浮よりカクテルについて詳しいと言いたいわけではないが、特に理由もない反骨精神に火がついた。

 噛み砕いて言えば、言論でのじゃれ合いへ誘ったに過ぎない。


「浮が博士っていうんなら……そうだ、授業してよ。カクテルの歴史について。」


「授業?」


「うん。そこまで言うんなら、こんな私でも分かりやすーく教えてくれるんだろうなーって。ね、加萩博士?」


「……望むところだよ!」


 私の挑発的な微笑に、これまた笑顔で返す浮。

 こうしてここに、カクテル史についての授業が始まったのだった。


 ◇◇◇


「……何から話せばいいのかな?」


「そこから?」


 知識だけで授業は作れない。

 長い間学校とは縁のなかった浮にとって、授業のやり方なんて知る由もないことだ。

 故にこうして授業をするに当たって戸惑う彼女の様子は当然のこと。私も失念してしまっていた。


「じゃあ私から質問する。はい。」


「ありがと!こほん……む、尋ちゃん。何かね?」


 髭を撫でてしわがれた声の、なんともそれらしい博士になりきる浮に、私はあげた手を降ろして言った。


「まず、カクテルはどこで産まれたんですか?」


「むむ!そこに目をつけるとは!尋ちゃんは鋭いねぇ。」


 歴史を語る上で、発祥地に目をつけることは特段不思議でもなんでもないと思うのだが……


「ずばりお答えしましょう。カクテルの発祥地、それは……」


「それは……?」


 適当に質問したとはいえ、素直に知りたいという気持ちもあるので、私は少し身を乗り出すようにして続きをせがむ。

 そして浮は、ためにためて、言い放った。


「……分かりません!」


 まさかの初手即敗である。お前もう船降りろ。


「ちょ、何その目!違うよ!分からないっていうのはいわゆる……諸説あります、みたいな感じ!」


「じゃあカクテルの起源は、ハッキリとは分かってないってこと?」


「そういうこと!昔のヨーロッパではワイン、昔のエジプトではビールに、それぞれ何らかの副材料を入れて飲用されてたことが分かってるよ!どっちかからそういう飲み方が伝わったのか、はたまたどっちも自分でやり始めたのか、それについては分からないけど。」


「なるほど……じゃあやっぱりアジアなんかには後からそういうのが伝わってきたわけだ。」


「それもどうかな?昔の中国ではワインと馬のミルクを混ぜて飲んでたとも言われてるし、インドのラッシーっていうドリンクは紀元前千年から飲まれてた……ってこの前本で見たしね。」


「へぇ……」


 普通に詳しいなこいつ……

 もうこれ博士でいいんじゃないかな……


「――おやおや、何の話をしてるのかと思えば。」


「バーテンダーさん。」


 先程まで電話で席を外していたバーテンダーさんが戻ってくると、浮は幾分か安心するように胸をなで下ろした。


「良かったぁ……私が一人でここに立つのはまだ早いよぉ。」


「はっはっは。一流のバーメイドになるんなら、これくらいはやってもらわないとなぁ。」


 これもバーメイドとしての授業の一環ということなのだろう。浮も緊張はしながらも満更では無さそうだったし、バーテンダーさんは良い先生だ。


「それにしても……戸国さんもカクテルの歴史にご興味が?」


「あぁいえ、私は飲むだけで十分です。これは話の成り行きで教えてもらうことになりまして。」


「なるほど。浮はこの手の話題になると止まりませんからね。少し早口で喋るところなんか、大層可愛らしいものです。」


「なんか恥ずかしいからやめてよっ!」


「大丈夫。私も小説についてなら二十四時間話せる。」


 三時間ほどなら実際に古舘に布教し続けた実績もある。

 三日間くらい向こうから話しかけてくる頻度は激減したけど。


「そうだ、せっかくだしその発祥のカクテル……ワインもビールも無理だから……ラッシー。ラッシー頼めたりします?」


「問題ありませんよ。お作りしますか?」


「お願いします。話を聞いて少し好奇心が湧いてきちゃいました。」


 紀元前千年から伝わる由緒あるカクテル。

 せっかく飲み物の専門家がいるのだから、作ってもらわないのも勿体ないというものだ。

 私はバーテンダーさんにお願いして、ラッシーを作ってもらうことにした。


「プレーンラッシー以外にも、マンゴーラッシーや紅葉ラッシーなど、様々な派生がありますがどうしましょう?」


「まずはプレーンでお願いします。飲んだことないものなので、初めは無難にいきたいなと。」


「かしこまりました。」


 早速バーテンダーさんは器具や材料を揃えていった。


「牛乳、砂糖、塩、レモン、そしてヨーグルトですか……」


「えぇ。本来はダヒーと呼ばれるインド独自の発酵乳を使うのですが、さすがにそこまでの持ち合わせは無く……」


「ヨーグルトある時点でなかなかだと思いますけどね……」


 バーとはドリンクを売っている場所ではなかったか。

 そういえばこの前、「ココアも言えば出してくれると思うよ」みたいなことを、浮が言っていた気がする。

 ヨーグルトだけでなく、ココアパウダーなんかもここには置いてあるらしいのだ。


「じゃあカウンターはおじいちゃんに返すね。約束通り、明日までにウォッカの銘柄覚えないとだから!」


「え何その約束。」


 そんな尋常じゃないようなこと約束してたの?

 お酒の銘柄って、それこそ数え切れないほどある上に、外国語で覚えづらそうな感じあるけど……


「あぁ、覚えられたら一緒に外食しに行く約束なんです。やる気もあがって一石二鳥でしょう。」


「食い意地張ってんなぁ……」


「いやはや、そこもまた可愛らしいところです。」


 テキパキとした洗練された動きをしながら、孫を甘々と溺愛していることが伝わる言動をのたまう。

 この人、浮が独立してから寂しさで死ぬんじゃないか?


 ドアベルがチリンと、鳴った。


「……んぉ、お前らか。」


「いらっしゃったんですね先生。いつも会う時間よりも随分遅いみたいですが。」


「大人には子供にゃ分からん苦労があんだよ。残業とか残業とか残業とか。」


「そこまで仕事貯めてる先生が悪いと思いますけどね。」


「しゃーねーだろ……クラブ活動に熱心な奴に頼み込まれちまったもんだからよぉ……」


 それでこんな時間まで?生徒側も大丈夫なのか?


「そんなことよりさ。見ろよこれ、さっき店ん前で見っけたんだよ。」


「はぁ?何か変なもん拾って来てるんじゃ――」


 まるで少年のように無邪気に笑う先生に首を傾げながら、私はその手に握られているものを目にしてしまった。


「ヒャッ!?」


「じゃーん、タマムシ!どう?かっこよくね?」


 少年というよりガキだった。


「離れてください。虫無理です。」


「あれ、そうなの?いやでもタマムシだぞ?歴史の授業でもやったろ?確か……」


 先生が先日の授業を思い出そうと、視線を上に向けたそのときのことだった。

 タマムシは機を得たとばかりに暴れ狂い、先生の手の束縛から脱出したのだ。


「あああああああああああああああああああああああ」


 私の耳元を掠め、背筋がぞくりとするような羽音を聞かせながら、タマムシは天井近くへと飛翔した。

 光沢感のあるその悪魔は、私たちの頭上を旋回している。


「なっ、は!?ちょ、せんっ……はぁ!?」


「おや、せっかく今出来たところなのに。」


「私が捕まえるよ!」


 カウンターから出てきていた浮は、現場から少し離れた場所から助走をつけて、天井のタマムシ目掛けて飛び上がった。

 常人では届かないくらいの高さであるが、なんと浮はそれを超越するほどの跳躍力で、その手の先を届かせることに成功する。


 おお!やったか!?


「――あ」


 不吉な声が漏れた。


 タマムシは確かに浮の手の先へと触れた。しかしそれはなんとか触れることができる程度であり、捕まえることが出来るかと言われるとそれは難しい。

 そのため浮は、触れたタマムシを叩き落とすくらいが精一杯だったのだ。


 そして落ちたタマムシは照明の光に照らされて、宝石のような光沢を放ちながら、ある一点に吸い込まれるかのように落下していく。

 そのある一点、というのが――


「あ……」


 今しがた完成してカウンターに置かれていた、綺麗な乳白色のラッシーの上に、緑の宝石がトッピングされた瞬間だった。


「……」「……」「……」「……」


 その場にいる者は全員沈黙する。

 タマムシはそれからしばらくも生きていたようで、ドロリとした白い沼の中で幾ばくか足掻いていたが……やがてゆっくりと動かなくなっていった。


 浮を見ると泣きそうになっていたので、私は先生の目を見つめた。見つめ続けた。


「……ほら、あれだ。夏休み前に歴史の授業でやった――玉虫ラ子。」


「……」


「……ごめんなさい。」


 その晩、課題は終わらなかったし先生は今月中出禁となった。

面白ければぜひ


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