苦しそうな面
ある種の諦観のようなものが戸国の胸中に、ストンと腑に落ちるように収まる。
ロッカーの中が空っぽである以上、もはやスマホを探し出せる見込みなど存在しない。
「……合わせる顔もないや。」
二人と別れたときにあれだけ大口を叩いておいて、何の成果も得られなかったとあれば、二人が許しても私が許せない。
やっぱり私が人助けなんて、思い上がるのも甚だしいことだったのだ。
自分を責める声が頭の中に渦巻いて、瞳を閉じるとその向こうに見覚えのある少女の姿が浮かぶ。
『馬鹿で屑で、のろまでキモくて、人に迷惑ばっかりかけて恥知らずで、常識がなくて不快な思いをばらまいて……』
かつて言われた言葉だ。
私の唯一の友人。これまでも、これからも。
『本当にどうしようもなくて、救いようもなくて、足掻くだけ無駄で、何をしても失敗して……』
そんな彼女の手がこちらへ伸びてきて、そして抱きしめる。
私は彼女の腕の中に包み込まれている。
『――それでも、アタシだけは味方だから。』
気がつくと、私は涙を流しながらその場にうずくまっていた。
「……ダメだ、私。」
きっと誰の役にも立てない。
周りの人達が優しいから誤解していただけで、戸国は与えられてばかりなのだ。
自分も二人と肩を並べていられてると、そう誤解して、調子づいて、そしてこのザマである。
今まで必死に浮のことを助けようとしたのも、本当はそのことに気がついていたからなのかもしれない。
借りを返さなければ、恩を返さなければ、それすら出来ない私が隣に立つ資格なんてない。
『友達』だなんて、名乗っていいはずがない。
「……戸国さん?」
破裂せんとばかりに心臓が飛び跳ね、私は私の名前を呼びかけられた。
その声の主は誰なのか、直接見なくても分かった。
「古舘……さん。」
「だ、大丈夫ですか?どこか具合が?」
「い、いえ……問題ありません。少し寝不足で。」
「なら冗談抜きに今すぐ眠った方がいいと思いますが。」
「十分休みましたから。」
呼吸を整えながら私は立ち上がり、バツの悪さを誤魔化すために周囲を見渡す。
やはり人のいる様子はなく、私と古舘母以外にはいないようだった。
「そんなことより、ここにスマホはありませんでした。ホテルに無い以上、探すのは大阪城からここまでの道、またはここから道頓堀までの道、そしてそこで使用していた電車で――」
「戸国さん、分かりましたから。……あなたは一度、部屋に戻ってお休みになってください。」
「……はい?」
意味が分からない。
今すぐ探し出さなければ、スマホを見つけて浮を助けてやらなければ。
そうしなければいけないのに、なぜ今休むという選択肢が出てくるのだ。
「……あ」
そうか、簡単なことだ。
私は邪魔だったのだ。
何も出来ないくせにしゃしゃり出て、あまつさえ彼女らと友達になれるだなんて思い上がっている私を、彼女は言外に「邪魔だ」と言ってくれたのだ。
「……そうですよね。私なんかがいても変わらないですし。」
「はい?何がです?」
「わざわざ自分の口から言いたくはありません。……ごめんなさい。」
「え、ちょっと――」
「娘さんに連絡をいれてください。見つからなかった……って。」
きっと彼女たちは笑って許してくれるだろう。
もしかすると古舘は、私の気持ちを察してからかってきたりするかもしれないが、そうなってしまったとき私は絶対、死んでしまいたくなっていると思う。
「私は部屋で休んでおきます。二人には私抜きで花火を見に行くよう言ってください。」
「ちょっと、話はまだ……」
古舘母はその場を去ろうとする私を引き留めようと、私の肩を掴んで引き寄せた。
しかしその次の言葉が出なかったのは、そのときの私の顔が、酷く醜い泣き顔だったからに違いない。
「……ここまで付き合わせちゃって、ごめんなさい。」
私は大股でその場を後にした。
◇◇◇
窓の外はすっかり日が暮れており、電気もついていない室内はすっかり暗くなっている。
何をするにも億劫で、スマホさえ開きたくない私は、つまらないテレビ番組をぼんやりと眺めている他なかった。
[――こんにちは。ニュース1845のお時間です。]
名前はおそらく時刻を表しているのだろう。十八時四十五分といえば、あと十五分ほどで花火があがるはずだ。
……二人はもう、会場に着いている頃合だろうか。
「とぼけてんじゃ、ねぇよ……」
拳を自分の脚に叩きつける。鈍い痛みがズシンと骨に伝わり、後からじんわりと熱を持ち始めた。
冷静になって考えてみれば分かる。
私はなんとまぁ面倒臭いことを言ってしまったのだ。
あの状況で寝不足だなんて、まず信じるような人はいない。
それにあんな言い方。あんなのはもはや「私に気をつかってくれ」と言っているようなものだ。
だからきっと、あの二人は……
「――戸国、入ってええか?」
やっぱり、私を置いて行ってはくれなかった。
せめてもの体裁を保つため、私はできるだけ普通に取り繕って「いいよ」と言い返す。
扉がゆっくりと開いて、そこから古舘が入ってきた。
「……花火は。」
「そんなんどうでもええ。戸国の具合悪い言うとんねんから、そっちのが大事や。」
「言うと思った。」
「ありゃま、さすがに在り来りなセリフ過ぎた?本音は戸国の弱ってるところをからかってやろう思て来てん。」
「それも。」
「マジかぁ……」
こちらが馬鹿馬鹿しくなるような態度も、ひょうきんな口ぶりも、私に気を使わせないようにするための彼女なりの配慮だ。
それを理解し、一層気が重くなる。
「……浮は?」
そこでふと気がついたのは浮の存在だ。
てっきり彼女も古舘と一緒にこちらへ来るものだと思っていたのだが。
「ちょいとおつかいを頼んでんねん。楽しみにしときや。」
「……」
そんな気分にさらさらなれそうにもない。
私は無言で立ち上がると、今朝読書をしていたベランダに出た。
「ちょいちょい、ナイーブな気持ちになんのは分かるけど、な?せっかくの旅行なんやしもっと明るく行こうや。」
「……ごめん。」
「んや、謝られてもなぁ……」
複数あるイスの内の一つに私が座ると、その向かい側に古舘が座る。
夏の蒸し暑さを孕んだ風が、ふわりと私たちの髪を撫でた。
「……スマホに関しては、言うて浮ちゃんもそんな気にしてないっぽいで?それよりも戸国のこと、オカンから聞いて心配しとったわ。」
「それは……良かった、けど。」
そういうことではない。
これは二人ではなくて、私の問題だ。私がどう思うかが問題なのだ。
しかしこれをそのまま口にしたところで、かえって彼女らに面倒に思われてしまうだけに過ぎない。
「言うて誰も気にしてへんて。だってウチら友達やんか、な?」
「違うよ。友達なんかじゃない。」
馬鹿、やめろ。
「まーた意地張っちゃって。ウチら今まで仲良しでやってきたやんか。な?」
「そんなことない。私から仲良くして欲しいなんて言ってない。」
口を閉じろ、これ以上私は私を嫌いたくない。
「ウチが、戸国と仲良くしたいって――」
「嫌だって言ってんのが分かんないの!?」
……嗚呼、もう終わりだ。
「何回言ったら分かんの!?私は嫌いだって!大嫌いだって!何回も言った!何回も!友達?何それ?要らないんだよ!」
口から溢れてくるのは虚言ばっかりだ。
そんなこと思っていない。そんなこと感じちゃいない。
なのに今まで張り付けてきた虚勢と、醜悪に肥え太った意地が、私の口を止めさせてくれない。
「私がいたら……迷惑なんでしょ?邪魔なんでしょ?鬱陶しくて、面倒で、気持ち悪くて感じ悪くて卑怯で最低で!……もう良いよ、気を遣わないでよ。慰めようとしないで……一人に、してよ……」
自己否定に陶酔し、あげく他人にその否定を否定させようとする。
私は私が好きだ。
そして、そんな私が、私は大嫌いだ。
「……阿呆。」
古舘もとうとう愛想を尽かせたか、そう自嘲げに私は顔をあげる。
そこに迫っていたのは古舘渾身のデコピンだった。
「あでっ」
「そんなん分かっとんねん。誰がアンタのために友達なんかなるか。」
言葉通り受け取れば、それは確かに私の望んでいた答えだった。
私を捨てて、私を徹底的に貶めて欲しかった。
「……なんで?」
でも、そこにあったのは冷淡な視線でも、愚か者に対する蔑視でもなかった。
表情を見れば分かる。
彼女はまだ、私の友達であろうとしていた。
「あんなぁ、戸国が友達作りたない言うとったんも知ってる。一人のが良い言うんも、耳にタコが出来るくらい聞いたわそんなもん。」
「なら――」
「でもな戸国。そんな苦しそうな面で言わんといてや。」
私の心を切り開くように、古舘はまっすぐに私を見据えた。
「どんだけキツい言葉で突き放されても……どんだけキツい腹パン入れられても……そんな顔されとったら、放っとくに放っとけへんやろ。」
ぽたりと、机の上に二粒の水滴が零れ落ちた。
頬に伝っていたそれらの正体は、もはや考えずとも分かってしまう。
「ちがっ……これは……」
「嬉し涙か?ほんならさしずめ、ウチの必死の説得によって友情に目覚めたハートフルストーリーになってまうけど?」
抑えようとしてもどんどん溢れてくる涙を拭っていく。
言葉は喉の奥で嗚咽に先を越され、何も言うことが出来ずに涙を拭っていた。
「――尋ちゃんっ!!」
だから、後ろからいきなり抱きつかれて驚いてしまうほど注意散漫だったのも、至極当然のことだろう。
「ぶふ!?」
「うわ鼻水。」
しっかりと指摘されて私は羞恥を覚える。
懐から取り出したポケットティッシュを乱雑につまみ取ると、すぐさま拭き取ってクシャクシャにした。
「尋ちゃん落ち込んでるんでしょ?はいこれ!」
浮は手に持っていた箱のようなものを机に置いた。
涙も止まった私はそれを見る。
「……ドーナッツじゃん。」
「落ち込んでるときは腹ごしらえだよ!」
……私はある意味彼女らしい励まし方に、なんと言おうか迷うばかりだった。
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