寝顔見られたくないし
「待っ――」
伸ばした右手が空を切り、私は目を覚ました。
部屋にかけられている時計の、秒針の音が響き渡っている。
「……」
二人はまだ眠ったままらしい。黙っていれば美麗な顔の古舘と、黙っていても滲み出る子犬っぽい愛くるしさの浮の様子を確認し、とりあえず一安心する。
私の寝言で起きた、だなんてことが起こった暁には、恥ずかしすぎてそいつとは絶交せざるを得なくなるからな。
「ふぁ……」
とはいえ二人は私に気がつくことなく、実に心地よさそうにスヤスヤ眠っている。私が一番早く起きたのか。
「……顔洗ってこよ。」
たった一人、この場でじっとしているのも退屈だ。私はゆっくりと布団から抜け出し洗面所へと向かった。
洗面所は浴室の中に設置されており、外の景色を堪能してください、と壁一面にガラスが張られている。その光景も中々の物だ。
まだ日が昇る少し前の薄らと明るい空に、その下で眠り高層ビル建ち並ぶ都市風景に、昨日とは違う静かな大阪の朝に……私は感嘆した。
「……まぁ、それでも入るなら露天風呂なのが悲しいよなぁ。」
昨日の露天風呂はとても良かった。広くて、見た目も良くて、何より静かで……
……一人で入りたかったかもしれないな。
「……あ、そうだ。」
一人で入ってしまうか。さすがに今から下の大浴場には行けないが、ここで済ませる分には問題ない。どうせこの部屋着もすぐに着替えるのだから、せっかくだしひとっぷろ浴びたとしても文句は言われないだろう。
そうと決まれば、早速お湯を張るとする。
「えーっと……家みたいに給湯器では入れられないのか。こっちの蛇口で……」
風呂の栓を閉めて蛇口を開く。そこから滝のように流れ出したお湯は、浴槽の中にどんどんと溜まっていった。
よしよし、これでしばらく待てば入れるようになるだろう。
もはやついでとして顔を洗い、お湯張りの仕事を終えた私は寝室へと戻っていった。
「朝の五時半……」
私が浴室から戻り、時計を確認したときの時刻である。尋よ、いくらなんでも早起きしすぎだろう。
いったいこの空いた時間をどうやって過ごすというのだ。
「……迷うまでも無いか。」
荷物をまとめてある所から本を取り出した私は、早速この前読んでいた箇所を開いて読み直した。
……暗いな。
「スマホ……」
ポケットをまさぐってスマホを手に取り、ライトをつけて文字を読む。紙面はハッキリと見えるようになったが、片手が使えないのはいささか不便だな……
とはいえ部屋の電気をつけるとなると、後ろで寝ている二人にも申し訳ないしな。どこか明るいところはないだろうか……
「あ、ベランダ出れるじゃん。」
未だ太陽は昇りきっていないとはいえ、外は十分に文字が読める程度の明るさだ。なんなら暑くない分昼間よりもお得とまで言える。
私はベランダへの窓を開けて外に出て、二人を起こさないよう慎重にそれを閉めた。
ベランダには椅子が二つ、机が一つ置かれていた。おあつらえ向きな物を用意してくれていたホテルの人たちに感謝しつつ、私はそこに腰掛けてまた本を開いた。
そして今度こそ、誰にも邪魔されないまま読書を再開したのだった。
◇◇◇
それから数時間が経ち、太陽も顔を出して暑くなってきた頃。何の前触れもなくベランダの窓が開いた。
「ん、戸国……なんでこんなとこおるん?」
「別に……本読んでただけ。どっかの誰かが呑気に寝てるから、起こすのも可哀想だと思っただけだよ。」
「戸国……そないウチに気ぃ回してくれて……」
「あ、浮のことね。勘違いやめて。」
そう梯子を外すも古舘がめげることはなく、生温いような視線をこちらに向けながらクネクネと擦り寄ってくるばかりである。
「なぁなぁー、なんかして遊ぼうやー。」
「朝から元気だな……そうだ、これ貸してあげようか?」
「いや、それはちょっと。朝から胃もたれしそうになるから遠慮しとくわ。」
「なんだそれ。」
私からすれば、お前のそのテンション感が既に胃もたれレベルなんだけどな。
「じゃあ適当にスマホでも触っときなよ。インスタ、青鳥、アイチューブ。この三つがあればいけるでしょ。」
「実は昨日、ハジュンくんがインスタのライブやっててな?それ見るためにこっそり起きとったら寝落ちしちゃっててんなぁ……そんで今バッテリー切れとるねん。スマホは使えへん。」
「自業自得じゃん。そんなことのツケで電気代傘増しされたホテル側の気持ち考えてんの?」
「え、これってそこまでの規模で責められることなん?」
「あーあ、ホテルの人かわいそ。これで生じた数百円の被害が倒産の危機に傾くかもしれないのになぁー。」
「ほぼ無くない?」
いつもの意趣返しのつもりで、私からも古舘に鬱陶しい絡み方をする。さすがの古舘も寝起きでこれはキツかったらしく、特にからかい返してきたりすることもなく肩をすくめた。
「まぁええわ。とりま顔でも洗って来るな。」
「はいはい、いってらっしゃ――」
適当に送り出そうと本に目を落としながらそう言いかけた私は、そういえばと浴室でのことを思い出した。
「……あ、まずい。」
「ん?なんかあったんか?」
思わず発した私の一言に古舘が反応する。しかしここで古舘に言う訳にはいかない。
……先ほどまで無駄使いだのなんだの馬鹿にしていた私が、とんだブーメランを投げてしまったものだ。
「あー……ほら、トイレとか行きたくない?」
「行きたくないけど?」
「ぐっ……」
ダメだ、苦しすぎる。せめてもっと自然と誘導出来るような気の引き方をしないと……
「そ、そうだ古舘。どうしたら男の人にモテるか教えてくれない?そのー……そう、最近好きな人が出来たんだよね。」
「……ぇ?」
「あ、いやじょうだ――」
古舘の表情が一変し、危険を察知した私はその言葉を取り消そうとしたが、その前にガッシリと肩を掴まれてしまった。
「どどどど何処の馬の骨や!?ウチの戸国を誑かした男は!!」
「古舘の戸国ではないが?」
「良いから答えてみぃ!クラス一のモテ男の池か?真面目クールな帆高先輩か?それとも戸国が唯一接点ある教師のゆるおぢかぁぁぁぁあ!?」
これはしばらくまともに取り合ってくれなさそうだ。問題をはぐらかそうとしたあまり、余計な面倒を招いてしまったようだ……
「ちょ待って。一回落ち着くわ……うん、とりま目ぇ覚ますために顔洗ってくるな?」
「いや待って待って。今じゃなきゃダメ。」
「そんな?一分とかからんねんで?」
「ダメだよ。その……こう……この感情、抑えきれない……みたいな?」
何言ってんだ私ぃぃ!こんなベタな少女漫画みたいなセリフ、ふざけてると思われても当然だぞ!?終わった、嘘がバレる……
「ふわぁぁぁぁあわわわわわわわわわ!!」
……いや、こいつ萌えてるぞ。馬鹿?
「わ、分かった。そこまで困ってるんやったら力貸したる。」
「あ、ありがと……」
色々ボロは出してしまったが、風呂の方はひとまず安心か?ともすれば、次に対処しなければならないのは恋愛の虚偽申告についてだ。
「とりあえず、相手を聞かせてもらってもよろしいか?」
古舘は前のめりになって私の顔を見る。
どうする?恋の話なんて、マトモな人間に恋したことない私に出来るはずないだろ。大庭葉蔵の話で良いなら無限に出来るが、それだと古舘もすぐに呆れて風呂場に直行するに違いない。
逆にとにかく古舘の隙をつき、自然な感じで私のみが浴室へと向かうことが出来れば、きっと後はどうとでもなる。そういうふうに会話を誘導すれば私の勝ちだ。
「……実は、古舘が寝てる間に少し外を出歩いてたんだけど、そのときに通りかかった人がさ。」
「え?え?じゃあ一目惚れってこと?ちょっと待って!まだおるかな!?見てくる!ちょっと待っといて!」
つい先程起きてばかりとは思えない。やかましく音を立てて立ち上がると、古舘は急いで部屋を出て行った。
しめた!今の内に……!
私も早足で部屋の中の浴室にまで向かい、扉を開けた。
「うっわぁ……」
予想通り浴槽からはお湯が溢れだしており、浴室の床一面は大洪水となっていた。室内に足を踏み入れると暖かい。
ふぅ、これはなかなか温かい……じゃなくて!
「さっさと蛇口を――」
「尋ちゃん……?」
キュッ、と心臓が縮こまったのが分かった。錆びたブリキさながらに、ギギギと後ろを振り返る。
「う、浮じゃん……おはよ……」
み、見られた!いやでも待て、あくまでバレてはいけないのは古舘だ。浮には口止めしておけば問題ない。浮は素直だから聞き分け良く従ってくれるだろう。
「ねぇ浮、あのさ――」
「凄いお風呂だぁーっ!!」
目を大きく見開かせ、浮は感動を言葉に乗せて驚嘆した。そして私が言葉を続ける前に服を脱ぎ出した。
「え、何してんの。」
「お風呂入るんだよ?」
「今から!?」
「いやぁ、朝風呂って憧れてたんだよねぇ。せっかくだし尋ちゃんも一緒にどう?」
「入るなら一人で入りたいかな……って、そうじゃなくてさぁ!」
その気が無い本人に振り回されていると、浴室の外から足音が近づいてきた。古舘が帰って来たのだ。
「そういや特徴もなんも聞いてなかったから誰か分からんかったわ……」
「あ、粧奈ちゃん!」
「げっ……」
戻ってきてしまった……しかもここで騒いでいたがために、古舘をここに呼ぶ結果となってしまうとは。
「ん?ってか風呂桶いっぱいになってんのにまだお湯出してんの?」
「あ、いやこれは……」
「それより粧奈ちゃん!一緒にお風呂入ろうよ!」
そう言う浮は既に湯船に浸かっており、浴槽から顔をひょっこりと出して古舘を誘った。いつの間に?
「はぁ。まぁせっかく沸かしてあるんやし入ろかな。浮ちゃんがやってくれたん?」
「ううん、私が来るより前に尋ちゃんがここにいたし、尋ちゃんじゃないの?」
「あぁそうなん?ありがとうな戸国。」
いや、別にお前らのためじゃないんだが……あれ?ってか風呂溢れさせてたことに関しては普通にスルーなんだ。私が勝手に慌てすぎてただけ?
「ほなまぁ三人で朝風呂と洒落込むとしよか。」
「わーい!」
「え、いや私は……」
「そない連れへんこと言わんといてや。な?」
「うんうん、やっぱり一緒に入ろうよ!」
二方から迫ってくる古舘と浮は、どうにかして三人揃っての風呂を楽しみたいらしい。なぜわざわざ三人で?と私としては思うけれど……
「三人で一緒の方が、絶対楽しいし!」
迷いも無く、そう信じきっている目で言い切る浮と、視線を向けながら私を待っている古舘。
私、こういうタイプ苦手だったはずなんだけどなぁ……
「……仕方ないな。」
渋々と二人の申し出を承諾する。しかし内心はそこまで悪い気分でもなかった。
自分で断っておきながら、それでも誘われて嬉しかった自分がいる。なんともまぁ、面倒な性格に生まれてきてしまったものだ。
「やったー!朝風呂朝風呂!」
「っていっても狭いけどね。三人で一気に入るの無理じゃない?」
「そこは気合いでどうにかすんねやろ。浮ちゃんもうちょっと詰めてもらって……」
そんなこんなで私たちはこの後、三人仲良く湯船に浸かり、風呂の中で箱詰めになりながら朝の時間を過ごしたのだった。
「そういや戸国。人にあんだけ散々言っといて、自分もお湯出しっぱやったな。」
……ちゃんと覚えてたのかよ。
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