《番外編》初来店、初対面
言八、類がメインのお話です。
カクヨムさんの方に、トップオブメイドのラテ、中華屋の娘のアカネがメインのお話もありますので、そちらもぜひ。
また、今話は番外編ですので必読ではありません。
「お前って昔っからそうだよな……」
グラスを置いた中出が言八に対して小突いてくる。言八は洗ったグラスを片付けながら適当に聞き流した。
ここは『Orange blossom』。言八が営むオーセンティックバーであり、今は言八の孫娘、加萩浮のための居場所である。
そんなこの店には近年、客が来る様子は全くと言っていいほど見受けられなかった。というのも五、六年ほど前に出来たデパートかモールか何か。それが徐々に廃れていたこの商店街へのトドメとなり、今や閑古鳥が鳴く錆色の街道にされてしまったのだ。
しかしそんな時勢となっても、まさしく運命とでも呼ぶべきか、このような場所に通ってくれるような人々もいる。そんな人々の力もあって、なんとか今までやってこれたというのが現状だ。
とはいえやはり売上自体は芳しくなく、しかもその内の大半は目の前のこの男が払っている酒代である。
「いいんじゃねぇのそろそろ。浮ちゃんも父さんに会いたいだろ。」
「段階を踏まないといけないんだよこういうのは。浮はともかく向こうの準備が整っているかどうかは分からんだろ。」
「自分のばぁちゃんの墓参りくらいさせてやれっての。毎度毎度浮ちゃんだけ置いて俺らだけで行くのも忍びないだろ。」
「事実去年もアイツと会ったまだ準備が出来ていないと言っていたしな。」
中出は再びグラスを口につけ唇を濡らす。結局は他人の家庭事情、中出が口出しできる範囲は限られている。言八が本気で拒否する理由と姿勢を見せれば何を言うことも出来ないのだ。
「……結局いつかは会わせなきゃなんねーんだぞ?」
「それは勿論だ。だが……仮にも教師ならお前だって分かるだろう?子供の心は繊細だ。下手に触れては傷つき壊れてしまう。」
「そりゃあまぁ……そう、だがなぁ……」
彼は彼で、現在受け持っているクラスの少女をよく心配していた。それは彼自身が酒を飲みながら言八に話していたことだ。
反論したい様子でしばらくじっとこちらを見つめていた中出だったが、しかし対抗出来るだけの言い分が思いつかなかったらしい。観念したように肩の力を抜くと、また机の上のグラスを手に取って残りを飲み干した。
一通り言い合いの趨勢は決まり、どちらかがまた口を開くまでを繋ぐピアノジャズの音色。やっとそれを落ち着いて聞くことが出来たときだった。
ドアベルがチリンと、鳴った。
「……おや、いらっしゃいませ。こちらへのご来店は初めてですか?」
「えぇ、早速だけど席に案内してもらえる?」
仕事帰りか何かであろう外行き用の綺麗なスーツにまとめられた一つ括りの黒髪の女性を、中出から数席開けたカウンター席へと案内する。
「顔が良くて乳もタッパもデケェ女って実在したんだ……」
「おい心の声漏れてるぞ中出。仮にも所帯持ちだろ。」
「だって最近あいつ冷たいんだもん……」
先程の鬼気はどこへやら、しょぼんとした表情でしょげる言八に呆れつつ、ちらりと女性の様子を窺ってみる。
「気にかけて頂かなくても構いませんよ。はしたない話ではありますが、そういうことはよく言われている方なので……」
「やっぱそういうこと言われまくっちゃってんのかぁ。どうだい?俺と今晩良い夢見ないかい?」
「奥さんにチクるぞ。」
「はっはっは!ごめんなさい!」
無論、本気ではなかったのだろう。軽く脅しつけるとヘラヘラ笑いながら降参する中出に、言八はため息をつく他なかった。
「それじゃあまず、ジントニックを頼めるかしら。」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
久しく聞いていなかったその名前を聞き、緊張すると共に少しばかり気合いが入る。彼女は酒をよく知っているようだ。
「おぉ、姉ちゃんさては通だな?ジントニックっつったら『その一杯でバーテンダーの実力が分かる』でお馴染みのあれだろ?」
「まぁ意識していないわけではありませんが……単純に、今飲みたかったのが偶然それだっただけですよ。」
「っかぁー!謙虚で良い子じゃねぇかチキショー。公務員相手にもっと稼げだのなんだの言ってくるウチの家内とは大違いだ。」
「随分と苦労なさられているようで……」
「苦労……そうなんだよぉー!実はこの前もさぁー?」
中出の好みにピッタリ当てはまる見た目、家庭環境による孤独、健気に愚痴を聞いてくれる優しさ。傍から見ても中出がすっかり懐柔されてしまったのが分かる。
昔から中出は女好きだったが、その性格は歳を食っても衰えてはいないらしい。
二人が会話を楽しんでいる間、言八はジントニックの用意をする。ジンの銘柄を選び、冷やした状態で置いていたグラスを持って来る。ライムも冷蔵庫から取り出し、言八は流れるような所作で頭の中の手順をなぞり始めた。
「そういや姉ちゃん、なんでこんな場所に?ここらの店は確かに良い穴場だが、なかなか寄り付く奴もいないだろ。増してやこんな夜になんて、偶然にもほどがあるってもんじゃないか。」
「いえいえ、ここに立ち寄ったのは仕事の事情がありましてね。」
「お、あれか?なんかこの商店街を市長が復興させようとしてるとかどうとか。メイド喫茶に続いてまたなんか建てようと?」
「申し訳ありません、守秘義務があるのでお答え出来ません。」
「まぁまだ計画段階ってところか?ハッキリ決まらん内はなんとも言えんわな。」
「……ふふ、なかなか鋭い目をお持ちのようですね。」
「あそう?そんなこと言われたの初めてだから……なんか照れちゃうな。デヘデヘ、マスターこの子にシャンパンを。」
「お前本当に今日家に帰れなくなっても知らないからな……?」
こんな態度をとっているから、中出は母や娘から白い目で見られるのだろう。言八から見ても、おだてられ調子に乗っているのが丸分かりだ。
彼女もさすがに「お気持ちだけ受け取らせていただきますね。」と表情を崩さずに礼を言って断った。
「――お待たせ致しました。」
「あら、もう出来上がっていたんですか?全く気づきませんでした。」
「ははっ、伊達にバーテンダーやってないっつーことだわな。プロの仕事は早いもんだ。」
「何が目的だ中出。金か、金なのか?」
「たまに褒めたら疑ってかかってくんのやめてくんね?それよりほら、早く飲んで感想聞かせてくれよ。」
もはや言八よりもワクワクしている中出に急かされ、しかし彼女はゆっくりとその口をグラスの縁へと近づけていく。そして艶やかな血色の唇の隙間へとカクテルの水面が静かに流れていった。
店内に流していたジャズの演奏が終了し、沈黙が辺りに横たえる。トニックウォーターの炭酸が弾ける音のみが支配するこの空間で、やがてグラスを置いた彼女は口を開いた。
「……美味しい。」
それは美味との出会いへの歓喜、と言うよりも、自身の想像を超えた出会いへの驚愕だ。先程と比べ少しばかり見開かれた目に、言八はそれを確信した。
「ライムの風味が強く、全体の味を引き締めていますね。これは……」
「はい、グラスの縁に果汁をつけております。こうすることでカクテル自体を味わいながら、果実の香りや味も引き立てることが出来ますので。」
ジントニックを作る上でまず大切にしたいのは『清涼感』だと言八は考えている。甘味、辛味、苦味、酸味、塩味という、おおよそ全ての味を一杯で表現する『カクテル』は、その一杯ごとの表現を更に昇華させるために、それぞれに合ったアプローチで趣向を凝らす必要がある。
ジントニックの場合、ライムの『酸味』とトニックウォーターの『苦味』が肝だ。だから言八はグラスの縁にライムを擦り付け、更にライムが風味の前線に立てるようにしたというわけだ。
一方『苦味』の方は単純明快。トニックウォーターの炭酸が抜けないよう、ジンとトニックウォーターで同じ温度の物を使用したり、氷に直接当てぬよう静かにグラスに注いだり、バースプーンで掻き混ぜるのではなく氷を軽く持ち上げるようにしてビルドしたり、炭酸系カクテルにおいて基本となることをしたのみだ。
トニックウォーターの『苦味』は、その果実の皮由来のものと炭酸によるものの二つで構成されている。だから作る過程で失われやすい炭酸を逃さないための工夫が、結果的に『苦味』を保つ秘訣となるのである。
「グラスに味がついてんだから、俺も初めて飲んだときゃビックリしたっけな。今じゃすっかり、バーテンダーも板に着いちまってまぁ……」
「しかもこのジンの銘柄……おそらくタンカレーでは?過去に何度か飲んだことのある味です。」
「ご明察ですね。」
「んぁ?そりゃあ俺が昔飲んだやつとは違うな。」
中出の言う通り、今回使用したジンは普段とは違った物を使用した。
タンカレーというのはジンの中でもまさに『王道』という名に相応しい銘柄だ。
ある程度カクテルに造形ある人物であれば、一度は味わったことのあるほど普遍的で一般的な銘柄。それは提供相手である彼女にとっても、それそのものに個性を感じさせるような特殊な銘柄というわけではない。
――しかし言八の狙いはその先にある。
「ジントニックは飲み慣れているつもりだったのですが……懐かしい味です。まさかこれも織り込み済みですか?」
「初めてご来店いただいてからのジントニックですからね。それこそバーに来るのが初めての人がインターネットで調べて来たか、ちゃんとした知識を以て個性を見ようとしているかの二択だろうと思いまして。ならばどちらにしろ出すべきはこれだと。」
まだ慣れていない初心者の場合、一癖あるような物を使うよりも、これぞと言うような王道を征く物が望ましい。これにタンカレーはピッタリと当てはまる。
一方、ある程度バーに慣れており、ジントニックも様々な物を味わい尽くしている相手の場合、おおよそどのような銘柄を選んでも『どこかで飲んだ味』となることは否めないだろう。ならばいっそ突き詰めてやるしか道は無い。『既知』を超えて『懐古』するような原点回帰、即ちジントニック本来の味わいを提供するのが言八の考える最適解だ。となるとやはり選びとるのはジントニックの原初であるタンカレーとなる。
「なるほど、随分と見抜かれてしまっているみたいで。」
「見抜く、というよりも推し量る、と言う方が適切でしょうね。私も確信はあったとはいえ、必然であったとは思っていません。」
バーテンダーとは相手を見定め、そこから相手の求める物を創り出す目を持って初めて一人前だ。その手がかりは相手の仕草や会話に隠れているとはいえ、それらを組み立てても出来上がるのは結局『推測』に過ぎない。
そのカクテルが相手の口に合うかどうかは、本人がそれを呑んで「美味しい」と言うまで誰にも分からないのだ。
「……あなた、探偵とか向いてるんじゃないですか?」
「はっはっは、さすがに本職の方には敵いませんよ。私たちが推理するのはあくまでより良いサービスのため。とはいえ最悪無くても成り立たなくなるようなものではありませんがね。」
「では何故……」
何故このように頭を使ってまで趣向を凝らすのか。それはきっと誰もが疑問に思うことであり、バーテンダーが他の飲食店と一線を画す点であろう。
だがそんな難解な質問に、言八はきっぱりと答えられる。
「――自分が出来うる限りの最大限のおもてなしをすること。それがバーテンダーの仕事だからです。」
この一言に、言八にとってのバーテンダーの全てが詰まっている。言八は根っこからバーテンダーなのだ。
「……思わぬ収穫でしたよ。私はバーテンダーではありませんが、一つ教えてもらった気持ちです。」
「そうですか、お役に立てたのでしたら嬉しく思います。」
相手の女性は言八のその言葉に艶美な笑みを浮かべ、一口、また一口、とグラスを持ち上げて氷を鳴らした。
「……そうだ。一つお伺いしたいのですが。」
「おや、どうされましたか?」
「あぁいえ、あなたではなく……中出さんに。」
「ん、え?あっ、俺?」
すっかり聞く姿勢に入っていた中出はその場で居直し、彼女と向き合った。
言八ではなく中出に。はて、一体何を聞くというのだろうか。順当に行けば中出の妻への愚痴から生まれた疑問が出るのだろうが、果たして本当にそうなのだろうか。
微かに感じた違和感に頭を回している言八を他所に、彼女はそのまま中出に対して発言した。
「――戸国さんは今、学校で元気にしておられますか?」
戸国 尋。今ここで出るはずのない名前が、彼女の口から直接聞かされる。彼女はまた一口、グラスを傾けた。
「おや、姉ちゃんあいつと知り合いか?」
「えぇ、昔何度かお会いしたことがありまして。」
「なるほどなぁ……あいつは確かに入学したての頃はツンケンしてたが、どうも最近はこいつの孫娘と良い感じらしくてな?前々からあいつの世話してた奴とも最近は上手くやれてるみたいだし、担任の俺としてはやっと一安心出来るってところなんだ。」
「バーテンダーさんの孫娘さん……ですか?」
「おぅ。こいつに習ってバーメイドを目指してる子でな。人懐っこくて好かれやすい性格だから、自然と戸国も心を許せるんだろ。一匹狼も随分丸くなったもんだぜ。それに――」
「中出。教員として生徒のプライバシーを垂れ流すのは褒められたことなのか?」
「ん?いやでも知り合いだろ?」
「いいや、そう決めるにはまだ――」
中出を止めるための言八の声を遮るかのように、彼女は空になったグラスを置いて席を立った。
「ありがとうございました。チェックお願いします。」
「……千五百円、頂戴致します。」
「電子マネー決済で。」
時間をかけず、逃げるかのように会計を済ませた彼女は足早に出口へと向かって扉を開けた。
「あの、あなたは一体――」
あなたは一体何者なのか。それを言葉にする前に、店の外へと出た彼女がこちらに微笑んでいるのが見えた。
「……守秘義務、です。」
重々しい扉が、重々しい響きを伴って固く閉ざされた。
◇◇◇
「結局何だったんだろうな、あの姉ちゃん。」
彼女が店から去り、店の中は再び言八と中出だけの空間になった。しかし彼女の残していった違和感は大きく、話題は未だに先の女性で持ち切りだ。
「さぁ、分からない……だが少なくとも、ただの客では無いように思える。」
「戸国のことを聞いて来たのは……やっぱり知り合いだからじゃないのか?」
「だとしてもだ、あの子の調子なんて、あの子本人に直接聞けばいいはずじゃないか。私たちに聞いてくる意図が分からない……」
本人以外に聞くとしても、ありえる線では父や母などの家族の方だ。とはいえ戸国と中出の関係も生徒と教師という、決して浅くは無い関係であるために完全否定も出来ない。
「考えすぎだっつーの。仮にあの姉ちゃんが怪しいやつだったとしても、聞いてきたのは個人情報でも何でもないんだ。あれしきの情報で危ない目に合うわけもないだろ?」
「ふむ……」
中出の言っていることは間違っていない。先程の女性に話していた内容を思い返してみても、別段犯罪に利用されそうな情報は存在していないように思う。
だからこそ、彼女の目的はいったいなんだったんだ?それが分からないことが一番不気味なのだ。
が、しかし……
「……確かに、そうか。」
「はっはっは!お前は本っ当に変わんねぇなぁ!」
確固たる証拠も無いのに、これ以上疑ってかかってもきっと、彼女の思惑の答えは得られないだろう。
しかしその、自らの正体を悟らせず、必要な相手から必要な情報を聞き出す……それこそまさに、先程の会話で彼女と話していた――
「探偵、か……」
言八の勘がどれほど当たるのか……試したことが無いためそれは分からないが、その勘が外れたことはほぼないと言っても良い。
この勘は、杞憂で済めば良いのだが。
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