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湯けむりを見上げて(別視点あり)

 このホテルの浴場は室内と露天の二つがあるらしい。それを知った浮は「露天風呂ってなんか本物っぽいよね!」と大層喜んでいた。

 別に、風呂に本物も偽物も無いだろうに……


「はふぅ……」


 と、入浴する前まで私はそう思っていたものの、いざ実際に露天風呂に入ってみると……なるほど、これは本物だ。こころなしか室内風呂よりも疲れがとれる気がする。あくまで気がするだけだが。


「戸国ぃ、風呂ん中で寝たらあかんでー。」

 

「分かってるよ。目を閉じてただけ。」

 

「寝るやつやんそれ……」


 そんな私の右隣に座りながら同じく露天風呂に入浴している古舘から注意され、私は渋々目を開いた。うっすらとかかった雲の向こうに三日月が浮かんでいるのが見える。


「いやぁー、にしてもここはえぇなぁ。風呂がえぇホテルは全部がえぇホテルと言うても過言やないからな。」

 

「それは過言じゃないかな……?」


 古舘を挟んだ向こう側にいる浮も、古舘のよく分からない言い分に首を傾げている。

 しかし古舘はそんなこともお構い無しにしゃべくり倒すつもりらしい。口を薄気味悪く歪めながら話を続ける。


「いやはや、こんな綺麗な満月が二つもあるとは。美しい……美しいなぁ……」

 

「粧奈ちゃん?」


 舐め回すような視線が完全に浮の胸元に注がれている。風呂という場所で露わになっているそこに、古舘はそっと手を伸ばした。


「水鉄砲。」

 

「ふびべっ」


 犯罪者として起訴されてもおかしくない行動をとる古舘の顔面に、私は手で湯をぶちまけてやる。

 やってることがまんまおっさんだ。というかおっさんの方がもはや分別あるまであるぞこれ。


「何にすんねん!浴場で遊ぶの禁止!」

 

「人の体を触ろうとするのも禁止だろ。」

 

「違いますぅー触るんじゃなくて揉みしだこうとしただけですぅー。」

 

「もっと駄目だろ。」

 

「十秒以内ならセーフセーフ。」

 

「どんな十秒ルール?」

 

「ちぇー、戸国のケチー。」


 と言いながら、普通に浮のそれを手にして感触を楽しんでいる様子の古舘が憎たらしい。それに浮もなんとも思っていないようで、あまつさえ「お返しー!」と古舘へと反転攻勢する始末である。

 小学生じゃあるまいし、せめて風呂くらいは静かに入って欲しかった……


「あ、仲間はずれにされて拗ねとる。」

 

「は?拗ねてないけど?」

 

「やっぱ拗ねてる拗ねてるあっはっはっ!」

 

「……っ」


 腹立つぅ……こっちはこの浴槽をお前の血で赤くしてやっても良いんだぞ?態度は弁えろ駄肉が!


「でもごめんなぁ。無いもんは揉めへんからさ。」

 

「参加したいわけではないけど無性に腹が立つのでここから外に古舘を投げ出していいですか。」

 

「なんでウチに聞くんや。なんでそんなことしようとするんや。」

 

「古舘がいなくなれば揉めることはなくなるかなと……」

 

「喧嘩と掛けておっぱいと解いてってことかいな……ってやかましいわ!!」

 

「浴場内ではお静かに。」

 

「むぐっ……」


 今は貸切状態とはいえ、あんまり騒ぎ過ぎるのも良くはないだろう。そもそも風呂場とはそういった場所ではない。


「いやでも浮ちゃんえぇ乳しとんねんで?デカいとかじゃなくてこう……形が綺麗。」

 

「きっも。」

 

「えへへ、なんか恥ずかしいね……」

 

「あっ!これ!この反応も高得点!戸国は絶対こんな顔してくれへんからなぁ……」


 高得点ってなんの得点なんだよ。


「あ、そうや浮ちゃん。ゴニョゴニョゴニョ……」

 

「え?うんうん……へぁッ!?は、恥ずかしいよ……」

 

「いけるいける!浮ちゃんならいける!」

 

「何?またなんか浮に変なことさせようとしてんの?」


 どうやらそう見て間違いなさそうだ。茹でダコのようにのぼせきっている浮と、後方でニマニマとこちらを見ている古舘。沈めたい、その笑顔。


「じ、尋ちゃん……」


 すすす、と視線を合わせず古舘に押されるがままにこちらに寄ってくる浮に、私もなんだか気まずさを覚える。


「……大丈夫?おっぱい揉む?」

 

「本当に何言わせてんの!?」

 

「エロあるで(笑)」

 

「(笑)、じゃねぇよ。」


 見ろ、浮がもう一人で悶絶してるぞ。なんかこっちまで申し訳なくなってくるわ。バーテンダーさんから入店拒否食らっても知らんぞ。


「いやだってお風呂やで?映画ならお色気シーンってやつやん。ならサービスしないと。」

 

「どこの層にだよ。」

 

「十六か七かの年齢なんて一番求められてる時期やろ。せやから戸国も……」


 そこまで言うと、古舘は何かを言おうとするのをおもむろにやめてみせる。


「戸国も……何?」

 

「いやぁ、なんでもないわ。これ言うたら戸国怒るし。」

「怒らない怒らない。言って。」

 

「出た絶対怒るやつ。ホンマに?約束してくれる?」

 

「約束する約束する。」

 

「……」


 しばし考えていた古舘だが、一つ息を吐いて覚悟を決めると真っ直ぐな目をして言い放った。


「せやから戸国も大人しくおっぱい揉ませろ、って言おう思ったんやけど、そもそも戸国には元からそんなん無かったわって思って言うのをやめ

「死ね。」

 

「グボっ!?」


 振り抜かれた私の拳は古舘の頬にクリーンヒットし、ベチンと音をたてて鉄拳制裁を完了させた。

 

「お、怒らんって言うたのに……」

 

「怒ってない怒ってない。怒ってないけど手は出ちゃった。」

 

「怖すぎや……ろ……」


 そうして古舘の意識は落ちた。未だ他のお客さんが入浴しに来る気配もないのでそこら辺に放置しておくことにする。


「……」

 

「……」


 ……そういや、古舘が気絶したとなると実質的に浮と二人きりになるのか。これは……うん、かなり気まずいかも。


「あ、あのさ尋ちゃ――」

 

「先上がるね。」


 恐らく引き留めようとしてきた浮は少し悲しそうな顔でこちらを見ていたが、それを飲み込んで「うん。」と返事だけ返した。

 私は浮の方を振り返らずに脱衣所にまで戻った。


 ◇◇◇


「……せっかくなんやから、もっと長く浸かっとけばえぇのになぁ。」


 戸国が浴場から退出したのを見計らって、気絶したフリをしていた古舘は浮に呟く。浮は困ったような笑みを湛えて返した。


「さっきの、大丈夫なの……?」

 

「ん?あぁ、全然よ?戸国は非力な割に暴力的やからなぁ。それでもお約束通りの反応で周り笑かすのが浪花魂ってもんや。」

 

「芸人目指してたり?」

 

「んや、夢はファッションデザイナーやな。いつか自分の店持つのが目標や。」

 

「あはは、良いね。」


 強ばった肩をほぐすように、古舘は良く回る口で浮を笑わせる。狙い通り、パッとしない苦笑は一気に華やぐような微笑に変わった。


「……戸国となんかあったん?」

 

「え……なんで分かるの?」

 

「んや、まぁほとんど勘やねんけど……だってなんか、いやに戸国に対して口数減ってなかった?ウチを介しての会話以外全然喋ってなかった気ぃするけど。」

 

「そう、かな……?」


 立ち上る湯けむりを見上げるように、浮は視線を夜空へと向けて瞳を揺らめかせた。夏とは思えないほど涼しい都会の風が二人の頬を撫でる。


「……ちょっと、焦りすぎちゃったのかも。」

 

「焦る?」

 

「うん。前々から思ってたんだ。尋ちゃんは私とのことを『お客さんと店員さん』の関係だって言ってたじゃん?」


 そのときのことは確かに覚えている。そのときの彼女の心境は照れ隠しかそうではないのか……定かではないが、そのときの彼女の言葉が浮の中にはしこりとなって残っているらしい。


「怖いんだよ……いつか尋ちゃんがパッタリ私に会いに来てくれなくなるかもしれないのが。今までの夢みたいに楽しかった時間が、本当に夢みたいになっちゃうんじゃないか……そう思うと私、泣きそうになっちゃうんだ。」

 

「浮ちゃん、そんなこと――」

 

「ないかもね。ないかもしれない。でも、尋ちゃんはお客さんだったから。だから、あるかもしれないでしょ?」

 

「……」


 そう言われては何も言い返せない。どれだけ説得を重ねようと、たった数パーセントのその未知を覆すことなど出来ない。それに何より、震える手を抑えるようにして話しているその姿を見て「甘えるな」などと、言えるはずもないのだから。


「大阪城のお店でさ。尋ちゃんと二人で粧奈ちゃんを待ってたときに、詰め寄りすぎちゃったんだと思う。友達になろうって、握手して約束しようとしとして……そしたら、なんて言われたと思う?」

 

「……戸国のことやし、ツンケンしながら突っぱねたんとちゃうか?」


 古舘がしばし考え冗談めかして言うが、静かに目を閉じた浮は笑う様子もなかった。そんな余裕も、なかった。


「『ごめん』……だって。」


 その瞬間、古舘は最悪の事態が起こっていたことを理解した。呆れるでもなく、突っぱねるでもなく、戸国が選んだのが『謝罪』なのであればそれは――


「私きっと勘違いしてたんだ。私も友達いなくて、寂しくて……だから尋ちゃんも同じで寂しがってると思ってた。でも、余計なお世話だったんだよ。尋ちゃんは本当に一人が好きで、なら私のやってたことって……尋ちゃんの邪魔だったんじゃないの?」

 

 吹き抜ける風に目が乾くように、浮はまた開いた瞳に月の光を映して眺めている。美しい花が人知れず枯れていく物悲しさを感じさせる、そんな月下美人みたいな姿だった。

 それを前にして古舘は何をすれば良いのか。どうすれば良いのか。最悪の事態なのであれば、古舘は容易に口出しをすることすら憚られるのに。であれば古舘は、この場においてもはや一言も発することが出来ないのが道理というものだろう。

 そうして思考を放棄するように、浮からの助けを知らんぷりするように天を仰ぐ。夜の底は闇に覆われていて、そこにポツンと月が浮かんでいた。







 



『私はあなたを、好ましくは思えません。』


『古舘も、私のとこ来る前にご飯食べとけば?』

 

『うっさい死ね……』






 

 


『――また一緒に行こな!』 


『……でもまぁ、たまにならね。』





 


 

 ――またしても繰り返すつもりか、古舘粧奈。


「……ウチにも分からんわそんなもん。」

 

「え……?」


 枕にしていた石から頭を上げ、波打つ水面も無視しながら丸くなっている浮の目を見つめる。


「誰と誰の関係とか、そんな小難しいこと考えて生きとったらもう、肩凝ってまうからな。」

 

「で、でも私……」

 

「大丈夫やーって!ウチから見ても戸国は浮ちゃんにベタ惚れやで?まぁ謝ってきたことに関しては色々面倒臭い事情が絡んでるのはあるけど……とにかく、そんな気にせんでええってこと!」


 古舘は気がついていた。戸国はここ数ヶ月でどんどん変わってきていることに。そしてその原因が目の前の少女であることも明白である。

 古舘がしてやりたくても出来なかったことを、彼女はたった数ヶ月で成し遂げてしまっていたのだ。


「それに今更、ウチらの関係に名前も要らんやろ。ウチら仲良し!ズッ友!例え空気読めへん奴が何と言おうとも!……そんくらいの精神で行こうや。な?」

 

「そ、そんな適当な感じで良いの……?」

 

「良いの良いの。極論楽しかったら勝ちなんやから。」

 

「楽しかったら、勝ち……」


 もうもうと水面から昇る蒸気が再び浮の頬を暖めたように、彼女の表情はゆっくり氷解していく。

 そこにあったのはもう一夜限りの花などではなく、誰もが抱き締めたくなる愛らしい加萩浮その人がいるだけだ。


「……あは、あはははっ!そっかぁ楽しかったら勝ちかぁ!あはははは……!」

 

「そんなに可笑しいこと言うたか?」


 肩をすくめておどけて見せると、浮は荒くなった息を必死に抑えながら整えた。そしてある程度収まったあとに私の目を見て言った。

 

「ううん、私もそう思うよ。……ありがと!粧奈ちゃんは凄いや。」

 

「ははっ、そりゃお互い様やな。」

 

「私なんてそんな――

 

 ……いや、私も天才かもね。」

 

「あっはっは!分かって来たやないか!」


 図太くしぶとく図々しく。私の人への寄り添い方が、どうか彼女の役立ちますように。

 古舘は浮の笑顔を見ながら、自分勝手な欺瞞が彼女を救ってくれることを祈る。


「はぁー笑った笑った。ほなウチらも上がってまおか。あんまり長風呂しとったらのぼせてまう。」

 

「そうだね。この後ご飯もあるし……!」

 

「せやせや。それに夜更かしして恋バナとかもすんねんやろ?戸国は叩き起してでも参加させなあかんで!」


 あわよくばここで上手いこと、戸国と浮のわだかまりを取っ払うことが出来れば上々である。


「うん!そうだねっ!」


 そうして互いの意志を確かめあった古舘と浮は、どのようにして戸国の恋バナを聞き出そうかと密かに話し合うのだった。

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