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虎の間


「えぇ……」


 彷徨する猛虎が黄金の襖に生き生きと描かれている。それはさながら名のある土地の神がそこに閉じ込められているかのような荘厳さを見せていた。

 周囲を見渡せば高そうな壺に枯山水の庭園、耳を澄ませば水のせせらぎ、息を吸えば木造建築独特の匂い。


 なぜ私はこのような場所に来ているのか、その経緯を思い返すために私は記憶を遡った――


 ◇◇◇


「お、お……大阪だぁぁぁっ!」


 周囲の人々が振り向くような大声で、浮はその感銘を声量で表した。普段であれば控えるよう言うところだが、その高揚感は私もたった今味わっているところなので何も言えない。

 駅の建物から出て来た私たちは、初めて見る大阪の街に目を輝かせていたのだった。


「ちょいちょい、周りの人らめっちゃ見とるから。」


「いやでも確かにこれはなんか……感動だね。」


 日本第二の都市と言われる大阪の街は見渡す限りのビル群がそびえる、まさにコンクリートジャングルである。私たちの過ごしている街とは格が違う。


「とりあえずまずは用事だけ済ませておこうや。ウチのオカンが待ってる言っとるからまず会いに行こ。」

 

「粧奈ちゃんのお母さんかぁー!どんな人なんだろー!」

 

「結構怖い人だった記憶あるけど。」

 

「おぉう……」

 

「まぁ身内以外にそこまでキツくは当たらんやろ。ほな行こかー。」


 すぐさま意気消沈する浮の背中を叩き、古舘は意気揚々と人の波を先導した。私たちはそれを見失わないように必死で古舘を追いかけた。





 

 

 そのようにして何分経った頃か。


「あ、あづい……」


 体力と気力が限界を迎えた私は浮におぶってもらいながら陽光の熱線に晒され続けている。


「いやまぁうん。こうなるとは薄々思ってたけどな……」


「尋ちゃん、もうすぐだから頑張って!」

 

「し、死ぬ……」


 日々の運動不足が祟ったのだろう。ありえないほどの熱波は人だかりによって増幅し、地面から跳ね返る太陽の暑さにすっかり参ってしまった。


「着いて数分でこれなんやから先が思いやられるわ……」

 

「うっさい……」

 

「あともう少しで目的地やから気張っていきや。」


 その言葉だけを糧に、私は浮の背中でひたすらに汗を垂れ流し続けるのだった。

 今なら精根尽きて足を止めたメロスの気持ちも分かる。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな……


「見えてきたで。」

 

「どこ!?」

 

「うわっ!急に動いちゃ危ないよ!」


 浮がよろめきながら咎めるがそんな場合では無い。

 私が周囲を見渡すと、遠くの方に何やら雰囲気の違う建物が鎮座しているのが目に入った。


「あそこは中一の頃とか、オカンのプロジェクト上手くいったとき連れて来てもろてた懐石料理店やな。豪華な刺身とか食いまくっとったわ。」

 

「ボンボンじゃねぇか。甘ったれてんじゃねぇぞ。」

 

「その格好で言われてもなぁ。」

 

「あ、もう降ろしてくれてもいいよ。ありがと。」


 くっついてても暑いしな。


「後で戸国がなんか奢ってくれるって。」

 

「あはは、期待してるねー!」

 

「馬鹿みたいに高い物じゃないなら別にいいけど。」

 

「え、本当に?やったー!」


 私は浮の背中から降りると、汗でぐっしょりになった服の中にパタパタ空気を送り込んだ。



 その店は随分と年季の入った木造建築で、明らかに庶民の入れるような場所ではないと肌で感じた。


「にしてもオカン、ここに呼ぶってことは随分気合い入れとんねやなぁ。」

 

「え、そうなの?」

 

「ここはオカンのお気に入りやからな。会社の重役さんの中では『日本料理 鯉幟』に呼ばれた奴が社長のお気に入りや、言われとるらしいで。」


 建物へ行くまでの庭園の道を歩き、『日本料理 鯉幟』の小さな看板が横に添えられている入口にまで行き着いた。


「久し振りの親子水入らずに私たちが介入しても良いのだろうか、いいや良くない。というわけで私と浮はここら辺ブラブラして時間潰しておくよ。」

 

「今更怖気付いても遅いで戸国。」

 

「いやだって、古舘のお母さんは私たちに何を期待してんだよ。怖いよ普通に……」

 

「え?普通によろしくってことなんじゃないの?」

 

「そう軽く捉えられる浮が羨ましい。」


 こんな場所に連れてこられたら萎縮してしまうのが普通の反応だ。その上あの恐ろしく厳しそうな古舘母のお誘いだなんて……ダメだ、一言も喋れる気がしない……


「つべこべ言わんととりあえず入ろうや。」

 

「そうだね!邪魔するでぇー!」


 もちろん「邪魔すんなら帰ってー」などという合いの手が入ることはなく、扉を開けた向こうで受付のお婆さんが驚いたように目を丸くしただけだった。

 あ、涼しい空気だ。生き返る……


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

 

「ウチやでおばちゃん。古舘彪奈の娘。」

 

「粧奈ちゃん?あれまぁ随分と大きくなったなぁ!」


 まさかのタメ口!?しかも普通に顔見知りっぽいし!


「こちらの方たちが粧奈ちゃんのお友達?」

 

「せやで。な、戸国?」

 

「はい、いつも古舘さんにはお世話になっております。」

 

「……」


 からかうつもりの古舘だったが、私の仰々しい物言いに「おもんないなぁ……」と言ったふうに顔をしかめる。最近古舘からの煽り耐性が付いてきたんじゃないだろうか。


「ほんならご案内いたしましょうかねぇ。彪奈さんは今虎の間で粧奈ちゃんのこと待ってはるから。」

 

「虎の間?去年来たときはそんなんなかったやろ。」

 

「実は半年前くらいに増築しましてねぇ。今ではうちの誇る最上級の大部屋になっとんのよ。」

 

「はぁー……そりゃまた偉い無茶したなぁ。」

 

「彪奈さんが個人的に出資してくれまして。いやぁもうあの人には頭上がりまへんわ。」

 

「オカン……この店のことが好きにしても程があるやろ……」


 はぁ、とため息をつく古舘。しかしそれを聞いた私はたまったものではない。

 ただでさえ今この場所で身の丈の違いを感じているというのに、それの更に最上級だという。いい加減にしてほしい。


 ゆったりと歩き出したお婆さんと古舘を前に、私は浮と店の廊下を歩いて進んでいった。


「ここが虎の間です。」


 そう言ってお婆さんは足を止める。私は目の前に見える景色に思わず圧倒されてしまった。


「えぇ……」


 襖絵、というのだろう。幾枚も並び立つ金襖に描かれている虎の力強く美しいことと言ったら、筆舌に尽くし難いというのはこのことだと見せつけられている気分だ。


「失礼致します。お連れ様がご到着なされたのでお通ししても宜しいでしょうか?」

 

「――えぇ、お願いするわ。」


 襖の中から返された声。それは確かに一度聞いた声であり、過去に数回会ったことのある古舘母の物だった。


「それでは……」


 すすす、と静かに襖を横に動かしたお婆さんは正座している。仲良さげに古舘と話していた老婦だが、こうしてみると女将の貫禄というものがありありと感じられる。


「オカンおひさー。」

 

「お邪魔しまーす!」


 そんなふうに感心している私を他所に、古舘と浮は空気感をぶち壊すような言葉選びで部屋の中へと入っていく。

 なっ!?お前らよくそんな躊躇なく入れるな!?


「し、失礼します。」


 私も入るタイミングを失わない内にさりげなく滑り込んだ。


 

 畳が敷き詰められたその部屋の中心には長テーブルが一つ場違いに設置されており、彼女はそこで私たちを待ち構えるようにしてこちらを見つめていた。


「……もう少し言葉遣いには気を遣いなさい。」

 

「そんな堅苦しいことやる意味あんの?別に今は仕事ってわけやないんやしさ。」

 

「あなたを大阪にまで呼んだのは教育のため、ひいては仕事のためよ。もう一度言うわ、言葉遣いには気を遣いなさい。」

 

「はいはい気をつけさせて頂きますですよー。」

 

「一点。」

 

「申し訳ありません……」


 え、なに?一点って何の一点?


「それで、最初の二日はお友達と過ごすんだってね。その方たちがそうなの?」

 

「はい、こちらが以前お話させていただいた戸国 尋と加萩 浮です。」


 うわ、古舘が標準語使ってんのなんか違和感凄いな。


「加萩 浮ですっ!えーっと……友達です!」

 

「そう、だらしない娘だけどよろしく頼むわね。」

 

「そんな!娘さんにはいつもお世話になってます!」

 

「ふふ、そんなふうに言ってくれると嬉しいわね。そちらは……」

 

「あ、はい。戸国 尋です。……娘さんにはいつもお世話になってます。」

 

「……無理して言わなくても良いのよ?」

 

「ひっ……いえ、そんなことは。」


 言えない……いつも娘さんにキモいとかウザいとか言いまくってるだなんて……


「まぁ今日から天神祭もあるし、混雑はするけどゆっくりしていってね。」

 

「天神祭って……あぁっ!?そういえば今日からやん!」

 

「粧奈ちゃん、天神祭って何?」

 

「デカい祭りのことや。大阪では毎年七月の二十四日と二十五日に大阪天満宮で開催されるんねんけど……そっか今日かぁ!」


 予想外の収穫が得られた古舘が嬉しそうにはしゃいでいると、古舘母が「おい」とドスの効いた声で一喝した。古舘は直後に大人しくなった。

 どこの家庭も母親には敵わないらしい。母は強し。


「みんなはこの後どこかに行く用事はあるの?」


「まずは今日泊まるホテルに行って荷物置いてこ思っとるで?それからさっき言っとった大阪天満宮に参拝、そんで大阪城見に行く。今日の予定はこんなもんや。」

 

「そう……」


 古舘母はそう言って視線を逸らすと、何やらモゴモゴと口ごもっている。あれはあからさまに何か言いたげな顔だ。


「その……もし良ければ、ここでゆっくりご飯でも――」

 

「ああせや!その前にお腹すいとったからファミレス予約してたんやったな!ホテルの前にまずは腹ごしらえや!」

 

「……」


 落胆するような顔、焦るように泳ぐ視線。それを読み取り私の中で一つの仮説が浮かんだ。

 あれ?もしかして古舘母、古舘と会えるの楽しみにしてた?


「そう、それじゃあ気をつけてね。」

 

「あれそんだけ?こんなとこに呼びつけたんやから、てっきりまたお説教でも食らわされるんかと思ったわ。」

 

「まただらしない口調に戻っていることにならしても良いけれど?」

 

「明日の晩にまたお会い致しましょうそれではさようなら。行くで二人とも。」

 

「え?わ、分かった!」

 

「良いのこれ。」


 逃げるように退出する古舘に腕を引かれ、私たちもそのまま古舘母に見送られ虎の間を出て行こうとした。


「待ちなさい。」


 鋭く刺すような古舘母の声が古舘の足を止める。

 古舘は視線を少しだけ彼女の方へとやった。


「……この『虎の間』について、どう思う?」

 

「え?いやまぁ綺麗やと思いますけど……」

 

「……そう。」


 たったそれだけ言葉を交わすと、会話は終わりだと言わんばかりに古舘母は目を外に向けた。

 夏の日差しに枯山水の庭園が照らされている。


 古舘は首を傾げてから部屋から出る。それに連れられ私たちも退室するが古舘母は最後までこちらを見ることはなく、誰かに電話を掛けているところが見えて襖が閉じられた。

面白ければぜひ


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