水の悪魔
「僕の彼女は水なんだ」
夕日が水面をオレンジに染め、その暖かみを感じるように彼は言った。
「水は裏切らない。水は日常生活に必要なものだ。人を生かすことも殺すこともできる。水とは、そういうものなんだよ」
私は彼の言葉に反発したい、と思った。
こんなにも私は彼を思っているのに。彼はたかだが水なんて。
「水なんて、先生は変です」
思わず口にしてしまった。彼のことを水ごと、手のひらですくい上げたい。本気でそう思っていたのに。
「でも僕はこういう仕事をしている。水質研究員なんてさ、誰もやらないだろ?」
「それは先生が水の悪魔に取り憑かれてしまっているからです」
「水の悪魔、ね。君は美しい例えをする。その才能を大切にしなさい」
彼はそう言うと私の頭をぽんと触った。
「ところで、水中毒を知っているかい」
「水中毒?」
「水を飲みすぎると新しい水分が体の中にあるのが当たり前になってしまう。だから水を飲みすぎてしまう。これを水中毒と言うんだ」
「先生のことみたいですね。」
心にもないことを言ってしまった。
「そうだね」
優しく笑みを見せると「でも僕は水が大好きだ」と言った。
「先生はずるいです」
「何が?」
彼はおどけた顔をする。そんなの、わかっているくせに。
「大好きだ、なんて」
「水の悪魔、だっけか。彼女は僕にとっては水の姫君なんだ」
「え?」
「わがままで、時に道を間違って人を殺しかねない。でもお手入れや扱い方を知っていれば大丈夫さ。僕は彼女が大好きだよ」
「なんだか子供っぽいです」
私は少しムッとした。姫君に恋する彼はまるで童話の中の王子様だ。
私がムッとしたのが伝わったからなのか彼は笑った。
彼の笑みは本当に、何度見ても大好きだ。
*****
彼女と一通り話すと、僕は少しばかりの川の水を試験官に入れ歩き出した。
夕日が刻々と地平線に消えていき、水面は暗く、黒くなっていく。それはまるで別れを惜しみ後悔するように。
「じゃあね。また会えるさ。僕のお姫様」
水面に手を触れると、少し暖かい気がした。