死
山中に不意に響いた柏木様の絶叫に、私は彼を探していたにもかかわらず、驚き少し声を出してしまいました。「ベチャ」という何かが遠くの地面に衝突したような音と共に、柏木様の悲鳴は止みました。
それで私は状況を察しました。柏木様は私から逃げる中で、崖から落ちてしまったのです。実際にどこに落ちてしまったのか、確かめることはしませんでした。崖ぎわに近づくなど普通に危険すぎますし、こんな夜中なら尚更です。
柏木様はアシバリ様とその信仰を侮辱されました。それは誰かが裁かねばならない、しかしこの国の法では裁けない罪悪です。だから私は彼に罰を与えようとしました。しかし、その必要はなかったようです。こうして、山の大自然が彼を罰したのですから。もしかしたらアシバリ様自ら罰をお与えになったのかもしれません。
私が旅館に戻ると、玄関の前には御崎様がいらっしゃいました。御崎様は私に気付かれると、何が起こったのかを尋ねられました。それに私はありのままをお伝えしました。私が追いかけていく中で、柏木様は崖から落ちてしまったと。
「……つまり、残るは私とあなただけですか」
御崎様はそうつぶやくと私に背を向けました。いつの間にか、御崎様の雰囲気は、さっきまで以上に人間離れした、理から外れたものになっていました。そんな御崎様の背中は、何故だかとても尊大でそれでいながら崇高なものに思えました。
……いえ、何故今まで気付けなかったのでしょう?
どうやら私はこれまで、御崎様の事を正しく認識出来ていなかったようです。しかしそれは仕方のない事でしょう。御崎様がそう望まれた以上、それに抗う術など私にあろうはずがありません。
「……まさか、アシバリ様……?」
「そろそろ、祭りを終わらせるとするか」
そう言って振り返られた御崎様は、お姿こそ普通の人間の御崎心様でしたが、放たれる圧倒的な威圧感とその表情から漂わせる超越的な雰囲気は、紛れもなくこの山の神、アシバリ様のものでした。
畏敬からか、感動からか、はたまたその両方か、私は膝から崩れ落ち、アシバリ様に平伏しました。喜びで口元が緩みます。私は咄嗟に両手で顔を隠しました。こんな表情、アシバリ様には見せられません。
「……いよいよこの祭りも大詰めだ。祭りを壱から振り返るとしよう。元々私は、ただの人間のフリをして、一昼夜をこの旅館で過ごすだけのつもりだった。たまには信者の様子を間近で眺めたいのでな。ところがどうだ。余所者どもめ、大人しく金銭だけ落としていけばいいものを、この神聖な土地で殺しなどしおって」
「……では、上野様を殺したのは人間なのですか?」
「その通り。殺したのはお前もそう思っていたであろう、姫川だ。元々は上野が姫川を外に誘い出してな。そのまま注連縄の奥の神域に、二人で侵入しおった」
「なんと、不敬な……!!」
「まあその程度では私の怒りには触れない。問題は、その神域で殺しをした事だ。上野と姫川め、神域で喧嘩を始めおった。どうやら二人とも柏木と関係を持っておったようだな。言い争いの末、前々からの不満が募り募って爆発し、怒りが頂点に達した姫川が、持っていた布で上野を締め殺したのだ。これが最初の事件の真相だ」
「……その、アシバリ様。一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「許す。言うがよい」
「どうして上野様は、旅館の玄関に倒れていたのでしょう? それが理由で、私は最初、姫川様にはアリバイがあると思ってしまったのです」
「なんて事はない。神域に死体が転がっていても邪魔なのでな。私自らどけたまでだ」
「そうでしたか……! とんだお手間を……」
私は額を地面に擦り付けます。
神域の掃除をアシバリ様自らにさせてしまった自分が、不甲斐なくて仕方ありません。
「良い。人の身では実際に神域に赴かねば死体にも気付けないであろう。……続いて、姫川の死についてだが。まあ、私が関与していると言うのが、この件の答えだな」
「では、姫川様はアシバリ様が?」
「そうだ。奴め、自白の機会を与えてやったのに自身の罪を誤魔化すばかりか、身を隠すためまた神域に忍び込もうとしたのでな。奴が上野にしてやったのと同じ方法で殺してやったのだ。周りに置いた花はせめてもの手向けだな。私は鬼でも悪霊でもない」
その話を聞いて、私はアシバリ様の寛大さに感涙しました。姫川様もこの事を知ったら、後悔と感謝の元アシバリ様に平伏すでしょう。
「では、最後の柏木様もアシバリ様が?」
「あいつについてはお前の方がよく分かっているのではないか? あれには私は関与していない。お前が私に報告したのが全てだ」
アシバリ様に素っ気なくそう教えられ、私は少しだけがっかりしてしまいました。私とアシバリ様、双方の協力によって柏木様に罰が与えられたのではないかと期待していたからです。いいえ、むしろ、大自然すらもアシバリ様の意向を汲んで力を捧げていると喜ぶべきでしょうか。
「さて、振り返りはこんなところか。最後に、祭りの後始末をつけなくてはな」
「後始末ですか? 私に出来る事ならばなんでも申し付けください!」
「ちょうどお前に命じたい事があったのだ。気の利く信者は好印象だぞ」
「!!!!」
そのお言葉に、私は生まれてから一番の幸福を感じました。私はきっとこの瞬間のために生まれてきたのです。アシバリ様になら、全てを捧げられる……!
「この祭りの中で最初に殺されてしまった女がいたな。上野紗良だ」
「はい。彼女がどうされましたか?」
「気の毒だと思わないか? 柏木を巡り、姫川との諍いがあったにせよ、殺されるほどの謂れはないだろう。それが我が神域で殺され、憐れむ心がないほど私は無情ではない」
「さすがアシバリ様、なんと慈悲深い……!」
「うむ、それでな。私はあの者の死を、なかったことにしようと思う」
「そんな、そんな奇跡が可能なのですか!?」
「ああ。ただな、反魂ともなると、さすがに奇跡に代償が必要となるのだ。だからはるひよ、お前の命を代償として使うぞ」
その瞬間、そこには何も存在しないのに、私の首が何かに絞められました。息ができず、言葉を発する事もできません。
苦しい、苦しい、苦しい、アシバリ様、苦しい、アシバリ様のため、くるしい、くるしい、たすけ、くるし、いや、くるし、くる、く、くる
「ご苦労だったな、はるひよ。これは此度の罰でもあり褒美でもある。我が神域のためとはいえ、呼び入れる者を選ばなすぎたな。だが、私のために心身を尽くしたその信仰は真実と認めよう。……もう聞こえておらぬか」