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堅苦しい乾杯はしなかった。田切はグラスに口をつけながら、マスターに親しげに声をかける若月を横目で眺めた。
「やっぱり接客の方がいいかね。厨房にばかりこもっていると、人恋しくもなるだろう」
「人恋しくなるような年ではございません」
老翁は目を細めて、愉快そうに笑みを浮かべた。「厨房は肉体労働ですから。若い子らの邪魔をしないよう、こうして番頭の真似をしているだけでございますよ」
「おかわりはいかがです」後ろから声がし、田切は振り返った。愛想の良いオールバックのウェイターが、やや腰をかがめて二人を見つめている。
「もらおうかな」若月は言ってから、グラスを空けた。
「ファイネストでよろしいですか」
「いや、マッカラン12年[*4]をストレートで」
「承知いたしました」
カウンターに目を戻すと、すでにマスターの手は動いていた。
「今日は飛ばしますね」田切が茶化すように言ったが、探偵は意に介さず「喉が乾いただけさ」と返した。
若月の二杯目が置かれ、マスターがウェイトレスに「チェイサー[*5]を」とささやくように言った。
「かしこまりました」
厨房へと向かうウェイトレスを見て、若月が同じように声を落として言う。
「いい子じゃないか」
「ええ、キッチンでもよく働いてくれましてね。老体としては大助かりですよ」
「もう別の人に鞍替えですか」田切にも場に馴染む切り口が見え始めていた。「前なんかは若月さん、席に呼んだ女性と出来上がっていましたよね」
これには若月も、吹き出すようにして反応した。「まさか。昔のJ-POPに出てくるすけこましじゃあるまいし。僕と一度会った女性を、可愛そうにもう二度と見かけることはない、なんて思わないでくれよ」
[*4]シェリー樽で熟成されたフルーティで華やかな味わい。シェリーオークシリーズが定番。
[*5]酒を飲む際の口直しのための飲み物。多くは水を指す。