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8.鬼は喰らう

野分(のわき)


 あァ、飢える。酒の減りが早いッたらないねェ。


『ねぇノワ、わたくし、フーガの元へ戻りますわ』


「ン」


『泣きそうな顔でこちらに訴えておりますもの。放っておけませんわ』


 じゃアそうしてやったらいい。俺はおりゅうの顔を見ないで告げた。ええ、と短く頷いて、おりゅうはいなくなる。俺はまた、酒を呷った。


 風雅の元へ戻っていったおりゅうを惨めッたらしく眺めても、視線が混じることはない。そりゃアそうだ。おりゅうが慕うのはあのお気楽天狗だ。俺ァいいトコ、美味いモンをくれる餌場だろう。

 アーア、馬鹿やっちまったなァ。こうならねェように、穴に籠ってたってのにヨ。何やってやがンだ、俺ァ。ちィとばかし可愛らしいなと思っただけじゃアねェか。


 足早に森を抜ける。浴びるほど酒を飲んで、忘れちまおう。でなきゃア、俺ァ本能に負ける。


「ぐ、……ゥ……」


 喉が鳴く。飢えが苦しい。噛みつく勢いで酒を飲んでも、ちィとも癒えやしねェ。沸き上がる衝動を、そばにあった岩にぶつけた。鈍い音を立てて、岩が割れる。

 帰らねェと。こいつァよろしくねェぞ。天狗ごと追い出しゃアよかった。初めッから間違ってた。無理矢理にも笑えねェ。


 愛おしい。喰いたい。愛でてやりたい。飲み干したい。滴る血の一粒まで。そうして一つになって……、…………。


 アア、糞ッタレ。


 どうして愛しいモンを泣かせにゃならん。どうして好いた女を殺さにゃアならんのヨ。人のように、寄り添うだけでいいじゃアないか。囲炉裏に鍋でも吊るしてヨ、爺様(じさま)婆様(ばさま)になるまで隣で生きりゃいい。

 会って間もない女を、それももう、一度首を落とされ死ぬ苦しみを味わった女を、俺ァ……。


 牙が口の端に食い込む。滲む血の味に、俺は嗤った。


「寄り添うだけ、なんざ……鬼にゃア、過ぎた願いよナ。……分かってらァ、重々ヨ」


 拳を握り締めて、歩を進める。振り返って駆けだす事だけは、それだきゃア、やっちゃならねェ。穴に、早く。俺を、閉じ込めねェと。



◆◇◆◇◆◇



 どうにかこうにか住処の洞穴に潜り込んで、閂をかけた。叫び出したいのを堪えて、酒樽に手を伸ばす。柄杓からそのまま酒を喉に流した。がぶがぶと喰らっても、飢えは深まるばかりだ。

 俺は空になった酒樽を蹴り飛ばすと、干してあった肉に齧り付く。知らなきゃアよかった。恋しい者の魂の匂いなんざ。酒でも肉でも消えやしねェ。何も代わりになどなりゃしない。


 俺は肉を無理矢理飲み込んで、ずるりとその場に座り込んだ。


 アー、誰か鬼退治でもしちゃくんねェかね。宝はそうさネ、鬼の角で手を打っちゃアくれねェかい。こんな力、俺ァもう懲り懲りだ。

 この衝動が落ち着くまで幾年かかるかねェ。いっそ朽ちたら、少しは泣いちゃアくれるだろうか。


 俺はざくざくと近付く音に、視線だけを動かした。


「野分、……野分よ、……おい野分、おらんのか!」


 ごつんごつんと遠慮なく戸が打たれる。すぅ、と息を飲んだ。歯を食いしばる。抑えろ。天狗なんぞに、情けねェ面ァ晒して堪るか。


「野分!」


「うるッせェなァ……」


「なんだ、寝ておったのか?」


 呑気な天狗の声に、俺は座り込んだまま返事をする。戸を開ける気はない。もしもそこにおりゅうがいるなら、俺ァ正気でいられる自信がない。


「……?野分、開けてくれんか」


「俺ァ眠いんだ。()ェってくんな」


 俺の言葉に、天狗がもにょもにょと何か言っていた。戸越しじゃア聞こえやしねェが、野郎のことだ。困っただの何だの言ってやがるんだろう。


「話がある。おりゅうのことについてだ」


「ッ!」


 ぐぅと喉が鳴いた。どうにかこうにか、唾を飲み込む。風雅から、おりゅうのこと、だと?一体何だってェんだ。さっきのでおりゅうに気取られたか?いや、耐えた、はずだ。落ち着け。おりゅうは俺の衝動を知らない。……気取られちゃアいねェはずだ。


「野分?……おい、何かあったのか?」


「何もありゃアしないヨ。そこで話しゃいいだろうが、この唐変木」


「え。おい野分、お前……」


 がたんと戸が揺れる。風雅は戸を力尽くで開けようとしたらしい。俺は口の端だけで笑った。蹴り抜きゃア割れんこともないだろうが、風雅はやらんだろう。何度か戸が揺れて、風雅は開けるのを諦めたようだ。


「暫くァ出る気はねェ。放っておいてくんな」


「何があったというのだ。猪と組み合って怪我でも負うたか?」


 そんなワケがあるか。俺ァ鬼だぞ。はぁ……、お気楽天狗の阿呆な話で頭までふらついてきやがる。頑固者め、と戸の向こうで風雅の声がした。


「野分、……開けんか、野分」


「しつけェなァ……、話す気がねェんならァ()ェってくれ!」


 戸に向かって怒鳴りつける。こちとらそれどころじゃアねェんだ。手前ェを抑えつけるだけで気が狂いそうだ。これ以上、俺の感情を揺さぶらねェでくんな。俺を鬼にさせねェでくれよ。


「……野分、そこをどけ」


「ア?」


「ワシとて、友に何事か起きておるのを指を咥えて眺めるなどせん!」


 風雅の叫びと共に、どかんと床が揺れた。思わず戸の方を見やれば、割れた木屑と拳を突き出した風雅がいる。


 このド阿呆お気楽唐変木、閂ごとブチ破りやがった!


「な、……ッ」


「野分。お主、何があった?」


 呆気にとられる俺の前まで来ると、風雅はどっかりと腰を下ろした。理由を聞くまでは梃子でも動かんと俺を睨んでいやがる。……畜生が。俺はよろりと立ち上がって、まだ中身のある酒樽に手をかけた。背を向けてりゃア、まだ誤魔化せる。早く、天狗を追い出さねェと。


「ちィと悪酔いしてるだけサ。……で?おりゅうが、どうしたって?」


「ん?うむ、ああ、そのな」


 風雅の声を背で聞きながら、俺は柄杓で酒を飲んだ。おいおい、と風雅が呆れてる。こうでもしてねェと、おりゅうを喰いに行っちまいそうだ。アアいっそ酔い潰れッちまえば楽なんだけどナ。


「おりゅうをお主に預けられんか」


「アァ?!」


 風雅の言葉に、俺は思わず噛みつく勢いで振り向いちまった。お気楽天狗は驚いて目を剥いている。落ち着け。こいつに当たったところでどうしようもねェ。堪えろ。飲み込め。酒で、流せ。

 俺は唇を噛んで、天狗から顔を逸らした。柄杓ごと飲む勢いで酒を入れる。飲み込み切れねェのがぼたぼたと垂れたが、気にしちゃいられねェ。


「なあ、さすがにその飲み方は体に障らんか」


「俺ァ鬼だ。……霊魂の面倒なんざ見ねェ」


「え?いや、おりゅうはお主に懐いておるし、お主も可愛がっておろう?ワシよりお主の元にいたほうが、おりゅうも過ごしやすかろうて」


 天狗の言葉に、ぷつんと頭の奥で何かが切れた。


「過ごしやすいだァ?テメーは知ってンのか鬼の可愛がり方ッてェのを!肉を裂いちゃア臓腑を食って、血を飲み干して霊魂すら喰らう!お気楽天狗のテメーが言ってんのはなァ、おりゅうにここでもう一度死ねッつってるようなモンなんだぞ!」


「!」


「何が悲しゅうて二度死なにゃならん!何が楽しゅうて好いた女を喰わにゃアならん!おりゅうを喰らわせて俺を(まこと)の鬼にしようッてェ魂胆かィ、天狗の旦那よォ!アア?答えろやオラァ!」


 衝動のまま怒鳴りつけて、俺は肩で息をする。風雅は呆気にとられて俺を見ていた。その表情に、頭の天辺まで上っていた血がさあと引く。アア、やっちまった。


「……野分。お主、おりゅうに惚れたのか」


「…………」


「喰いたいと、その衝動がお主にすらも抑えきれぬほどか。無理に酒を喰ろうて、閉じこもろうとしているのもおりゅうのためか」


「…………」


「野分」


 アア、うるせェうるせェ。放っておいてくれ。こんなモン、あっちゃアならねェ。鬼が持っちゃならんモノだ。独り朽ちる、それが俺の宿命だ。


「……随分と気が乱れておるようだから、抑える手伝いはワシにも出来よう。なあ野分、ワシはお主の友であろう?」


 風雅が笑う。香り出したいけ好かない匂いに、俺は口元を吊り上げた。


「ただの古い知り合いだヨ、ボケナス」


「がはははは!そうさな、ワシがお主を知る者で、お主がワシを知る者だ」


 都合よく解釈しやがって。かんらかんらとやかましく笑う風雅に、俺は頭を振る。ほれここに座れと我が物顔で風雅が言った。ここは俺の住処だろうが。


「何もかんも独りで抱え込むなよ、野分」


 呟かれた風雅の言葉は、悪いが聞かなかったことにした。

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