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5.似たもの同士

【風雅】


 あれは何、これはどうしたと辺りを飛び交うおりゅうがようやっと落ち着いたのは、平旅籠(ひらはたご)に腰を落ち着けてしばらく経った後だった。ただでさえ天狗のワシは目立つというのに、隣には鬼の野分(のわき)も携えているときたもんだ。すわ、囲まれるかと思いきや、野分の不機嫌丸出しの顔に町人は引いてくれた。


 天狗も鬼も、力は強い。人の暮らしを豊かにするに充分の力を持っている。だがワシはそう偉いもののように奉られるのが嫌だし、野分は野分で生贄が必要だ。娘を差し出してでも、という者は多いが、野分は決して頷かないだろう。優しすぎるが故に、独りを選ぶような男だ。


『生のお魚って、こんな味をしておりますのね』


「ここは海が近いからねェ。干物は干物で味があるが、俺ァ断然コッチだな」


 おりゅうに刺身を食わせてやりながら、野分が穏やかに笑っている。子犬の餌付けだヨ、なんて(うそぶ)いていたが、ワシからしてみれば一目瞭然だ。ここまでの道中で、いかにしておりゅうへ物を食わせているのか聞いてみても分かった。野分のヤツ、ご供物としておりゅうへ食い物を捧げているというのだ。

 よくもまぁ思い付くものだし、それだと野分が食う物は気の抜けた物だろう。自分が食う分は多少ぼけた味になってもいいから、おりゅうに食わせてやりたいのだと言っているに他ならない。餌付けとは体よく誤魔化したものだ。


 生暖かい目で見守っていたら、しずしずと戸が叩かれた。思わず、野分に目配せする。野分は目を細めて戸を見やった。


「誰だイ?」


 言い含めたわけではないが、ワシらは天狗と鬼だ。当然支払うものは支払っているし、何なら少し多めに渡してもいる。だから相部屋の相談は入らぬと思うのだが……。


「一つ森の麓の絹と申します。こちらに一つ森の天狗様がいらっしゃると……」


「あァ、ハイヨ。天狗様に御用とサ」


 野分は戸の向こうからかけられていた女の声を遮って、腰を上げた。さくりと戸を開けると、よく日に焼けた娘が死にそうな顔でこちらを見ている。思わず、顔が引きつった。


『まあ!もしかしてフーガのお嫁候補ですの?』


 斜め後ろから聞こえたおりゅうの声に、心の臓がきゅうと縮まるのが分かる。オイ息をしろやと野分の呆れた声が遠くで聞こえた。


「お絹サンとやらヨ、こちらがお前サンのいう一つ森の天狗サマだぜ」


 野分の言葉に、お絹と名乗ったおなごは床に額を擦り付けるほどに深く頭を垂れる。ああ、だから、ワシはそんな偉いもんじゃないというに。


「天狗様!どうか、どうかおっかさんを助けてくんなまし!」


「お前サンのおっかさんを?何があったんだイ?」


 喉が詰まって言葉が出ないワシに代わって、野分がお絹の声に応えた。お絹は、へえと短く頷くと頭を垂れたまま震える声で続ける。


 聞けば、お絹の母はここ半年ほど体調を崩してしまっているらしい。特にこの数日は起き上がることすらしんどいのだという。薬を求めここへ来て、偶々、天狗であるワシがこの宿に逗留していると耳に挟んだようだ。


「天狗様は万病に効く薬をお持ちじゃありませんか!どうか譲ってくんなまし!私の身はどうなろうと構やしませんから!」


「む……」


 万病に効く薬だと?そんなものは持っていない。いや、病の種類によっては、ワシの手で何とかなるかもしれんが……。どうにも、うまく口が動かない。もごもごと何度か動かしていたら、頑張ってと背中のおりゅうが囁いた。


「わ、ワシは、……薬は、ない」


「そ、そんな……!」


「直接見ねば、な、治せるか、……ううん、その……薬は、だな……ないから……ワシは、ええと……」


 駄目だ。直視できない。あと、舌が回らない。万病に効く薬はないということは伝わった、だろうか。


「直接、おっかさんを診てくださるッてヨ」


 投げられた野分の言葉に目を見開く。見やった野分は、ニィと歯を見せて笑っていた。ぞわりと背筋が震える。


「え?」


「おォおォ、さすがの天狗サマだねェ。お絹サンヨ、明日の朝一番にこの天狗サマがおっかさんを診に行ってくれるってよォ」


 ああ、ありがとうごぜぇます、とお絹がまた深々と頭を下げた。ちょっと待て野分、ワシはそんなこと一言も……!

 否定しようとして、顔を上げたお絹の表情にまた何も言えなくなってしまう。明日の朝一番にまた参ります、と涙の光る笑顔に、今のは嘘だ、本当は嫌だ行きたくない、などと誰が言えようか。


 何度も礼を言いながら去っていくお絹を見送ってから、ワシは野分を睨みつけた。


「野分、お主はな……」


『おキヌさんのお母様、重いご病気なのでしょうか……』


 野分に文句をぶつけてやろうとして、だが、その前におりゅうがしょんぼりと肩を落としてしまう。


「さァて、そこんトコは、鬼より天狗の方が詳しかろうヨ」


『フーガ、治せます……のよね?』


 ここでお絹の母を診たくないなどと言おうものなら、おりゅうが泣いてしまうのではないか。家族に裏切られてここへ流れ着いた少女はその実、誰かがそれを失うことを異様に恐れているように思う。


「……いや、治せるとは限らん。ワシとて万能の力を持つわけではない。無駄足と分かれば、どれほどあの娘を気落ちさせるか……」


「テメーの縄張りの話だろうが。聞いちまッたからにゃア、放っても置けんよなァ。嫁取りにも丁度よかろうヨ」


 野分はさらりと言って他人事のように酒をやり始めた。ワシは詰めていた息を吐いて、盆の上の徳利を掴む。そのままぐいと傾けた。酒臭い息のまま、ワシは頭を振る。


「見たかおりゅうよ。ワシのところに来るおなごは皆、ああしてこの世の終わりのような覚悟を決めておるのだ。何が悲しくて、命を捨てる覚悟をした娘を娶らねばならん」


『フーガ……』


「てェ、ご立派なこって。そんなのァな、お前サンが優しい言葉の一つも掛けてやりゃアどうとでもなるもんサ」


 口達者な奴め。ワシにそのような芸当が出来ていたら、そもそもここにおらんわ。分かって言っているのだから始末に追えん。……まぁ、ワシと二人で旅籠に泊まる羽目になった仕返しも、多分に含んでいるのだろうがな。


『わたくしも全力でお手伝いいたしますわ!先程のノワのように!』


「ア?」


「んん?」


 野分がワシを手伝った?首を傾げるワシらに、おりゅうは皆まで言うなとばかりに笑って頷いている。


『フーガはおキヌさんとお話しするとき、緊張してしまうのでしょう?わたくしが近くで助言しますわ。緊張が解けるお手伝いも、もちろんいたしますわ!』


 にこにこといい笑顔でおりゅうが手を合わせた。盛大にずれておる。野分がああしてお絹の母を診るように誘導したのは単なる腹いせだ。それ見ろ、野分も妙ちくりんな顔をして固まっているじゃないか。


『ね、ノワ!』


「ん、……あァ、ン、まァ、そうさネ」


 自分の行動をまるきり善意のものと捉えられた野分が、珍しく動揺しておる。ワシに言うように、そんなワケあるかと悪態の一つも吐けばいいものを。盃で口元を隠して、野分は素知らぬ顔で酒を飲んだ。今こそ攻め時よ。


「ほおう、それは僥倖。正しく鬼に金棒というものだ。いやはや、ワシは良き友人を持ったなぁ」


「このクソ天狗……」


 覚えてやがれよ、と野分の地を這うような声が聞こえる。かんらかんらと笑い飛ばして、ワシも酒を喉に流した。野分は野分で、自棄っぱちに酒を呷っている。此度は痛み分けというところか。

 おりゅうはワシと野分の顔を見比べて、野分の方に寄って行った。夕餉にと買ってきた飯やら肴の数々は、まだ半分も減っていない。野分はやれやれと笑って、おりゅうに色々と食べさせていた。


『ぬか漬けも美味しかったですけれど、こちらのお料理もとても美味しくて。食べ過ぎてしまいそうですわ』


 頬を押さえながら、おりゅうが無邪気に笑う。そうしていると、ただただ幼い童のようだ。首がもげるとは誰も思わないだろう。


「天狗にねだってみな。甘ァい玉子焼きが食いたいってヨ」


『甘い玉子?』


「目ン玉飛び出るぜ。色んな意味でなァ」


 おりゅうにねだられれば買うてやらんこともないが、ありゃ高い。甘さにも驚くが、値段も確かに目が飛び出るほどだ。


「卵も砂糖も高いからなぁ。あれでかけが何杯食えるか」


『かけ?』


「蕎麦だヨ。温かい出汁をかけてこう、ちゅるッと食うンだが……、ううん、説明しづれェな。ここいらにゃア美味い夜鷹があったっけか?」


「うーむ、ワシも中々顔を出さぬからなぁ」


 前にこの町へ下りてきた時も、野分への土産の酒樽を求めたぐらいだったしなぁ。なるたけ人と顔を合わせないようにしていたし、美味い夜鷹蕎麦の話など聞いたことがない。何だかんだ、野分も似たようなものだろう。野分はワシと違って、嫁取りを責付(せっつ)かれていないだけだ。


「天狗の爺様(じさま)の方が詳しいんじゃアねェか?」


「はは、確かにな。長はよく人里に下りては色々と遊んでいるようだ」


「ハレ全く、頼りにならん天狗だヨ」


 それその通りとワシも頷くと、おりゅうが楽しそうに笑った。明日のことを思えば少々憂鬱だが、こんな時間も悪くない。塩辛を貰って目を白黒させているおりゅうを笑いながら、ワシはゆるりと酒を味わうのだった。

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