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4.鬼は子犬をあしらう

野分(のわき)


 お気楽天狗が俺の家に連れてきたのは、ようやくこさえた嫁じゃなく、異国の女の霊魂だった。これがまた、どうにもトンチキで面白い霊魂だ。このお気楽天狗の嫁を見つけてみせるなどと(のたま)いやがる。独り立ちしてから十数年、嫁はおろか友人ですら数えるほどしかいない野郎にどうしろと言うのか。


 まァ、どうしようもないわな。


 おりゅうの国の男へ施されるという教育を風雅にやってみたり、おりゅう相手に練習したりとしてみているのだが、風雅の心がポッキリいくのが先だった。

 それもそうだろう。十も下の女に、何を世話になってるってェんだ。情けなくてやってられやしねェだろう。おりゅうは完全に善意でやっているから、尚のことだ。


 俺はまだへこたれきらないおりゅうに、ぬか漬けを差し出す。酒は駄目だったが、こいつァ気に入ったらしい。懐いた犬のように、俺の手から食う。理が違うから気を付けろと、俺が親切に言ってやったってェのに、このザマだ。疑うことを知らなすぎる。……まァ、だから首を落とされてここへ流れ着いたんだろうがな。


『この紫のは?』


「茄子だヨ。ホレ」


 摘まんで、異国の霊魂に茄子のぬか漬けを捧げる。仏さんのようなものだ。アレは食いはしないがな。茄子のぬか漬けも気に入ったらしい。おりゅうは口元を緩めて笑っている。俺はおりゅうが食べた後のお下がりを口へ放り込んだ。ちぃとばかし気は抜けちゃアいるが、酒で流しゃ変わりゃしない。


「いやしかし、そうぬか漬けばかりでは喉が乾くであろう。若い娘には団子の一つも求めてきた方が良いか」


『先程のお茶屋さんでですの?』


「うむ、野分が行けば大事ない」


 このクソ天狗が。風雅がやる気になったのかと目を輝かせたおりゅうは、お気楽天狗の発言にがっくりと肩を落とした。


『フーガの!お嫁さんを!探しているのでしょう!?どうしてここでノワが行かねばならぬのです!あ・な・た・が!ご自身で買い求めてらっしゃいまし!』


 怒髪天をついたおりゅうに、風雅はおろおろと視線を彷徨わせる。どうしてこうもこの天狗は情けないかねェ。


「わ、ワシは別に茶屋の娘とは……」


『あの方でなくとも!いえあの方でないならば尚更!女性に出会わなければどうしようもないでしょう!』


 アーア、こりゃア長くなりそうだ。体から首をもぎ取ったおりゅうが、床に転がって背を向ける風雅を追う。逃れられぬよう、風雅の顔の正面に自分の首を置きやがった。で、背面は体で塞ぐと。おりゅうも考えるねェ。


「で、では野分も!野分も共に出かけよう!」


「ア?何が悲しくて、真っ昼間ッからむさ苦しい男と連れ立って歩かにゃアならんのヨ」


「うぐ……、とにかく!ワシは一人では行かぬ!ただでさえ先程茶を飲んだばかりだというのに、どんな顔をしてもう一度訪ねればよいのだ!」


 うわ面倒臭ェ。待て待て、おりゅうもそんな目で俺を見るな。転がしてた首を胴に据えるな。俺の方に来るな。


『ノワ』


「勘弁しとくれ」


『お願いです、ノワ。わたくしを助けると思って』


 触れることができないからなのか、それとも元々の性質なのか。肉の身を得ていた時分であれば、匂いどころか温度も感じそうな近さまで迫って、おりゅうが俺を見上げてきやがる。畜生め、本当に食ってやろうか。

 お気楽天狗の野郎は、俺が困っているのを見てにやにやと気色の悪い顔をしてやがった。顔面ブチ割る。中身を飲み干したぐい吞みを思い切り投げつけてやりゃア、天狗は素っ頓狂な声を上げて丸まった。


 おりゅうは俺の様子を見て何かを考えた後、はっとしたように手を合わせる。


『では、お茶屋でなくとも構いませんわ。どこか他の人がいるところへ連れて行っていただけませんこと?』


「……他の人、ねェ」


『市街というか、ええと、買い物ができるような、……もしかして、そういうところはございませんの?』


 おりゅうが不安気に俺を見上げた。ここいらの女よりも随分とはっきりした目鼻立ちをしている。髪の色も、日を浴びた小麦の穂のようだ。あちらの国じゃア、おりゅうみたいなのが普通なのか?濡れ衣で首をちょんと刎ねられたってヨ、若い娘に酷なことをしやがる国だなァ。


『……ノワ?』


「アーア、仕様がねェな。天狗と同じ甲斐性なしと思われちゃア我慢ならねェ」


 まだ呻いてやがる天狗の尻を蹴り飛ばす。天狗はぐうと鳴いて顔を上げた。俺が外へ出る気になったのがそれほど意外か。まァ、これも天狗への嫌がらせになると思えば楽しいさネ。


「今から行きゃア、木戸が閉まる前に一つ森の宿場につけるだろ」


 どっこいせと腰を上げると、天狗が目を白黒させた。俺を巻き込むからだ。ざまぁみやがれッてんだ。


「い、今からか!?」


「漬物ばっかで可哀想なんだろう?生憎、ウチにゃア洒落た菓子なんぞねェからな」


『参りましょう!さ、フーガも早く!』


 気が変わらぬうちとばかりに、おりゅうが忙しなく俺の周りを飛ぶ。俺は引っかけてあった羽織と編笠を掴んで天狗を見下ろした。


「男に二言はねェよなァ?」


「うぐぐ……」


 ようやっと重い腰を上げた天狗に、俺は苦笑いを浮かべる。おりゅうは嬉しそうにきゃらきゃらと笑った。……アア、いけねェ。瓢箪はどこにやったかな。酒の一つも持たねェとやってやんねェや。


 ワシにもなどと寝惚けたことを言いやがる天狗をもう一度蹴り飛ばして、俺は戸を開ける。久方ぶりに洞穴を抜けた外は、憎たらしいくらいに晴れ渡っていた。



◆◇◆◇◆◇



 ぐずる天狗の尻を蹴飛ばして宿場町を目指すこと数刻。ようやっと遠くに木戸が見えてきた。


 散策日和だなんざ思わねェ。右にお気楽天狗、左にゃア人から見えねェ幽霊娘ときたモンだ。鬼の身を呪ったこともあったが、それ以上にトンチキなことがこの身に起こるとは思うめェよ。


『ノワ、フーガ!人がすごい速さで人を運んでますわ!』


「あれは駕籠(かご)だ、おりゅう」


「小便が漏れそうな時に使うとヨ、えらいことになるぜ」


 にんまり笑っておりゅうをからかうと、おりゅうは真っ赤な顔をして俺に纏わりつく。布をふんだんに使っているのだろう、ひらひらと俺の目の前をおりゅうの着物が舞った。寝物語に出てくる天女とやらは、こういう娘を見間違えたんじゃなかろうか。

 おりゅうの白い手が、俺の頭を通過する。本当に喰らいついてやったら、どんな顔をするかねェ。


『もう!ノワの馬鹿!下品ですわ!』


 俺が牙を舐めているのにも気付かずに、おりゅうは無邪気に怒っていやがった。俺は腰に下げた瓢箪から、酒をぐいっとやる。


『全く……。ねぇ、ノワはそんなにお酒を召し上がって酔いませんの?』


「ハ、酒なんざ鬼にとっちゃア水みたいなモンだ。飲んでねェとやってられねェのヨ」


「ワシとて、野分と連れ立って出かける日が来ようとは思わなんだ」


 元はと言えば、お前ェサンが煮え切らねェからじゃアねェか。こいつァちょいちょい俺のところに愚痴を吐きにくるが、俺が招いたことは一度もねェぞ。嫁の一つでもこさえれば、俺もちったァのんびり過ごせるんじゃアないか?


 そこまで考えて、ふと嫌な未来を予想する。


『?何だか顔色が悪いですわよ、ノワ』


「いや……、風雅に嫁が出来たら今度は、その嫁との愚痴を吐きに来やがるんじゃアねェかと思ってヨ……」


「ワシには、野分ほど明け透けに言ってくれる友は他におらんからな。嫁を娶ろうが娶るまいが、今と然程変わらぬと断言しよう」


 風雅は何がおかしいのか、がはは、と胸を張って笑う。友達も少なくていらっしゃるのですねぇ、なんて呑気におりゅうが言った。


「オイ、何が悲しくて、一度も嫁をこさえたことのねェ俺が、テメーの家の愚痴を聞かにゃアならんのヨ」


「友だからな!」


『ご友人だから、でしょうねぇ』


 こんな時ばかり息が合いやがる。苦虫ってェのはこういう味かい。ド畜生め。


「ほらおりゅう、町木戸が見えてきたぞ。もうすぐ宿場だ」


『わあ、賑わっておりますわね!』


 ふうわりと宙に浮いて、おりゅうが町木戸の方へと吸い込まれていく。万が一、おりゅうの姿が見えていたら大騒ぎだろうが、今のところその様子はなさそうだ。ふと、風雅が俺へ視線をくれる。


「お主の嫁問題も片付くのではないか?」


 …………。


「馬鹿言え。ありゃア毒だ」


「ワシが言えた義理じゃないかもしれんが、そう自ら進んで孤独であろうとするな」


「寝惚けてんじゃアねェぞ。そっくりそのまま返すぜ」


 俺の言葉に、風雅はからからと笑った。何をするにしてもやかましい天狗だ。俺が嫁を取る?冗談じゃアない。


「良い機会だと思うがな」


「尚更だヨ」


『お二人とも、早く案内してくださいまし!』


 目をキラキラと輝かせて急かしてくるおりゅうに、俺は苦笑いを浮かべた。あァ、こっちの子犬も構ってやらないとな。

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