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3.天狗と鬼と幽霊令嬢

【リューディア】


『背筋を伸ばして、もっと自然に笑んでくださいまし。目線は相手のお顔より下げぬように、ああ、ほらまた背が丸まっていますわ!』


 わたくしの言葉に文字通り、ぺしゃんと潰れたフーガをノワが無造作に蹴り飛ばす。最初に二人のやり取りを見た時はとても驚いたけれど、どうやらこの国の人たちはわたくしの思うよりも遥かに頑丈な体をしているらしかった。


「無理だ無理。ワシには出来ん。おりゅう、諦めてくれんか」


 ノワがわたくしをおりゅうと呼んでから、フーガまでおりゅうと呼び始めている。この国ではそういうものなのかしら?馬鹿にされているというより親しみが込められているように聞こえるから、特に訂正はしなかった。


「オラ根性見せろや、クソ天狗」


 ノワはあまり綺麗な言葉遣いではない、ということぐらいはわたくしにも分かる。国が違っても言葉は通じているのは助かった。わたくしの国では遠方の出身の方だと意思疎通もままならないことが多かったから。


 首を落とされ目覚めたあの日、わたくしは世界を恨んだ。


 わたくしを信じない両親も、他の女を選んだ婚約者も、捏造された証拠を嬉々として挙げる友人も、全て滅んでしまえばいいと思った。彼らを見ていたくなくて、ふらふらと国を彷徨った。辿り着いたのは、朝日に輝く広大な青い海だった。

 光に導かれるように海を歩いて、時折海岸の街に寄って、国とは違う人々を見て、また海を辿って、いくつもの夜を超えて、朝を超えて、辿って、着いたのは年嵩の男性に諭されてしょんぼりしているフーガの元だった。


 わたくしを殺した祖国にも、寄り道してきた街にも、わたくしの姿が見える人はいなかった。なのに、ここにはもう二人もわたくしの姿を見る人がいる。


 ノワの家の床に寝転がって不貞腐れてしまったフーガを見ながら、わたくしは首を傾けた。ノワは再びお酒を飲み始めている。先程頂いた漬物が美味しかったから、また頂けないかしらとノワのそばに腰を下ろした。


『わたくし、幽霊でございますよね?』


「ア?何だィ藪から棒に」


 ノワは陶器のグラスでお酒を飲みながら、わたくしへ向けて緑色の野菜の切れ端を差し出してくる。漬物だ。こりこりしていて美味しい。


『まさか、物が食べられるとは思っていませんでしたの。それに、ノワもフーガもわたくしの姿を見て、声を聞くでしょう?何だかとても不思議で……』


「物を食べるっつうか……、まァ味が分かるならいいじゃアねェか」


 わたくしが食べた後、物自体はノワの手に残っていた。わたくしは食べたし、味も感じたのに漬物はノワの指先に残っている。先程もそうしたように、ノワはそれを自身の口へ放り込んだ。


「フーガにゃやり方を言っておくが、上手く食えなかったら俺ンところに来いヨ」


『フーガには難しいんですの?』


 ノワは、ああとかううんとか唸りながら追加のお酒を注ぐ。ふんわりとアルコールの匂いが漂った。あの樽の中にはたくさんのお酒が詰まっているらしい。そしてその樽は、所狭しと部屋の脇に積み上げられていた。


「コレも天狗だから、人よりは得意だろうなァ。ただ、仰天するほどに不器用だ」


『まあ』


「天狗族って言やァ、土地や人を富ませる力がある。人には有難がられる存在だ。本来、嫁なんざ放っといても寄ってくるもんサ」


 喉を鳴らして笑いながら、ノワは不貞寝しているフーガの背を蹴る。ぐうとフーガが呻いた。けれど起きない。拗ねているのかしら。


「それがこの体たらく。分かるだろ?」


『……ええと、わたくし、自信がなくなってまいりましたわ』


 つまりフーガは、そのメリットを差し引いても余りあるくらいに、女性に対して奥手だと。万に一つの夢物語とノワが笑っていたけれど、ようやく意味が分かった。


「贄でも捧げさせりゃア終わるがな」


「そうまでして嫁が欲しいとは思わん」


 こちらに背を向けて転がったままのフーガが言う。生贄……、さすがにそれは、最後の手段としても使いたくはない。けれどこのままだとフーガは一人、放り出されてしまう。途方に暮れ、涙の一つも出ない冷えたあの感覚を、誰かに味わってほしくなかった。


 とはいえ、本人は只今絶賛不貞寝中だ。


『では、鬼族は?ノワにも奥様はおりませんのよね?』


「おりゅう、それはっ……」


「あァ、いいヨ。変に教わるよりゃア言っちまっておいた方が楽さネ」


 慌てたように体を起こしたフーガを、ノワが視線で制す。わたくしは何か、聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。


「この国の鬼族ってェのは、(つがい)の相手を殺さにゃアならん。死ぬために嫁に来てくれとは、俺ァ言えんでな」


『!』


「嫁なんざ望むべくもない。のんびり酒でも飲んで、一人朽ちるのを待つサ」


 そう自嘲して、ノワは手元のお酒に口を付けた。常識が違うとノワに注意されていたのに、わたくしは、なんてことを……。


『配慮が足らず、申し訳ございません……』


「おりゅうが気にすることじゃアない。そうしょげなさんな」


 ノワは頭に生える短い角のそばを掻きながら、口元を吊り上げる。それよりホレ、とノワが顎でフーガを指した。


「奴さんが復活したヨ。おりゅう、紳士のイロハを叩き込んでやるんだろう?」


「わ、ワシはやらぬぞ!野分(のわき)、酒だ!酒をくれ!」


 フーガは嫌だ嫌だと駄々をこねてまた寝転がる。どうしてそんなに嫌がるのかしら。女性に対して苦手意識がある割に、わたくしとは普通のやり取りができているように思うし……。


『フーガはもしかして、わたくしを女性と認識していらっしゃらない?』


「おなごも何も、おりゅうはまだ(わらべ)ではないか」


 寝転がったまま肩越しに呟くフーガに、わたくしは眉を吊り上げた。童というのはとても幼い者を指すのだろう。少なくともフーガは、わたくしを女性として認識してないことが分かった。


『わたくし、もうデビュタントを済ませた立派な淑女ですわ』


「ワシから見れば、おりゅうは子犬のようなものなのだ。可愛がりこそすれ、緊張などせんよ」


 ごろりと寝返りを打って、フーガがわたくしを見る。わたくしは持てるだけの力でフーガを睨んだ。


『ならば、全ての女性を子犬と思えばよろしいではないですか』


「おりゅう、この唐変木に女心なんざ分かりゃアしないヨ」


 苦笑い混じりに言うノワも、ついでに睨んでおく。このダメな男たちに任せるべきじゃないということは、痛いほどに分かった。この人たちがダメじゃなければそもそも、昼間からお酒を飲んで管なんて巻いていない。

 どうすればフーガにお嫁さんが来てくれるのだろう。じろりとフーガを見ると、彼は首をすくめた。


 この国の人々全体がどうなのかは分からないけれど、先程茶屋で見た感じでも、フーガの見てくれだけは悪くないように思う。この国は黒い髪の人が多く、フーガも漏れなく黒い髪だ。長くふわふわとしていて、そちらこそ犬のようだろうと思う。太っているわけでも、やせ細っているわけでもない。清潔感は少し課題かもしれないけれど、薄汚いわけではなかった。背丈はわたくしの父より少し高く、お顔立ちは社交界でよく見る程度に整っている。

 ちらりと横のノワを見れば、彼はどこか楽しそうに口元を歪めてわたくしを見ていた。ノワも髪は黒いけれど、だいぶ短く切ってある。ちょこんと生えている二つの白い角は、少し髪を伸ばせば隠れてしまいそうだ。フーガよりは細身だけれど、二人のやり取りを見るに力は強そうだ。切れ長の目はきっと、怒ったら怖いのだろうなと思う。


「どうだィ、いい案は浮かんだかい?」


 ノワの言葉に、わたくしは首を振った。


『フーガはこのままお嫁を取らないとして、その後はどうするつもりですの?』


「ん、まぁ、旅にでも出ようかなあ。ここにおいてくれと頼んでも……」


「アーアー、いい肉が入った。刻んで鍋にしてやるヨ」


 ノワは牙を剥いて笑う。だろうなとフーガは肩を落として苦笑した。水音を立ててお酒のおかわりを注ぐノワに、フーガも自分のグラスを差し出す。かなり雑に、フーガの分のお酒が注がれた。ぶわっとアルコールの香りが部屋の中に舞う。


「おりゅうもワシと旅をしてみるか?」


『そんな後ろ向きな旅は嫌ですわ。どうせなら、フーガの奥様と一緒に諸国を回りたいですわね』


「オウ、両手に花じゃアねェか。モテるねェ、天狗の旦那」


 他人事のように笑うノワの額に、びしっと扇子を突き付ける。ノワは目を丸くしてわたくしを見た。


『何を呑気に笑ってらっしゃるの?旅に行く時にはノワも一緒に決まっているではありませんか』


「ア?」


『わたくしに色々と食べさせてくださいまし。ノワは器用でらっしゃいますものね?』


 わたくしの言葉にノワはぽかんと口を開ける。それから数秒後、弾かれたように笑いだした。何故か、フーガも一緒に笑っている。せっかく友人になったのだからノワも一緒にと思ったのに、どうしてこんなに笑うのかしら。


 笑って息を切らしながら、ああいいよ、腹が裂けるまで食わしてやるヨ、と言われても、わたくしはちっとも嬉しくなかった。


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